森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

ドイツの新月伐採

2007-01-31 13:24:20 | 林業・林産業

昨夜は、あるシンポジウムに出ていたのだが、その流れで懇親会に参加した。
話題は、田舎暮らしからヨットインストラクターからチェンソーアートから林業……まで。

そこで話題に出たのが、新月伐採。昨秋、ドイツの森林管理官(林業家)が日本を訪ね、日本の林業地を案内した時の話題からなのだが、彼は新月伐採を行っているそうだ。そして、非常に重要なこと、と考えているらしい。

ところが面白いのは、ドイツで新月伐採をしていることは、かなり「ヘンな人」と思われていると本人が言っていたというのだ。

そうか、新月伐採は、本場のヨーロッパでも十分に受け入れられていないのか。新月伐採を推進している人の書いたものを読んでいると、まるでヨーロッパでは新月伐採は主流になっているかのように語るが、そうでもないらしい。

たしかにヨーロッパの林業は、ある意味システマティックで、IT化も進んだハイテク産業だ。新月伐採の理念とは相いれないと思う。とくにドイツは、人工林面積は日本とほぼ同じ1000ヘクタールあり、木材生産量は日本の3倍、対GDP率が5%にもなろうとしている巨大産業だ。あんまりスピリチュアルな考え方を導入したら、立ち行かなくなる。

むしろ、そうした産業化への反発が新月伐採を生み出したのかもしれない。もっとも、その新月伐採の木を日本に売り込む様は、十分産業的だが。

こちらの話を横で聞いていたヨットの専門家は聞いた。
新月の木がよいのなら、満月の木もいいんですか

チャチャを入れたわけではない。新月と満月は、月の引力がかかるという意味では相似しているからだ。そのことを海洋の満ち引きを体感しているから思いついたのだろう。

本気で新月伐採によって木質がよくなると信じる人は、今後は満月伐採も視野に入れるのもよいかもしれない。その方が仕事量と木材量が増えるよ。


住民票

2007-01-30 12:40:23 | 田舎・田舎暮らし

春には、統一地方選挙がある。そろそろ候補者が動きだす頃だ。

我が地元、生駒市も市議選があるが、すでに何人かが名乗りを上げている。ところがその一人は、昨年生駒市に転居したばかりだった。それまでは大阪の堺市にいたのだけど、堺市は合併などがあり議員定数が減り当選が難しいので、生駒市に移ってきたらしい。生駒も軽く見られたものだと思うが、そもそも現市長も、よそ者で数年前に移ってきて、昨年当選すると市外に転居した実績?の持ち主だから、問題ないと思ったのかもしれない。

ところで、逆の意味で住民票が話題になるのは、田舎暮らしだ。とくに最近流行りの、2地域居住の場合、たいてい当事者は住民票を田舎側には移さない。大半を田舎で過ごしている人の中にも、住民票を移動させない人もいる。本来、居住地に置かないと法律違反のはずだが、それこそ政治家に至るまであまり気にしていない。

住民票の置き場所とは何を意味しているのだろうか。
おそらく、心のアイデンティティにかかわっているのだと思う。自分の心の所属地域を決めるものだ。どんなに田舎が好きだと言っても、住民票を移したがらない人は、その地域に距離感を抱いているのではなかろうか。

しかし田舎地域がIターンを誘致する目的の一つは、選挙権を与えることではなく、地域の人口を増やすことである。だが住民票を移さなければ人口増と見なせない。

何より住民票のあるところに税金は落ちる。所得税のほか、自治体に交付される地方交付税も人口が基準だ。そして、それ以上に、根付くつもりがあるかどうかの意識の上での一里塚ではないか。そうした重大事項を無視して、田舎に溶け込むと言っても難しいだろう。

今後、田舎暮らし希望者が本気かどうか計るには、住民票に対する意識を尋ねてみるのもよいかもしれないな。

 


速水勉の炯眼「美しい森をつくる」

2007-01-29 11:56:16 | 書籍・映画・番組など

速水勉著の「美しい森をつくる」(日本林業調査会)を読んでいる。

速水勉氏は、有名な速水林業の8代目、現当主の速水亨氏の父上だ。ある意味、速水林業の基礎を作った人とも言える。この人が50年に渡って専門誌などに記した原稿を集めたのが、この本。

最初は、あまりに古い記事(もっとも古いものは昭和34年)なので、現代に合わないだろうし、まあ回顧録みたいなものかと思っていた。
ところが、目からウロコがぼろぼろ落ちる。電車の中で読み始めたのに、思わず線を引いてしまった。

たとえば1981年に書かれたものには、政府の見通しから国産材時代が来るのは、2005年からと記している。これは実態とは全然違うが、この年に木材自給率が反転を始めたという点では、多少かすったかもしれない。が,本当に驚いたのは、その後の分析である。
国産材が外材に破れたのは並材の分野であり、「将来、日本の経済社会が順調に展開して、木材需要が次第に大きくなれば、国産木材価格は高くなるとは考えられない」とある。

写し間違いではない。木材需要が大きくなれば、価格は高くならない、というのだ。国産材が十分に供給できない点から外材の価格に引っ張られることを示している。

そのほか、労働集約的な林業から資本集約的な林業への転換の必要性とか、大正昭和の始めにあった木材不況と現在の木材不況の類似性とか、除草剤の有用性とか、下刈りや間伐の省力化とか、結構うなる話が多い。
もちろん、最近の筆によるものもある。緑陰の父子対話なんて素敵だ。

常に新しいことをやり続けるという姿勢も、すごい。林業は時間がかかるというが、そうでもない、毎年新たなことを行い、その成果が順繰りに毎年やってくるように感じてしまった。


森林の仕事ガイダンス

2007-01-28 22:48:43 | 時事ネタ

大阪で開かれた「森林の仕事ガイダンス」を覗きに行った。いわゆる「緑の雇用」の就職合同説明会である。

来訪者は意外と少なめ(土曜日は多かったそう)だったが、その会場で驚いたのは、全林協が発行している書籍が、無料で持ち帰りOKであることだ。パンフレットではない、いやパンフレットもたくさんあったが、ちゃんと値段を付けて、本来書店でも販売している書籍がタダなのだ。

たとえば「森のセミナー」シリーズは、7巻分が並んでいた。いずれも1冊1000円の代物である。ほかにも、まともに買えば、かなり高い本や資料集がタダ

もちろん、ごっそりいただきましたよ。ある意味、商売敵である本が、無料で配られることに複雑な気持ちを持ちながら。単純に金額換算したら、万を優に越す。

ほかにも、随所にお金をかけているなあ、という印象を持つガイダンスであった。林業は金がないと言いつつ、あるところにはあるのだと思うと、この金を私に向けさせる方法はないかと思ってしまったよ(^^;)。

ちなみに、現場を回っていろいろ話を聞いたのだが、以前取材した「緑の雇用」に比べると、だいぶ落ち着いた印象がある。雇用側も、やたら数を取らず内実を充実させる方向に動いているようだし、来る人も若い人に比較的真剣な人が増えているように思う。むしろ中高年ほど、田舎暮らしの手段的に考えている人も少なくない。
一方で、彼らを今後養い続ける補助金は出るのか怪しい気配も感じる。

ともあれ、緑の雇用は、問題を内在させながら、当分続くようだ。

※会場の写真は、男ばっかりでつまんないので、MCの葛城奈海さん。


飛鳥時代の自然破壊

2007-01-26 13:35:58 | 森林モノローグ

今、治山学者の対談をまとめているが、彼が力説しているのは、日本の歴史の大部分は森林が荒れていた、ということだ。

飛行機から見ると、緑がつながって広がっている現代のような景色は、ほんの30年前に成立した、それ以前は禿山だらけだったという。そして証拠となる戦後すぐや、明治時代の写真や土地利用図を見せてくれる。明治以前は絵画だが、それまた見事に木のない景色である。

たしかに、全国どこでも、見事に禿山だったようである。木がある山も、たいてい松林。つまり痩せ地に生える木だ。当然、水害も頻繁に発生する。江戸、明治は大災害時代でもあったのだ。

このような景色にしたのは、人間である。とにかく木を伐りまくった。
それはいつの時代からかというと、飛鳥時代なのである。大阪の河内王朝時代もあるだろうが、まだこの頃は人口集中も少なく、天皇が変わるたびに都も移転していた。しかし飛鳥、そして藤原京を建設した頃から地域が固定されていく。すると古代と言えども都には人口が集中し始め、それは周辺の山から緑を奪う結果となった。

……と、ここまで原稿を書きながら、飛鳥時代に石の文化が広まったことと、何らかの関係があるのではないかと思い至った。飛鳥の宮は、緑が失われる序章だったのである。だから石の遺跡が多いのか?

その後、平城京では大仏建設も含めて、大規模な森林破壊が進む。平安京も同じだ。しかし、その過程で、石の利用を減らして再生可能な木の文化への転換が図られた可能性がある。
森林破壊が問題なのに木の文化?と思われるかもしれないが、石と金属の文化を維持するより、木を使う方がよほど木の消費量が少なくて済む、という逆説がある。石を割ったり金属を溶かすには、莫大な薪が必要だからである。

それでも人口が増え、生活を向上させたい欲望の中で森林は失われていく。
それにストップをかけたのは、まず江戸時代前期の育成林業の出現だ。ただし、これは吉野など全国でもいくつかの林業地だけで十分に広がらなかった。各藩でも治山や砂防に力を入れる為政者が登場するが、森林減少を止めるまでに至らない。

本格的なストップは、やはり明治30年代になってからだ。西洋式の緑化・砂防技術と植民地からの木材調達、そして輸入のおかげで、かなり森林減少を遅らせることができた。しかし、まだ反転はしない。

3度目の正直は、戦後である。政府の大造林政策と、燃料革命。薪や木炭から石炭石油への転換、そして化学肥料の登場によって禿山化が進んでいた里山に緑がもどり、伐りまくった奥山を人工林化を行えた。結果的に、日本史上始めて、森林率が逆転することになったのだ。

明治時代の森林率は、約45%。それが今や67%なんだから、すごい上昇だ。治山こそ森林率を上げた立役者なのである……。

というように、対談はまとめよう(^o^)。

でも、上に記したことは、『「森を守れ」が森を殺す!』や、『だれが日本の「森」を殺すのか』に書いてきたことばかりだよ。オレッテ、スゴイ 
詳しく知りたい人は、森コロを読んでね(^_-)。

 


世界遺産暫定登録

2007-01-25 13:31:23 | 森林モノローグ

富士山が、世界遺産に暫定登録されたニュースが流れていた。

が、気をつけてほしい。登録したのは文化遺産の方である。富士山の自然は、自然遺産にするほど価値がないし、ゴミだらけでなれそうにない、ということらしい。
本当は、山麓の火山洞窟群など、世界的に貴重なものもあるのだが、マイナーか。

ところで自然物を文化遺産する先例は、奈良にある。春日山原始林は、春日大社とともに世界文化遺産なのである。ここも原始林としては、さほど珍しくない(市街地に隣接していること以外は)し、実は結構人の手が入っているので、文化遺産の方が似合っているだろう。

そして奈良と言えば、今回「明日香村」「藤原京」などの遺跡が同時に暫定登録された。すでに日本最多の3つの世界遺産を持っている奈良としては、「全県世界遺産計画」を進めているのである(笑)。

ただ興味深いのは、明日香村の遺跡は、石造りが多いことだ。石舞台など数ある前方後円墳(玄室だけでなく、かつて表面は石張りだった)、有名な亀石(写真)や亀形石、酒船石、そして遺産とは関係ないが、棚田百選に見られる石垣など、妙に石造物が目立つ。
日本の古代文化は、石の文化を育んでいたことは間違いない。それなのに、いつしか消えてしまった。すでに平城京では、目立つ石造物がない。

いつ、日本文化は、石を捨て、木の文化に移行したのか。

そして、木の文化の開花が、いかに森林破壊を進めて全土を禿山にしたか……そこから森林が復活したのはコンクリート文化が開花した戦後になってからであること……と連想していくと、日本森林史と治山史が描けそうな気がする。

世界遺産から、ここまで連想した。治山問題は、もう一度改めて。


立ち読み書評「林業再生 最後の挑戦」

2007-01-24 00:52:12 | 書籍・映画・番組など

久しぶりに大阪に出た。そして久しぶりの大規模書店へ。

そこで見つけたのが、『“林業再生”最後の挑戦』(天野 礼子著  農山漁村文化協会)である。副題は、 「新生産システム」で未来を拓く だ……。

この本そのものは知っていたが、あまり興味がわかず、また実物を目にすることもなかったのでこれまで読んでいなかった。
そこで立ち読み(^^;)を始めたのだが……基本的にはインタビュー本で、聞き書きだ。そんなに本人が林業や森林を論じている内容ではない。
とはいえ、驚きだ。サブに入っているとおり、中心の記事は、林野庁が始めた「新生産システム」の紹介なのだが、それは紹介の域を越えて、べたぼめなのである。これまでダム反対などでさんざん政府批判を行ってきた人の本とは思えないほど。

すでに幾度も書いてきたが、私は、「新生産システム」に一応賛成している。何も動かなかった以前の林政と比べたら一等マシで、とりあえずは成功を期待している。が、同時に「新生産システム」の危険性も十分に感じている。結果的に潤うのは大企業だけであり、下手すると山を破壊する施業を推進しかねない。とくに再造林が進んでいないことは、非常に心配している。

だから、ここまで新生産システムを持ち上げられると、逆に違和感が湧いてきた。いつから林野庁の回し者になったの?といいたくなった。

あくまで立ち読みだから、隅から隅まで読んだわけでもない。もしかしたら読み落とした部分があるかもしれない。それなのに評するのは失礼かもしれないが、とても買う気になれなかったよ。印象としては、話を聞いたままの付け刃的林業紹介本というところかな。
なお、記事は、ほかにも多くの林業・木材産業に関わる人々が登場する。

 


世界の森林統計

2007-01-23 12:13:35 | 林業・林産業

お仕事の関係で、世界の森林統計なんぞを眺めている。

すると、世界の森林の生長量は、少なく見積もっても50億立米以上となっていた。
そして産業用の丸太生産量は、約16億立米、燃料材生産量は、約18億立米。つまり両者足しても34億立米なのだから、森林は増える一方ということになる。

しかし、森林そのものは減っているらしい。面積も蓄積も。どうやら、木材として利用しない伐採や森林火災などで失われる森林蓄積が、その差を埋めているようだ。つまり16億立米以上の森林・木材が無駄に消えていることになる。

 

さらに1995年時の産業用材は、15億立米以上生産されており、そのうち2割ほどが1億ヘクタールの人工林からのものとある。ところが、その後急速に植林が進んで人工林が増えている。その大半が中国だ。

おかげで2010年には6億立米、2020年には10億立米の木材が、人工林から生産も可能となる。

なんだ、世界の森林危機は、数十年後には回避できる見込みがあるではないか。無駄に燃やしたり捨てられる木材を抑えて、人工林からだけ木材生産をすればよいのだ。

これらの数字をどこまで信用するか難しいが、それなりの根拠のある統計だからなあ。あんまり森林は危機だ、危機だと叫びすぎるのはマズイのかもしれない。


そのまんま東・宮崎県知事誕生

2007-01-22 00:31:33 | 書籍・映画・番組など

宮崎県知事に、そのまんま東氏が当選した。まだ最終投票数は出ていないが、圧勝のようである。

宮崎県だけでなく、マスコミ界にとっても激震だ。ほんの最近まで、賑やかしの泡沫候補扱いだったのだから。
だが、実は私は、そのまんま東氏の当選の可能性をかなり前から感じていた。と今頃言っても、後出しジャンケンなのだが(^o^)。ただ川村前長官と競り合うと思っていたのに圧勝とは。

宮崎県の知事選は、宮崎県が林業県であることに加えて前林野庁長官の出馬もあって興味は持っていた。ただ、私は宮崎政界に詳しいわけでも、霊能力があるわけでも、そのまんま東のファンというわけでもない。それなのに、そんな「予言」をしたのは、実は一冊の本のためである。

「負けるが勝ち」の生き残り戦略 (秦中啓一著・ベスト新書)

これはシステム工学から生物界の進化を調べている学者の本である。コンピュータで行う生物学という不思議だが、近頃流行りの分野でもある。
もっとも内容は、極めてやさしく書いてある。その第1章は、「スキャンダル候補が選挙で生き残る」なのである。生態系で起こるサバイバル関係の不思議なパラドックスが描かれている。

この本のサブタイトルは、『なぜ自分のことばかり考えるやつは滅ぶのか』であり、帯にあるのは、『最後に笑うのは、「利他主義」だ! 』とある。つまり、生物界は弱肉強食ではないのである。

詳しいことは省くが、これを宮崎知事選に当てはめた。
そのまんま東は、古いスキャンダルを抱えている。ところが新しいスキャンダルなら票を落とすが、古くて時間をかけた場合は、逆にプラスに働くことがあると読んだのだ。

実際、知名度は抜群だし、前職は汚職・談合で逮捕されたのだから、清新な候補者を求めるだろう。そのまんま東氏は、ぴったりはまった。


読んでいると、田舎社会の構造や、そこに異分子としての移住者が入った場合などもコンピュータでシュミレーションできてしまう。

人間社会も、種のレベルで考えると、意外な面が読み取れる。ところで、そのまんま東氏の林業政策は、どのようなものだろう。


補助金の申請ボランティア

2007-01-21 01:01:51 | 政策・行政関係

今日(20日)は、吉野に行っていた。おかげで1行も原稿は書いていないぞ。さあ、どうする?

てなことを書きたいのではなく、今日は吉野でチェンソーアートスクールの常設練習場づくりを行う。なんと、すでに事務所の建物が設置され、近くの工事現場からの土砂を運び入れている。今後、雨天用の屋根(30人分)や、電気の引き込みと電話の設置(そこは携帯の圏外のため)も進める予定だし、トイレも据えつける予定だ。そのうちモノレールも本気で引くかもしれない。

おそるべきスピードと行動力で進んでいるのだが、問題は金だ(^^;)。やっぱり100万円くらいかかるのではなかろうか。労力はただ働きするとしても、素材費だけでそれくらいかかる。スクールがいくら黒字でも、将来の投資に吸い取られる。

ここで普通なら「補助金を採れないか」という発想になりがちなのだが、我がグループにそんな言葉はないらしい。いかに出資するか、出資者を集めるか、という話になっている。

そういえば、昨日のシンポでも、補助金を受け取らない林業関係の会社の話を少ししたのだが、補助金はやっぱりめんどくさい。条件つけて縛られる。そして堕落する。できれば行政から、お願いだから黙って使ってくれ、とお金を包んで持ってきてほしい。だったら使ってやる(~_~)\(-_-メ;)。

林業関係の事業は、補助金があるならやってみるか的なところが多い。それを打ち破りたい気持ちもある。補助金をもらわないと成り立たない事業では、本当の地域づくりにならない。


ただ最近は、補助金を取ることで、公的な要素の持つ事業であることを認めさせる効用もあるかもしれない、と思いだした。どうも一般人にとってチェンソーアートは、ホビー産業の面で見られがちだからだ。下手すると、外材使ったカービングとか、都会の一室で行うチェンソーアートも広がりそうな気配を感じるのだ。国産材の需要拡大と、山村への都会人呼び込みの意図が薄れかねない。ここでクビキを打ち込むために、補助金の利用を考えてみるべきか……。

でも、面倒な会計や申請書類のことを考えると、くだらない、やっぱり止めた! と投げ出しそうな気がする。
誰か申請の代行をしてくれる、官庁の書類づくりに強いボランティア希望者、いませんか。今後、この手のボランティアも求められるような気がする。


京都府森林と林業のつどい

2007-01-20 00:56:49 | ドーデモ体験談

19日は、朝から夜まで、京都のシンポジウムに参加。会場や懇親会では多くの林業関係者とお会いできたが、そこでよく言われたのが「ブログ読んでます」。

これって、結構プレッシャーですね。

あのお、読んでいる人に改めてお伝えします。このブログは、「勢い」で書いています。熟考してません。思いつきです。1本書くのにかけるのはたいてい5分以下です。だから内容に責任持ちません…。

責任ある記事書けって? それを読みたい方は、拙著をお買い上げください

ちなみに今回は、『だれが日本の「森」を殺すのか』を販売したのだけど、早々と売り切れました。もっとたくさん持っていくのだった…。重いけど。


只今、煮詰まっています…

2007-01-18 16:39:54 | 仕事関係

重なるときは重なるものである。

仕事の話だ。暇なときは将来が不安になるほど暇なのだが、重なるときは……1月末を締切りに指定してくる仕事が何本になったのか。しかも、その間に何やら雑用が入り込み、個人的にお勉強しようと思っていた件も入り、楽しもうと思っていたことは、さすがにキャンセルしたものの……。

こんなときに限って、さささ、と仕上げるつもりの仕事も行き詰まる。出だしが決まらない。書き出した部分が気に食わない。あああ、どうすりゃいいのか。
そこで、神社境内の照葉樹の森を散策してきた。森林セラピーの効用や、いかに。これで、何か閃くか……!ブログ並に思いつきで書くべし。

だめだった

でも、頼まれるといやと言えない私ですので、全部受けました(^o^)。ちょっとスリルのある月末を送りそうだ。

 


森林認証の商品

2007-01-17 23:32:11 | 政策・行政関係

「緑の循環」認証会議(SGEC)は、昨年末で32件、対象面積は33万6921haになった。3年間だから、かなりの速度で認証件数を増やしている。

対して森林管理協議会(FSC)は、6年間で24件対象面積27万6534ha

それだけ認証基準の差が如実に出たと言えるが、その点は目をつむると、結構な勢いで増えている。

日本国内に約61万haの森林が認証されたことになる。これは人工林面積の約6%(厳密には認証森林の中には天然林部分もあるから、ずれるだろうが)。全森林では約2,4%だ。
ちなみに世界の森林のうち何らかの森林認証を受けているのは、約7%と推定されている。意外な国としては、中国やベトナムも熱心だ。

問題は、肝心の認証品があまり売れていないことだろう。価格も高くならないから、認証コストが負担になる。

そこでどんな製品があるか調べてみた。まず「家」がある。ほか

FSC認証「家具」
FSC認証「木炭」
FSC認証「着火材」
FSC認証「肉の味付け用の刷毛」
FSC認証「木製焼き串」
FSC認証「割り箸」
FSC認証「まな板」
FSC認証「バーベキューセット」
FSC認証「グリル」
FSC認証「色鉛筆」
FSC認証「封筒」
FSC認証「綿棒」
FSC認証「ペーパータオル」
FSC認証「トイレットペーパー」
FSC認証「シイタケ」

これで肉があれば、バーベキューパーティできるぞ。

ちなみにSGEC認証のものは、木材以外、わからない。


日本国土の限界

2007-01-16 23:54:36 | 森林モノローグ

森林は水を貯められるのかと考えていた。

いわゆる「緑のダム」論だが、単純に「森林は水を今以上に溜めることができるか」ということを考えると、日本は降水量が多いから、ダムはすでに満水になっているということに気がついた。森林土壌がどうの、基盤岩層がどうのと言っても、ようするに満杯になれば、それ以上入らないではないか、ということだ。

同じく森林は二酸化炭素削減に役立つのか、ということも考えた。

京都議定書は、極めて政治的なものだから、間伐など整備された森林はカウントしていいとか理屈をこねているが、科学的には意味がない。ただ二酸化炭素を吸収するということは森林蓄積が増えることになる。炭素を有機物に変えて蓄積するからだ。
しかし、日本の国土では今以上に森林面積を増やすのは至難の業だろう。同時に太らせるのも限界に来ているのではないか。つまり二酸化炭素は吸収できないように思える。

いずれにしても、日本の国土では、今以上に森林を利用して水を溜めることも、二酸化炭素を固定することも限界があるのではないか……。

いかがだろう? 日本に期待しても無駄?