森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

父の日

2008-06-19 00:24:48 | 娘ネタ

6月15日、娘と近くのスーパーマーケットに行った。ごく普通の買い物である。

ところが、入るなりベタベタとチラシが張ってあって、そこで今日は父の日であることに気づく。娘にそのことを告げるが、「ふ~ん」と聞き流す。

「財布持ってきていないからね」と念押し。

その後、なぜか娘に服を買ってやるハメになる。気軽にTシャツの1枚くらいのはずが……。

食品売り場で、酒類が並んでいる棚を見ていると、娘が「よし、この中の1本買っていいよ。代金は帰ってからね」

そこでラッパ飲みできる瓶入りカクテルをカーゴに入れた。

帰ってから受け取った代金は、198円なり。

深夜、グビグビ飲みましたよ(^o^)。


葬式の挨拶

2008-06-14 10:54:06 | ドーデモ体験談

先日、叔父が亡くなって葬式を終えたことは表ブログに記した。

キリスト教式なので、前夜式(通夜に相当)と告別式(本葬に相当)になるのだが、いずれせ遺族・列席者に対して行うもので、亡くなった当人へ向けて拝むものではないことが特徴だ。

 

そこで遺族の代表が出席者に対して挨拶することになっている。
喪主である叔母は、「そんな挨拶、何を話したらいいのかわからない」と行った。
さすがに葬儀社は、ちゃんと見本を用意している。しかし、みんな長いし、内容が必ずしも今回の例に合うとは限らない。

そこで私が頼まれて短く締めた文を作ることになった。なに、見本文を少しいじるだけである。

遺族を代表して一言ご挨拶申し上げます。本日はご多用のところ……」てなやつ。

叔母は、前に立つと、小さな声で話し出した。ところが、途中で詰まる。一瞬の間の後に

「……今は心乱れて、うまく話すことはできません。これで失礼させていただきます」

アドリブである。これが、よかった。みんな胸にウッと来る。私もじわじわ込み上げるものがあった。やはり挨拶は、作って話すものではない。その時の心の動きを素直に表現することで、他人の心にも響くのだ。

終わってから、「あの挨拶はよかったなあ」と言い合った。「思いが伝わって来る」

ところが叔母は、「あれは、後の言葉を忘れて頭が真っ白になったから、とっさに誤魔化したのよ」

 

いえいえ、それがよかったのです(^o^)。挨拶文なんて、用意するものではない。