森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

「猿の惑星 創世記」より「銀色のクリメーヌ」へ

2011-10-21 00:40:29 | 書籍・映画・番組など

映画「猿の惑星 創世記」を見た。

猿が人を支配している世界を描いて、驚愕のラストとともに名作の誉れ高い「猿の惑星」の前日談だ。なぜ、サル(正確には類人猿)が、人間より賢くなり世界を支配したのか。それは、アルツハイマー病の薬を開発する過程で、知能を発達させたチンパンジー・シーザーが誕生し、やがて人間から独立していったのだ……。

で、ここで感想・評を書くことを期待しないでほしい(笑)。いや、すこぶるよい映画だった。私の見た今年の映画で一番の収穫(今の時点)と言ってもよい。

が、ここでは「感想」ではなく「連想」したことを書く。

まず一点。この映画は、「猿の惑星」シリーズの一つに見せかけているが、それはシチュエーションを借りただけではないか。むしろ私はアルジャーノンに花束をを思い起こした。知恵遅れの人物を、医学の力で天才にしてしまうという設定に似ている。そして、それがもたらす悲劇も……。ただ、終わり方が正反対である。

そのうえで、類人猿を実験動物にすることの悲劇から連想したのが、「銀色のクリメーヌ」である。これは、清原なつのの漫画だ。

清原なつのを知っているかなあ。一応、少女漫画家である。一応、というのは、活動の舞台が少女誌以外にも広がっているから。かつては「りぼん」や「ぶ~け」などだったのだが。最近では「千利休」の伝記を書き下ろした(といっても数年前だけど)。そして、ファンは男がやたら多いらしいのも少女漫画家でない(笑)。

内容も、ラブコメや歴史もの、SFといった少女漫画風の設定にも関わらず、じんわり深い。ちょっと純文学的でもある。初期の名作「花岡ちゃんの夏休み」は大学が舞台だし、中高生向きと言えない、少女漫画のお約束をぶち破る物語の展開が行われた。

私は、大学時代に下宿先に捨てられていた「りぼん」で読み、夢中になった。その後、彼女の漫画を買い集めたりもしている。今は、復刻版も出ているから楽。

で、「銀色のクリメーヌ」。実験動物としてのチンパンジーを人間として扱いつつ飼う科学者の話だ。作品では、このチンパンジー(クリメーヌ)を少女として描く。だから最初は混乱させられるのだが、この表現手法が実に効果的だ。

実際、チンパンジーは知能の研究に多く使われた。人間の子供と一緒に育てて成長の差をみることも行われた。比較心理学の分野だ。それは学会の流行でもあった。音声言語は難しくても、手話による意思疎通が取られた。
しかし、やがて研究の流行の波は去り、「人間として育てられた」チンパンジーは、扱いに困ってしまう。また大人になったチンパンジーは凶暴になり、一般家庭では飼育するのが困難になる。結果として、動物園に引き渡されたり、実験動物(こちらは知能ではなく、肉体を医薬品開発などに利用される)として送り込まれるのだ。

「銀色のクリメーヌ」は、その状況を残酷なまでに描いている。(最後は泣けるよ……。)

今回の「猿の惑星」は、そのオマージュではないかとさえ感じてしまった。実験動物の反乱から独立、そして征服へとつながるのだから。人間の少女として描かれたクリメーヌの悲しみと、チンパンジーの外見で人の表情をしたシーザーの悲しみは、表裏一体だ。

さて、ここで私が連想したのは、「銀色のクリメーヌ」だけではない。いや、正確にいうと、「銀色のクリメーヌ」からさらに連想が続いた。それは自らの若き頃だった。

実は私もサル学に足を半歩踏み入れたことがあるのだ。

私が初めて訪れた海外は、ボルネオ島。目的は、野生のオランウータン調査だった。その際に接触したのが、当時静岡大学で比較心理学を教えていた岡野恒也教授だった。
彼は、かつてオランウータンを探してボルネオを訪れていた。が、実はその前に自らの家庭で、自分の長男とチンパンジーを一緒に育てる実験を行っているのである。その記録は、本人の本もあるが、同時に奥さんがつづった「もう一人のわからんちん」にリアルに描かれた。

私は、それが縁で教授ともつきあいが続き、サル学の魅力にハマったのである。

が、同時に結末も知る。育てたチンパンジー(サチコという名だったと思う)は、やがて飼育が難しくなり、多摩動物園に預けられる。人間として育てられたのに、チンパンジーの群れに放り込まれた彼女の気持ちはいかばかりだったろう。

岡野教授は、後に「悲劇のチンパンジー」という訳本を出した。それこそ、研究用チンパンジー・無数の「クリメーヌ」の末路を描いた作品だった。

それゆえ、「猿の惑星 創世記」から「クリメーヌ」を、そして「サチコ」の、飼われたチンパンジーの悲劇を連想したのである。それは、サル学に夢中になった時代の自分を連想させることにもつながった。

 


同志!谷山浩子ファン

2011-10-18 22:36:37 | ドーデモ体験談

 神戸の酒心館で行われた、谷山浩子コンサートに行った。もちろん一人である。谷山浩子は、一人聞くものだ(一緒に行きたいという人がいない……)。

場所は、阪神石屋川駅から南に徒歩で8分のところにある元酒蔵ホールだ。

私が阪神電車に乗って座った前の席に、いかにもオタク風の中年男がいた。ウォークマン?ipod?を耳にし、でっぷり太った姿は、オタクであった(笑)。

石屋川駅で、私とともに下りた。もしや……。

そのままつかず離れずに歩いていると、信号待ち。そこに男が5人くらい滞留した。みんな一人で、中年男。ブレザー姿もあればサラリーマン風、トレーナーにジャンバー……と服装はてんでバラバラだが、みんな同じ匂いがした(笑)。

そして、信号を渡った後の歩くコースはみんな同じ。そう、私も含めて全員、酒心館へと吸い込まれて行ったのである。

なんで、谷山浩子ファンには、独特の同じ匂いがするのだろう。ちょっぴりオタクぽい、孤高の人(^o^)の匂い。もしや、(オタクでも孤高でもない)私も、そんな匂いを漂わせているのか。それは誤解です。

会場は、150人くらい入れるかな。後ろはパイプイスに畳席もある不思議な空間。でも、すでに満席に近かった。かろうじて、隅の方に空き席を見つける。

周りは、みんな男だった。みんな中年。みんな一人客(^^;)。ホールの中には、女性も若干いるし、カップルもいるのだが、圧倒的に男だね。年齢は30代以下は少なくて40代~70代くらい?

ここ1、2年、猛烈の谷山熱が復活している。35年前のファンに成り立ての頃は、金のない学生だったから、なかなかコンサートも行けなかった。あの頃は、若かった。私も、ファンもみな若かったのだよ。そして谷山様も(^o^)。、夢中になっていたのだよ。そして、しばらくの空白を置いて復活したのである。

………………

さて、コンサートを堪能して、帰途に着く。また阪神電車に乗る。途中、急行に乗り換え。そこで座れたので、会場でもらったチラシなどを確認する。

「いいコンサートでしたね」

隣の男から声をかけられた。目をパチクリ。「あなたもコンサートに行っていたのですか」

なんと、その人は前日の京都コンサートも足を運んでいて、2日続けてのコンサートだという。負けた。実は私は、21日に福島へ仕事で行くのだが、その夜に郡山で谷山浩子コンサートがある。私は、こっそり足を運ぶことを考えていたが、あっさり仕事先のメンバーにつかまって「打ち合わせ」をすることになってしまった(T-T)。もし、行けていたら「勝った」のに。

聞くと、彼は1990年代の「みんなの歌」の頃からのファンだという。デビュー時からのファンであった私は、「勝った」と心の中を思いつつ、熱中度は私以上の彼に「負けた」と思う。(- -;)

が、なんたって、谷山浩子ファンだという男と会ったのは、初めてである! それ自体が感動的であった(笑)。そして谷山様のどこがいいのか、あの歌のどこがスゴイなのか、どのように昔のレコードや本を探しているのか……と、まったく見知らぬ人同士で、熱く語り合った(^o^)。
もはや同志! と呼びたい気分である。

よほど、大阪で一杯飲みながら語りませんか、と誘いかけたが、ぐっとこらえて、乗り換え時に別れた。

次は、12月24日の大阪フェニックスホール(コンサート会場)で会いましょう。そう言ってさよならする。彼は、確実に行くそうだ。

それにしても、クリスマスイブの夜に、男一人が大挙集結するのだ。きっと、みんな同じ匂いがしているだろう。すごい(匂いの)コンサートになるぞ。

さっそく翌日、私もコンサート予約をした。

 


駄作『サンクタム』を観た理由

2011-10-07 14:06:11 | 書籍・映画・番組など

映画の『サンクタム(聖域)』を観た。

製作総指揮がジェームズ・キャメロンで3D映画である。『アバター』ほどではないが、前宣伝を結構やっていた。が、人気のほどは『アバター』にはるか及ばず、公開から2週間ほどで尻すぼみになっている。上映館も随分減ったようだ。

内容は、パプア・ニューギニアの巨大洞窟探検隊の話。洞窟をドラマの舞台にすると決まっているのだが、なんらかの事故で入り口が塞がり、未知の出口を探して洞内をさまよう……というものだ。途中でグループ内にいざこざが起きたり、裏切り者が出たり、まったくステロタイプなストーリーである。

この映画を観に行った。事前の評判からも駄作らしいことはうかがえた。それなのに、高い3D割り増し料金を払ってまでなぜ観たのか。

それは、ひとえに洞窟もぐり(ケイビング)を描いているから(笑)。

パプア・ニューギニアのジャングルに、巨大な竪穴があり、そこから無数の横穴が広がる世界は、実際にある。実は、私の友人も、そこへ探検に出かけている。(20年くらい前の話だけど。)

また私の大学の後輩たちも、タイの奥地メーホーソンで同じような大洞窟の探検に挑んだ。

いずれも洞口が直径1キロくらいあり、深さ数百m降下して底に着くと、横穴になっている。

そういえば、日本でもっとも深い竪穴と目される新潟県のマイコミ平の洞窟群を、関西大学探検部が40年くらい前に調査している。そして青海千里洞では500mくらい縦に下りてベースキャンプを築いたところ、大雨となり、濁流が流れ込んだらしい。

その経験者に話を聞いたことがあったが、洞窟内にも嵐が起きるのだそうだ。猛烈な強風と横なぶりの水しぶきが渦を巻く。

この事件は、マスコミに近くの白蓮洞と間違われて、洞窟遭難事件として世間を騒がしたが、結局、全員無事に脱出している。当の本人たちは、安全な洞内の高台に避難して、ゆっくりと水が引いてから脱出したのだった。(この資料は、いま手元にないから正確に説明できない。)

私も、そんな大きな穴ではないが、未知の洞窟を求めて南洋を放浪したことがある。
そのことについては、「不思議の国のメラネシア」を読んでいただきたいが、ソロモン諸島のシンポ島の火山の火口洞窟にもぐった。この件に関しては、拙HPにも掲載している。(ナンバワン、ソロモン!)

また、ちょうど知り合いが、つい最近、小笠原諸島の母島を訪れたことをブログに記していたが、私はかつて母島のジャングルの中にあった岩の隙間から降下して、地底に巨大ホールを持つ洞窟を発見したことがある。あの鍾乳石はすごかった。そして無数に落ちていた骨、骨、骨。

それだけに未知の洞窟の探検話には惹かれるのだ(^o^)。

さて、『サンクタム』は。。。映画としては、やはり駄作であった。まあ、退屈しない程度に物語は展開するが、怪我した同僚をあっさり安楽死?尊厳死? させたりするか? だいたい未知の出口を探すより、嵐が終わり水が引くのを待って、脱出するのが王道だろう。未知の出口なんぞ、期待するのは間違っている。どちらかというと、ケイビングではなく、ケイブダイビング映画だ。

それに、3Dの効果がイマイチだった。少なくても『アバター』では見ほれる映像が展開されたのだが、洞窟内は暗く、しかも水中シーンとなると立体映像の価値が減じる。もともと遠近感のない世界だからだ。

しかし、私にとっては、追体験なのである(^^;)。なんか、過去の体験がフラッシュバックする。
ケイビング技術的な面で見ると、かなり正確に描いていたように思う。(ケイブダイビングに関しては、ありえねえ、の連発だったが。)

真っ暗闇のロッククライミング。高さ数十メートルの岩にしがみついたときの悲壮感。シングルロープテクニックで垂直降下する感覚。圧迫感のある岩の隙間を進む恐怖。濡れた身体を引きずりながら動く寒さ・たいぎさ。暗黒の川の冷たさ。地底湖で泳ぐ密かな楽しみ。狭い岩の間を匍匐前進する身体の痛み。ヘルメットがつかえて身体が動かせなくなった時のパニック感。その奥にある未知の空間に出たときの爽快感。その美しさ。

しかし、今の私には無理だな。そう実感した。もう、私に洞窟探検はできない。あれは若気の至りだよ。

ケイビングには、身体のわけのわからない筋肉を使い、猛烈な疲労感と戦うのだが、それを跳ね返しても未知の奥に進みたい気持ちを持続させねばならない。無理。今の私には無理。とても恐怖に耐えられない……と、映画館でうなっていた(^^;)。

まあ、そんな青春時代の感覚を取り戻すために映画を観に行ったのだよ。