森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

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木材の沖縄輸出

2006-07-31 23:20:33 | 政策・行政関係

改めて報告するのもナンだが、お察しのとおり、沖縄に行ってきた。

久しぶり、それも盛夏に訪れるのは始めてかもしれない。那覇空港に降り立つと、何とも言えない香りがして、その巨大な空港に驚き、外の景色には東南アジアを連想させられた。やはり本土離れしている。

景色は、なだらかな丘陵地にコンクリート建築物が目立つ。緑もそこそこ多いのだが、一軒家からビルディングまでコンクリート。それに赤い瓦が風情を与えているが、この地に木造建築はあまりないことを感じさせられた。

もちろん昔は、木造家屋がほとんどだったのだろうが、台風の多さとシロアリ被害のため石やセメントに頼るようになったのだろう。沖縄に木の家は希少価値だ。

 

そこで思いついた。今、日本は木材の輸出に本腰を入れようとしている。民間主導で政府も動きだした。まだ十分な成果を上げるに至っていないが、将来的に有望とされている。
それならば、沖縄のような国内でありながら木造が普及していないところに本土の木材をどんどん“輸出”できないか。スギもヒノキも、基本的にシロアリには強いし、防腐方法もある。台風対策は考えないといけないが、技術的には可能だ。コンクリートに頼るだけが対策ではない。
海外と並んで国内の木材消費の少ないところに売り込むことも販売戦略として考えられないか。米材住宅もあるだろうが、ここでは木造が普及していないことを逆手に取る。外材に抑えられている本土より、むしろ有利かもしれない。何より国内であるから為替の心配や貿易の手間はかからないし、言葉も通じる(^o^)。

 

沖縄の人々も、絶対木造の家の方が好きだと思う。だいたい首里城の正殿は木造である。高層ビルのない沖縄には、木造建築は似合うと思う。(写真は、王陵の建物。ヒノキ材が使われていた。)

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ヤンバルクイナとキティちゃん

2006-07-30 23:44:01 | ドーデモ体験談

沖縄北部、国頭村のキティちゃん。

限定ものです。ヤンバルクイナと一緒に描かれています……が、両者には間が。
実は、沖縄の山に棲む天然記念物ヤンバルクイナにとって、増え続ける野良猫は天敵となっています。キティちゃんも猫であるかぎり、クイナとは距離を微妙に置かないといけないと言う意味をこめたキーホルダーでした。

 

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無人島

2006-07-29 23:58:07 | ドーデモ体験談
沖縄の無人島です。
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沖縄の食堂

2006-07-28 17:26:33 | ドーデモ体験談
沖縄の食堂では割り箸とバラ箸が一緒に入っていました。私はバラ箸を選びました。
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「田舎暮らしの失敗談」

2006-07-27 11:42:57 | 田舎・田舎暮らし

ただいま某誌用に「田舎暮らしの失敗談」を書いている。
『田舎で暮らす!』を読んでの原稿依頼だ。

 

その雑誌は、田舎暮らしを今後積極的に取り上げたいというのだが、そこで「失敗談」を書いてくれというところをどのように捉えたらよいのか迷う。

『田舎で暮らす!』の書評でも、失敗談がたくさん載っている点に触れているものが多かった。たしかにたくさん触れたのは事実。その点では異色の本だったのかもしれない。そして失敗例を知ることで、田舎暮らしをめざす人に警告なり、注意喚起になり、反面教師にしてくれればよいと思っている。

 

しかし、編集的に考えると、「失敗談は面白い」のでは、と思う。田舎暮らしに憧れを持つ人が増える中、田舎のどこがいいんだ、そんなにうまく行くわけねえや、と僻んだ?思いを持つ都会人も少なくないと感じる。あるいは「田舎をなめるなよ!」と思っている田舎人、元田舎人もいるのだろう。

実際、田舎の田舎である所以の地域性を嫌う人は多い。全国一律の社会を望んでおり、(都会から見れば)理不尽な田舎の慣習や人間関係などを撲滅したいと秘かに願っている人もいるのだ。

 

今回の記事がどうのというのではないが、案外、田舎や田舎暮らしに対する敵意は根強いように感じるのだが、いかがだろう。

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災害見学に行こう!

2006-07-26 11:10:07 | 森林モノローグ

ようやく梅雨も明けそうだが、今年は「記録的」という豪雨が各地で続き、山崩れや水害も多く起きた。人命に加えて、財産を失った人も多いだろう。

 

そこで考えたのだが、「災害見学ツアー」というのはどうだろうか。

 

不謹慎な! と怒鳴る人もいるかもしれないが、本当にそうだろうか。災害をテレビで見てわかったような気になって、何の意味があるか。せいぜい募金するだけではないか。
それより現場を目の当たりに見ることによって、災害のなんたるかを知ることができる。そして災害にあった人の話を聞く。これはヴァーチャルな映像なんぞと違う価値があるはずだ。
それに山が崩れた跡とか二階まで水につかった家なんて、見学する価値があるぞ。風景として迫力があるし、なぜ崩れたのか、なぞと考えてちょっぴり学問的な興味も出る。自分の防災意識を高めることにもつながるだろう。

 

これは阪神大震災の際の経験だが、震災にあって苦労した人は、その体験を他人に語りたいもののようである。もちろん、なかには心の傷にしてしまっている人もいるだろうが、むしろ話すことで救われる人だって少なくないのだ。

 

そして、もう一つ。水害地域を訪れることで、その地に幾ばくかの金を落とす。飲食したり、宿泊したりタクシー乗ったり、何か金を使うべきだ。とくに観光地なら確実だ。
実際、災害そのものよりも風評被害で苦しむところは多い。たとえばスマトラ沖津波で壊滅したタイ・プーケット島は、今では復興して世界中から観光客が来ているのに、いまだ日本人だけが以前の5、6割程度しか来ないそうだ。それが地元に経済被害をもたらしている。国内も、水害とか地震があると、被害がなくても観光客が引いてなかなか回復しないらしい。

 

日本人は、災害のあったところに物見遊山するのは失礼だとか、縁起が悪い、という感性があるようだが、それこそ風評被害の元。興味本位でよいから、どんどん出かけるべし。そして現場を見たら、何かを感じるはずだ。

 

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チェンソーアート講習の反省会

2006-07-25 11:32:38 | 時事ネタ

昨夜は、チェンソーアート講習会の反省会。
韓国料理を堪能し、温泉つかって帰宅は午前様(^^;)でした。

 

ま、ちゃんとした反省は改めてするとしてオイオイ、大雑把な話としては、「売上は上がったが、コストをかけすぎて純益が少ない」状態。次回からは、低コストに運営しないといけない。また講習料に間違って原木代を含めてしまったのも失敗。本来別料金でした。燃料もサービスしたからなあ。

 

ともあれ、先行きは明るい。練習会の開催や中級コースの講習会を設定する案、作品販売の拠点を確保する計画も出た。一方で、チェンソーそのものの扱い講習も必要かもしれない。さらに講習内容のCD-ROM製作と販売にも乗り出そう、と盛り上がる。

 

私自身はチェンソーアート事業は優秀なメンバーにお任せして、次の事業を進めたいところだ。ちょうどICタグに関して昨日打診があって、近く打ち合わせを行える状態。もし話が進んだら、日本林業のネックである木材流通に一石を投じられると期待している。
さらに森林プラン事業も、そろそろ布石を打ち始めたいところだし、スギ染め割り箸事業もやりたいな。そうそう、CD-ROM事業には、吉野林業の伐採技術の記録を作る構想も浮上した。いまや吉野にも、精緻な伐採ができる技術は途絶えようとしている。これをしっかり記録するのは意義があるはずだ。

 

と、まあ酒の勢いを借りて構想は膨らむが、温泉つかっても記憶はとんでいないのです。ちゃんと実現に動くからね。

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森づくりコミッション

2006-07-23 21:51:31 | 政策・行政関係

林野庁の検討会で、「森づくりコミッション」を作る提案をしている。最近流行りの「フィルムコミッション」の森づくり版を意識しているらしい。

森林ボランティアや地域住民が、企業と森林所有者の間に入って企業に活動場所を与えるという発想のようだ。

 

別に反対はしないが、ようするに企業の社会貢献のお手伝い。企業イメージをアップさせるお手伝い。もっと言えば、社員の福利厚生メニューに森づくりを加えさせよう、というだけのように感じる。まあ、アダプト制度とか言って、流行っているんだけどね。企業の森も増えてきた。でも…

 

なんだか、しょぼい(笑)。そんなの、国がお膳立てしなくてもいいやん。

 

どうせなら、企業が森林ビジネスに参入するお手伝いをしてくれないか。
多くの企業が、森林とか田舎には、ベンチャービジネスのネタが落ちているんじゃないかと探っている。しかし、あまりに林業の世界を知らないことや、地域ごとに条件が違ったり慣習が強かったり、人脈がない、業界規模が小さいので投資しづらい…などが障壁になっている。

それらをアシストする「森林ビジネスコミッション」を立ち上げたらどうだ。
あるいは「田舎起業コミッション」。
それらに要する人材と資金を提供するだけで、動きだす企業や人は少なくないと思う。

 

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チェンソーアート講習会

2006-07-22 23:56:06 | 時事ネタ

今日は、吉野チェンソーアート倶楽部の第1回講習会。
吉野の山の中に参加者、見学者が終結した。今日までの豪雨とはうって変わっての晴天。暑いほどだ。

会場にはテントのほか、コンテナまで運び込まれ、チェンソー機材やグッズのレンタルと販売、作品展示が行われ、お茶まで用意されている。開会式には地元の農林事務所所長が挨拶するほか、吉野の有力者も多数見学に来た。そして奈良テレビとNHKも取材に来ていた。
なかなか派手であるが、地域振興を掲げているだけに地元の協力はありがたい。

 

講習の参加者は、定員を越える応募があったが、先着順の10人。東京や岐阜など県外からもいる。3人の講師とともにフクロウを作った。

 

ついにこの日を迎えた、と言える。もともと吉野にチェンソーアート事業を、と提案したのは私だが、あれよあれよと実現してしまった。

私は、森林や林業、山村をテーマに取材しているが、各地の動きを追いかけていると、それなりにアイデアが浮かぶ。この手法を広げれば、山村地域の活性化につながるのではないか、という思いを持ち出す。だから、それらを雑誌や書籍に発表したり、講演で提案する。
が、どこにも新たな動きは起こらない。提案は実施されない。むなしい気持ちになってしまう。

 

それなら、自ら何か実行できないか、書くだけ、口先だけではなく、実際に地域を動かせないかという思いを持ち出した。
そこで有志で「吉野まるごとプロジェクト」を立ち上げ、その第1弾としてチェンソーアート事業を提案したのである。これを拠点に新しい風を吹かせる…。

 

だから感慨ひとしお…と言いたいところだが、今日の私はというと、本部席に座り込み、暑い暑いとばてていただけであった(^o^)。
だって、私がやることは何もないんだもの。準備は吉野のメンバーがやってくれたし、運営は口出しすることがないほど見事だし、講師は素人でもうまくフクロウに仕上げさせる。

せいぜい私のやったことは、プレスリリースを書いて、各紙に送り、取材に対応するだけ。

 

やっばり、私は書くだけ、口先だけ、なのであった

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源流と豪雨

2006-07-20 23:30:28 | 森林モノローグ

またもや吉野に出かけていた。土倉翁の墓参り?と割り箸とチェンソーアートと吉野3部作?になりそうな内容だったが、問題は天候。

 

ここ3日雨が続いている。それもかなりの豪雨。さぞかし吉野川の源流部は荒れているだろう…と思ったのたが、なんの、川はほとんど増水していなかった。むしろたおやかな流れ。

ははあ、これこそ源流の強みか、と思った。森林はしっかり洪水調節機能を果たしているようである。荒れるのは、支流が集まる中下流であった。源流が増水し始めたら、本当に後がない大水害になる。

 

昔は、「一雨で何千万円」と言ったそうだ。雨が降れば木が育ち太り、山主は儲かったのである。

 

ところで、雨の中、また湧き水を汲んだ。いつもより湧く量が多い。これって、表層水が混ざっている証拠?

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低コストな再造林施業

2006-07-19 10:48:48 | 政策・行政関係

しつこいようだが、再造林問題について、再び。いや、三たび。

 

全国の人工林が、新流通システムだか新生産システムだかで、伐採を促進されている。かつての大造林時代に植えた木が伐期を迎えているうえ、植えた人々の高齢化が進んだことも一因だろう。自分の代のうちに、自分が植えた木を収穫したい、という思いがあるからだ。
もちろん金のこともあるだろうが、子孫に山林のことで苦労をかけないため、処分する気持ちもあるようだ。当然、再造林はしない。林業は打ち止めだ。造林する金がないこともあるが、植えたら次の世代がまた苦労する、と思うからだ。

 

しかし、このままでは将来の林業が存続しない。持続的な森林経営でなければ、二酸化炭素削減にさえカウントされない。伐採跡地を放置して災害を引き起こす心配だってある。

そうした森林所有者に対応する政策を大急ぎで打ち出す必要があるのではないか。

最低限、自然林に誘導できる跡地対策、できれば天然更新で有用樹種の森を成立させられる施術、そして可能な限り、負担の少ない再造林方法。

これらを提示できないか。
今から実験だ研究だなんて言っている暇はない。幸い、各種の緑化技術は試されているし、天然更新等の研究も、そこそこある。また低コスト施業法も紹介すべきだ。過去の論文を精査するだけでも、一定の施業法は提示できるはずだ。

 

幸い、木材産業の時代の要請は、こうした現状に有利になってきている。丁寧な造林・育林をしなくても、木材なら利用できるからだ。あるいは自然林でも高価値化できるかもしれない。

 

伐採跡地の条件と、地主の意向に合わせた再造林施業法を選べるような一種のフローチャートのようなものを発表しないと、今まさに伐採して林業を打ち止めにしようとしている山を救うことはできない。将来に禍根を残す。

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木の杖

2006-07-18 18:02:51 | 木製品・建築

友人に、京都愛宕山を追いかけているカメラマンがいる。
愛宕山は、火の神様を祀り、全国に名を馳せている信仰の山。明智光秀が本能寺の変の前にも参ったところだ。

 

この夏、愛宕山に関するイベントが行われ、登山が行われる。そこで主催者は木の杖を売ることを考えた。信仰の登山につきものの、太い八角形の杖である。豪華な錫杖までいかなくても、白装束に杖をつけば、行者気分になれる。これは売れるはずである。たしか600本を用意するとか。

 

ところが、春から頼んでいた業者が、この期に及んで、「作れない」と投げ出したそうだ。半分くらいしか納められないとか。材料が足りないのか、製作の手が足りないのか、はたまた責任感の欠如か。

 

私のところにも相談に来られたのだが、寸法や材質、形状を知らないと作れるところを探すこともできない。
そうこう言っているうちに、奈良の吉野、つまり大峰山(修験道のメッカ)の行者向けに杖を作っている業者が引き受けてくれて、なんとか間に合ったそうだ。

 

それにしても、注文を受けても数を揃えられないとは、なんだか国産材の世界みたいではないか(笑)。この杖も、ヒノキ製だそうだが、間伐材の使い道にもってこいだと思う。そういうチャンスを逃すと、次から米材を使った中国製の杖が出回るぞ。

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割り箸最高値

2006-07-17 23:14:48 | 木製品・建築

一膳2000円の割り箸があった! と聞いて探している。

各地で聞くと、バブルの頃はあったかも、という声。もっとも、この値段は、京都の料亭クラスの料理に出る割り箸らしい。末端価格だから、製造卸しではそんなにするわけではない。それでも、どんなものか知りたいではないか。

と、先日訪れた割り箸問屋で見ると、なんと二膳で3000円というセットがあった。一膳1500円である。かなり近い線まで行った。
それは赤柾のらんちゅうだそうである。辺材ではなく赤い芯材で作っているから、香りがよいものだ。ただし、その箸は手漉き和紙の袋に包まれている。それに金線の水引つき。(写真)

 

どうも、値段の大半は包装紙のよう(^^;)(^^;)。
割り箸本体の値段はどれくらいだろうか。原価で30円くらい?

 

売り方次第で割り箸の付加価値は変わる。
これって、木材全体について言えるのではないか。曲がった幹をうまく利用した住宅は高いからね。

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チェンソーアートかチェーンソーアートか

2006-07-16 10:18:21 | 時事ネタ

先日の吉野チェンソーアート倶楽部の記事が、昨日の朝日新聞奈良版に掲載された。その内容は、以下まで。

http://dekisugikeikaku.way-nifty.com/up/2006/07/post_bc32.html

 

補足しておくと、タイトルや記事本文では「チェーンソーアート」になっているが、倶楽部名は「チェンソーアート」。固有名詞である。

実はチェンソーアートを普及していく際に気にしたのは表記の問題だ。一般的な日本語の表記は「チェーンソー」なのである。だからチェーンソーアートでも間違いではないが、農機具関係の媒体では、「チェンソー」に統一しているうえ、英語の発音も、chainは「チェン」に近い。そこでチェンソーアートに統一していこうと考えている。

ただ、マスコミ、とくに新聞は表記法が決められているので、なかなか変更させにくい。だから、倶楽部名の表記は、念を押しておいた。

 

実は、記事にある体験チェンソーアートを実施するのは、大変だった。とにかく申し込まれて数日以内に講師の段取りのほか、場所、素材、機材……などのレンタルまで含めて準備しなくてはならない。当然日当・経費もかかるのだが、新聞社は払うという意識がない……(^^;)。

しかし、クラブ員はみんな凄いですね。みんな都合つけて集まってくれ、それぞれ負担して丸く納めてくれた。新聞社からも多少の経費取ったけど(⌒ー⌒)。 お金を動かすことが、チェンソーアートを地域づくりに活かす根底ですから。

 

あとは、記事読んで講習会の参加者が十分集まることだけだ!

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マイ割り箸!

2006-07-15 17:15:42 | 木製品・建築

割り箸の取材をして、天削の10本セットをもらった。

 

午後は別のところの取材だ、と思って昼飯を食べに、近くのレストランに入った。

当然のごとく、割り箸がついて出てくる。竹製だ。もちろん中国製だろう。
ここで中国製の割り箸を使うわけにはいかないではないか。
さっそく、もらったばかりの割り箸を取り出す。封を切るのはちょっともったいないような気がしたが、1膳抜き取り、それで食す。マイ割り箸だ!
あまりに料理とバランスが合っていないけど(^^;)。

それでもちょっと豊かというか、贅沢した気分。国産の箸を使った証拠に、それを皿に残し、竹箸も残しておいた。杉の天削箸は、一回使用だけで捨てるのは惜しいが、ここはアピールのつもりである。

 

取材した人が言っていた。

「私らが組合で旅行に出たら、宴会についてくる箸を見て、国産割り箸か塗り箸なら黙っているけど、輸入箸だったら、持参した自分の作った割り箸とみんな交換してくる。でも、町長や議員は、地場産業振興とか言っているけど、そんなことしているかい。口先だけじゃないか」

 

本気でマイ割り箸運動をしようかな。

 

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