もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

0088 池宮彰一郎「島津奔る(上)」(新潮文庫;1998) 感想4+

2013年08月10日 01時24分12秒 | 一日一冊読書開始
8月9日(金): ※久しぶりの本格的読書だ! 本来、こっちが本道だ!

456ページ  所要時間7:45    ブックオフ105円

8日 274ページ  所要時間5:05
9日 182ページ  所要時間2:40

著者75歳(1923~2007)。著者のあまりの高齢にちょっとビックリ! 初めて読む著者の作品である。骨太のどっしりした作風で読み応えがあるので二度ビックリ!であった。

ただ、視力・体力の衰えで速く読む力が相当に衰えている。また、得意な戦国時代の話が、島津氏の目を通して異なる角度から描かれてるのと、有名な時代とは言え微妙な話の展開を読みとろうとすると、つい立ち止りそうになり、読む速度がどんどん遅くなっていった。

以前BS歴史館で「島津家」の歴史が語られた秀吉・家康時代を生き抜いた島津龍伯義久(兄)と惟新義弘(弟)の話、特に関ヶ原の敗戦で当時人々の度肝を抜いた家康本陣に向けた突撃退却で有名な島津義弘が、全く意外な英明な豪傑であったことを知り、この作品に注目していた。

一昨日偶然に、ブックオフで上下巻を一度に発見。下巻「あとがき」を、「嫉妬の世界史」著者の山内昌之が、この作品が「地方志向で保守的兄義久の、中央志向で革新・英雄的弟義弘に対する嫉妬を軸にして展開している」という指摘を見るといやが上にもボルテージが上がって「読みたい! 買っておこう!」となり、多少劣化と汚れの目立つ古本を購入したのだ。

話は、慶長の役の負けいくさの中、太閤の死を知り撤退をする豊臣軍にあって、島津義弘の薩摩軍が、兄義久から援軍を断られながら、豊臣全軍の殿(しんがり)を引き受ける。泗川の戦いで、わずか7千の手勢で三十倍の敵、明・朝鮮軍二十万余を完膚なきまでに打ち破り、さらに無敵を誇る朝鮮水軍の名将李舜臣を撃破した。島津の威名は、石曼子(シーマンズ)と呼ばれ、鬼人の如く敵を畏怖せしめ、豊臣軍の撤退を成功させる。というところから始まる。、

その後、秀吉死後の豊臣政権にあって、前田利家という重鎮の死を境に、家康と石田三成の対立が激化の一途をたどる。そんな中、秀吉の九州征伐で引退させられた国元の龍伯義久に代わって、島津家当主となった惟新義弘の上方での活動ぶりが、義弘の明晰な情勢判断などとともに描かれる。65歳前後の義弘は豊臣から徳川に権力が移る複雑な情勢の中で、独特の存在感と異彩を放ち続ける。そんな、義弘に対して、国元の兄義久は、あくまでも冷淡で十分な兵も全く送らない。

やがて、関ヶ原へと大きな流れができ上がり、家康はあくまでも小心な臆病者として描かれているが、成り行きで奥州の雄、不敗の武神の家柄上杉との戦いのために関東に下向する。この辺の話は、通説が手堅く折り込まれるとともに、意外な解釈もたくさん盛り込まれていて、目が離せない。ただ、国元から十分な援軍を送ってもらえない島津義弘の存在感は小さくならざるを得ず、この辺は家康や三成他諸将の話が多くなる。そして、関ヶ原の一歩手前、少しだけ風雲急を告げるところで上巻は終わる。

あと、太閤秀吉の朝鮮侵略を考え主導したのは石田三成であり、その真意は、領土的野心というよりも、100年以上続いた戦国の武器産業バブルが太平の世の到来により終わった後の、急激な経済のシュリンク、<戦後不況>の問題を解決するためだった、という解釈は、けっこう新鮮だった。

※下巻に、すぐ移れるかは、体力・気力との相談でのびるかもしれません。


※追記記録:本日もまたまた何故か…? 341 PV/139 IP で閲覧数が最近では異常に多かったです! 正直、とまどっています。まことに感謝に堪えません。本当にありがとうございます m(_ _')m

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