tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

「京都は卒業したので奈良に来ました」という方が増えています。奈良県には古代も中世も近世も。ぜひじっくりと巡ってください!

ヤマト王権誕生の地 纒向/8月7日(日)、橋本輝彦氏が語る!(2016 Topic)

2016年07月29日 | お知らせ
邪馬台国畿内説の最有力候補地であり、ヤマト王権誕生の地・纒向(まきむく)。平群町中央公民館で、橋本輝彦さん(桜井市纏向学研究センター主任研究員)が熱く語る! 参加は無料で申込は不要というから、これは有り難い。主催者である平群史蹟を守る会のHPによると、
※画像は同講演会のチラシ。データは平群町教育委員会のKさんからお送りいただいた

第37回 夏季公開講演会
日 時:平成28年8月7日(第1日曜日)午後1:00開場/午後1:30開演
場 所:平群中央公民館 大ホール(1階)※近鉄生駒線平群駅下車、西へ徒歩8分
演 題:「ヤマト王権誕生の地 纏向(まきむく)」
講 師:桜井市纏向学研究センター 主任研究員 橋本輝彦 先生

ヤマト王権成立の地として、あるいは邪馬台国の東の候補地として注目される、纏向遺跡の調査や研究の成果を紹介いただくとともに、 纏向を取り巻く当時の盆地内勢力の姿についてお話しいただきます。*尚、当日台風などで警報が発令された場合は電話で問い合わせください。

申 込:不要、入場無料
主 催:平群史蹟を守る会(事務局:平群町教育委員会内 0745-45-2101)
共 催:平群町教育委員会


橋本輝彦さんは、まさに新進気鋭の研究者である。私は今、ガイドに備えて纒向遺跡を勉強しているので、これには参加するつもりである(チラシには「講演 午後1:30~4:00頃」とあるが、講演だけでそんなに長くはならないだろう)。皆さんも、ぜひご参加ください!




コメント
この記事をはてなブックマークに追加

真田丸(29)異変

2016年07月28日 | 感想
NHK大河ドラマ「真田丸」の第29回(7/24)は「異変」だった。秀吉に忍び寄る「老い」による異変が不気味だ。そこへ追い打ちをかけるように大地震(慶長伏見地震)が起きる…。NHKのHPからあらすじを拾うと、

信繁は、秀吉じきじきの肝いりで、大谷吉継の娘・春を正室に迎える。信幸は、秀吉が新たに築城しようとする伏見城の普請を受け持つことになるが、うまくいかない。一方、きりは細川ガラシャと出会いキリスト教に興味を抱くようになる。権力の絶頂にある秀吉は嫡男・秀頼の行く末を心配するが、老いが秀吉を激しくむしばみ始める。


秀吉がボケ始める。寝小便をするし、同じことを何度も言う、つまずきやすくなる、ヒゲがなくなる(付けヒゲでごまかす)。信繁に「死にとうない」とすがる。そのあと起きたのが「慶長伏見地震」。この地震で伏見城の天守が大破、城内でも多くの人々が圧死した。少し長くなるが、HP「ちずらぼのちずらぶ」から抜粋すると、

慶長伏見地震は伏見付近にある有馬-高槻断層帯と六甲・淡路島断層帯が震源となった直下型地震で、マグニチュード(M)は7.5程度と推定されている。京都や堺での被害が大きかったことが伝えられているものの、揺れは(被害も)関西の広範囲におよんでいる。そう考えると慶長「伏見」地震という命名は不思議でもある。歴史地震は元号名で命名されるケースがほとんどだが、中世以降は地震名に地名が入ることも珍しくなくなった。しかし大概は「江戸」「鎌倉」といった都のあった都市名か「出羽」「遠江」などの国名がつけられる。これに対して慶長「伏見」地震というのはかなりピンポイントな命名といっていい。


おりしも天下を司っていたのは豊臣秀吉であり、その秀吉の居城として建てれらた伏見城が完成直後にこの地震に襲われた。天守閣が大破し、城内だけでも多くの死者(300人とも600人以上ともいわれる)が出ており、そのほとんどが圧死であったとされる。時の政権が伏見にあったことがこの地震名に反映されており、またこの地震にまつわる記録や逸話も多くの場合伏見城や秀吉に絡むものであることから(謹慎中だった加藤清正がいの一番に伏見城に駆けつけて秀吉に謹慎を解かれた「地震加藤」は有名)、慶長伏見地震の記憶自体が秀吉とリンクしているのが興味深い。

秀吉は1586年の天正地震も経験しており、築城にあたっては、「なまつ大事」(鯰〈なまず〉、つまり地震のこと)との指示している。実際に戦国時代後半は非常に大きな地震が多い時期でもあった。この伏見地震の直前にも9月1日に慶長伊予地震、9月4日に慶長豊後地震が発生しており、秀吉ならずとも地震を意識せざるを得ない時代でもあったのかもしれない。

秀吉はこの後倒壊した指月伏見城から木幡山伏見城(現在の伏見城がある場所)へと伏見城を移転させる。木幡山は地震の直後に秀吉らが避難した場所だが、指月伏見城に比べると地盤は強固なのでやはり地震を意識してのことだと考えられる。また、地震後に秀吉が大坂で政務を執ったことを事実上の「首都機能分散」であったとする考え方もある。この説も各地で大地震が頻発していたことを考えればそれなりに説得力はあるように思う。



秀吉にとっては泣きっ面に蜂、不安はどんどん拡大する。このあたり、秀吉役の小日向文世の演技が見事である。そして橋本マナミの登場!「愛人にしたい女性ナンバー1」「ポスト壇蜜」といわれるこのグラビアアイドルは、細川ガラシャ(明智光秀の娘)役だった。前回の秀次(新納慎也)を含め、演技派の男優陣、美女揃いの女優陣がドラマをより楽しいものにしてくれる。次回(いつもより45分早くオンエア)は、いよいよ豪華絢爛「醍醐の花見」が登場する。どんな華やかな宴となるか、これは楽しみである。では、締めに藤丸タダアキさんのブログから、彼の感想を紹介する。

真田信繁と大谷吉継の娘・はるが結婚します。信幸の妻・稲とはる。印象の違う二人。秀吉の寝小便を石田三成と信繁は片桐且元のせいにします。三成も信繁も次男坊です。私も次男なんですが、こういうちょっとことをしたがります 笑

真田丸29話は異変という題になっています。信幸の苦悩する伏見城普請。父の昌幸は遊郭通いをします。相手は吉野太夫。真田丸29話の題は異変…。異変ですね 笑 信幸・信繁の母、薫がそれに感づいたようです。

そして稲もこうのもとに通う信幸に怒ります。信幸の滑稽な立場で生きていく雰囲気がいいですね。信幸と側室のこう・稲に子供(信吉・信政)ができます。細川忠興の妻、ガラシャ(玉)夫人が出てきました。大阪屋敷では礼拝していました。

秀吉は家康にまつりごと【政治】の主体になってほしいといいます。秀吉は当初、奉行衆による政治を考えていました。しかし、家康を見て秀吉は頼ろうと考えたのでしょう。秀吉が正気ではないところ。これが真田丸29話異変のメインでしょう。そして秀吉は家康にまた同じことを言いました。家康の顔つきがそろそろタヌキと化していくでしょう。


この時期、豊臣家の武将の多くは朝鮮出兵に出ています。秀吉は心細かったのでしょう。秀吉は朦朧とし始めています。「死にとうない」と連発します。小日向文世さんはこの最期の姿のために選ばれたのでしょうか。昌幸は自分が普請の指揮を執るといいます。ここでも真田丸29話の題「異変」が垣間見えます。

最後に、信幸と信繁の2人の会話がありました。2人の立場の違い。徳川関係の信幸と豊臣関係の信繁。原因不明の灰が降ったそうです。そして、伏見大地震が起こりました。ここが真田丸29話の異変の極めだなぁという感想を持ちました。

さて、29話異変の全体の感想です。秀吉政権は末期を迎えています。秀吉亡き後、現政権の存続が危ういと人が感づく時期ですね。現代人よりもこの時代の人は迷信を信じました。灰や地震が起こったことよりもそれを感じ取った世間というのが怖いです。人心は不安に陥ります。前回は受難でした。受難からの異変。それがところどころに出てきました。真田丸29話異変の感想を書きました。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

湖北観音の里巡拝バスツアー/先着40名限定で9月19日(月・祝)開催!(2016 Topic)

2016年07月27日 | お知らせ
当ブログご愛読者に耳寄りなお知らせです。9月19日(月・敬老の日)に、「湖北観音の里」巡拝バスツアーを実施いたします。現地では現地のベテランガイドさん、バス車中では奈良まほろばソムリエの会のメンバーが楽しくガイドします。

なかなか行けない滋賀県長浜市の観音の里を巡ります。参加費は8,000円(ソムリエ会員は7,000円)。先着40名様限定です。ぜひ、お早めにお申し込みください!概要は以下の通りで、同会のHPにも掲載(PDF)されています。

■ 実施要項
◎平成28年9月19日(月・敬老の日)
◎集合場所と時間
 近鉄奈良駅(春日ホテル前)午前8時00分
 JR奈良駅(西口・ホテル日航前)午前8時10分
◎解散時間(予定)
 JR奈良駅を午後6時20分頃、近鉄奈良駅で午後6時30分
◎ 参加費:昼食つき、拝観料・現地ガイド料込み
 会 員 7,000円
 非会員 8,000円
◎ 定員 40名(先着順)

■ 拝観先
◎石道(しゃくどう)寺(十一面観音立像 重文)
◎渡岸(どうがん)寺観音堂(十一面観音立像 国宝)
◎西野薬師観音堂(薬師如来立像・十一面観音立像 重文)
◎赤後(しゃくご)寺(千手観音立像・伝聖観音立像 重文)

■ お申し込み方法など
◎お申し込みはメールでお願いいたします。
メールアドレス kozaburo@cg8.so-net.ne.jp(担当:雑賀)

◎ 申し込みの際には、以下の項目をご記入ください。
①氏名 ②当日連絡できる携帯電話の番号 ③乗車場所(近鉄奈良駅前・JR奈良駅前) ④会員・非会員の別
◎ 定員(40名)になり次第、受付を終了いたします。

お早目のお申込み、よろしくお願いいたします!

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

『奈良の「隠れ名所」』実業之日本社刊/啓林堂書店(県内6店)ベストセラー第1位に!

2016年07月26日 | 奈良にこだわる

おかげさまで、奈良まほろばソムリエの会が書いた『意外な歴史の謎を発見! 奈良の「隠れ名所」』が、地元の大型書店「啓林堂書店」(県内6店)のベストセラー第1位にランクインしました!

実は昨日(7/25)、本書をまとめ買いしようと近鉄奈良駅前・小西さくら通りの同書店「奈良店」へ行きますと、売り場の3ヵ所(入ってスグ、新刊の棚、奈良本の棚)にあった本書が、すべて合わせても10冊足らずしかなく、あきらめて同書店の「学園前店」でやっと買えた、という経験をしました。

店員さんに聞くと「特に奈良店で、飛ぶように売れています」とのこと。今朝(7/26付)は奈良新聞のコラム「國原譜(くにはらふ)」でも紹介していただきました。全文を抜粋しますと、

法隆寺、東大寺など世界的に著名な文化歴史遺産に恵まれた奈良だが、一般にあまり知られていない名所、歴史的逸話も案外多い。『意外な歴史の謎を発見! 奈良の「隠れ名所」』(実業之日本社)が啓林堂書店(県内6店)のベストセラー1位となったのは、そんな穴場を知りたいという人が多い表れだろう。

「奈良通」の人たちの集まりである「奈良まほろばソムリエの会」のメンバーらが執筆。奈良に生まれ育った筆者でも目からウロコの内容だ。例をあげると、近所にある県馬見丘陵公園内の国史跡・ナガレ山古墳に設置されている円筒埴輪には、地域住民が粘土で製作したのが181本あるとは住民ながら知らなかった。

率川神社のゆりまつりは「これほど美しい神事は見たことがなかった」と三島由紀夫が感嘆。有名な入浴剤のルーツは当麻寺・中将姫の秘薬だったらしい。

あちこち出掛けていってポケモンを探して捕獲するスマートフォンのゲーム(ポケモンGO)がブームとなっているが、県内の各地域を歩くとポケモン以上に面白い新発見があるのではないか。(栄)


 意外な歴史の謎を発見! 奈良の「隠れ名所」
 奈良まほろばソムリエの会
 実業之日本社 (じっぴコンパクト新書)

20人近い執筆陣により産経新聞に連載した115本から、72本を厳選しました。私が書いたのは7本で、

称名寺の村田珠光
高畑の不空院
農業指導者・中村直三
山の辺の道
中将姫と中将湯
若葉の吉野山
天誅組決起150年


新聞掲載時より文章を短くし、写真の一部を差し替え、図も入れましたので、とても見やすくなっています。私はほぼ全編のチェック役を担当していましたので(大変な苦労でした)、本が売れてたくさんの方に見ていただけるのは、望外の喜びです。仲間うちでは、来月に出版記念会をやろう、という話も出ています。皆さん、ぜひ本書をお読みいただき、奈良の「隠れ名所」をお訪ねください!
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

桜井市外山(とび)は、歴史の宝庫!

2016年07月25日 | 奈良にこだわる
「外山」と書いて「とび」。これは数ある奈良県下の難読地名のなかでもトップクラスだ。平凡社刊『奈良県の地名』の「外山村」には、『日本書紀』の神武天皇のところで金の鵄(とび)の力で長髄彦(ながすねひこ)をやっつけたという鵄邑(とびむら)伝承地の1つとして、また『万葉集』大伴坂上郎女の跡見(とみ)庄に比定される、と出ている。
※写真はすべて7月22日(金)に撮影



金曜日(7/22)、地元ご出身・在住の東田好史さん(奈良まほろばソムリエ)に当地をご案内いただいた。ここの鎮守は宗像(むなかた)神社である。桜井市のHPによると、

神武天皇が大和に入り、祖神を祀る霊畤(れいじ)を設けた鳥見山の麓にある。鳥見山の北麓、国道165号南側に鎮座する。幕末の国学者、鈴木重胤がこの地にきて、宗像三神の衰微をなげき村民と相はかって再興に努力し、安政6年(西暦1875年)に改めて筑前の宗像本社から神霊を迎えたとされる。

宗像神社(トップ写真とも)

福岡県の宗像大社(宗像本社)のご祭神は、天照大神の御子神(みこがみ)である田心姫神(たごりひめのかみ)、湍津姫神(たぎつひめのかみ)、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)。外山の宗像神社ではこれら宗像三神と、春日大社および同若宮社の神を祀る。詳しい説明は外山区のHPに紹介されている。その境内入口手前に「能楽宝生流発祥の地」の碑が建つ。公益財団法人宝生会のHPによると、



宝生流は、大和猿楽四座のうち、外山(とび)座を源流としています。大和国外山崎(現在の奈良県桜井市外山)を拠点としたことからこう呼ばれ、藤原鎌足の廟所として尊崇を集めた多武峰(とうのみね)寺〔談山(たんざん)神社〕に属して活動していました。外山は、古代日本の黎明にその名を記された由緒ある土地です。神武天皇、天武天皇の伝説に彩られ、数々の古跡、古社があります。そのうちの一つ、宗像神社の境内入り口付近には、「能楽宝生流発祥の地」の碑も建てられています。

その手前に「不動院」(真言宗 藤原山不動院)がある。お寺の公式HPには、

不動院の拝観には、電話予約が必要(0744-43-7406)

平安時代に登美山鎮座宗像神社が創始され、村の鎮守として祀られていましたが、仏教の興隆と密教の流布により、また神仏混淆(こんこう)の時代に入り、併せて村内鎮護の寺として建立されたものと考えられています。原一門が一族の祖である藤原鎌足を祀る談山神社(当時の多武峰妙楽寺)に参詣のおり、当院で身を清めた後に登山したと言われ、扁額には藤原忠通と藤原仲光女加賀局の息子で当時の天台座主であった慈円書の”無動堂”の字が残されており、山号も藤原山となっているところから藤原氏と大きく関わりのあった寺院であると考えられます。

南北朝時代には僧兵が南朝側について戦い、堂塔伽藍が焼打ちにあったといわれ、当時はかなりの寺観を保っていたと思われます。かろうじて焼失を免れた本尊不動明王は小さいお堂の中で大切に保存されてきました。江戸時代には四代将軍家綱の上覧に供したと言われています。その後、住職不在の時代も続き荒廃していた様ですが、昭和56年から57年にかけ、本尊の修復と外山地区区民皆様のご協力により本堂および脇部屋の改修が行われました。


このお寺には、国の重要文化財に指定されているご本尊「木造不動明王坐像」が祀られている。お寺のHPによると、


ご本尊・木造不動明王坐像。お寺の許可を得て撮影

木造 彩色 截金 彫眼 像高85.3cm 平安時代 12世紀 
ほぼ正面を向き、眼は片目をすがめた天地眼とし、牙を上下に出す。総髪として頭頂に莎髻を結い、花飾のある冠帯を巻き、弁髪は束ね目を表さずにねじれながら左胸に垂れる。基本的に不動十九観に基づく図像だが、この種の象に一侵的な巻髪でなく、弘法大師様以来の形式の、髪を杭きあげた総髪としている例は比較的珍しい。

寄木造で頭体幹部を左右矧ぎ(はぎ)とし、背面に背板風に一材を足し、両脚部に一材、両腰に各一材を寄せ、三道下で割首とする。両肩より先は別材製。光背は三材を矧ぎ寄せており、台座は各段ごとに四材を矧ぐ構造をもつ。

いかにも平安後期彫刻らしい高雅な気品にみちた造形をもつ像で、忿怒相をとりながらもその表情には静謐さが漂い、一肩幅と膝の張りを大きめにとって腰を絞ったプロポーションもバランスがよい。微妙な起伏を的確にとらえた面貌表現、過不足ない体軀の肉付け、浅く柔らかなタッチで簡潔に刻まれた衣文など、随所に洗練された彫技が発揮されており、中央の有力仏師の手になる本格的な造像であったと推測される。


この日は前を通り過ぎただけだが、外山区には「報恩寺」というお寺もあり、定朝様(じょうちょうよう)の阿弥陀仏が祀られている。外山区のHPによると、



本堂は寄棟造り。本瓦葺き。1間向拝付き。開基開創は不明である。本尊として木造阿弥陀如来像を安置する。平成21年3月、県文化財に指定され、平安後期作、高さ218.2cm(7尺6寸8分)上品上生、実に堂々たる尊像である。全軀に金箔をおしていたが、現在は殆ど剥落し、後生阿弥陀如来坐像その上に黒漆を塗り、後の金箔のあとも見える。両手、腰部に補修があり虫害や破損も甚大である。円光背は、後世に成る。この像についても、粟原(おおばら)流れの言い伝えがあることから、元は粟原寺(※)仏体であったと思われるが、いつ報恩寺に安置されたかは、不明である。 

※粟原寺…中臣大嶋が天武天皇皇子草壁皇子の為に造立を発願。比売朝臣額田が後を継いで22年を費やし和銅8年(715)に竣工、金堂に丈六の釈迦を安置したとされる。国宝三重塔状鉢は、談山神社に在る。


そして、外山といえば柄鏡形(えかがみがた)の「茶臼山古墳」である。山と渓谷社刊『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』によると、


茶臼山古墳。大きすぎてとても写真に収まらない

茶臼山古墳(桜井市外山)
鳥見山の北西麓に延びる尾根を利用して築かれ、前方部を南に向けた大型前方後円墳。築造は四世紀ごろ。全長200m、後円部径110m、前方部幅60mで前方部先端が広がらない、いわゆる柄鏡形の前方後円墳の典型であることが特徴。また墳丘は後円部三段、前方部二段で斜面は葺石で覆うが埴輪はない。埋葬施設は後円部中央に古墳の主軸に沿って築かれた竪穴式石室で、その周囲を底部に円孔をあけた二重口縁壷が方形にめぐる。石室は全長6.8m、幅1.1m、高さ1.6mで石室壁面は扁平な安山岩を垂直に積み、朱で彩色されている。石室内部床面には板石が敷かれ、トガの巨木を使用した木棺が収められていた。


このように、数多くの史跡が外山区の狭い範囲内に集まっている。鳥見山の反対側には等彌(とみ)神社、見渡すと三輪山が目に飛び込んでくる。神武天皇伝説に彩られ、数々の古跡、古社のある桜井市外山、ぜひいちどお訪ねいただきたい。東田さん、ご案内ありがとうございました!
コメント
この記事をはてなブックマークに追加