森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

「森林で働く」

2005-09-30 12:05:51 | 時事ネタ

「森林で働く」(大成浩市著・ぺりかん社刊)が届いた。

今回は拙著の書評ではなく、書評を書く立場。

実は著者の大成さんは、まだパソコン通信の時代の知り合い。最近ネットで再会したのだが、これまで逢ったのは1度だけかな。
面白い経歴の持ち主で、京都大学農学部を卒業後、山村の森林組合に勤務、それから大学院に入り直し、助手にもなったのにフリーとなって現在はウェブクリエーターや森林活用コンサルタントもしながらライター稼業……。勤めた経験があるだけに林業現場については詳しい。だから生まれた本かもしれない。

この本は、「なるにはブックス」という、いわば就職ガイドシリーズの一巻である。
だから森林で働く職業が紹介されている。大半が林業関係だが、炭焼きや木工、キノコ生産、インタープリター、猟師や樹木医も含まれている。
また林業職といっても、森林組合の作業班もあれば、公務員として関わることも林業家になって経営を考える場合もある。林業技師、森林情報士という資格もある。

しかし、パラパラと読んだところ、職業案内というより日本の林業と森林事情について詳しく書かれてある。そして森林の中で働く人々の人間模様が描かれている。
どんな人がどんな思いで、そしてどんな経緯をたどって森の中で働くことができたか。そして働いてみて何をどう思うか。それが伝わってくる。

正直言って、森林の中で働くのは難しい。そもそも食えない。
それを理解して、それでも興味があるという人。この本を読みなさい。

 

 


生葉も資源……

2005-09-29 12:06:42 | 森林資源

「森林資源シリーズ」? 次は何にしようか。もう樹木系はみんなやってしまったか、とも思ったが、あえて葉っぱはとうだろうか。

すでに落葉は触れたが、ここでは生葉である。
かつては蚊とり線香をスギの葉が作ったそうだ。除虫菊の花とスギの葉を乾燥させて線香にした。だが、今は使っているとはう聞かないなあ。せいぜい木粉か。

昔は、緑肥というのがあった。生葉のついた枝を山から取ってきて(柴と呼ぶ)、それを田畑に入れて腐らせる。そして肥料にするのだ。昔の芝刈りじいさんは、肥料を取りに山に行ったわけだ。それに針葉樹の葉は使いにくいだろう。

飼料という手もある。蚕に与える桑などが典型だが、広葉樹の葉は牛馬など家畜用になる。しかし、針葉樹の葉っぱは難しい。大量の廃棄物として出るスギ・ヒノキの葉を有効利用する手は思いつかない。

松葉は、お茶になるそうだ。ロシアに松葉ビールというのがあると聞いた。アルコール分ができるほど醗酵させないそうだ。しかし、一般的でないな。
ほか染料だろうか。スギの葉染めなどがある。

しかし、葉は植物の中でもっとも生きている部分であり、その成分は様々なものを含む。ちゃんと分析したらスギやヒノキの生葉から有効成分を見つけられるのではなかろうか。


根っこも資源?

2005-09-28 00:10:31 | 森林資源

調子にのって、森林資源シリーズ。落葉に木材(幹)に樹皮と来たら、次は根っこになってしまうなあ。

でもって、伐採後に山に残される切り株。そして根っこ。これは資源になりうるか。
はっきり言って無理ですね。屋久杉クラス になると、切り株や埋没根も掘り出して製材するというが、一般の木々では無理。なぜなら掘り出す手間が大変だからだ。土も付いてくるから、分離するのが大変だ。屋久杉の場合は、腐っていないことが多く、しかも杢が美しいので高値が付くからできること。

しかし、掘り出さず、金にも変えず資源と見なすことはできる。それは森林土壌の保全の道具としてだ。

よく伐採跡地を見て、木がなくなったから森林土壌は雨に流されてしまう、という主張を聞かされるが、これは半分間違い。木を伐っても切り株は残る。切り株の根っこは土をしっかりつかんでいるから、土壌はたいして流亡しない。
林冠がない分、雨が直接地表をたたき削るだろうから多少は土も流れるだろうが、それは林冠があっても雨滴が落ちれば起こること。

幹を失っても、木の根が腐って緊縛力を失うまで10年はかかる。その間、土壌は保全されるはずだ。だから伐採後すぐに植林すれば、切り株が力を失う頃には10年生の木が育つ。10年生の木も根を広げるから、そこそこの土壌緊縛力を持って森林土壌を保全する。枝葉も広げて、地表を覆う。(実は危険なのは、この交代時期)

もちろん地域ごとの細かな条件によって変わるが、大筋、この循環がうまく行く限り、森林土壌が保持されて、林業は持続的に維持できる。
だからこそ、伐採後すぐの再造林が重要なのである。さもないと、せっかく身を挺して土壌を保全している根っこを無駄にしてしまう。

根っこも資源だ、というためには再造林が欠かせない。


樹皮は資源だ!

2005-09-27 16:48:31 | 森林資源
落葉、木材と来たら、次の資源を考えてみた。もうシリーズ化しようかな。

で、樹皮に目を向けてみた。
もともと樹皮は、大切に扱われてきた。ヒノキやスギの皮は、屋根葺きの材料(今でも檜皮葺きは、神社仏閣で貴重に扱われている)になる。少し前まで壁材にもなった。茶室などは樹皮を使っていた。
またキハダのように樹皮を薬の材料にもした。陀羅尼助などの原料である。腹痛のほか、目薬にもなる。
種皮繊維から紙を作ることもできる。和紙の原料もそれに近い。
なお欧米で発達したコルクも樹皮。ビンの栓に欠かせない。日本ではアベマキ(コナラ、クヌギなどの仲間)の木の樹皮はコルク層が発達していて代用品になる。
そして樹皮を醗酵させて堆肥や土壌改良材として使うのがバーク。日本でも大量に使われているが、残念ながらたいてい外材の樹皮だ。

しかし、いま一つ今風の利用法が開発されていない。スギの皮なんて、使いようによってはオシャレなインテリアになると思うけどな。あるいは粉にして何かの原料にならないか。マルチング材にはなるはず。

こういった廃棄物を利用することこそ、本当の資源化だろう。

木材は資源か?

2005-09-26 23:28:55 | 森林資源

落葉は資源だ、と言った手前、では木材は資源なのかと問い返したい。

もちろん人が利用するから資源であることはいうまでもない(木を木材と表現すること自体が資源扱いしているとも言える)が、一歩進めて資源としての価値はいくらかと考えると、国産材の場合は微妙な話になる。

 なぜなら、最近では立木価格がゼロだからだ。

木材市場の木材価格から立木の伐採、搬出、輸送のコストを引くと、多くの場合ゼロもしくはマイナスになるからだ。つまり立木そのものの価値は無いことになる。
さらに木を育てるまでにかかったコストも含めると、完全にマイナスだ。

林業家が嘆くわけである。

ただ、私はここでもう一歩考察を進めたい。
立木、つまり植物としての木に価格はつかない。しかし、木の家や家具や木彫りの作品になると価格が付く。それも、なかなか高くなっている。
これは何を意味するかというと、最終商品には値が付くということだ。今の経済社会は、最終ユーザーの買手市場なのだ。

木を売ろうとしても価格は付かない、木を何に仕上げるかが重要だと言える。そして買いたくなる情報を添付することが木を木材にして、資源化することなのである。

最終ユーザーが気に入れば、素材価格、製造価格、流通価格などの合計の10倍の値段を付けても売れる。その差額は誰のポケットに入るか。今のところ最終ユーザーに近いところで価格設定をしている流通業者だろうが、これはけしからんこと。もう少し山元や製造者に還元してほしい。


大仏殿の記事

2005-09-25 18:05:49 | 木製品・建築
今日の朝日新聞の奈良版。
なんと大きく大仏殿の天井に鉄骨が入っていることを紹介している。それも写真入り。

それって、『森コロ』の序章に書いたことじゃないか。

大仏殿の屋根を支えているのがイギリス製の鉄骨であることは、各所に書かれているので秘密でもなんでもありません。ただ、最近、この点を指摘したのは拙著『森コロ』しかないと思っているので、これって『森コロ』を読んで取材したんじゃないの? と疑っている。まあ、いいけど。(実は、ちょっと悔しい

私も自分の目で取材したいという気持ちは強くあった。
しかし、フリーが申し込んでも簡単にOKが出ないことは容易に想像できる。それでも粘って交渉するのも手なのだが、そもそも私の執筆動機は「現代の日本の木づかい」なので、そこまで過去の大仏殿にこだわるパッションが湧かなかった。
事実、扱いは序章である。

それでも、やっぱり見たかったなあ。大仏を頭の上から見下ろしたかったなあ。

ちなみに大仏殿と対に考えていた復元大極殿(平城宮)は、取材アポに難行したものの実施したが、記したのはやはり後書きである。


落葉は資源だ

2005-09-24 13:19:55 | 森林資源

ようやく秋の気配も多少感じられる。

 先にバイオマス論議について記したが、そこに抜け落ちていたものがある。

落葉

バイオマス、とくに森林のバイオマスとなると、ほとんど木材に目を向けてしまう。
もちろん樹木の大半を占める幹を切り出した木材は、バイオマス量として大きい。それを用材として使おうが、燃やしてエネルギーを取り出すことに使おうが、バイオマスとして無視できない。 森林管理でも、木々の間伐ばかりを考える。

しかし間伐は、刃物を必要とするため危険だし、倒した木々を運ぶのも重労働である。だから素人(ボランティア、NPOなど)には限界があった。

ところで葉も、大きな森林バイオマスだ。とくに里山、雑木林では、葉を秋に落とす樹種が多い。そこでかつての農村では落葉も集められた。それは堆肥になって農地を潤した。また落葉の採取が山地を肥えさせず、植生遷移を進めずに落葉広葉樹林を維持することにもなった。木の枝や幹を切り倒すばかりが森林管理ではない。

そこで落葉の利用を復活させられないか。落葉は軽い。集めるのも熊手があればよい。傾斜を利用して山から落葉を集め、それを袋詰めして運ぶのは、誰でもできる。子供も手伝えるだろう。

そして重要なのは、落葉は売れることだ。それも高値である。
堆肥、土壌改良材として人気が高いのだ。農業用もあればガーデニング用にも需要はと広がっている。それなのに落葉を集める人が年々減っているから、供給不足。
そのため中国やインドネシアから落葉輸入も進んでいる。

NPOでもできるバイオマス利用、森林管理の手法として落葉集めを行わないか。そして堆肥をつくって販売まで行えば、活動資金にもなる。秋から冬の間のよい活動になるのではないか。少なくても売れない木炭を焼くよりよい(^o^)。


 


黄金のおにぎり

2005-09-22 21:44:09 | 林業・林産業

黄金のおにぎり」が届いた。
本のタイトルである。小説仕立てのビジネス書だ。某経済学者から勧められて探していたが、見つからないのでアマゾンで注文した。それが送られてきたのだ。

内容は、脱サラで非常に美味しいおにぎり屋を始めたものの、全然売れない店が、工夫を重ねて売れるようになっていき、やがてブランドを確立するまでの話である。基本的にはマーケティングの話なのだが、小説になっていて読みやすい。また間に、ポイントがうまくまとめられている。

それにしても読み始めて、すぐに私がこれまで口にしてきたことがそのまま当てはまる! と自画自賛してしまった。

それは
製品と商品は違う。『良い製品』がプラスアルファを付けて売れるようになって『良い商品』になる」
ということだ。そして今の世の中、プラスアルファの方が価値がある。そのことにもっとも気づいていないのが農林関係者である。「よい品を作れば勝手に売れる」と思い込んでいる。

木材は情報商品である」とも言ってきた。
なぜなら、木材にしかない価値などわずかしかないからだ。素材としては金属やプラスチック、コンクリート、ガラス、布、紙……などの中のワンオブゼム。木材の代替品はたくさんある。

それでも木材がほしい、木材で作りたい、と思わせるためには、木材に付随した情報が必要なのだ。その情報をうまく伝えるためのブランドも必要である。木材をセルロース物質として売るのではなく、情報伝達物質として売らねばならない。
「黄金のおにぎり」は、それらを理路整然と説明してくれる。よーし、今度はこのように話せばいいんだな。

 

 


木質バイオマス

2005-09-21 00:40:19 | 幻の写真・図

ひさびさに幻の写真。和歌山県龍神村のチップボイラーである。

『森コロ』では、第四部で今後の木材の可能性に触れている。木造高層ビルもあれば、間伐材家具、チェンソーアートも含んでいる。
そしてバイオマスエネルギーも取り上げているのだが、ほかの項目が将来を明るくする話題なのに対して、ここだけ暗い(^^;)。いろいろな問題点を指摘して、現時点ではあまりお勧めできない内容になっている。

具体的には本文をお読みいただきたいが、それでもバイオマスエネルギーという発想そのものを否定しているわけではない。むしろ期待している。

ようはコストが引き合わない法的・社会的な問題があったり、技術的にまだ未成熟な部分があるからだ。とくに木質ペレットに関しては、製造に莫大なコストとエネルギーがかかり、何のために利用するのかわからなくなってしまう。

それに参入希望者の中には、ボイラーを焼却炉と間違えている(廃棄物を処理したい)人や、林業の救世主(燃料としての木の値段はいくらだと思うの)と思っている人もいる。それではバイオマスも浮かばれない。

その中でチップ化は、何とか引き合う範囲内だろう。写真のボイラーは、完全自動化しているからボイラー技師もいらないそうだ。しかも沸かした湯は、どんどんホテルの温泉で使える。原料となる木も、それをチップにする工場も、村内にあり、輸送に手間はかからない。

バイオマスエネルギーは、総合産業である。


土倉庄三郎

2005-09-20 02:07:32 | 仕事関係

急に土倉庄三郎のことが気になり出した。
どくら・しょうさぶろう、である。吉野林業の父とも呼ばれる奈良県の偉人だ。

 もともと今夏、久しぶりに川上村を訪れて、吉野林業の歴史をちゃんと追いかけてみたいなあ、と感じた。
すると土倉が登場する。幕末から明治、大正に生きた人物だ。この人が密植とか弱度の間伐を何度も繰り返した超伐期などを確立した。それが現代の高級材としての吉野の木を生み出している。造林だけでなく、木材の利用法とか養蚕など山村振興にも尽くした。 それを全国、台湾にまで広げた。

ここまで読んで、疑問はなかった?吉野林業は500年もの歴史を誇っているのに、現代の吉野林業を作り出したのは明治時代だなんて。
しかも、彼の生み出した  吉野式の林業は、今や壊滅状態。つまり吉野が栄華を誇ったのは、数十年ということになる。

そんな疑問を持ったのである。
もちろん土倉の偉さはよくわかっている。しかし、別の角度から土倉、そして現在に続く吉野林業を追えば、日本の林業史が見えて、さらに現代林業の問題点がわかるかもしれない。


川辺川ダム

2005-09-18 18:12:36 | 時事ネタ
朝日新聞の社説で、川辺川ダムを取り上げている。
利水に関する裁判で国が負け、諦めたためだ。ただし、国交省は治水のためのダムを諦めていないが。

そこで登場するのが、このフレーズ。
“ブナなどの広葉樹を植林して「緑のダム」をつくるのは代替案の一つだ”

私は、「緑のダム」の効用に関しても疑問を抱いているが、
ここでは「広葉樹」「ブナ」という言葉が出てくることに言及したい。
そもそも水に関して広葉樹と針葉樹に、たいして差はない。樹種によっては根の張り方の違いや生長速度の差はあるが、それなら広葉樹というくくりはおかしい。また生長の遅いブナを取り上げる意味はない。
ここにスギやヒノキなど人工林の樹種に対する差別の目を感じる。
いつの頃から日本人に、人工林嫌いが広がったのだろうか。

感覚的な好き嫌いだけならともかく、機能の差を持ち出すべきでない。
だいたいブナは、つい最近まで「低質材」だった。役立たずの木とされていた。
それが加工技術の進歩で、一躍木工素材として注目を浴びただけだ。
すると、水を呼ぶとか、落葉が土を作る、根が土壌を守るなど、本当かどうかわからない効用まで持ち出して「ブナ讃歌」が始まった。

この調子だと、今は持て余し気味のスギの間伐材が、加工技術の革新によって木材界の救世主になる日が来るかもしれないよ。

なお、「森林の洪水を防ぐ機能」についてもあまり期待しない方が良い。
森林は、せいぜい「傘」くらいではないかと思う。
傘をさすと、しとしと雨には濡れずに済むが、集中豪雨や台風には役立たない。同じ程度の役割しかないだろう。だから洪水を防ぐには、力不足だ。
(詳しいことは安形氏に任せます(^^;)

一つの樹種を神格化したり、万能扱いするのはもう止めよう。

書き直し

2005-09-17 11:30:29 | 仕事関係

昨日、大阪に出たのは毎日新聞社から依頼のあった記事「述-私の主張」に添える顔写真を撮るため。(大阪本社版)

依頼のあった原稿は来週頭に入稿予定で、もうほとんど書き終えていた。あと多少の推敲をしてから連休明けに送るつもりでいた。掲載は10月初旬の日曜日。
ところが、編集委員との顔合わせして話しているうちに、ふと考えてしまった。

すでに書いた原稿は無難にできていると思う。『森コロ』を元にしており、ちゃんと主張しているし本の宣伝にもなっている(^o^)。読者を退屈させない内容になっている自信はある。
しかし、それでいいのか。 面白くないのだ、私自身が。

依頼があったのは編集者が『森コロ』を読んでなのだから、その内容に準じるのはよいとしても、単なるダイジェストでは、私自身が書いた気になれない。別の視点、新たな情報を盛り込むべきではないか。

そう考え出して、とうとう元の原稿を破棄してしまった
書き直すぞ。
そう決心したものの、何をどのように書くかまだ決めていない。オイオイ

さあ、時間との勝負だ。


建築雑誌

2005-09-16 22:05:12 | 書籍・映画・番組など

大阪に出る機会があったので、最大の書店ジュンク堂に寄る。

ここで見たかったのは、建築雑誌である。生駒ではほとんど手に取れない専門誌。
もしかしたら、この手の雑誌に『森コロ』の書評が載っていないか、という淡い期待を胸に抱いて。

建築知識
建築ジャーナル
新建築
住宅建築
住む。
チルチンびと
室内
コンフォート
……

ないなあ。全滅。書評には登場していない。
ただ書棚に並んでいるのは今月号がほとんどで、バックナンバーは完全に揃っていない。6月発売の本の書評を載せるのは何月号か、微妙なところだ。先月号かな、来月号かな、と淡い淡い期待。
ほかに一般向きの家づくり雑誌・インテリア雑誌もあるが、調べるのが疲れた。

ちょっぴり悔しいまま、森林コーナーを覗くと、『森コロ』がちゃんと平積みされていた(^o^)。
それもかなり減っている。残りの本を前に出し目立つようにする。

今日はこれぐらいで許したろ。

 

 


新聞の書評

2005-09-15 16:53:36 | 書籍・映画・番組など
版元より、某政党系の新聞に書評が載るという連絡があったという連絡があった。
いつかは、まだわからない。やはり日曜日か?

なんであれ、『森コロ』を紹介してくれるのは大歓迎。けなしていてもOK。とにかく露出することが大切なのよ。その点、選挙と同じ。無名の新人が、スキャンダルがあったことで名を売ることもあるからね(^^;)。

ちなみに同じ書評でも、新聞はやはり読者数が圧倒的に多い。地方紙とか政党機関紙でも数十万部はごく普通。しかし雑誌では、そんな部数はごく一部だ。
新聞は1日で消えていくという弱点はあったのだが、最近は新聞記事をインターネットで公開するから2次的効果も大きい。
期待しています。

ところで、最近はさすがに私の所へ直接本の注文が来なくなった。
ちょっと寂しい。2冊以上なら送料抜き、サイン入りで、すぐに送付しますからね。

雑木の家具

2005-09-14 23:36:03 | 木製品・建築

『森コロ』の中で、雑木で行う木工について紹介している。

クヌギ、コナラ、キハダ、ヌルデ、エゴノキ、サカキ、シイ、ミカン、ウメ……。

『森コロ』で取り上げた木は、ほとんど建築用で針葉樹材だが、森の中には里山の雑木林もある。それを守るには、雑木を利用することだ。その一つとして、木工材料としての可能性を取り上げた。そしてアトリエときデザイン研究所の仕事を紹介した。

ただアトリエときは、主に器や皿などである。家具のような大物はあまり含まない。さすがに雑木では難しいのか、と思っていた。しかし、ある程度量が動かないと雑木林の活性化につながらない。やはり家具に使ってほしい。
今や家具職人の使う木のほとんどが外材である。それをなんとか国産の木にできないのか。

ところが、信州の家具職人からメールが来た。彼は雑木で家具を作っているという。『森コロ』を読んだわけではなく、私のホームページの記事を読んだらしいが、まさに私が探していた人であった。工房楽木。『森コロ』執筆の頃に知っていたらなあ。

雑木でも家具は可能なのだ。クヌギの机。コナラの椅子。裏山の木で作られた家具が家の中に置かれていたら、気持ちよいだろうな。普及には、まだまだハードルがしりそうだが、技術的には充分可能なことが証明された。

かつて役立たずの木とされたブナが、いまや木工用として高級材である。とてつもなく高値で取引されることもある。同じことがクヌギやコナラでも起きるかもしれない。