わけあって、1980年代から90年前半にかけての熱帯雨林伐採反対運動の記録を調べてみた。結構、当時から多くの雑誌や新聞を切り抜き、また関係書籍を購入し、冊子関係も手に入れているのである。
当時、熱帯雨林問題が沸騰していた。アマゾンの先住民、ボルネオのプナン族の訴え、林道封鎖、それに呼応したWWFや「地球の友」、熱帯雨林行動ネットワークなどのパフォーマンスとキャンペーン。……。その中で割り箸不要論も起きていた。
思えばバブル景気の盛りで起きた社会現象だった。
私も多少ながら渦中にいて、結構現場を歩いていた。いくつかの集会にも顔を出していた。そしてボルネオのジャングルも歩いた……。プナン族の問題を世界に発信したブルーノ・マンサーにも逢った。彼は、実は洞窟探検にサラワクを訪れていたことを思い出した。そこから脱線して、何年間もジャングルの中で暮らしたのだからたいしたものである。
ともあれ、あれほど騒いだ熱帯雨林問題は、今はほとんど姿形もない。日本を悪役にして騒いだものの、その日本がジャングルから退場したからだろうか。
懐かしさもあるが、気恥ずかしさもある。結果的に何も生み出さなかったかのように感じるが、当時の資料も、今頃多少とも役に立つのなら、長い時間を保管していてよかったと思う。資料棚の不良在庫となっていたのだが、15年を経て当時の声が詰まった貴重な資料に化けた。
今振り返って、改めて気づくこともある。それは機会を見つけて執筆していこう。
1985の国際森林年に絡んで、「森林保護」はムーブメントとして全盛期だったと思います。知床とか白神の問題もこの時代だし。
で、90年代を谷として、今また国際的に森林問題が意識されているという気がします。
80年代と異なるのは、マスコミじゃなくて、「ネット社会」がそれ(NGOなどの母体)を下支えしているというところでしょうか。だから、一見冷え切っているように思えながらも、けっこう底力を持っていると見ています。
たとえば、「南会津のブナ伐採反対運動」などは、ネットの力によって白神よりも多い署名を集めたわけで、そのことによって林野庁の方向性そのものを「保護」に転換させるというところまで行ってるわけです。マスコミをまきこんだ大々的キャンペーンなしでも、効果は大きいわけです。
それはつまり、80年代のような「対立の構図」が緩んでいることでもあるわけで、行政や企業の「ものわかり」が良くなり、「マスコミ」的には「地味な決着」が増えいてるというのが実情じゃないかと思います。
林野庁も、当時は林業するためには森林保護は邪魔だという意識があったようで、対決色があったけど、今では林業に興味を失ったせいか、「保護? したけりゃしてもいいよ」的な感じでしょう(笑)。
世の中、対決から調和の時代に入ったのかもしれません。何より重要なのはイメージ戦略ですから。ネットも、どちらにぶれるか読めない点があるけど、直接的な意見発表の場として有効です。