森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

「木造の世界遺産」

2006-01-30 23:49:04 | 木製品・建築
これまで知らなかったのだが、「木造の世界遺産」市町村連絡協議会というのがあるのだそうだ。結成されたのが2004年、会長は奈良市長が務めている。

内容は、名前どおりの木造建築物で世界遺産に選ばれたものがある市町村の集まり。具体的には東大寺などがある奈良市、法隆寺の斑鳩町、熊野古道を含む寺院がある吉野町、姫路城の姫路市の4市町が参加する。

なぜ京都市が参加しないのか、白川郷の合掌造りは、広島の厳島神社は、日光は……と突っ込みたいところだが、ようするに奈良県主導の協議会なのだろう。

それでも1月にはパリで「日本の木造世界遺産観光フォーラム」を開催したという。でも、このフォーラムからはっきりするのは、ようするに観光客誘致なのね。
世界遺産の価値は、突き詰めれば観光になるのだ。まあ、仕方ないか。

それでも、歴史的建造物ばかり褒めそやしていると、現代建築からしっぺ返しがあると思うよ。

金剛山の看板

2006-01-29 22:17:57 | 森林モノローグ

訳あって、金剛山に登った。大阪と奈良の境にある標高1100mほどの山だ。かつて南北朝時代に楠木正成などが拠点にした場所でもある。

そこで見かけた看板(写真)。

 「金剛登山の皆様へ 
木、山野草は全て個人の財産です。
採取は禁止します。」

言わずもがな、の話なのだが、特に「個人の財産」とあえて看板に記すのは、必ずしもそう思っていない人がいるということだろう。
事実、ある町の意識調査アンケートで、山は「みんなものもの」「誰のものでもない」と思っている人が7割に達したと聞いたことがある。

日本の国にそんな土地があるわけなく、国有地・公有地であっても「みんなのもの」ではない。
しかし、他人の庭の木を勝手に伐る人は少ないだろうが、山では珍しくないのが現状だ。そしてこの手の意識が、自然の破壊を進めているのだろう……と、ここまで考えて、さらに考えが進んだ。過度な保護を主張する人も、結局同じなのではないか?

たとえば、緑の山を崩して造成したニュータウンに移り住んだ人は、土地の権利意識が高いのだが、一方で遠くに見える他人の山の状態に口を出したがる。意見を言うのが悪いというのではなく、他人の土地と思わず話すのだ。木を伐らないで、とお願いするのではなく、伐るなと主張するのだ。これは意識の底に「あの山はみんなのもの」(=一部は私のもの)と思っているのではないか?  さもなきゃ、あれほど威丈高になれないよなあ。

 


ニッポンバラタナゴ

2006-01-28 17:20:34 | 森林モノローグ

アカシア問題から連想したわけではないが、せっかくだから移入種問題の別の話を。

ニッポンバラタナゴという淡水魚をご存じだろうか。昔は小川やため池などに普通にいた種だ。小さいし、そんなに目立つ魚ではないが、わりと美しい。

それが現在絶滅危惧種。今では九州と香川、大阪の限られた池にしかいない。なぜなら、まずタイリクバラタナゴが入ってきて、どんどん駆逐されたり交雑してしまったから。さらにブラックバスやブルーギルの密放流が、タイリクバラタナゴさえ消す勢いでほかの淡水魚を絶滅の危機に追いやっている。

かつては生駒山のため池でバラタナゴ(どちらの種か、私には区別がつかない)を救っていたのになあ。いまではバスの稚魚しかいなくなった。

ところが、発見されたのである。奈良に。ニッポンバラタナゴが
その場所は公表されていないが、観光客の多い池にいたのだ! 人目につくから密放流もできなければ採取もされなかったのだろう。そして、生駒山のため池にもいるらしいのである。一部はタイリク種と交雑しているらしいが、まだいたのである。

アカシア問題と真逆。ニッポンバラタナゴは人には何の役も立たない。移入種問題とは、こうした二つの事実の狭間に落ち込んでいる。

 

 


アカシアが消える!?

2006-01-27 12:06:23 | 政策・行政関係

生駒産の蜂蜜を買いに行って、養蜂家と少し話した。

なんと、アカシアが消えるかもしれない

正しくはニセアカシア、和名ハリエンジュ。北アメリカ原産で、生長が早く大木になる木だ。街路樹や治山、緑化などにも多く使われている。しかし、何より養蜂の蜜源なのだ。非常に上品な蜂蜜が採れる。
ところが、このアカシアが、現在審議中の国会で、伐採して日本から消す法案が進んでいるという。

というのは大袈裟だが、ようするに「外来種特定法」の指定を受けるかもしれないのだ。つまりブラックバスと同じ。指定を受けたら、今後植えることも移動させることもできなくなるし、現在ある木も伐採対象になるだろう。
いや、すでにアカシア伐採の運動は広がっている。各地でアカシアを伐って在来種を植える運動が起こっているのだ。

これが進めば、養蜂業者は大打撃だろう。

これまで補助金をもらって植林してきたのに、一転して追放とは。
だいたいレンゲも、外来昆虫によって激減しているというのに、今度はアカシアを外来種だからとなくしたら、主要な蜜源がなくなる。

さて、どうなるか。これが元で国内の養蜂業者が激減することもあり得るだろう。


原稿アップ

2006-01-26 12:22:56 | 仕事関係

とうとう次の出版原稿をアップし、出版社に送った。

ああ、手を離れると、急に心配になってきた(^^;)。
推敲するたびにいじりたくなるから、そのたびに書き直していたら全然完成しない。だからどこかで思い切り、打ち止めにしなくてはならないのだけど……。

まだ初校・再校があるから修正は可能だけど、あんまり大幅な変更は慎みたい。

私は、最初の原稿を書く速度はさほど遅いとは思わないのだけど、長くデスクに座っていられないことと、書き上げてからあーでもないこーでもない、といじり続ける癖があるから、完成まで時間がかかる。結果的に年に1冊しか出版できない。
これは本を主体に執筆活動をしている身にとっては極めて不利だ。もう少し、なんとか速度を上げられないかなあ。

ちなみに出版までには、原稿アップ、校正アップ、そして発行と、3度打ち上げがあります。その度に飲みに行っていたら、身体も財布ももたないけどね。

 


林野庁長官が交代

2006-01-25 01:42:14 | 政策・行政関係

連日、大きなニュースが多くてほとんど目立たないが、林野庁長官が1月6日付けで交代した。

知ってる? 知らないでしょう(^^;)

前田直登氏が退職し、後任の新長官は、川村秀三郎・元農村振興局長。

まあ、どうでもよいお役所の人事異動なんだけど、ホント早いなと思う。在任は2年くらいかな。順送りなんだなあ。何か理由があっての異動ではない。それに、林野関係一筋という専門家というわけでもなさそうだ。文官と技術畑出身者が交互に就任する決まりになっているらしい。

それにしても農林業と簡単にまとめてしまいがちだが、農業と林業は、産業的にも政策的にもかなり違っていると思うのだが。

ちなみに会見では、特別会計制度の見直しに上がっている国有林野事業見直しについて「単なる数合わせにならないように」と、やはり反対の模様。

 


アメリカ産牛肉

2006-01-23 17:34:22 | 時事ネタ

やってくれました、アメリカ産牛肉。

ようやく輸入解除したのに、たった1カ月でプリオンのたまりやすい脊椎付き肉を輸出してしまった。 これで日本人はみんな怒るかと言えば、いやいや、畜産業者は喜んでいるのではないでしょうか。まさにウッシッシと(笑)。これでアメリカ産牛肉の輸入がまたストップして、イメージが悪くなれば国産牛肉の出番が増える。もちろんオーストラリアなどもほそくんでいるだろう。

 同じことを木材で起きる可能性はないかと考えた。米材の輸出禁止が出る要因はあるだろうか。
たとえば非常に強力な害虫が潜伏しているかもしれないというのはどうだろう。もし日本に侵入を許せば、それこそスギやヒノキが枯れてしまうような。菌類でもよい。
燻蒸消毒があまり効かない種類であることも必要だ。

まあ、こんな他力本願的発想はいけないね。でも、何らかの要因で、米材が安定供給できなくなったら、一気に価値は下がる。その時こそ国産材は本気で売り込んでほしい。


ため池の存在

2006-01-22 18:31:58 | 森林モノローグ

山歩きをした。
すると、なぜかため池ばかりにぶつかる。まだ現役のものから、ほとんど堆積物で埋もれ、水も涸れているものまで。

いうまでもないが、ため池は、人が作ったものだ。それも山の中のものは、谷をせき止めたものが多い。おそらく作った時は、自然破壊だったのだろうな、と思う。谷の生態系を激変させたのだ。しかも貯まった水は、濁ってしまった。流れ出る水も堆積した泥と腐食した落葉などの有機物が溶け込み、清流とは言えなくなっただろう。
その結果、命を断たれた生物も少なくないはずだ。

それがいつのまにか、周囲の生態系になじみ、今や貴重な水辺になっている。ため池なしでは生きられない動植物も多いはずだ。止水域だから産卵できる昆虫類とか水棲昆虫もいるだろうし、最初は人が放したのかもしれない淡水魚も増えてくる。もちろん、貝類や水草もある。
大型動物だって、水場に欠かせないかもしれない。鳥類の餌場になる可能性もある。つまり、里山の生態系の中にため池は組み込まれている。

…とまあ、そんなことを考えながら山の中を彷徨していた。自然破壊と生態系の創成は紙一重の差かも。

さて、今では農業が廃れ、ため池も管理されずに消えつつある。それは自然破壊か、それとも自然の復元か。

 


ブログのタイトル

2006-01-21 16:52:50 | 仕事関係

寒波が再襲来して冷え込む中、せっせと執筆。というより、現在は推敲と資料の読み込み中だ。

出版予定の本の原稿は、おそらく明後日には終わらせ、月曜日に出版社に送ることになるだろう。もちろん、それで完成ではなく、その後も校正を続ける。
内容を紹介するのは、まだチト早いが、『田舎で起業!』の続編的位置づけと思っていただければよい。本当は昨年のうちに完成、いや出版したかったんだけどね。

出版社のスケジュールや、冬向きの本ではないからとかで、春に延びた。すると書くのも怠けてずるずる延びる。延ばすと、不思議なもので書きたい内容がどんどん膨らむ。変わる。
かくして今頃になったのだが、その方がよかったという気がしている。

このブログのタイトルも、次の本が出たら、変えようかな。

 


森林インストラクター

2006-01-20 16:53:52 | 政策・行政関係

平成17年度の森林インストラクター資格試験の結果が出ていた。

受験申込者は1031名で2年続けて減少したが、合格者は259名(昨年度は249名)と過去最高になったそうだ。女性の合格者は64名(昨年度は55名)で、男性の合格者が横這いで推移する中、3年連続で増加したとのことだが、おそらく合格率は女性の方が高いのだろう。
基本的に、合格ラインに達したら全員合格だから、昨年は受験者のレベルが上がったということになるのだろうか。

ちなみに合格者累計は2402名。これを多いと捉えるか,少ないと思うか。いや、そもそもこの資格を持つ人は、何をしているのだろうか。何かに役立てているのだろうか。仕事に使える人は少なくても、何かNPOの活動などでガイドでもしているのならよいが。
せっかくの資格なんだから、もっと表に出したらよいと思うのだが、どこにどんな人がいるのかも発表していない。私も生駒市で資格取得者を調べたことがあったが、わからなかった。人数さえ把握できない。もっと資格保持者はアピールしてほしい。

私も色気を出したことがあったが、ちょっと問題集を見て投げ出した。こんなもん、よほど受験勉強しないと通らない。
でも、インストラクターとしてなら、知識よりも話し方とか実際の技の方が大切だと思うがなぁ。
以前、草木の名前を知らないまま子供たちをガイドしなくてはならなくなって、その場で勝手に草木に命名したり子供たちにさせている人がいたけど、そうした度胸?機転?の方が大切だ。命名するには、その草や木の特徴を観察する。それが身につくからだ。

 


ロングテール

2006-01-19 01:36:28 | 出版後の反響

先日、ウェブデザイナーに取材した際、聞いた言葉が「ロングテール」。

今、ネット業界では流行っているというから、今年中には一般的な言葉になるかもしれない。だから私も先んじて使おう(^o^)。

一応説明しておくと、ネットの経済学的特質を説明するものとして使われている。興味のある人は自分で調べてほしいが、例として上げられるのがAmazonの書籍販売。

通常の書店は、一部の売れる本が全体の売上の大半を占め、残りの大多数の本はわずかな部数で抑えられている。それをグラフ化すると、巨大な体に細く長い尻尾のある恐竜のような図になる。だからロングテール。もっとも書店の棚には限界があるから、尻尾にもなれない本も多数ある。また尻尾は目立たず、それゆえ売れにくいという問題もある。
ところがネット書店(Amazonなど)では、ベストセラーよりも尻尾に相当する本の売れ行きがよくて、しかも尻尾が極端に長い。ネットの中ではほとんど無限に扱えるからだ。そのためのコストもほとんどかからない。だから売上は、巨体より尻尾の方が大きくなるのだ。

つまり、ネット販売は多品種少量販売に向いているということだ。しかも少量でも数が集まると大きい。

これを森コロに適用してみよう(笑)。
森コロは専門性が高くてベストセラーになる本ではない。しかし、一定の読者層には喜ばれる内容だと自負している。書店では、尻尾の方に入るが、一定の期間がすぎると尻尾からも切り離されやすい。次々と新刊が出て場所がなくなるからだ。
しかし、ネット書店ならその心配はない。だからネットで購入する人が多いはずだ。このブログを読んで買ってくれた人もどれだけいるかな?

ただし、森コロは林業関係者などにも興味を持たれると思うが、彼らの住む地方はネット環境が悪い。そもそもこんな本があることを知らない可能性もある。だからAmazonで検索することもない。これが問題だなあ~。

ちなみに、ロングテール理論、農林業にも当てはまりません?

 


ソロモンの木材

2006-01-18 15:15:34 | 森林モノローグ

昨日の続き。

ふと気がついたのだが、ソロモン諸島の木材と言っても、植林木だとすると樹種はアカシアとかユーカリになるのではなかろうか。もしかしたら針葉樹の可能性だってある。少なくても現地の種類を植林することはないと想像できる。

となると、分類上は南洋材扱いでも、内容的には熱帯木ではないのではないか。
今後、統計などにも影響を与えそうだ。

それと、FSC認証をとっている熱帯林が増えている(というよりこちらの方が面積的には多いのかも)が、それも植林木の森林なら熱帯林保護にはつながらない気がする。だいたい天然の熱帯雨林は管理を必要とせず、FSCのような森林認証に納まらないだろう。もともとFSCは、熱帯林の保全を目的に作られたはずだが、森林認証制度が熱帯林にどんな意味を持つのかよくわからない。

ちなみに双日は、たしか日商岩井とニチメン?が合併した商社ではなかったっけ。

日商岩井は、ニューギニアで伐採していた企業だ。ダカタウア湖のあるウィルメッツ半島を切り開いたのもこの会社。


ソロモン諸島

2006-01-17 23:53:08 | 森林モノローグ

先日、パプア・ニューギニアの林業に関する思い出に触れたが、今度は、お隣のソロモン諸島。

というのは、総合商社の双日(株)が、ソロモン諸島のKFPL社の植林地から出されるFSC認証材を日本、中国、韓国などの合板メーカー向けに供給すると発表したからだ。KFPL社は、ソロモン諸島のコロンバンガラ島で20年以上植林事業を行っており、保有森林面積は約1万2,000haあるという。

実は、私はソロモン諸島を旅した時にこの植林地を見かけている。といっても、飛行機で上空から見た程度だが。
当時は伐採全盛期。結構乱暴な伐採をしていると聞いていた。
日本の企業はボルネオの次はソロモンだと言っていたが、ヨーロッパ系企業はどんどん入っていた。この会社は、たしかイギリス系だった。ただソロモンの人々は、土地に関する権利意識が高い。しかし契約意識が低い(^^;)。契約しようとすまいと、気に食わなかったらごねる。それで殺し合いも起こる。一方で、樹種が非常に多くて使える木は少ないという。

私たちも、シンボ島で土地をめぐる争いに巻き込まれて往生した。ちなみにこの時に世話になって、また争いにも巻き込まれた国会議員ルーベン・リロが、今はコロンバンガラ島を含む西部州の知事である。この点については、「ナンバワン、ソロモン!」を参照のこと。

そんなソロモンの森林がFSCを取っていたとは。そして日本が関わることになるとは。時代の流れを感じる。


庭木の伐採

2006-01-16 14:42:24 | 時事ネタ

庭のクヌギを伐採した。

今から5、6年前に山で拾ってきたドングリを庭にまき、芽吹いたうちの一番場所と生長がよいものを残しておいたら、とうとう2階の屋根に届くほどになった。夏は日陰を作るが、冬は多少うっとおしい。クヌギは葉が枯れても落ちずに枝に付けたままなのだ。

何より伐採するのは当初からの予定である。育てば伐り、それを椎茸の原木に使う。そして切り株から出る萌芽を育ててまた大きくする。
この雑木林のサイクルを庭でも試してみようというつもりだったからだ。庭の1本の木で雑木林を演じようという計画なのである。

幸い根元で直径10㎝ばかりに育っていたので、椎茸のホダ木が4本採れた。これは実家で種付けする予定。

 


生駒市の緑は…?

2006-01-15 15:11:42 | 政策・行政関係

生駒市の市長選挙が始まった。
争点の一つが「緑」である。開発か、自然保護か、というよくあるテーマである。

ある候補者のスローガンに「減り続ける緑」という言葉がある。だが、本当に生駒市の緑は減っているのだろうか。『里山再生』にも記したのだが、実は30年前の生駒市の航空写真と現状を並べて展示していたことがあって、それを比べると、現在の方が緑は濃く感じたのだ。

もちろん条件付きだ。
緑の分布に大きな違いがある。市街地の緑はやはり減っている。生駒の市街地は、家々の間に緑地が多いのが特徴なのだが、それはあきらかに減っている。私有地の多くが、宅地やら公園やら施設やら、そして大規模なニュータウンの建設で、開発によって緑は失われた。

しかし、山や農地の緑は濃くなっているのだ。とくに谷間に広がっていた棚田の多くが森林に変わっている。あるいは変わりつつある。山の中の草地も森林化が進行中。とくに尾根筋は、かつてはげ山だったのが、見事に森に覆われた。

厳密な面積の増減は知らないが、市域全体として緑は減っていないのではないか。ただし、住人の周辺では減っている。あるいは藪化している。だから「減り続ける緑」という言葉が登場するのだろう。

その点は、日本の縮図みたいなものである。日本の森林率も森林蓄積も増えている。だが、人の目に触れる緑に問題がある。だから自然が破壊されたと思ってしまう。

もし「減り続ける緑」をなんとかしようと思うのなら、開発反対だけでは駄目だろう。現在ある緑をどのように維持するか、考えるべきである。さもないと、決して人の目に触れる緑は健全にならない。