先日、叔父が亡くなって葬式を終えたことは表ブログに記した。
キリスト教式なので、前夜式(通夜に相当)と告別式(本葬に相当)になるのだが、いずれせ遺族・列席者に対して行うもので、亡くなった当人へ向けて拝むものではないことが特徴だ。
そこで遺族の代表が出席者に対して挨拶することになっている。
喪主である叔母は、「そんな挨拶、何を話したらいいのかわからない」と行った。
さすがに葬儀社は、ちゃんと見本を用意している。しかし、みんな長いし、内容が必ずしも今回の例に合うとは限らない。
そこで私が頼まれて短く締めた文を作ることになった。なに、見本文を少しいじるだけである。
「遺族を代表して一言ご挨拶申し上げます。本日はご多用のところ……」てなやつ。
叔母は、前に立つと、小さな声で話し出した。ところが、途中で詰まる。一瞬の間の後に
「……今は心乱れて、うまく話すことはできません。これで失礼させていただきます」
アドリブである。これが、よかった。みんな胸にウッと来る。私もじわじわ込み上げるものがあった。やはり挨拶は、作って話すものではない。その時の心の動きを素直に表現することで、他人の心にも響くのだ。
終わってから、「あの挨拶はよかったなあ」と言い合った。「思いが伝わって来る」
ところが叔母は、「あれは、後の言葉を忘れて頭が真っ白になったから、とっさに誤魔化したのよ」
いえいえ、それがよかったのです(^o^)。挨拶文なんて、用意するものではない。