森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

しめ飾り

2006-12-31 17:29:27 | 木製品・建築

大晦日。付近を散歩したら、お寺の軒先にまでしめ飾りがあって、苦笑した。
いかにも日本的光景。もしかしたらキリスト教会にも付けられているかもしれない。

店屋にもしめ飾りが山積みになって売っている。それにお供え餅に葉付きミカンに串柿にウラジロ。藁を編む技術も伝承しないと消えてしまうし、山にウラジロを取りにいくのだろうか。それとも栽培か。ちなみに我が家では、近隣から採取してくる。

ふと気になって産地を探したが、記されていなかった。まさか、なあ。しめ飾りまで中国製ということはないと思うが…。


思えば昨年末には、吉野でプロジェクトを開始する相談をしたのだった。今年は想像以上に順調で大きく芽を伸ばしたし、そのほか新しい取り組みをいろいろ行った。
もちろん、まだ種子をまいたばかりで花が咲くのか収穫できるのかできないのか、答が出るのはまだはるか先の話である。それでも希望を持ちたい。

本ブログも、思いがけなくアクセス・訪問者数が伸びた。おかげで、日々記す内容を考えるのが常となった。一応、週休1日のつもりだったが、11月は無休で臨んだし、我ながらよくやったと自分を褒めたい(^o^)。

ただ書籍はもちろん雑誌記事とも違って、プログへの執筆は瞬発力である。思いついたら即記す。内容の検討はその後から。だから、内容に責任は持ちません
それでも話題提供と、思考実験の場としてお楽しみください。

では、よいお年を!

 


田舎暮らし失敗談の裏側

2006-12-30 17:11:44 | 田舎・田舎暮らし

年の瀬も押し迫ってきたが、「田舎暮らしの本」2月号が届いた。

ここに私も、「失敗事例を徹底検証!田舎暮らし成功のカギ」という記事を書いている。田舎暮らしライター山本一典さんと分担で執筆した。

このブログでも時々触れてきたが、昨今は田舎暮らしがブーム(実はマスコミ上で)なのだが、そこで求められるのが失敗例。でも、取り上げるのはなかなか難しい。

記事では実名匿名取り混ぜて多くの失敗談を紹介したが、実は本当の意味での田舎移住の失敗や問題点は触れられていない。なぜなら完全に失敗している人は取材に応じないし、内容も差し障りがありすぎて書けない。


具体的には、移住者本人に問題があるケース(笑)。田舎を馬鹿にしきっていて、地元の人を毛嫌いしている田舎移住者というのが、意外といる。自分の家のまわりに鉄条網を張りめぐらせて、誰も入られないようにした、なんて自慢話が出る。
あるいは、本人は失敗と思っていないケース。自分は地元ともうまくやっているというのだが、実は地元からは鼻摘みものなんてこともある。

自給自足生活だ! といいながら、実は都会で稼いだ金をつぎ込んで遊んでいるだけにしか思えない人もいるし、逆に自給しているつもりで自足できず、栄養失調で倒れた人もいる。

自然を守るんだ! とか、俺が田舎を変える! と張り切っている人も、地元には煙たい人だろう。いくら熱心でも、空回りするだけだ。本人は田舎の生活も仕事も一人前のつもりでも、見る人が見れば、真似事しているだけと言われていることを知らない。

なかには、田舎側にだまされている人もいる。田舎移住に協力するように見えて、何かと金を引き出させる。使えない土地を高く売りつけ、家に付随した建築工事を地元業者にさせ、必要ない産物を買わせる。あげくに借金を押しつけられた人も。まあ、地元側にとってはだましているつもりはないのだろうけど。


来年は、マスコミと自治体の願望に踊らされて、定年後に田舎に移住する人も出るかもしれないが、気をつけてね。


林業元年

2006-12-29 12:47:43 | 林業・林産業

 

今年取材した林業家が口にしていたのは、「林業元年」であった。

なかなかよい言葉だ。ここ数年を、新たな林業を展開する元年としてほしい。

ただ、冷やかすわけではないが、この林業家の考え方は極めて古い(苦笑)。


列状間伐を否定し、いまだに選抜式。また間伐こそが林業に欠かせないと信じきっている。でも、日本の林業は、長い間無間伐施業でうまく回っている時代もあったのだ。とはいえ昔と同じ林業が盛んになれば、日本の森林はよくなると無条件に信じられても困る。地下足袋ばかり履いていては、職種の中で危険度ナンバーワンの汚名を返上できない。

基本的に林業は木を伐るし、それは土壌も荒らせば生態系も攪乱する。野放図に林業をするのは、決して自然によいことばかりではない。

昔の林業を信奉して、このやり方を続ければよいんだ、今日本の森林がおかしくなっているのは昔通りにやっていないからだ、というのは復古主義である。昔のやり方は、今に通じない部分もあるし、昔のやり方自体が自然破壊の面もある。

「林業元年」と言う限りは、新しい技術も導入しなければならないし、新たな理論も組み立てる必要がある。何が現代の林業に大切か、見極めなければならない。
それは頭脳労働でもある。

きっと日本の林業は変わる。その変わり目は、すでにやってきている。

 


新書は雑誌か

2006-12-28 15:07:21 | 仕事関係

今年も最後だから、少し愚痴を(笑)。

今書いているのは、来年出版予定の新書用の原稿である。

新書と言えば、私の世代?のイメージとしては、教養書だった。岩波、中公、現代新書にブルーバックス…。高校生の時代からよく読んだものだ。
だから、執筆でも「教養」を意識してしまい、いかに情報を盛り込むかと考えてしまう。もともと私の本は、詰め込み過ぎとは言われているが、未知の情報の量を競う気持ちがないと言えば嘘になる。

ところが、時代はそうではないらしい。とくに昨今の新書ブームで乱立気味の中では、新書とは一点の情報や意見を伝える誌面となったのではないか、という気がする。

拙稿を読んだ編集者の意見は、これも削りましょう、あれも削りましょう、だ。ウンチクよりは、わかりやすく。それも一般化した分野で、トリビア的な情報は削る。その方が売れると言われれば、不承不承でも従うしかないのか。

教養ではなく、一点の主張を示す場なのかもしれない。雑誌感覚である。だから、新書という枠の中で長く本棚に残るということもなく、週単位で入れ代わる。とくにスタートダッシュが遅い本は、すぐ消える。特集主義の雑誌と同じである。

最近、自分の書きたい分野、興味のある分野が、世間とずれてきたことを感じる。私が面白いと思っても、なかなか世間でそう思ってくれる人は少ない。なんだか致命的かもしれない。
そうは思っても、書かねば世間に問えない。どこまで妥協するか。ここでは妥協して、妥協しない本は別に書くか(でも、それは出版できるのか?)。どうどう巡りしつつ、年末の今もうめいている。


本物のイノシシ

2006-12-27 14:15:34 | 森林モノローグ

昨日は、イノシシのことを書くつもりでオオタカの話題に横滑りさせてしまったので、改めて。

この写真は、生駒山でイノシシを飼っているところで撮ったもの。生駒山のイノシシは増えているが、イノブタ説も根強い。その根拠の一つは、江戸時代にイノシシは絶滅させたはずなのに、近年になって急に増えだしたから。しかし実際に捕えたものを見ても、イノシシそのものだ。ブタが混じっている証拠はない。


ただし飼い主によると、このイノシシは吉野山で瓜坊を捕獲したものだから、本物のイノシシだそうである。むしろ、ここから逃げ出したイノシシが、生駒山で増えているのではないかと私は疑っている。

いずれにしても、あまりの悪環境で飼っているので、泣きたくなる。だって、畑を堀りこんだところなのだけど、水が溜まって池のよう。わずかにある石の上に寄り固まっている。動物虐待と言いたくなる。


イノシシとオオタカ

2006-12-26 18:27:06 | 森林モノローグ

ノロ・ウイルス(そう勝手に決めつける)に苦しめられたが、実は案外昼間は動き回っていた。スーパーマーケットに買い物に行き、家族のために夕食を作り(私は絶食)、古本市を梯子し……。そして年賀状を書いていた。

ようやく第一弾を書いて出したので、なんとか間に合った。あと第二弾も今週中には出そう。

で、来年の干支はイノシシ(亥)。これは案外難しい。手持ちの写真を見ても、イノシシにしろ足跡にしろぬた場にしろイカツク絵にならない。結局、『田舎で暮らす!』の表紙を使った(笑)。宣伝重視や。

 

ところでイノシシが増えていることは最近は知られてきたが、同じく増えている野生動物は何があるだろうか。シカ、カモシカも増えているようだ。ところがノウサギは減っているとか。草場が減ってきたからのようだ。シカのように樹皮は食べられないからだろうか。

そして重要なのは、オオタカ。意外なようだが、増えている。なぜなら里山の鳥だから、生息環境はよくなっているのだ。絶滅危惧種から外されることも決定した。これまでオオタカを自然保護の象徴のように扱ってきた市民団体は、どのように対応するか見物だ。

野生動物も、現在の環境に対応して増えるものと、減るものを区別しなければならない。

 


田舎の医療

2006-12-23 18:02:26 | 田舎・田舎暮らし

おそらく全国的に報道されていないだろうから、ここで紹介しておく。

10月ごろに話題になった、奈良県吉野郡の大淀病院である。8月に妊婦が意識不明に陥り、高度医療の病院に搬送しようとしたものの19の病院に断られ、とうとう亡くなった事件を起こした。病院は叩かれ、遺族は訴訟を準備しているようだ。
ここは、奈良南部唯一の産科だったが、その唯一の常勤産科医が退職を表明、産科は来年3月に閉鎖することになった。

予想していたとおりの展開だ。

この病院が誤診していないとは言わない。また遺族への対応が十分だったかどうかもわからない。が、この事件の本質は、そういうことではなくて、高度医療の受け入れ先がなかったことだと思う。誤診そのものは、大なり小なりどこの病院にもあるが、それをフォローする体制があれば大事に至らず、次の糧となる。

しかし、フォローがない中でギリギリの医療を行っていれば、結果的に大事となる。そして病院は責められ、医者も辞め、医療は先細るのではないか。

テレビドラマの「Dc.コトー2006」は終わったが、このドラマの危険な点を一つ。僻地医療が医者個人の力に頼っていることを美しいように描いていることだ。ドラマはドラマだが、バックアップ体制のない医療は恐ろしい。


このままでは、田舎の医療は消滅するだろう。学校と病院の消滅は、田舎の消滅に直結する。


ゴミ資源

2006-12-22 19:28:01 | 森林資源

「そのままだとゴミだが、分けると資源」。

よく分別ゴミ収集で言われる言葉だが、私はどうも納得がいかない。分けなくても資源にする方法はないか、と思っている。

ようするにゴミと資源の間にあるのはコストである。ゴミの中から必要とする成分だけを抜き取るためにかかるコストが、資源の収益より多いか少ないか、ではないか。
たとえば鉱石に含まれる必要成分は極めて小さい。鉄や銅はまだしも、金などコンマ以下だ。ウランもそう。しかし、それを分別精製して純正品にしても見合う価値がある。

だからいっそ、森林も成分抽出方法による利用は考えられないだろうか。
森林、あるいは廃材などの山に大きなテントを張って、中を何百度まで蒸し焼きする。そして出たガスを吸収して、必要成分に分ける。

こうした林業も発達する気がする。

もう一つ、現実的なのはサーマルリサイクルだ。ようするに木材を燃やしてエネルギーを利用するものだが、これはすでに行われているだろう。しかし、本当の意味を知っている人は少ないだろう。

とくに通常の「燃えるゴミ」扱いの中に割り箸やら紙やら何やら入っているが、それが燃やすことで焼却を助けているはずだ。さもないと「燃えるゴミ」は燃えない。とくに生ゴミは燃えない。だから重油で燃やしている。

しかし、そこに森林(木材)のゴミが入っていたら、燃焼を助けて重油の量を減らしている。これも立派なリサイクルであり、分別コストもかけずに済む。
この価値をもっと評価すべきだ。今は木材を燃やすともったいないと言われかねないが、中東から運んだ重油でゴミを燃やすより、よほどいいのではないか。

 


グローバリズム?

2006-12-21 21:02:56 | 森林モノローグ

さる自然環境教育などを行う施設を訪れた時のことである。

その日訪れているイベントの参加者は、地元の小学生だという。山の中の小学生も、改めて教育として木の枝やドングリと遊んでいるのだなあ、思った。

「意外と田舎の子供たちも、自然の中で遊びませんね」
私は、話のとば口にそんな感想をもらした。

「田舎の子供たちというよりは、グローバリズムの影響です」
校長だという若い女性は言った。「都会と田舎の差をなくしてしまったことが、子供の世界にも波及した問題なのです」
目が点になりそうだった。その後も、貨幣経済の行き過ぎだとか現代社会の矛盾だとか、なんだか落ち着かない言葉が次々と発せられた。

その内容について議論をするつもりはないのだけど、山村の自然を触れ合うことを仕事をしている人から聞く言葉としては、意外感がある。そんな意見の元に自然教室を開いていたのか? それに貨幣経済の弊害というけれど、ここも民間団体で稼ぐことでスタッフは食べているのではないのか。

「もっとたくさんの参加者が呼び込んで、儲けたいと思いませんか? もし申込があったら断りますか」
思わず意地悪な質問をしてみた。

それに対して明確な返答はなかったが、人が多くなると環境負荷が高まるというほど、フィールドが狭いわけではなさそうだ。どうも、金という言葉が出ると、忌避感が生まれるらしい。自給自足生活はできないと言っていたから、完全に貨幣経済を否定しているわけではないようだが……。

 

足るを知る、という言葉があるが、それは十分に豊かな生活を経験した人がいうと、わかりやすい。しかし、貧乏人がいうと、負け惜しみに聞こえる(⌒ー⌒)


木のトレー復活

2006-12-20 13:46:02 | 木製品・建築

木のトレーを知っているだろうか。

間伐材を薄く剥いて、それを数枚張り合わせることで強度を保ち、プレスして作ったトレーである。発泡スチロール製のトレーに代わって広がれば、新たな木材需要を生み出すと期待されたことがある。
なにしろスーパーマーケットなどで食品を入れるトレーは、毎日一億枚ほど消費されている。そのいくらかでもシェアを食えば、ものすごい需要だ。

が、完璧に失敗した。全然売れないのだ。だって、発泡スチロール製の十倍の値段(1枚約20円)もしたから。しかも水分に弱いなど、機能的にもよくない。デザインはまったくダメ。
岩手に建設された工場は、誰が使い込んだのか本格稼働の前に倒産したし、大分のものも在庫の山。高知では、売れないので生産品を変えてしまった。

 

ところが、この木のトレーが復活するかもしれない。
まったく新たな製法が開発され、いよいよ稼働するかもしれないからだ。

その商品は、無垢の板をプレスしたものと、木粉にしてから成型したものの2種類で、後者は発泡スチロール製と価格は同じだ。欠点も直した。デザインも千差万別。弁当容器のように複雑な形にもできるそうだ。価格と機能が同じなら、木製トレーを使ってくれる企業はあるだろう。こうした大量消費型の木製品も必要だ。割り箸に取って代わる商品として。

ところが、この新しいトレーにほとんど特許はない。既成の技術を組み合わせただけらしい。それなのに、なぜ今まで作れなかったのか。ここに怠慢を感じる。これも補助金で作ったから甘えが出たのではないか。

今度は、株式会社だ。早ければ来年から生産が始まる。今度こそ期待できるか。


新月伐採ふたたび

2006-12-19 12:04:38 | 林業・林産業

今日から3日間が新月であることに気づいた。(正確には20日が、完全に月が消える日)

となると、またもや新月伐採のことを思い出した。

東京では、新月伐採されたオーストリア産のカラマツ、トウヒの木による内装材が出回っているようだ。そしてマンションのリフォームに使われ始めた。なんでも羊毛入りの石膏ボードも使うらしい。マンションの内装材は、私が一番スギ材の用途に向いていると思っていた分野なのに……。
外材も、新月伐採という冠を付けることで、健康住宅とか環境に優しいものと思わせてしまう。しかし新月伐採が日本に伝えられたのは、まさにオーストリアの建材を売るためであったことを忘れてはいけない。

これを売り込んでいる「自然のすまい」社のマテー・ペーター社長というのは、おそらく私も一度集会で会ったことのある人だと思うのだが、彼は日本語がペラペラの営業トークのうまい男だった。(もし別人だったらスマナイ。)
一般的な森林の話から、オーストリアの自然、そして自然の摂理を語り、気がつくと新月伐採の素晴らしさを訴える。思わず私も、引き込まれそうになった(^o^)。

 

ふたたび繰り返すが、新月伐採が腐りにくい、火事に強いという証拠を示せ。ちゃんとした科学データなしで、宣伝文句に使うのは危険である。今彼らが営業用に使っているデータは、とても評価に耐えない。一歩間違えると不当表示になるのではないか。

同時にオーストリアから日本まで運ぶウッドマイルズとエネルギーコストも示して、国産材と比較してもらえると有り難い。それらを総合して判断するのなら、どんな木を使おうが、文句はいわないよ。


チェンソーアートのテーマパーク

2006-12-18 14:30:46 | 時事ネタ

昨日は、吉野まるごとプロジェクトの会議&忘年会
吉野の山の中のログハウス(写真)で朝から夕方まで、昼飯も食べずに会議して、そのままシシ鍋の忘年会に突入。帰る際には、雪が……。標高600mだそうだが、今期の初雪を目にした。

 

議題の中で白熱?したのは、常設のチェンソーアートの練習場づくりだ。現在はヘリポートを使っているので、いつもOKとはならない。吉野山にあるので、サクラのシーズンも無理。また雨天も困る。
そこである山間の場所が候補に上がっているのだが、下見に行くと、「ここに屋根を建てて」「ここをユンボで整地して駐車スペースにして」「材料は、そこにある木を伐採して」「入り口から奥までかなり距離があるから、モノレールを設置して」……

おいおい、どこまで本気なのか。
でも、メンバーの顔を見ていると、本当にモノレールも敷きそうだ

いっそのこと、本気でモノレールを設置して、ギャラリーも作って、木々の間に練習スペース(占有面積によって価格を変える)を設け、様々な形や色の素材丸太も用意して、チェンソーアートのテーマパークにしてしまうか。ギャラリー席も設けて、練習風景を有料で見学させる。

ところで受講者は、どんどん増えている。最初は1回の講習会に10人だったはずが、15人に増やし、募集時は多めに20人と記したら、30人の希望者が現れ、申込状況からすると、2回目はさらに増えそうだし……。講師が足りない。裏方スタッフの人手も足りない。誰か、ボランティアで手伝ってくれないか。


木材からエタノールを作る方法

2006-12-16 01:06:16 | 森林資源

バイオマスエネルギーの中で、最近の注目株が、バイオエタノール。つまり農林産物から作られるエタノールだ。

エタノールは液体だから、ガソリンエンジンなどの代替えにすぐ使えるところがウケているのだろう。石油の代替えになりやすい。木材をペレットやチップにして燃やして熱と発電を行う……といった従来考えられていたバイオマスエネルギー利用では、設備も大がかりだしインフラを変えなくてはならない。

しかし、肝心のバイオエタノールは原料に問題がある。現在はトウモロコシやキャッサバ、あるいはサトウキビなど食用作物のデンプンを醗酵させて糖、そしてエチルアルコールに変換していくのだ。つまり微生物の力を借りている。おかげでバイオエタノールが流行ると、世界市場の砂糖の価格が上がるという現象が起きている。
何より、食物をエネルギーに使うのはもったいない。原料の価格も気になるが、これらの作物の生産(耕作や収穫)にも、かなりのエネルギー(たいてい石油)を消費する点も問題視されている。

本命は、やはり木材からエタノールを作ることだと思う。しかし、これが大変なのだ。

理屈は簡単で、木材のセルロース・ヘミセルロースを分解して、糖に変えてから醗酵させればよい。しかし、木材を原料にすると、セルロースを取り出すのも、糖まで分解するのも、かなりの手間だ。そして、微生物による醗酵自体も、手間暇がかかる。増産がしにくくコストもかかるだろう。

 

そこで思い出してほしいのだが、農林バイオマス3号というプラント(今年6月27日)がある。木粉を放り込むと、ガス化してメタノールを生成してしまう凄腕の機械だ。エネルギーコストも手間も時間もかからない。化学合成なので、微生物も登場しない。これぞ、未来のバイオマスエネルギーだと感じさせた。

しかし問題は、生成するのがメタノールということだ。エネルギー源としては、エタノールに劣らないと思うのだが、世界の潮流がエタノールに傾斜している中、日本だけメタノールを採用しづらい。エネルギー体系は、世界と連動しているからである。仮に自動車などの製品をメタノール仕様にすると、海外で通用にくくなる。それに多少の毒性もある。(エタノールは、飲めるほど毒性は低い。ただし、酔っぱらう。)

そこで思うのだが、メタノールからエタノールを生成できないのか。あるいは、木粉から直接エタノールを生産できないか。難しいのだろうか。
化学式を見る限り、単純で似通った構造だから、簡単に合成できそうに思える。技術的な壁があるのだろうか。微生物に頼らずエタノールを生産してほしい。

誰か化学に強い方、この可能性を教えてください。メタノールからエタノールを簡単に合成できれば、農林バイオマス3号も生きてくる。木材をどんどんバイオエネルギーとして使えるようになる……。

 


日本の森林率

2006-12-14 15:15:43 | 森林モノローグ

日本の森林率は、67%

これは、林野庁などの資料によく載っている数字だ。私も、よく使わせてもらっている。

しかし、ふとFAO(国連食料農業機関)の資料を見ると、日本は64%になっていた。

この差、3%はなんだ? 日本の国土が広がったのか。測量の仕方が違うのか。
しかし、国連の機関が、独自に日本の森林面積を調査するわけでもあるまい。おそらく森林の定義などからカウントの仕方が違うのだろう。

それで気がついたのだが、FAOの場合は、無林地に伐採跡地も入っているようだ。対して日本の場合は入っていない……森林にカウントしているらしい。その差だろうか。

たしかに伐採跡地は木がないから森林に入れるべきではないかもしれないが、すぐ植林した場合はどうなるのだろう。木はないが、苗は生えていることになる。再造林放棄の場合も難しい。日本の気候なら、勝手に雑木が生える確率は7割を超えるそうだしなあ。だいたい伐採後、何年まで跡地と呼ぶのか。
国土の3%ということは、約114万ヘクタール。少なくはない。

詳しいことを知っている人はいませんか。林野庁の人とか(笑)。