10月27日(火):
226ページ 所要時間 2:25 図書館
著者77歳(1931生まれ)。東京生まれ。ハルビンで育つ。東京大学文学部卒業。レナウンで、CMプロデュース、宣伝部長、レリアン社長、専務取締役をへて1993年に退社。帝京大学・文学部非常勤講師、学校法人・桑沢学園理事、帝京平成大学・経営情報学部教授をへて、2003年から同大学非常勤講師、現在にいたる
夕食後、睡魔に襲われ一度寝た後、「どんな形でもいいから一冊見通そう」と考え、11:00から1ページ30秒の眺め読みを始めた。本を付箋でハリネズミのようにしながら、あらすじを追いかけていった。
著者の父親は、ハルビン工科大学の教員(建築学)で著者の家は、貧しい農村出身の開拓団農民ではない。敗戦時、いの一番に逃走した関東軍関係者ではないが、放置され取り残されて中国残留孤児を大勢生んだ開拓団農民でもない。中間層的インテリ・エリートの家である。著者は敗戦時14歳の旧制中学生で、ある意味一生で最も多感で心と体が溌溂と動く状況で敗戦、「無国民」状態を経験する。
本書では、「大地の子」に見られるような悲惨さは見えない。もちろん、自分たちを守ってくれる国家が突然消滅してしまった中で、日本に帰りつくまでの420日間それなりの「厳しい苦労」は経験しているが、一家の誰かが亡くなるわけでもなく無事に日本に帰りついているので「苦難」とまでは言えない気がした。
敗戦後、一家は何故かのんきにハルビンに居残り、ソ連兵、中国国民政府、中国共産党八路軍の支配下で着物や家財を切り売りしたり、花札製造・販売の内職をして食いつないでいる。翌年の7月~8月「残留日本人の日本送還」実施が国民政府と共産党の間で合意され、内戦の一時停止が決まるとおもむろに一家全員でハルビンから葫蘆(コロ)島を経て博多まで60日(通常なら1週間)かけて戻ってきたのだ。
本書から受ける著者の姿は、微温的優等生の「観察者」という印象だった。13年5ヵ月で終わった幻想国家満州国で9年間を生きた著者の満州国、特にハルビンに対するノスタルジー(郷愁)が一貫して漂っている。敗戦から帰国に至る420日間を比較的安全な立場から元気な中学生の目で観察している。むごい話も悲惨な話も出てくるが、それが直接著者に降りかかるわけでもなく、困難な状況の中、一家で精一杯工夫して切り抜ける様子を少し楽し気に振り返ってるようにも感じられた。
悲惨な引き上げの様子を勝手にイメージしていた身からすれば、多少肩透かし感はある。
どんな時、どんな場、どんな状況下にあっても人間は自分個人の体験しかできない。百人いれば百人の体験がある。ある程度それをまとめることはできても、すべての体験をまとめきれると考えることはかえって危険である、と感じた。
同じ敗戦であっても、そもそも在満日本人を見捨てて無傷で引き揚げた関東軍や731部隊の人間と、著者のような見捨てられたが上層市民のインテリ・エリート、完全に見捨てられ残留孤児・家族の死をはじめ悲惨な体験をする満蒙開拓団の農民たちとでは、まったく異なる経験となるのだ。
満州国No.2の責任者で、A級戦犯でありながら、戦後日本で政治家として復活し、首相となった岸信介が記憶する満州の経験は、多くの悲惨な犠牲者を出した引揚者の経験とは全く異なるものだ。そして、その孫は反知性主義の愚か者となり、歴史の真実を知らないし、知ることの重大さも理解できないまま、日本人に同じ破滅の轍を踏ませようと躍起になっている。さらに、その事実を多くの日本人が認識できていない。無知の無恥な愚か者に導かれてることを「強い指導力」と勘違いしている日本人のいかに多いことか。歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。バカを支持する国民もバカであり、結果のもたらす甚大な責任を取らされることになる。
【目次】1 王栄廟開拓団 /2 「満州国」とハルビン /3 ハルビンでの暮らし /4 男狩り /5 その後の王栄廟開拓団 /6 街頭露店 /7 七三一部隊 /8 パーロが来た /9 引き揚げ /10 砂上の幻想国家
【内容紹介】
いまから63年前の8月,日本はアジア・太平洋戦争に敗れ,連合国に降伏します.このとき,アジア各国に日本軍の兵士たちがいたのはもちろんですが,「満州国」には開拓農民22万,青少年義勇隊10万をはじめとして何十万という民間日本人がいました.そのなかには,子どもも大勢いました.
子どもたちは,外国での敗戦という異常事態を,どのように受けとめ,どんな風に過ごした(生き延びた)のでしょうか.もちろん体験したことはないので,わからないでしょうが,少しでも想像できますか?
当時,ハルビンにいた中学3年生の今井くんは,6月から奥地の開拓団に送られて地平線までつづく畑の草刈りをし,同い年の女学生の病死を見,ソ連軍の進攻を聞いて,命からがらハルビンの家に帰り着きました.しかし,それからも大変な暮らしがつづきます.ハルビンに入ってきたソ連軍に父親が連行され,生活費を自ら稼がなくてはいけないことに…….
その間,開拓団の人たちは,一丁の銃ももたずに中国人の武装集団と戦ったり,集団自決をしたり,逃避行の途中で病死したり,多くの死者・負傷者を出します.
今井くんは,先生や上級生によるいわれのない体罰の横行と,民間人を置き去りにした日本軍に怒りをおぼえます.63年をへた今も,その感情は変わりません.
記憶をたどり,生き残った同級生たちに話を聞き,多くの本を読んで,当時の状況と気分を掘り起こしてまとめました.できれば,同世代の気持ちで感情移入して読んでください.