もみさんの一日一冊遊書録( 2011年9月1日 スタート!: メメント・モリ ) ~たゆたえど沈まず~

年とともに人生はクロノロジー(年代記)からパースペクティブ(遠近法)になり、最後は一枚のピクチュア(絵)になる

150215 衆参両院の「テロ非難決議」を非難する!「テロの本質」を真面目に語る政治家はいないのか!

 真面目に「テロの本質」を考えれば、その原因が、決して宗教の違いにあるのではなく、世界的に広がる富の偏在、極端な格差拡大、差別構造の継承、及びパレスチナ問題、それらによる<若者たちの絶望>にあることは、実は誰もがわかっていることだろう! それを「世界には凶悪なテロリストが大勢いて、こいつらを叩き潰せばテロが無くなる」なんて話に無理やりすり替えている。誰も、「テロの本質が、日本・世界の社会構造が抱える富の偏在・格差の拡大及びパレスチナ問題の<野放し状態>にこそある」という本質を語らないし、見させようとしない。そして、凶悪なテロリストへの恐怖ばかりを煽りたてている。これはまさにオーウェルの「一九八四年」の世界と同じだ。今回の国会の「テロ非難決議」に社民党・共産党まで加わっていたのには、あきれ果てた。「誰も本質を見ようとしない。」「武力で世界中の<絶望した若者たち>を封じ込めるべきではないし、不可能だ!」

秋原葉月さん「Afternoon Cafe」ブログから

※(1)「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者を愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」byヘルマン・ゲーリング ※(2)いつの時代も大衆をファシズムに煽動する手口は同じ。なのに同じ手口に何度も騙されるのは過去に学んでいないから。格差を広げ、セイフティネットを破壊し、冷徹な自己責任論が横行する社会を継続させるのは簡単だ。今よりもっと格差を広げ、セイフティネットを破壊する政策をとればよい。そうすれば人々に自己責任論がもっと浸透し、草の根から勝手に右傾化してくれる。

辺見庸さんのブログから

・権力をあまりに人格的にとらえるのはどうかとおもう。口にするのもおぞましいドブの目をしたあの男を、ヒステリックに名指しでののしれば、反権力的そぶりになるとかんがえるのは、ドブの目をしたあの男とあまり変わらない、低い知性のあらわれである。権力の空間は、じつのところ、非人格的なのだ。だからてごわい。中心はドブの目をしたあの男=安倍晋三であるかにみえて、そうではない。ドブの目をしたあの男はひとつの(倒錯的な)社会心理学的な表象ではありえても、それを斃せば事態が革命的に変化するようなシロモノではない。権力には固定的な中心はなく、かくじつに「われわれ」をふくむ周縁があるだけだ。ドブの目をしたあの男は、陋劣な知性とふるまいで「われわれ」をいらだたせ、怒らせるとともに、「われわれ」をして社会心理学的に(かれを)蔑視せしめ、またそのことにより、「われわれ」が「われわれ」であることに無意識に満足もさせているのかもしれない。ところで、「われわれ」の内面には、濃淡の差こそあれ、ドブの目をしたあの男の貧寒とした影が棲んでいるのだ。戦争は、むろん、そう遠くない。そう切実にかんじられるかどうか。いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる。せむしの侏儒との「ふるいつきあい」がベンヤミンのなにかを決定した。そう直観できたアレントほどするどくはなくても、研ぎすまされた感性がいる。けふコビトがきた。ミスドにいった。(2015/11/11)

151118 映画「野火 (原作 大岡昇平 1951)」(市川崑監督:1959) 感想4

2015年11月18日 23時21分27秒 | 映画・映像
11月18日(水):      

今日放送のNHK-BSの録画を観た。1:45。白黒作品。

  56年前の1959年は、まだ戦後14年である。作品としては、白黒映像が貧乏臭く、リアルさに少し欠けたが、出演者が皆ガリガリに痩せていたのは制作陣の映画に対する思いの深さを感じさせた。この映画を製作してる人々は、ほぼ全員戦争経験者である。その意味での意義深さはあるはずである。楽しい作品ではない。実感は感想3+だが、それでは申し訳ないし、感想5はつけられない。感想4は、そんな感じで付けた。

  内容は比較的原作に忠実だったが、決定的に違う部分も結構あった。それが原作に比べると映画の印象を弱めているように思った。1959年当時は、その当時の表現上の規制があったのだろう、と思う。例えば、以下の点だ。
・主人公が死んだ兵士の血を吸った山ビルの血をすすって間接的に人肉食をしてしまうシーンがなかった。
・念仏を唱える狂人の将校は、原作に登場したか…?、しなかったような気がする。
・人肉食を自分の意志でやろうとして、右手に軍刀をかざした時、左手が勝手に右手首を持って、人肉食を止めたシーンがなかった。ここは、原作では相当印象的なシーンなので、ないと物足りない。
・死の寸前に永松に助けられて、猿の肉(実は人肉)を与えられ、それを食べることで元気を回復するシーンがなかった。要するに映画の中では、主人公は人肉食をしないで終わった。
・原作では、フィリピンのゲリラにつかまり大けがをするが、捕虜となり日本に変えるが、映画では戦場で死んだ?形で終わっている。

原作については「4 012 大岡昇平「野火」(新潮文庫;1951)感想 特5」を読んで下さい。

ストーリー紹介(いくらおにぎりブログ 様から):
  レイテ島を彷徨う敗残の日本兵たち。田村一等兵は、部隊から追い出され、病院にも入れてもらえないまま、一人で行動するのですが、やがて「猿」の肉で食いつないでいる兵隊たちと再会し……
  亡くなった船越英二の「代表作」と言えば、この映画。大映東京の中堅どころとして、若尾文子主演の映画などで、名バイプレイヤーぶりを発揮した船越英二ですが、この映画ではまさに鬼気迫る演技を見せていました。
  「バカやろう。帰れといわれて帰ってくるヤツがあるか」と分隊長に殴られている兵隊。どことなく焦点の合わない目つきで、無感動なこの兵隊は田村一等兵(船越英二)です。レイテ島の日本軍は軍とは名ばかり、ただ食いつなぐために、芋を掘り、その日その日の食べるものにも窮している流浪の集団なのです。
  そして田村一等兵は肺浸潤のため、芋ほり作業などの重労働ができない体。ですから、原隊からは体よく追っ払われ、また病院でも邪魔にされる立場なのです。
  もう帰ってくるな、病院に入れてもらうまで、ひたすら粘るんだ。それがダメなら、その手榴弾で……と分隊長に脅かされた田村は、無感動に「田村一等兵、これよりただちに病院に赴き、入院を許可されない場合は自決いたします」と言って、トボトボと病院への道を歩き出すのでした。
  雑嚢に入った手榴弾一個と、わずかばかりのヒョロヒョロの芋が、田村の持ち物。そんな田村は、ようやくのことで病院につくことができました。もちろん、軍医は食糧を自弁できる者、もっと言えば、自分たちにも食糧を渡すことのできる者しか入院させようとはしないので、自然と病院の前の林には、入院を許可されず、さりとて原隊にも帰れない者たちがたむろしており、田村は自然と、その仲間になったのです。
  林にいたのは、おっさんと呼ばれる安田(滝沢修)、永松(ミッキー・カーチス)、松村(佐野浅夫)など、いずれも棺おけに片脚を突っ込んだような廃兵ばかり。彼らは、あるいはタバコと食糧を交換したり、あるいは病院に忍び込んで芋を盗んだりと、どうにかこうにか、命を繋いでいるのです。
  ある日、病院が爆撃されました。まず第一に逃げ出したのは食糧事情のいい軍医や衛生兵たち。次に林の兵隊たちも散り散りばらばらに逃げ出します。もちろん入院患者たちや、残っている食料をあさろうと病院に潜り込んだ松村などは、一緒くたに病院ごと爆発して死んでいくのです。
  どこをどう逃げたのか、気づくと一人になっていた田村。湧き水を見つけると、ゴクゴクと飲み干し、水筒に水を詰めます。
  「俺は死ねと言われたんだ。自分でもそのつもりだ。そんなら何故逃げるんだ。水筒に水なんか入れる必要はないだろ」と、手榴弾を取り出し、笑い始めます。ふと横を見ると、大勢の日本兵が倒れています。「お前らの中には、まだ生きている奴もいるだろ。だけど、俺は助けに行かないぜ。俺だってすぐ死ぬんだ。おあいこだよ」
  <幾日かがあり、幾夜かがあった>
  河原で眠りからさめた田村。川に足をつけると気持ちが良さそうです。おや何でしょう、遠くの高い塔がキラキラ光っています。「村があるんだ。村の教会の十字架に違いない。俺は見つかったら殺されるのに決まっているのに、何故あそこへ行きたいんだろう」と自問自答しながらも、重い足を引きずるように歩き出す田村です。
  田村は村に着きました。しかし、村には人っ子一人いません。いるのは腹をすかせた野犬とカラスばかり。教会に着きます。「これが俺の見た十字架か」と嘆息する田村、しかし、遠くから見たときには、あれほどキラキラ輝いていた十字架も、近くで見ると薄汚れ、そして、教会の入り口には日本兵の死体がうずたかく積まれて腐っているのです。どうやら、原住民に殺されたらしい日本兵たち。しかし、相次ぐ日本兵の侵入に、村人は村を捨てて、何処へか去ったのでしょう。
  歌が聞こえてきました。女の声です。見れば、ボートに乗った男女の原住民が、海からあがって村の方へ手をつないで走ってくるではありませんか。銃を構え、さっと身を隠す田村。男女は一軒の小屋に入りました。田村がそっと覗くと、二人は床板をはがし、何かを取り出しているようです。
  銃を突きつけながら「マガンダーハポン」と言う田村。女が悲鳴を上げ始めました。ためらわずに女を撃つ田村。男はきびすを返して逃げ出します。追いかけ、銃を撃つ田村。しかし、弾丸は当たらず、男はボートに乗って逃げ去ってしまいました。
  女の元に戻る田村。女は虫の息のようです。それをじっと見つめる田村。おやっ。ふと気づくと、床下には、大量の塩が隠されていました。もう女にはすっかり興味を無くしたように、邪険に転がし、塩を雑嚢に詰め始める田村。田村は途中で、銃を川に投げ捨て、どこへともなく歩いていくのです。
  何日が経ったのでしょう。田村は、丘にうごめく人影を見つけました。「日本兵だ」と喜んで近づいていく田村。そこには班長(稲葉義男)を中心に、3人の日本兵がいたのです。斬り込み隊の生き残りという班長たちに同行を申し出る田村。「俺たちはニューギニアじゃ人間まで喰って苦労してきた兵隊だ。一緒に来るのはいいが、まごまごすると喰っちまうぞ」と迷惑そうな表情だった班長ですが、田村が塩を持っているのを知ると、態度を一変させるのでした。舐めさせろ、と塩を貰った3人。ひとりの兵などは、「うまい」と涙を流しています。
  4人が少し歩くと、焼け跡がありました、「狼煙のあとだ」と怯える田村。しかし班長は「ビックリさすない。ただの野火じゃねえか」と言うのです。これは重要な違いです。狼煙だとしたら、原住民が米軍に日本兵の存在を知らせる危険なもの。しかし野火であれば、そこでは農民たちがトウモロコシの殻を焼き、来年の収穫に備えている、いわば「平和」や「生活」を象徴しているのですから。
  日本軍の集結地であるパロンポンを目指す一行。街道を歩くと、そこかしこから幽鬼のような日本兵たちが、ひとり、またひとりと現われ、ゾロゾロと歩いていきます。たまにプロペラ音がすると、それは米軍の飛行機。日本兵たちは棒切れのように、その場に倒れ、機銃の銃撃がミシンのように街道を縫っていきます。そして飛行機が去ると、いく分か数を減じた日本兵が、再び立ち上がり、またヨロヨロと歩いていくのです。
  「いやあ田村、まだ生きていたのか」と声をかけてきたのは、病院前の林で一緒だった永松です。永松は歩けない安田に代わって、街道でタバコと食糧を物々交換して、どうにか生きているのでした。とはいえ、タバコの葉を持っているのは安田なので、ほとんど召使のようなものですが。
  「早くパロンボンに行った方が勝ちだぜ」と忠告する田村に、しかし、永松は「安田はパロンボンに行く気はねえんだ。米さんに会い次第、手をあげるつもりだ」と言い、自分も降伏する気である事を匂わすのでした。
  途中で、街道を越えようとして班長たち仲間を失ったり、白旗をあげて降伏しようとしたところ、先に降伏した兵士が、そのまま撃ち殺されるのを見たりしつつ、ただただ歩いていく田村。再び、一人になって彷徨したあげく、またも永松と出会いました。永松は親切に、水をくれ、猿の干し肉までくれるのです。「弾丸(たま)あるのかい」「ああ、大事に使っているからな」「お前、俺を猿と間違えたんじゃないのかい」「まさか」。そんな会話を交わしつつ、安田とも合流して久しぶりに3人が顔を合わせました。
  安田はなぜか熱心に猿の干し肉を田村に食べさせようとしますが、田村はすっかり歯が悪くなって、干し肉を食うことができません。しかし「本人がいいって言ってるんだ。無理に食わすことねえや」という永松に、安田は「バカ、ここに来やがったからには、食わねえとは言わさねえぞ」と、血相を変えて怒り出すのです。
  永松は、粗末な食事を終えたあと、自分のねぐらに田村を誘います。すでに、永松は安田のことを全く信用していないので、寝ている間に大事な銃を取られることを恐れているようなのです。そして、田村が後生大事に抱えてきた手榴弾も、決して安田に見せてはならないと言うのでした。
  しかし、ある日のこと、田村は、言葉巧みに言いくるめられ、安田に手榴弾を取られてしまいました。田村が「返せよ」と言うと、安田はもの凄い顔で銃剣を突きつけて来ます。諦めて「やるよ」と言うと、ニンマリ笑って、そうこなくちゃいけねえ、それにしても永松は最近生意気だ、と猿撃ちに出かけている永松を罵り始める安田です。
  と、その時、銃声が響きました。「やった」と嬉しそうな安田。田村は顔を引きつらせながら走っていきます。すると、目に飛び込んだのは、永松が必死に逃げていく日本兵を銃で狙っている姿だったのです。
  「見たか?」
 「見た」
 「猿を逃がした。今度、いつまた見つかるか分からねえ」
 「猿がお前の目の前にいる」
  しかし、永松は田村を撃ちませんでした。もちろん、最初は、田村が持っていると思った手榴弾を恐れたからですが、むしろ安田をやっつける仲間として選んだのです。
  まずは、物音を立てて、安田に手榴弾を使わせてから、やっつける、という簡単な計画を立てる永松。案の定、安田は手榴弾を投げつけてきて、武器は無くなりました。しかし、歩けないはずの安田は、そのままジャングルに逃げ込んでいったのです。
  しかし、水が無ければ人は生きられません。安田は必ず水場に戻ってくるはずです。そのまま、水場を見渡せる場所に隠れる二人。そして三日が経ちました。何も安田をやらなくても、このままパロンポンに行こうと言う田村に、「安田をやって食糧を作ってから、米さんのところに行こうじゃねえか」と答える永松です。
  と、はるかかなたに煙が一筋立ち昇りました。「狼煙か」と怯える永松に、「いや、野火だ。トウモロコシの殻を焼く煙だそうだ。俺はあそこに行こう」と答える田村。そこに、「おーい」と安田の声が聞こえてきました。仲直りをしよう、と姿を見せる安田。しかし、永松はためらわずに引き金を引いたのです。倒れた安田に駆け寄り、銃剣でバラシはじめる永松。田村は、永松の置いていった銃を手に取り、永松を撃ち殺すのです。
  銃を捨て、手をあげてフラフラと歩き出す田村。
  「あの野火の下には農夫がいる。あそこへ行くのは危険なのは分かっている。でも俺は普通の暮らしをしたい」
どこからか、田村を狙って銃弾が飛んできます。かまわずに歩き続ける田村。そして田村はガックリとレイテの大地に倒れ伏すのでした。

  まるで田村は死んでしまったような終わり方です。しかし、原作は、捕虜として敗戦を迎え、今は精神病院に入っている田村の手記という形を取っています。
  他にも原作と違うところは、原作では田村は「猿」の肉を食っていましたが、映画では、歯が悪いという理由で食っていません。
  もちろん、この映画も、原作も「人肉嗜食」を大きなテーマとしている点に変わりはありませんが、「食べたか」、「食べないか」の扱いの違いから、微妙にスタンスが違っているようです。つまり、原作では、(薄々そうと知りながら)あくまで猿の干し肉という名目であれば食べられるが、あえて殺してまで食べるのはいけないんじゃないかと、田村は感じているようです。しかし映画の方は、もっと根源的なタブーとして、そして生理的な嫌悪感として、あくまで田村は人肉を食べられないようなのです。
  ここに、実際にフィリピン戦線で捕虜になった原作者の大岡昇平と市川崑監督の違い。そして作られた時代の違いが現われているように思えます。
  つまり、大岡昇平にとって、そしてまだ戦争が生々しい時代には、人肉を口に入れてしまうことじたい、どこか「やむを得なかった」という意識があったのではないでしょうか。
  しかし、市川崑監督にとって、そして戦争が少し遠くなった時代においては、それはとても「気持ちの悪い」できごとだったのでしょう。
とは言え、南方戦線から命からがら帰ってきた兵士たちを断罪することもできない話です。だったら死ねば良かったのか、と問われて、そうだ、と答えることのできる人間は、日本のどこにもいないのですから。
  そんな躊躇せざるを得ない気分というか、遠慮が、この映画を少し歯切れの悪いものにしてしまったようです。
  そうはいっても、減量をして臨んだという船越英二の演技は、まさに賞賛に値すると思います。「読む」ことによって伝わるものと、「見る」ことによって伝わるものの違いというか、まさしく、ここレイテの大地に一人の彷徨して苦吟する日本兵がいる、というのを「姿」として見せてくれた船越英二には、本当に圧倒されました。

151118 沖縄がパレスチナに思えてきた!政府が翁長知事(=沖縄県民143万人)を提訴したのは倒錯の極致!

2015年11月18日 18時40分02秒 | 沖縄と共に生きる
11月18日(水):

 政府が辺野古埋め立て承認取り消しの撤回を拒否した翁長雄志沖縄県知事を提訴したそうだ。沖縄県の人口は143万人であり、翁長知事は沖縄県民の意志の代表者である。翁長知事を国が提訴したということは、沖縄県民との話し合いを政府が拒否して県民143万人の意志を踏みにじり、<被告>として裁判所に訴えたことを意味する。 政府は誰のためにあるのか。政府は何のためにあるのか。そも143万人の国民(沖縄県民)を侮辱し、その意志を踏みにじって護らねばならない如何なる国家の利益があるというのか!? 

 沖縄の近代史を振り返れば、琉球処分、方言札の同化政策、本土の捨て石とされた沖縄戦、多くの住民の死、1952年の本土独立後の「銃剣とブルドーザー」による米軍基地のしわ寄せの加速、1972年の日本復帰後も残り続ける米軍基地問題など目を背けてはいけない歴史がある。

 これらの背景に佐藤優氏の指摘する<構造化された差別意識>が横たわる。見ようとすれば、確実に見えるはずなのに本土の人間は目を背け続けている。本来、政府は沖縄差別を人権問題として国民に広報・改善すべき立場にあるのに、今の安倍自公政権をはじめとしてこれまでの自民党や民主党右派(野田・前原・細野)は同じように知らぬふりをしてきた。

 しかし、今回の提訴ばかりは常軌を逸しているとしか言えない。見えない<構造化された差別意識>を指摘して解決を図るどころか、その沖縄に対する差別意識を利用して「沖縄県民が、身勝手な反対運動をしている」と印象付ける形で裁判所に提訴しているのだ。そこには沖縄の人々の思いや言い分を汲み取ろうというひとかけらの意志も存在しない。恥知らずにもほどがある。

 143万人の沖縄県民を「政府に従わない愚かで身勝手な輩(やから)」として提訴し、<被告>にしてしまったのだ。歴史的に見ても、現状のひどさからみても沖縄県民の意志を代弁する翁長知事の辺野古移設反対の訴えの方が条理にかなっている。それに対して、現政府が堂々と不条理・不正義を押し通そうとする姿は異常である。一体、自民党・公明党は日本をどこに連れて行こうとしてるのか。独裁国家の地獄に連れて行こうとしている、としか考えられない。

 また、143万人の無辜の国民(沖縄県民)を被告としてしまう自公政府による独裁政治の「原因が米軍基地問題である」以上、我々は「アメリカ帝国の責任」にも目を向けざるを得ない。我々の同胞たる沖縄県民を植民地の2等市民のように扱かおうとする独裁政府を放置しているアメリカに対する印象は確実に悪くなっている。

 俺には、最近沖縄県民が、パレスチナのアラブの人々のように思えてきている。日本の中にも実は<パレスチナ問題>があるのだ。イスラエルはもちろん本土の安倍晋三自民・公明政権である。安倍自公を支えるのがアメリカだというのも妙に符合する。 米軍基地問題を放置して、知らぬ顔をするアメリカを俺は許せない。アメリカは、沖縄の米軍基地問題を通して<日本人の反米意識>が強くなることを自覚して恐れるべきだろう。

朝日新聞【素粒子】11月18日夕刊
・ある時は私人のふりをして今度は居丈高の国として。政権が知事を訴える。沖縄はこの国ではないかのように。
・1億は総活躍、五輪には国民総参加。「総」の字がよほどのお気に入り。入場行進が兵隊のパレードに思えてきて。

朝日デジタル【天声人語】辺野古、「法廷闘争」へ   2015年11月18日
 後になってから、あれが一里塚だったと気づかされる出来事がある。1996年の衆院予算委員会で菅直人氏が質問した。憲法65条に「行政権は、内閣に属する」とあるが、ここに自治体の行政権は含まれるのか、と。新たな論点の提起だった▼当時の内閣法制局長官は、含まれないという趣旨の答弁をした。菅氏はこれを受け、「自治体においても独自の行政権が認められる、という考え方は大変重要だ」と念押しするように述べた▼3年後、東京都知事だった石原慎太郎氏はこの答弁を、中央集権の崩壊という「時代の流れ」をとらえて極めて妥当、と称賛した。国と自治体の関係を「上下、主従」から「対等、協力」へ切り替える。後に地方分権改革の一里塚とも評された答弁だ▼時代の流れは沖縄県にだけは及んでいないのか。米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐり、政権が翁長雄志(おながたけし)知事を提訴した。辺野古埋め立ての承認取り消しを、知事に代わって撤回する「代執行」の手続きを進めるためだ▼政権は既に別の方法で埋め立ての本体工事に着手している。行政不服審査制度だ。「私人」を救済するための仕組みを、国の機関が私人に「なりすます」格好で使う。制度の乱用だとの批判が出たのは当然だろう▼そんなやり方で工事を進めながら、知事の権限自体を奪うための「法廷闘争」へ。いまや自治体が「地方政府」と呼ばれることも珍しくないのに、沖縄だけを国との「主従」の関係に置き去りにしていいはずはない。

朝日デジタル【社説】政権、沖縄知事を提訴 「第三の道」を探るとき  2015年11月18日(水)付
  沖縄県の米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐり、安倍政権と県が法廷闘争に入った。
  政府は、辺野古埋め立ての承認取り消しを撤回するよう県に指示したが、翁長雄志知事が拒否。そこで福岡高裁那覇支部に知事を提訴したのだ。
  1年前の知事選など一連の選挙で反対派が勝利し、辺野古移設拒否の民意は明白である。そこから目をそらし、強引に移設を進めれば、沖縄県民に、日本国民に分断を生む。
  沖縄の声になぜ耳を傾けないのか。不毛な政治のありようと言うほかない。

■二者択一を超える
  改めて考える。辺野古移設は安全保障上、唯一の選択肢か。
  答えは、否である。
  政府は「辺野古が唯一の選択肢だ」と繰り返す。だが実際には、辺野古しかないという安全保障上の理由はない。むしろ、米国との再調整や、関係自治体や住民との話し合いなど、代替策の検討に入った場合に生じる政治的な軋轢(あつれき)を避けようとする色彩が濃い。
  辺野古移設か、普天間の固定化か――。その二者択一を超えて、政府と沖縄、そして米国が納得しうる「第三の道」を探るべきときだ。
  まず大事なのは、軍事技術の進展や安全保障環境の変化に応じて、日本を含む西太平洋地域全体の安保戦略を描き直すことだ。米軍と自衛隊の役割・任務・能力を再検討しながら抑止力をどう維持、強化していくか。そのなかで、沖縄の基地をどう位置づけるかを日米両政府が議論する必要がある。
  たとえば、知日派の米ハーバード大のジョセフ・ナイ教授は「中国の弾道ミサイルの発達で沖縄の米軍基地は脆弱(ぜいじゃく)になった」と指摘している。中国に近い沖縄に米軍基地を集中させる発想は、かえって危ういという意見だ。
  すでに米海兵隊は、ハワイやグアム、豪州、フィリピンへの巡回配備で対応を進めている。南シナ海での中国の海洋進出への対応を重視するなら、フィリピンなどに代替施設を造る選択肢もあり得るだろう。

■負担を分かち合う
  そうした再検討のなかで、日本全体で安全保障の負担を分かち合うことも、いっそう真剣に検討する必要がある。
  政府はこれまで、沖縄県外への機能移転を具体的に検討してきた。普天間の空中給油機部隊は岩国基地(山口県)に移ったし、新型輸送機オスプレイの佐賀空港への暫定移駐案が浮かんだこともある。
  航続距離の長いオスプレイが、いつも沖縄にいる必然性はない。現実に訓練は本土でも行われている。
  辺野古の代替施設が絶対に必要だとも言えない。横須賀基地(神奈川県)や三沢基地(青森県)の米海空軍を増強することにより、日本全体の抑止力が高まり、在沖縄海兵隊の削減につながるという指摘もある。
  2011年には米上院のマケイン議員らが、沖縄・嘉手納基地の空軍の戦闘機部隊を三沢基地などに分散したうえで、普天間の海兵隊を嘉手納に移す案を示したことがある。
  その後、仲井真弘多(ひろかず)前知事が辺野古の埋め立てを承認したため立ち消えになったが、日本全体や周辺を見渡せば、対案の組み合わせはほかにも考え得るだろう。当面は普天間の平時の運用停止を急ぎ、その代わり有事の際の使用は認める案もある。

■日本が決める問題
  国土の0・6%の沖縄に、全国の73・8%もの米軍専用施設を押しつける異常事態を正すためにも、この際、日本政府として辺野古移設を白紙に戻す決断を求めたい。
  そのことこそ、より説得力をもって「日本全体での負担の分担」を自治体や住民に働きかける力になるはずだ。
  いまは「辺野古移設を支持する」と繰り返す米国の政策も、不変とは限らない。
  来年11月に選ばれる米国の次期大統領が、違う選択肢を探る可能性もある。
  実際、米国の駐日大使経験者からは柔軟な見方が相次ぐ。
  19年前、橋本龍太郎首相と普天間返還を発表したモンデール氏は最近、沖縄の基地について「これは日本で決めるべき、日本の問題だ」と語った。前任のアマコスト氏も辺野古移設について「コストと便益を考えると見合わない。海兵隊基地の戦略的価値はどれほどあるのか」と疑問を投げかけている。
  日本政府が辺野古に固執し続ければ、沖縄の民意はますます硬化し、結局、普天間の固定化による危険が続く可能性が大きい。周辺住民に支持されない基地に安定的な運用は望めず、長期的に見れば、日本の安保環境を損ねかねない。
  まさに悪循環である。
  辺野古をめぐる法廷闘争は、むしろ基地問題の解決を遠ざける。日米の政治の構想力と実行力が問われている。

150329 タガ外せば歯止め失う 長谷部恭男・早稲田大学教授/「未来志向」は現実逃避 杉田敦・法政大学教授

 杉田 先日ドイツのメルケル首相が来日しました。戦後ドイツも様々な問題を抱えていますが、過去への反省と謝罪という「建前」を大切にし続けることで、国際的に発言力を強めてきた経緯がある。「建前」がソフトパワーにつながることを安倍さんたちは理解しているのでしょうか。  / /長谷部 そもそも談話が扱っているのは、学問的な歴史の問題ではなく、人々の情念が絡まる記憶の問題です。記念碑や記念館、映画に結実するもので、証拠の有無や正確性をいくら詰めても、決着はつかない。厳密な歴史のレベルで、仮に日本側が中国や韓国の主張に反証できたとしても、問題はむしろこじれる。相手を論破して済む話ではないから、お互いがなんとか折り合いのつく範囲内に収めようと政治的な判断をした。それが河野談話です。  / /杉田 談話の方向性や近隣との外交について「未来志向」という言い方がよくされますが、意図はどうあれ、それが過去の軽視という「見かけ」をもってしまえば、負の効果は計り知れない。安倍さんたちは、未来を向いて過去を振り払えば、政治的な自由度が高まると思っているのかもしれません。しかし政治の存在意義は様々な制約を踏まえつつ、何とか解を見いだしていくところにあります。政治的な閉塞(へいそく)感が強まる中で、自らに課せられているタガを外そうという動きが出てくる。しかし、それで万事うまくいくというのは、一種の現実逃避では。  / /長谷部 合理的な自己拘束という概念が吹っ飛んでしまっている印象です。縛られることによってより力を発揮できることがある。俳句は5・7・5と型が決まっているからこそ発想力が鍛えられる。しかし安倍さんたちは選挙に勝った自分たちは何にも縛られない、「建前」も法律も憲法解釈もすべて操作できると考えているようです。  / /杉田 俳句は好きな字数でよめばいいのだと。  / /長谷部 あらゆるタガをはずせば、短期的には楽になるかもしれません。しかし、次に政権が交代したとき、自分たちが時の政府を踏みとどまらせる歯止めもなくなる。外国の要求を、憲法の拘束があるからと断ることもできない。最後の最後、ここぞという時のよりどころが失われてしまう。その怖さを、安倍さんたちは自覚すべきです。 =敬称略(構成・高橋純子)朝日新聞『考論』

0015 オルテガ「大衆の反逆 (桑名一博訳;久野収解説)」(白水社イデー選書;1930)評価5

以下は、オルテガ所論の久野収による抜粋の抜粋である:///  オルテガによれば、政治のなかで「共存」への意志を最強力に表明し、実行していく政治スタイルこそ、自由主義的デモクラシーである。共存は、強い多数者が弱い少数者に喜んで提供する自己主張、他者説得の権利である。敵、それも最も弱い敵とさえ、積極的に共存するという、ゆるがない決意である。/その意味で、人類の自然的傾向に逆行する深いパラドックス(逆説)であるから、共存を決意した人類が、困難に面してこの決意を投げ出すほうへ後退したとしても、それは大きな悲劇ではあっても、大きな不思議とするには当たらない。/「敵と共存し、反対者と共に政治をおこなう」という意志と制度に背を向ける国家と国民が、ますます多くなっていく1930年代、オルテガは、「均質」化された「大衆」人間の直接行動こそが、あらゆる支配権力をして、反対派を圧迫させ、消滅させていく動力になるのだという。なぜなら、「大衆」人間は、自分たちと異類の非大衆人間との共存を全然望んでいないからである。略。///  「大衆」人間は、自分たちの生存の容易さ、豊かさ,無限界さを疑わない実感をもち、自己肯定と自己満足の結果として、他人に耳を貸さず、自分の意見を疑わず、自閉的となって、他人の存在そのものを考慮しなくなってしまう。そして彼と彼の同類しかいないかのように振舞ってしまう。/彼らは、配慮も、内省も、手続きも、遠慮もなしに、「直接行動」の方式に従って、自分たちの低俗な画一的意見をだれかれの区別なく、押しつけて、しかも押しつけの自覚さえもっていない。/彼らは、未開人―未開人は宗教、タブー、伝統、習慣といった社会的法廷の従順な信者である―ではなく、まさに文明の洗礼を受けた野蛮人である。文明の生み出した余裕、すなわち、贅沢、快適、安全、便益の側面だけの継承者であり、正常な生存の様式から見れば、奇形としかいいようのないライフスタイルを営んでいる新人類である。略。///  「自分がしたいことをするためにこの世に生まれあわせて来た」とする傾向、だから「したいことは何でもできる」とする信仰は、自由主義の自由の裏面、義務と責任を免除してもらう自由にほかならない。/われわれは自由主義の生みだした、この「大衆」人間的自由、自己中心的自由に対し、他者と共存する義務と責任をもった自由を保全しなければならないが、一筋縄でいかないのは、この仕事である。(160626:イギリスEU離脱について思うところ=もみ=)