森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

命日

2007-07-19 22:28:33 | ドーデモ体験談
7月19日は、土倉庄三郎の命日。川上村を訪れた。墓は意外なほど小さい。

菩提寺の龍泉寺も訪ねて、こちらに預けられている仏壇にもお参りする。住職の話も聞けた。もう地元の人でも参る人は少ないようだ。

ところで気づいたのだが、土倉翁が亡くなったのは大正6年で西暦1917年。今年は2007年だから90年目である。節目の年でなるのだが、ほとんどの人は気がついていないようだ。ただ龍泉寺の住職が中心になって、土倉翁を学ぶ会を結成する動きもあるという。大滝の、比較的若い人が参加するそうなので、期待しておきたい。

時ならぬ紅葉

2007-07-18 12:14:33 | 森林モノローグ
庭のカエデが、部分的に紅葉した。

原因は、やはり剪定だろう。伸びすぎた枝をズバッと伐り落としたが、その切り口の周辺の葉が赤くなっているのだ。植物はストレスがかかると紅葉することがある。あまりよい印ではない。

とはいえ、夏の庭にミスマッチな美しさもある。

随分前だが、冬の杉林が赤く染まっているのを見て、何か枯れる原因があるのですか、と森林組合の人に聞いたら、「冬の間は水分が少なくて赤くなるものだ」と教わったことがある。恥ずかしかった(^^;)。

土倉邸跡

2007-07-08 22:00:13 | 幻の写真・図
久しぶりに「幻の写真・図」の紹介。

これは、川上村大滝の土倉邸跡に、わずかに残る土塀。かなり傷んでいるのが見てとれる。もちろん土倉邸自体も今はない。そこは一部が郵便局や駐在所になっているが、ほとんどは空き地で、そこに礎石が残るだけだ。


土倉庄三郎の全盛期は、ここに新島襄はもちろん、板垣退助や井上馨、山県有朋など明治の元勲が通ったと伝えられる。そのよすがを、崩れかけた土塀から感じられるだろうか。

同志社と土倉庄三郎

2007-07-04 12:17:06 | 仕事関係

同志社大学に、土倉庄三郎の足跡を求めて訪れた。

 

それなりの収穫はあったが、どうもこのままでは大阪梅花女学校や日本女子大学にも足を延ばさなくてはならないようだ……。

 

とくに興味深かったのは、当時の同志社(英学校・普通学校)は塾だったという点。卒業しても何ら資格はないし、生徒もちゃんと卒業する者は少なかった。また入学年齢もいい加減(土倉の子息・子女は6歳から10歳くらいで入学している)だし、それで英語の授業を受けられるわけもなかろう。
世話を見るのは、アメリカ人女性宣教師と年長の女子生徒。そこには保育園・幼稚園的な面もあったようだ。

 

それでも当時としては、新鮮で最新の勉学として身についたのだろう。その後、何人かは帝大などに進学するが、林学を学んだ気配がない。その当たりの庄三郎の意識はちっと興味深い。林業は学校で教わるまでもなく、自らが教えられるという自負があったかもしれないし、あるいは林業以外の分野に羽ばたくことも許容したのか。

 

帰りに映画館に寄り「きみにしか聞こえない」を鑑賞。
地味で静かな展開の小品だが、しっとりとしていい味を出している。映画はTVと違ってスケールを追求しがちだが、静かな映画もいいものだ。主演の成海璃子が見たかったこともあるが(^^;)、それ以上の収穫。