tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

「京都は卒業したので奈良に来ました」という方が増えています。奈良県には古代も中世も近世も。ぜひじっくりと巡ってください!

南都銀行と平群町/包括連携協定を締結!

2016年08月30日 | お知らせ
昨日(8/29)、南都銀行は平群町と「地方創生にかかる包括連携協力に関する協定」を締結した。これで同行は奈良県を含む県下8つの自治体と締結したことになる。早速、今朝の奈良新聞に記事が掲載された。見出しは《「農業振興に力」平群町と南銀 地方創生で協定》。
※写真は、役場で開かれた締結式で撮影(8/29)





平群町は29日、南都銀行(奈良市、橋本隆史頭取)と「地方創生にかかる包括連携協力に関する協定」を締結した。協定期間は平成
32年3月末まで。連携事業として、地域産業の振興と安定した雇用の創出や創業支援、地域経済の活性化、移住・定住促進事業などに取り組む。平群町吉新の同町役場で行われた締結式には、岩崎万勉(いわさき・まんべん)町長と南都銀行の河井重順(かわい・しげより)常務取締役らが出席。





岩崎町長は「農業振興に力を入れる。また結婚から出産、子育てまで総合的に支援していく」とあいさつ。河井常務は「平群ブランドのの販路開拓などの農業活性化支援、住みたい、育てたい町づくりの支援に力を入れたい」と話し、協定書を交わした。式には同町ゆかりの「島左近」をモチーフとしたキャラクター「左近くん」も応援に駆けつけた。




本件に関する南都銀行のニュースリリースは、こちら(PDF)である。河井常務は具体的な施策として「農業活性化」と「住みたい・育てたい まちづくり」への支援を挙げた。また岩崎町長は「住みたい・育てたい まちづくり」に関し、同町が取り組んでいる施策を詳しく紹介された。列挙すると、


当日は、奈良テレビにも取材していただいた

・「子ども医療費助成制度」として、18歳の高校卒業までの医療費無料
・若い世代の定住促進を促進するため、家屋の固定資産税を3年間キャッシュバック
・妊婦健診に対し、14回まで助成
・「子育て支援センター」を設け、父母の子育てをサポート
・幼保連携型認定こども園(2ヵ所)の設置(待機児童なし)
・町内3つの小学校に「学童保育所」を設け、19時30分まで開所 など



この写真は、NHK「真田丸」のホームページから拝借

平群町出身の戦国武将・島左近は、「治部少(石田三成)に過ぎたるものが2つあり。島の左近と佐和山の城」といわれるほどの逸材で、NHKの大河ドラマ「真田丸」にも「動乱」(8/21)と「挙兵」(8/28)に登場していた。



地方創生の流れのなか、平群町には農業振興や「住みたい・育てたい まちづくり」に取り組むとともに、島左近などをテコとした観光振興にも頑張っていただきたいものだ。

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山林王 土倉庄三郎を語る!/奈良市・若草公民館で、9月9日(金)午前10時から!

2016年08月29日 | 奈良にこだわる
いよいよ近づいてきました!NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」が主催する「奈良をもっと楽しむ講座」(奈良市・若草公民館)。毎月第2金曜日の開催で、9月は私の担当です。演題は「山林王 土倉庄三郎」。今年は土倉翁の百回忌が営まれました。すでに翁の出身地である川上村と東京(奈良まほろば館)でお話ししましたが、奈良はこれが初めてです。同会のチラシ(PDF)によりますと、

奈良をもっと楽しむ講座
私達の住む奈良は深い歴史と伝統文化の宝庫。奈良が好きなら誰でも参加できます。講座と史跡巡りで、私達と一緒に奈良をもっと楽しみませんか。

ご 案 内
開催日時 毎月第2金曜日 午前 10 時00分~11 時 55 分頃

講座予定
9月9日(金)山林王 土倉庄三郎 (鉄田憲男)
今年は土倉翁の百回忌。森と近代日本を動かした翁の生涯は…。

参加費 200 円(資料代として)
場 所 若草公民館(奈良市川上町 575)

駐車台数が限られています。バスか徒歩でお越し下さい。

NPO 法人 奈良まほろばソムリエの会 講座グループリーダー 西 川 誠
(お申し込み先:前田康一 090-3657-5445)




百回忌法要とシンポジウムは6月19日(日)に川上村で営まれました。これから来年(2017年)7月19日のご命日まで、土倉翁の没後100年を記念した催しが行われる予定です。なかなか知る機会のない奈良県が生んだ偉人・土倉庄三郎の生涯を分かりやすくお話いたします。なお次回の10月14日(金)は、藤本政彦さんによる「春日大社について」です。たくさんのお申し込みをお待ちしています!

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Fun Fun Carnival in Nara 2016/いよいよ本日限り!

2016年08月28日 | お知らせ
昨日(8/27)、猿沢イン(奈良市・猿沢池畔)の前を通りかかると「Fun Fun Carnival」が始まっていてた。2014年に始まったイベントで、3年目となる今年は、「バサラ祭り」とも日が重なっている。昨日と今日、2日間限定の催しである。奈良県観光局のHPによると、



『Fun Fun Carnival in Nara 2016』
~外国人観光客向けおもてなしイベントの開催~

外国人観光客に夏の奈良での滞在を一層楽しんでもらい、奈良と奈良県猿沢インのPRにつなげるため、下記のとおり、外国人観光客を対象にした「おもてなしイベント」を開催します。今後も、奈良公園周辺の様々なイベントと連動し、奈良県猿沢イン前のウッドデッキで賑わいの創出を図っていきます。



【Fun Fun Carnival in Nara 2016】
○日時:8月27日(土曜日)・28日(日曜日) 各日11時~21時
○場所:奈良県猿沢イン(奈良県外国人観光客交流館)及び猿沢イン前ウッドデッキ
○内容
《奈良県猿沢イン「館内」11時~21時》  
 お茶会
 書道体験
 浴衣着付け・写真撮影、
 盆踊ワークショップ等



《奈良県猿沢イン前「ウッドデッキ」16時~21時》
 琴コンサート
 相撲体験
 紙漉き体験
 縁日(金魚すくい、射的等)
 屋台(曽爾高原ビール、奈良地酒スタンド、ひむろしらゆき祭「かき氷」等)






夜には曽爾村の「香落(こおち)音頭」による盆踊りも行われたというから、これは楽しそうだ。「外国人観光客向けおもてなしイベント」とあるが、ウッドデッキでの催し(コンサートや屋台)には日本人も参加できる。

「猿沢イン」の館内では、真剣な面持ちの外国人客が、書道体験をしていた。中国から伝わり、日本で独自の発展を遂げた「calligraphy」(書道)は外国人にも興味津々なのだ。

2015年にプレオープンした猿沢インも、日を追うごとに外国人観光客に認知されるようになってきた。今は宿泊部門を建設中で、完成が待たれる。

「Fun Fun Carnival」は、今日でおしまい。奈良公園周辺などで開催される「バサラ祭り」とあわせてお訪ねください!

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「天誅組」の入門講座/川上村・ホテル杉の湯で9月14日(水)開催!(2016 Topic)

2016年08月27日 | お知らせ
ほぼ隔月で、私が川上村・ホテル杉の湯で行っているシリーズ講演会、第9回のタイトルは「天誅組のキホン~吉野で散った明治維新の先駆け~」だ。9月14日(水)午後3時半から約80分の予定で開催する。村民などを対象とした参加費無料・申し込み不要の入門講座である。チラシによると、

シリーズ講演会のご案内(第9回)
「天誅組のキホン~吉野で散った明治維新の先駆け~」

日程 平成28年9月14日(水)
時間 15:30~16:50
会場 ホテル杉の湯 金鱗の間(2階)

今年で5周年を迎えたNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」から鉄田専務理事をお迎えし、シリーズ講演会の第9回を開催します。前回(南朝と後南朝)は、50人を超える方にご参加いただきました。

今回のタイトルは「天誅組のキホン」。天誅組の変とは、幕末の文久3年(1863年)8月17日、吉村虎太郎(寅太郎)をはじめとする尊皇攘夷派浪士の一団が公卿・中山忠光を主将として五條で決起、のちに幕府軍の討伐を受けて壊滅した事変です。明治維新は、この5年後に達成されました

当村の武木(たきぎ)で、天誅組の志士たちは最後の会食をしています。住民は後南朝の遺民(尊皇方)として、志士たちを温かくもてなしました。当村ゆかりの天誅組のすべてがスッキリ分かる講座、多くのご参加をお待ちしています!


毎回わざわざ遠方から聞きに来て下さる方がたくさんいらっしゃるが、このシリーズ講座はすべて入門講座なので、高度な話は期待しないでいただきたい。村民に、郷土の歴史をきちんと知っていただこう、という趣旨で始めたものである。今回も、「天誅組は何を思って蜂起したのか」「テロリストとはどこが違うのか」「その後の明治維新にどんな影響を与えたのか」ということをお話しするつもりである。

知っているつもりで案外知らない「天誅組の変」が、80分足らずでスッキリ分かる講座です。参加費は無料、申し込みも不要。ぜひお気軽にご参加ください!

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真田丸(33)動乱

2016年08月26日 | 感想
前回(8/21)のNHK大河ドラマ「真田丸」は、「第33回 動乱」だった。NHKのHP「あらすじ」によると、

秀吉の遺言をことごとく無視し、自らの影響力を強めていく家康。三成は家康を討つため伏見城下の徳川屋敷を急襲することを決意するが、暗殺計画は本多正信に漏れてしまう。正信は諸大名に危機を訴え屋敷の守備に駆けつけるよう呼びかけ、徳川につくかどうかを試す。一気に形勢不利となった三成を救うため、信繁は、昌幸のもとを訪ね、思いもよらぬ提案を行う。

今回はお待ちかね、平群町出身の武将・島左近が槍を振り回しながら登場。島氏は平群町(奈良県生駒郡)周辺の在地領主で、椿井城・西宮城を本拠にしていたといわれる。左近は俗に「治部少(石田三成)に過ぎたるものが2つあり。島の左近と佐和山の城」といわれるほどの逸材だった。

NHKのHPにも《玉置孝匡さん演じる島左近が登場。三成には過ぎたるものと謡われた知勇兼備の重臣が、主君を支え、家康に挑む》とある。同町の平群史蹟を守る会は『「平群谷の驍将 嶋左近【改訂版】」』1,000円を刊行していて、これは島左近を知るのにうってつけの一書である。



さて、「動乱」である。秀吉による天下統一で平和な時代が来たはずが、またまた「動乱」の世に戻る、という話である。秀吉の死後、家康は勝手な振る舞いを始め三成は我慢がならない。三成は秀吉の死の間際「家康を殺せ」と命じられていた。三成は「家康を生かしてはおけぬ」と、徳川屋敷を襲撃し、家康を討つことを決意し作戦を練る。しかし、この企ては徳川側に漏れてしまった。

しかも三成が家康暗殺で動いても、豊臣家の重臣たちは家康側につく。とりわけ三成の親友で、ともいうべき大谷吉継(真田信繁の正室の父)さえも徳川方について、家康の守りにまわる。大谷は重病(ハンセン病とも)を押して徳川屋敷に乗り込んだのである。結局、三成は徳川屋敷襲撃をあきらめる。これが「関ヶ原の戦い」の前哨戦ともいうべき「徳川屋敷襲撃」の一部始終である。



三成の人望のなさが見て取れるような筋書きだが、実際の三成は優秀な人であったのだろう。関ヶ原後の徳川プロパガンダにより、悪者にされているように思えてならない。藤丸タダアキさんも「豊臣政権の安定のために統制する側の人間として役割を全うしたのではないでしょうか。そんな三成が報われないのはその時代の事情ですね。今の時代に三成が生まれていれば、官僚から政治家となり、そして総理大臣でもできたかもしれないなと思います」と締めくくっている。

この回で信繁は、三成から「家康に対抗するため上杉を味方につけよ」との命を受け上杉景勝のもとを訪れる。しかし徳川を敵に回しては上杉が危うい。結局、上杉景勝は信繁の頼みには応じなかった。ところが次回「(34)挙兵」(8/28)では、家康は景勝を討つために挙兵、いよいよ関ヶ原の戦いが始まる、という皮肉なことになる。

さて最後は、いつものように藤丸タダアキさんに締めていただく。ブログ「地域活性局」から。



今回の大河ドラマでは徳川家康と本多正信の掛け合いがポイントです。実際は家康は話し相手程度に正信を使っていたでしょう。正信は真田信繁最後の大坂の陣でまた暗躍します。

真田丸33話動乱では、島左近、板部岡紅雪斎が登場しました。大坂の陣で活躍した武将が信繁であれば、関ケ原で活躍したのは島左近ですね。島左近は三成の股肱の臣で猛将です。三成と豊臣家官僚の戦争のキャリアを支えました。板部岡紅雪斎は北条家滅亡後、秀吉のお伽衆となっていました。そして家康の方に内応していました。

三成は利家を説得して豊臣家全体として家康を討とうとしました。しかし、家康方の方がすでに人数が多くなっていました。諸将の集まる居間の掛け軸は「八幡大菩薩」でした。徳川家は源氏を標榜しています。その源氏の戦いの神様は「八幡さま」ですね。



福島正則が三成を説得に来ました。三谷幸喜さんの演出では豊臣の子飼いは一応は仲の良い演出ですね。しかし、このころ既に子飼いのほとんどが家康についていました。細川忠興は三成の説得を跳ね除けます。細川はこの時迷ったでしょう。細川は実は前田家との紐帯を厚くしていました。細川忠興の長男忠隆の妻は前田利家の娘です。また、加藤清正にも罵倒されたことがあったようですね。

しかし、細川家は計算高さで時代を乗り切った家です。前田利家の死後、細川家は家康に従いました。大谷吉継は三成とも親しかったのですが、実は家康とも親しい関係でした。三成方で終始最後まで強力な味方は宇喜多秀家だけでした。

小早川金吾秀秋も出てきます。しかし、この金吾秀秋は三成に恨みがあります。三成は秀吉の命令で秀秋の所領の没収を主導します。なので、最後(関ケ原)まで曖昧なままでした。



真田丸33話動乱。動乱とは動き乱れることです。真田信繁のキャリアのハイは最後の大坂の陣です。33話にして動乱です。この後、どのようにまとめていくのでしょうか。

三成は結局、襲撃を諦めます。秀吉の死から少しずつ政権がぶれ始めました。三成は必死に動き回ります。しかし、三成は19万石、家康は250万石です。一度、戦国の世が太閤秀吉のもとに平和になりました。それが戦乱に戻ろうとしています。

諸将は強力なリーダーのもとで生き残りたいんですね。そして、三成は秀吉の意向に沿った政権運営の犠牲を引き受けていました。荒くれの大名たちを統制するための嫌われ役。それが三成だったのですね。

私は三成は日常における性格的な問題はなかったのではないかと思っています。むしろ、豊臣政権の安定のために統制する側の人間として役割を全うしたのではないでしょうか。そんな三成が報われないのはその時代の事情ですね。今の時代に三成が生まれていれば、官僚から政治家となり、そして総理大臣でもできたかもしれないなと思います。真田丸33話動乱の感想を書きました。
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