森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

古き林業写真帳(主伐)

2006-08-31 16:38:03 | 幻の写真・図

前回に続き、戦前の吉野林業の写真館。

 

これは主伐風景。皆伐ですが、見事に尾根側に倒して、それを谷に集めています。谷に見えるのは修羅(木の滑り台のような運搬施設)かな? また奥に木の堰のようなものも見えるけど、どのように使ったのかは不明。
これだけ多くの木をきれいに並べて倒すのは、やはり相当な技術がいると思います。少しでも伐倒方向が狂えば、重なってしまう。結構システマチックに運営していたのではないかと感じました。

 

それにしても、木材景気に湧いていた頃の風景でしょうね。多くの人が働き、山村がもっとも輝いていた時代かもしれません。

 


吉野の伐倒風景(戦前)

2006-08-30 15:16:03 | 幻の写真・図

伐倒技術について、予想外に話題になっているので、一つ貴重な写真を。

 

これは戦前撮られた、吉野の間伐風景です(奈良県林業写真帳より)。間伐と言っても、太さから80年~100年ものの木のようですね。
複写ですのでぼけていますが、ちゃんと山側に倒しています。切り株までは見えませんが、その上に切り口を乗せています。

 

そして樹皮を剥く。これも葉枯らしに必要なことなんですね。皮を剥くには、アオキの幹を使います。この木をへらのようにして、まだみずみずしい樹皮の下に入れると、面白いように剥けます。この際に手につく樹液は、手をすべすべする効果があります。もしかして、何かに使えるかも。

このまま半年くらいすると重量も半減します。


森林ビジネス塾

2006-08-29 23:49:53 | 政策・行政関係

先のセミナーの講演で、「森林ビジネス塾の設立を」と訴えた。

 

森林を守るには、補助金をばらまいても、ボランティアに頼っても無理。根本的に経済活動をしっかりさせねばならない。が、単に成功事例を紹介しても、物真似に終わる。そこで、森林を舞台に起業するノウハウを教える場を設けよう……。

提案してから、おお、これは優れたアイデアだと思った(~_~)\(-_-メ;)

 

森林や林業、木材の基礎知識や木材流通などを学び、商品開発のアイデアを練る方法、製造するテクニックの見つけ方、さらに販促、宣伝、営業の仕方を教える。経理や法務の知識も必要だ。後半の講師は、林業と関係ないマーケティングプランナーとか広告コピーライター、現役営業マン、銀行マン、弁護士などを呼ぶ。

参加者は、すでに林産業に就いている人もいいが、門外漢の都市住民も来るだろう。毎週1晩、1年間くらい続けて学べば、何か新しいビジネスが始まるかもしれない。また受講者の交流が起きれば、それによって目覚める人もいるはず。

 

もし行政が取り組むのなら、施設は既存のものを使えるし、事務職も余った人材を回してもらう。それならかかるのは講師代くらいのものだ。もちろん受講料も取るから、そんなに負担はかからないのではないか。

 

……そんなことを言ったのだけど、どこか実行に移してくれないだろうか。本当は奈良県が率先してほしいのだけど、全国どこでもいいよ。あ、私も講師を引き受けるからね(^o^) イラナイって?


彫刻の町 井波

2006-08-28 13:31:25 | 木製品・建築

朝のワイドショー「とく ダネ!」の中のコーナー「日本の夏」で、富山県南砺市の井波の町を取り上げていた。

 

ここは、昨年末に訪れたことがある。チェンソーアート関係の視察だったのだが、まさに彫刻の町である。木彫り職人が300人からいて、仏像から欄間、看板まで手彫りで作っている。

 

テレビには、覚えのある顔の人も登場していたが、今も徒弟制度の中で、全国から注文が来る様子が描かれていた。私らが訪れたのは冬の、雪に包まれた町だったが、夏は八日町の通りを開け放して、彫刻している様子が見学できるそうだ。カンカン、トントンと木を削る音がする町なのである。

 

驚いたのは、「彫刻で難しいのは荒削り。師匠が粗削りをしたものを弟子が細かく彫る」と紹介していたこと。そうか、仕上げより輪郭が重要だったのだ。

 

この町には、徒弟制度を含めて職人を育て生きていくシステムがあるし、その技量は全国から注文が途切れない強みにもなっている。多少の浮き沈みはあっても、神社仏閣や純和風建築がなくなることはないし、優秀な木彫技術は廃れない。いわば粗削り(構造)の部分がしっかりしている。

ただ仕上げに相当する商品の内容は、時代とともに変化するだろう。得意の欄間などは、かなり減ったそうだ。そこで洋式扉への彫刻など、新しい商品開発もしていることを語ってくれたっけ。スタジオでも、ホタルやバッタが彫り込まれた茶托が紹介されていた。

 


木の伐倒方向

2006-08-27 23:15:12 | 林業・林産業

新月伐採と関連して、木を倒す方向についても一言。

 

私が初めて具体的な林業作業を勉強するために通った吉野では、みんな尾根側に倒す。切り株の上に乗せるようにするのがプロだ。そして何か月か葉枯らしする。すると、まだ生きた葉が水分を蒸散させるから、かなり含水率が下がって、心材の色も黒からピンクに変わる。これをアク抜きと言った。

アク抜きは、吉野材の特徴で、水分の多いスギに必要らしい。他の地域では言わないからだ。面倒だが、アク抜き後のピンクの木肌はほれぼれするほど美しい。

 

しかし、木を尾根側に倒すのは、結構大変だ。通常斜面に生えている木は、谷側に枝を伸ばしていて、重心も谷にかかっているものだ。それを反対側に倒すためには、切り口の作り方などに様々な技量がいる。ロープをひっかけて引っ張るような努力もする。

川上村の辻谷さんは、倒す方向に意味があるのか、と若いころに実験的に谷側に倒して葉枯らしをしたそうだ。しかし結果は、乾燥がものすごく遅かったという。
また谷側に倒すと、木がそのまま斜面を滑り落ちる可能性が高くて、危険だし、木も傷つく。やはり吉野の知恵はすごいのだ、と思わせる。

 

ところが、その後ほかの林業地を歩いて、倒す方向にこだわりのないところが多くて驚いた。どっちに倒したって、重機で運び出す(葉枯らしをしない)のだから構わないじゃないか、と言う人さえいた。すると、倒しやすいのは谷側だ。
意外と、しっかりした林業技術というものは、伝わらないものである。

 

素人考えだが、やはり切り口を下向き(梢を尾根側)にしないと、樹液は抜けにくいのかもしれない。しかし幹の導管は、上に水を運ぶ構造になっているから、谷側に倒しても、梢側を伐ったら、つまり末口を作ったら、案外樹液が抜けやすくなって乾燥しやすいかもしれない。

「新月伐採」に関しても、いつ伐るかよりも、倒す方向や葉枯らしの内容の方が重要な気がするのも、そんな思いからだ。


新月伐採の危うさ

2006-08-26 13:02:06 | 林業・林産業

新月伐採」が流行っているようだ。
冬の下弦の月から新月までの間に伐採した木は、虫がつかず腐りにくい、木が反ったりしない、火事にも強い……といいことばかり並ぶ話である。

 

神奈川県でも秦野市森林組合が始めたという記事が、神奈川新聞の一面に載っている。ヒノキを冬の新月期に伐採して、葉がらしした製品を売り出したそうだ。
静岡の天竜で始めたのは知っていたが、そんなに広がっているのかと試みにググってみたら、出るわ出るわ、ものすごい数。かなりの地域で「新月伐採」に取り組むグループが誕生しているらしい。

 

ところが、開けど開けど、みんな好意的なものばかりで、懐疑的に記していたのは『だれが日本の「森」を殺すのか&田舎で暮らす!』プログ、つまりここだけだった(^o^)。(2005年6月28日)
こりゃいかん、もう少し「懐疑的」なことを記さねばならん、と思った次第。

 

なお、別に私は「新月伐採」を敵視しているわけでもなければ、完全否定しているわけでもない。この手のブランド化が国産材を売るのに有効なら、それはそれでよしと思う。しかし、その根拠は、あやふやな「経験」に頼っていることも知っておくべきだ。

木の生長リズムに月の引力が関係あるという考え方なら、満月でも同じはず。それに冬は、木の生命活動がほとんどストップしている……。一世を風靡した人間のバイオリズムも、最近では否定されていたのではなかったかな。
なお私は、新月伐採は含水率を低下させるといったデータ自体が、あやふやすぎて信頼してもよいのか疑問を持っている。腐りにくい、虫がつかないというのも、どれほど客観的なデータだろうか。

 

なお「新月伐採」とは、単に新月の時期に木を伐ることではないらしい。伐った木は谷側に倒すとか、葉枯らし乾燥するなど、ほかにも条件があるとか。

谷側に木を倒すのは理解に苦しむが、葉枯らし乾燥は有効である。あきらかに含水率は下がる。梢も切り落としていたら、木口から水分は抜けやすくなるかもしれない。これを一緒にするなら、何も新月の時期に伐採しなくてもいいのではないか。

 

それに虫がつかない、反らない、などの特徴は、心材(丸太の中心部に近い部分。細胞が死んで木質化が進んでいる)のものではないか、と思わせる。辺材(丸太の外側で生きて成長する部分)まで、そんな効果があるのかどうか。
新月伐採した木の製材は、板にしたのか柱にしたのかによっても違ってくる。その後の乾燥過程や使用状況によっても変化するだろう。

 

なお、「法隆寺にも応用された」と記した記事があるが、その証拠を示してほしい。だいたい法隆寺の木材は、どこから調達したかもわからないのに、どうして伐採方法までわかるのか教えてほしい。
こうしたオカルト染みた情報をばらまくから、信用できないのだ。


取材拒否は危険

2006-08-25 13:20:05 | 仕事関係

テレビ番組の話ついでに、一言。

 

今春から、割り箸を取り上げる番組がいくつかあったが、たいてい吉野の割り箸業者の組合などに取材に行っている。ところが、放映した番組を見た彼らの反応は、かなり悪い。

「無理して時間とって、あんなに丁寧に話したのに、番組に流れたのは○分しかなかった。それも暗い話題のところばかりだ」
といった調子だ。そして、もう取材を受けるのはこりごり、となる。
実は、その後に取材を申し込んだ私も、そのためか取材拒否されかかったのだが、しっかり押しかけた(笑)。そして取材を越えて議論を吹っ掛けてきたのだけど、結果的にはコチラのスタンスはわかってくれたようだ。

 

マスコミ側の立場で言えば、取材した内容を全部放映(記事に書く)するなんてありえないし、話の内容で使える部分が少なかったとか、十分にこちらの気持ちを汲んでくれなかったということは、情報を発信できなかった側の責任もあると思う。
実際、取材していても内向きの話題が多いのだ。よくも悪くも勢いのない話は使えない。強い理念のない話は危なくて紹介できない。割り箸業者の多くは、それらが欠けているのではないか。

後で文句を言っても始まらない。よほど出来の悪い取材者ならともかく、熱意を込めて話して、取材者を味方にしてしまおうというぐらいの勢いで臨んでもらいたいものだ。

 

なお、マスコミは自分たちの味方のはずという幻想は持たないことだ。あくまで事実を伝えるのが役割であって、自分たちの都合の悪い部分を取り上げたとムクレテいるようじゃ、幼すぎる。

もし番組の内容が気に入らなかったからと取材拒否をしたら、ますます情報は出なくなり、自らの言い分は誰も代弁してくれないだろう。そして世論から消え、無視される。意見を表明せずに「理解してくれ」と言ってもダメなのだ。

 

この当たり、市民運動家と似ているかもしれない。自分たちの活動を好意的に紹介してくれないマスコミは敵だ、という態度で、内向きになる連中である。しかし、そうした活動は、狭い仲間内の世界に籠もってしまい、環境や平和など一見正しそうなことでも、周囲の支持は得られないのである。


違法伐採

2006-08-24 23:14:32 | 政策・行政関係

毎日放送でも取り上げた違法伐採。

 

今どき、日本で違法伐採なんぞあるのか? ぐらいに思っていたのだけど、結構あるのだそうだ。ようするに森林計画を破った伐採や、盗伐のことだ。国産材が金にならないのに、なぜ違法なことまでして伐るのか。

伐るのは、やはり天然林の大木とか高値の広葉樹のようだ。高値といってもかつてに比べて値段は随分下がっているはずだが、それでも目先の金がいるのだろうね。そして、先のことを考えない。もう、林業を廃業するつもりだからやるのだろう。

 

実は、国有林に多い。というより林野庁絡みが多い。さらにいうと、森林組合と裏でつながっていたりする。だから通常では公になりにくい。

 

山奥の違法伐採を取り締まるのは、ほとんど無理。必要なのは、木材取引にトレーサビリティを取り入れることだろう。産地とか所有者情報を示さないと取引できないようになれば、盗伐しても木が売れなくなるからだ。とくに銘木には取り入れてほしい。

ただ、私が懸念するのは、こちらをクローズアップすると、またぞろ「伐採反対」運動ばかりが注目されて、「木を伐って森を守る」意識が薄れてしまうことである。


図書館三昧

2006-08-23 23:32:38 | 仕事関係

今日は1日、大阪府立図書館にこもった。

 

さすがに160万冊という膨大な書庫を持つだけに、使いでがある。

 

前々からチェックしていた資料を一気に調べ上げようと思って乗り込んだのだけど、意外や初っ端からつまずいて、狙った資料が見つからなかったりする。それでも関連書を多量に借り出し、うんざりしつつ1冊ずつページを繰って、なんとか関係ある部分を探す……。

一方で書棚で目当ての本が見つからず焦っていると、ふと全然別の本が目について、何気なくパラパラめくると、なんと! 探している以上のことが載っていた。勘は、大事だ。

 

そんなことを繰り返しつつ、時間オーバー。コピー代も何千円になってしまったぜ。今回見つからなかった本は、また機会を狙ってまとめ打ちするか。そうそう、手に入った資料の中に載っていた文献は、国会図書館でしか手に入らないようなものだ。またまたお願いするかな~(笑)。


毎日放送と朝日放送の番組

2006-08-22 23:54:30 | 林業・林産業

昨日、コメント欄で告知のあったとおり、毎日放送(MBS)が、夕方のニュース番組「VOICE」の中の特集で、森林問題を扱った。昨日が違法伐採、今日が国産材問題。

 

さて、見ようとしてびっくり。なんと同じ時間帯に朝日放送(ABC)のニュース番組の中でも森林問題を取り上げていたのだ。こちらは割り箸と森林。なんとまあ、不思議なバッティングだ。おかげで私は両方見るため、テレビとパソコンを使って録画セットするなど大変でした(笑)。

 

せっかくだから、寸評をする。

 

毎日放送の方は、昨日の違法伐採問題は、また別に取り上げるとして、今日の分。国産材が売れない状況の中で新しく起きている動きとして、立木販売制度sound woodsと無垢材を扱って業績を伸ばす材木店を紹介した。その内容は、ちょっとできすぎている気がした(^^;)。
というのも、どちらもお客さんが出来杉、いやデキすぎなのだ。立木を自分で選んで家を建てようとする施主の興奮気味の喜びよう。無垢材の家を建てた人も、無垢材ゆえに柱や梁が割れてきたり曲がってくることを、かえって自然だ、素晴らしいという。

こんな人、実際は少数派でしょう。ほとんどの人は、木が割れて音をたてたら、すわっ、欠陥住宅だ! とクレームをつけるだろうし、家を建てるために森へ行きましょうと言っても「きつい」「面倒だ」と渋るのがオチだ。
つまり紹介されたケースは、少数派のユーザーであり、ニッチを狙ったビジネスなのだ。

木の特質を知らず、面倒なことを嫌う施主を、どのように説明して納得させるか、施主の特性に頼らず、誰にでも興味を持たせて巻き込んで多数派にすべきだ。本当に国産材を売れるようにするためのシステムに進化させられないかと感じた。方法はあるはず。

 

 

朝日放送の分は、がっかり。これまで放映済みの森林・割り箸関連の番組映像を切り貼りしたものだったから。中国が値上げしたから100円ショップの割り箸の本数が減ったとか、間伐材の割り箸を普及しようとする樹恩ネットワークの試み(もっとも映像は、材料は間伐材ではなく端材だったけど)など。
中途半端な説明で、日本の森林事情と中国製割り箸の値上げの因果関係がわからない。一般の人は理解に苦しんだのではないか。

 

ちなみに両方に言いたい文句は、「安い外材に押されて」という意味の言葉がナレーションに使われていたこと。安くないって。もう

 


『田舎で暮らす!』販売中!

2006-08-21 00:43:52 | 出版後の反響

久しぶりに、生駒山のスリランカ料理店「ラッキーガーデン」に行った。

『田舎で暮らす!』の中で紹介している店である。実は、この店で『田舎で暮らす!』『里山再生』を販売してもらっている。(『里山再生』は、生駒山をモデルに里山を記しており、この店の周辺の自然にも触れているから。)

 

売れ行きは上々だそうである。一人で何冊も買ってくれる人もいるという。近く、追加で納品しようかしらん(笑)。
書店では見かけなくなったとお嘆きの皆さん、生駒山のラッキーガーデンに行きましょう。もちろんスリランカ料理やデザートなども味わってください。お勧めは、ジンジャーエールです。日本の甘ったるいモノではなく、ピリリと生姜の香り高い辛口です。

 

そこで、本を展示しているところをパチリ。


とっつきやすい森林ビジネス

2006-08-20 12:34:40 | 林業・林産業

昨日は、「大和の森ルネサンス」と名付けた講演…というかセミナーのようなものに呼ばれていたのだが、そこでは奈良の森林状況、日本の森林状況などを説明しつつ、それらの危機的状況を打開するには、新たな森林ビジネスを起こすべきだ、と話を進めた。

 

そこでいくつか事例となる木関係の商品開発や新システムなどを紹介した。もちろんその中にはチェンソーアートもある(^o^)。
比較的関心を集めたのが、「立木直接販売制度」。家を建てる施主に、直接森に入ってもらい木を選ばせることによる木材の販売だ。これなら伐出コスト製材コストは別払いのため所有者の手元に現金が確実に残る。それも結構高めに設定しているから喜ばれるのだ。

 

実は、商品開発などは技術力も工場設立などコストもかかる。産地認証制度も人員がいるし、効果はすぐには見えない。しかし、この立木販売制度なら、ソフト面からスタートするものだし、現金が動く。その意味では、とっつきやすい森林ビジネスかもしれない。
この「とっつきやすい」ことも重要なんだと気づいた。時間もなければ体力も衰えている林業関係者にとっては、新生産システムのような、あまり壮大なことを言っても着いていけないのだ。

よし、これからは「とっつきやすい」をテーマに新ビジネスを考えよう。

 

なお、ICタグによる木材流通に関しても多少触れたが、意外と(結構ややこしい話、と思ったのだが)関心を持ってくれる人がいた。門外漢には、こうしたIT関係の方がとっつきやすいのかな。


割り箸不要論の歴史

2006-08-19 10:56:21 | 木製品・建築

熱帯雨林伐採反対運動について調べている中で、「割り箸不要論」についても調べてみた。

 

割り箸は資源の無駄遣い、という主張は、これまで幾度も起きている。有名かつ大規模だったのが、90年前後の熱帯雨林問題と連動したものだが、決してこれだけではない。

古くは戦時中。「ぜいたくは敵だ!」の掛け声の中で、割り箸が取り上げられている。
その後も何度も起こるのだが、私が把握できたのは、

1978年
1984年
1989年~91年
(熱帯雨林伐採反対運動)
2000年

2000年に論争が起きたことを覚えている人はいるだろうか。結構、局地的ではあるが、割り箸産地の吉野と、塗り箸産地の輪島がぶつかったものだ。

 

そして今年2006年。これは不要論というより、割り箸が輸入できなくなる→割り箸がなくなる→割り箸に代わるものを……という流れか。

 

いずれにしても、マスコミが火をつけて、賛否の論争が起きた後に、否定報道が出て消えるという、マッチポンプ(^^;)。
実は2006年版の論争も、早くも消えつつある。今では、中国が本気で割り箸輸出をストップすると信じている人は少ないのではないか。

 

さて、私はどうしたもんかなあ。


資料棚の不良在庫

2006-08-18 00:41:38 | 森林モノローグ

わけあって、1980年代から90年前半にかけての熱帯雨林伐採反対運動の記録を調べてみた。結構、当時から多くの雑誌や新聞を切り抜き、また関係書籍を購入し、冊子関係も手に入れているのである。

 

当時、熱帯雨林問題が沸騰していた。アマゾンの先住民、ボルネオのプナン族の訴え、林道封鎖、それに呼応したWWFや「地球の友」、熱帯雨林行動ネットワークなどのパフォーマンスとキャンペーン。……。その中で割り箸不要論も起きていた。
思えばバブル景気の盛りで起きた社会現象だった。

私も多少ながら渦中にいて、結構現場を歩いていた。いくつかの集会にも顔を出していた。そしてボルネオのジャングルも歩いた……。プナン族の問題を世界に発信したブルーノ・マンサーにも逢った。彼は、実は洞窟探検にサラワクを訪れていたことを思い出した。そこから脱線して、何年間もジャングルの中で暮らしたのだからたいしたものである。

ともあれ、あれほど騒いだ熱帯雨林問題は、今はほとんど姿形もない。日本を悪役にして騒いだものの、その日本がジャングルから退場したからだろうか。

 

懐かしさもあるが、気恥ずかしさもある。結果的に何も生み出さなかったかのように感じるが、当時の資料も、今頃多少とも役に立つのなら、長い時間を保管していてよかったと思う。資料棚の不良在庫となっていたのだが、15年を経て当時の声が詰まった貴重な資料に化けた。

今振り返って、改めて気づくこともある。それは機会を見つけて執筆していこう。


日本沈没と田舎暮らしパート2

2006-08-17 01:39:41 | 田舎・田舎暮らし
「日本沈没第二部」後半を一気に読了。

いろいろ意見はあるだろうが、私はほぼ満足。ただ小松左京というよりは、谷甲州の小説だろう。それでも小松さんのエッセンスは詰めてある。国土を失った日本人の生き方としては、国土の再構築か、コスモポリタリズムか、という論争があったが、結局、小説としては後者を取ったことになる。それは小松さんの想いなのかもしれない。

が、私としては前者だな(笑)。よるべき土地なくして、人はアイデンティティを持って生きていけないと感じる。ようするにジモティということよ。

さあ、「日本沈没」上下巻を読み返すか。