年末に訪れた兵庫県丹波市の柏原。
少しだけ時間が空いたので、町を観光した。ここは、かつての城下町で古い町並みも少しだけ残っている。
そこで見かけたのが、この織田神社である。その名の通り、織田家を祀ってあるのだ。そう、織田信長で知られる織田家だ。
実は信長が討たれた後も、その一族は秀吉や家康の下で細々と命脈を保っている。この柏原には、信長の弟・信包(のぶかね)が柏原藩を開いていた。ところが3代にして男子がいず途絶える(甥が近隣に3000石の小さな領地を残す)のだが、一度は消えた柏原・織田家を約50年後に再興したのは、信長の息子・信雄の血筋である信休。
この信休は、実は大和の国(奈良県)の宇陀藩の藩主だった。現在の宇陀市大宇陀区である。ところが前の藩主が部下を切って自殺なんぞとんでもないことをしでかしてお取り潰しになった。ただ織田家を残すためか、信休を柏原に転封されたのだ。そして丹波織田家は、明治維新まで続いたのである。
以上、資料館で仕入れた知識(^o^)。
ともあれ、丹波と奈良を結ぶ糸を発見したのである。
ついでに柏原陣屋も覗いてきた。城はなく、ここが藩の執務所だったのだろう。