森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

被災地観光巡り2

2011-04-30 17:18:22 | 時事ネタ

残念でした。「ナビ異変3」ではなく「観光ネタ2」でした。

 

まずは写真を。

どうだ、この桜の大木を。

これこそ、福島の名所「三春の滝桜」である。三春町にある。

このしだれ桜は、樹高が12m、根回り11m、幹周り9.5m。十分巨木の行きに入る。そして枝は22m×18mの広がりがある。1922年に国の天然記念物に指定され、日本の5大桜の一つとされた。

私は、以前福島を訪ねた際、訪れている……でも、それは冬だった。

せっかく花のシーズンに福島を訪問したのだから、見ないとねえ。ちょうどオープン日だったらしく、大変な賑わい。毎春30万人は訪れるというが、今年はどうだろう。見たところ、客足は衰えていない。ただシャトルバスなどは運行中止になったらしい。

私は、Y女史とは違う、別の女性と訪れましたo(^-^)o おほほ。

といっても、車の中から眺めるだけだが。停車できる状況にない。やっぱり桜は賑わいがないとね。

ちなみに周辺には桜の大木が多い。なんでも、滝桜から枝わけした姉妹木が少なくないそうだ。車で走っているだけでも、アチコチに満開の桜の巨木か目に入る。

やっぱり東北は、観光だよね!


被災地観光巡り1

2011-04-29 22:50:15 | 時事ネタ

こんなタイトルつけたら、クレーム来そうだ(^^ゞ。

とはいえ、今回の東北行脚では、予想外のところを訪れて観光している。

 松島の海辺公園。松はしっかり残っている。

 これは、宮城県松島のマリンピア。松島水族館である。

実は、松島を訪れたら、意外なほど海岸線はきれいだった。芝生に松並木。海にも観光船が停泊しており、島々の眺めも日本3景の一つである威厳が備わっている。

そして、「復活!マリンピアは不滅です」の文字。折しも午前9時。開館の時間だ。

そりゃ、入らないといけないでしょう(^^;)。なんたって入場料も半額だよ。被災者は無料ということだったが、同行のY女史は支払ったよ。

中は明るい。ペンギンが泳ぐ水槽が目の前にあり、南米のピラルクや巨大アロワナを眺めたり、不思議なサカサクラゲ! を見たり。イルカもいた。すっかり観光気分。おもわず園内モノレールに乗りたくなったぜ。

 そしてアシカのショーもやっている。

すっかり松島の被害は、たいしたことなかったんだ。なぜだろう。海に島がたくさんあるからか……と思いかけた。

が、係員は話したら、まったく違っていた。津波は容赦なく襲い、マンボウは流され、もう一歩でペンギンの水槽もやられるところだったのだ。水槽を飛び出したビーバーは、外で元気だったとか。

ぎりぎりのところで助かったのである。

松並木も水族館内も50㎝以上の泥が溜まっていたらしい。それを係員と50人のボランティアによって、1か月がかりで泥をかきだしたという。その力で、復活できたばかりだったのだ。まさに我々は、そこに立ち会えたわけである。

 

 


震災被災地訪問・ナビ異変2

2011-04-29 00:11:36 | 時事ネタ

石巻に入った日は大雨。これは野宿できんわなあ、と思っていたら、走っている道の脇にビジネス旅館の看板が。しかも電話番号付き。

あわてて車を停めて、電話する。幸い2室空いていた。しかも格安。これで夜は保証されたので、それから市内中心部へ入る。各所で関所(警官が誘導)があったが、それを突破して、瓦礫と廃墟の立ち並ぶ海岸部一帯へ潜入した。そのうち現在位置がわからなくなってくる。周りはみんな廃墟なのだから。

さて、その帰り道。予約したホテル(旅館)に行かねばならない。

でも、心配ない。名前でも、電話番号でもカーナビに打ち込めば、案内してくれる。

ま、小型携帯式のカーナビは、かなり不思議な動作をしてくれて、昨夜の幻の街でも、「あと1キロ」の表示の後にいきなり「20キロ」に延ばす強者だが、それでも地図に目的地を示してくれるから、大丈夫だろう。

……と、ところが。誘導どおり、道を進んでいるうちに、だんだん路地に入り、壊れた住宅街の中で、「目的地周辺に着きました。これで音声案内を終了します」。

おい! 旅館は幹線道路沿いだぞ! 

その後は、私の記憶と女の勘(笑)で、脱出を計る。結局、ガソリンスタンドで現在位置を確認して、無事予約した旅館にたどり着けたのだが……そこは、迷い込んだ住宅街から、直線距離にして数十メートルか外れたところのようだ。

なぜ、カーナビは、こんな狂い方をしていたのか。

旅館が引っ越していた。しかし、すでに古びているが。

単なるカーナビの故障、もしくはGPS機能のズレか。

いや壊れた街の地縛霊がついた(笑)。でも、ここにカッパはいないよな。だって、宮城県だもの。

ようやくわかった。これは震災の街だからおきたことだ。それが謎解きのヒントだ。

実は、日本列島は地震で数十メートル東西にズレたのである。だから、カーナビは、かつてあった旅館の場所を示したのだ。

この解答を得たことに満足して、私は安心して眠れた。

 

 

 

 


震災被災地訪問・ナビ異変1

2011-04-28 09:38:36 | 時事ネタ

震災に遭った東北3県(岩手、宮城、福島)を巡ってきた。

行動は、主にY女史とともに行ったのが、これが珍道中?となった。
彼女は、福島在住だったから、被災者の一人であり、その点では現地を訪ねる際のハードルが非常に低くなったし、車を出してくれたので助かったのだが……。

話題は尽きないが、初日に起きた不思議な出来事。

まず陸前高田まで出て、夕闇迫る中で「奇跡の一本松」を見る。そのために津波で壊滅した市街を走り、ときに道なき土砂を乗り越えるようなルートで松の袂までたどり着いたのだが……その帰りである。

この日は同行者がいて、それぞれ車が別。そこで宿を探すことも兼ねて内陸部に走らせた。

なにしろ外灯さえ、ほとんどない。それでも一応ナビもあるから、一関をめざす。

山を超えて下って、を繰り返しているうちに、妙な町に出た。そこも外灯は少なく暗いのだが、一応商店街が続いている。結構、旧家の町並みだ。おや、ここにも旅館があるみたいだなあ、と話していたが、まったく人気がなく、なんとも寂しい雰囲気。まだ時間的には午後6時すぎだと思うのだが。

そのうち商店街を抜けてしまった。その時に、同行の車の行方がわからなくなってしまった。そこへ携帯電話がなり、向こうもこちらの車がわからなくなったと伝えられる。

そこで、地図を見て、落ち合う場所を決める。

そして我々も、Uターン。今度こそカーナビに活躍してもらわねば。

が、Uターンしたにもかかわらず、先の商店街に出くわさないのである……。行けども行けども、山の中を走る。商店街を通らずに後戻りできる道は地図に見かけない。そもそも分岐はあったっけ。
その後曲折はあったが、同行者とは合流。しかし、あの古びた町はどこに行ったのだ……。

我々は、タヌキかキツネに化かされた? いや岩手だからカッパでしょう! と決めつけたのであった。

 


「最適の人材」を求めるな

2011-04-19 01:40:15 | 娘ネタ

昨日、にわか雨と強風が吹き荒れた。

娘から傘を持っていないから迎えに来てくれ、と電話。天気予報で雨と言っていたのに、持って行かないお前が悪い、と小言いうが、仕方ない、高校まで車を走らせる。

が、車に乗り込んでくるなり、娘は感謝の言葉よりも、学校であったことをしゃべりだした。

ようするに、生徒会のメンバーはろくに動かないし、そこに教師が介入してくるし……といった愚痴だ。あと少しで生徒会も卒業するはずなのに、山ほど仕事を抱えて、右往左往している。そして周りが思うように動かない、横やり入れてくることにいらだち、「もう学校楽しくなくなった」とまでいう。

そこで私は言った。「周りのみんなは、自分の理想どおりの人物で、理想通り動くと思っていたのか。誰もが賛成して手伝ってくれると思っていたのか」。

それはあり得ない。むしろ、周りのみんなは常に自分とは思いが違い、(自分には)役立たずであることを前提に世の中動くのだ。イヤなら投げ出せ。ほかのメンバーに任せて、口を出すな。それもしたくなければ腹くくれ。

……頭に描いていたのは、今回の震災と原発に関する世間の動きだ。

世間は、政府、とくに菅内閣を批判の的にしている。

たしかに出来がいいとは思わない。いや、原発に関する対応は後手に後手。さらに隠したり隠されたり、右往左往上下左右。怒鳴ったり泣いたりしているらしいから、かなり情けない。

が、「阪神大震災の時、政府はしっかりしていたのに」という論調が出てきたのには驚いた。当時の政府関係者から、「村山首相(当時)は、すごかった、現場を鼓舞して、見事なチームワークで乗り切った」などという証言?が次々とマスコミに登場する。

アホいうな。私は、当時大阪に住んでいて、阪神大震災の現場とその報道に密に向き合っていた。そりゃ酷かった。村山首相、そして自社さ内閣は、まったく迂路迷走、出鱈目、右顧左眄……被災者から「政府は何もしないことが現場を助ける」とさえ言われていたのである。あげくに総理は「初めてのことなので」と国会答弁?までした。

それに比べて、今回の震災は、出足はすごくまともだった。自衛隊出動や被災地情報の確保、そして民間組織の救助体制の構築も、私にはなかなかの出来に見えた。がむしゃらなボランティアの押しかけもなかった。避難所づくりも物資輸送も、巨大地震の中では頑張ったと思う。ネットも十分に活用された。

そして、首相もすぐに現地視察した。村山首相なんて、現地を訪れたのは何週間後だったっけ。遅い! と批判されたのだ。それなのに菅首相が早々に現地視察したことが、今度は批判の対象だ。

結局、菅首相が情けなくなるのは、福島原発の暴走が明らかになってからだ。地震と津波に対しては、16年前の経験を活かしてソコソコうまく対応をしていたのに、原発ではそうはいかなかった。未経験の原発事故に出会って迷走を始めたのだ。

もちろん、リーダーたるもの「初めてのことなので」なんていう言い訳をしてはいけない。それなのに、村山はよくて菅はダメだ? アホか。どちらもリーダーとしては欠陥品だ。内閣など担当する人材の出来も、両者とも無能だ。私は、当時、村山を戦後最低の首相と呼んでいた。まあ、その後「最低」は、次々と更新されるのだが。

だが、危機管理とは、理想的な人材が揃っていることを前提に立てるものではない。無能で、逆に足を引っ張りかねない人物が要所をしめていることを前提に行わねばならないのだ。これは危機管理の基本である。

危急の際には、リーダーや担当者がどんなアホで嫌われていようと、彼らの失敗を周囲がカバーすることを心がけねばならない。同時に自力での復興に努力する覚悟もいる。それはアメリカは9・11の際に、ブッシュ大統領を野党も国民も支持したのと同じだ。(それでイラク戦争まで突っ走ったのだが……。)

残念ながら、日本国にそんな動きはない。常に足を引っ張り合い、気に食わなければ引きずり下ろし、かといって自身が個々に課題をこなそうという気概もなく、次に誰をリーダーに担ぎ上げるか考えるだけ。リーダー依存症か。そんな発想が、独裁者を求めることにつながる。もっとも期待に沿わなければ、また引きずり下ろすのだろう。
その行動原理は、「好き嫌い」だけ。嫌いな奴のすることは、すべて反対して、足を引っ張ることが仕事と思っている。目先の感情ばかりで大局を見ない。

今必要なのは、周りがうまく動いてくれないことを嘆くのではなく、自分が最善を尽くすことだ。

……そんな話をすると、娘は「自分たちがルールに乗っ取り担いだ首相を、すくに下ろすのはおかしい。担いだ責任があるだろ」と言う。そのとおり。首相は、野党も含めて国会で手続きを踏んで選んだのだ。それなのに、危急の際に野党はおろか民主党内でも足の引っ張り合いかよ。

娘も、腹をくくったようである。

ま、愚痴くらい聞いてやるけどね。

 


凍える花見

2011-04-14 17:20:38 | 時事ネタ

大阪城公園の花見に参加。

この花見は、神戸のまろうど社という出版社?が主催しているのだが、今年で16回目。

このまろうど社の社主(というのかなあ)は私の古くからの友人なのだが、彼が阪神淡路大震災で被災した年に開いたのである。彼は、ジャンバーに無精髭という、いかにも「被災者!」という姿で参加(^^;)。彼は、大いに酔って乱れたのであった。

花見自体は、その前から友人仲間で時折開いていたが、この年がエポックとなった。翌年より彼が主催者となって、毎年花見を呼びかける。

毎年ゲストを迎えるが、今回は小劇団の3人。彼らにジャム・コントを演じてもらった。その場でお題を集めて,即興で演じるコントである。これは、面白かった。ただ、「桜の木の下に埋まっている死体」にストーリーは展開してしまった……。

本ブログでも、幾度か紹介したことがあったが、常に何かハプニングが起きている。今年の場合、それは、暗さだ。

いつもペットボトルのロウソク立てているが、なんか今年は暗い。
なんたって、周りに一つも酒席がない。つまり、花見をしていないのだ。我々だけの花見でいつもごった返していることを思えば異例である。

それにしても、これでは被災キャンプではないか。

なんだか、もの寂しいぞ。いよいよ、被災地気分。

まあ、私は、福島県産の日本酒を持参し、大いに東北支援を訴えたのだけど、この雰囲気は自分たちが被災者だ。

もう一つの想定外と言えば、その寒さである。底冷えする。とても花見の季節の気温ではない。私は、下に敷いたブルーシートを身体にまきつけていた。

ああ、いよいよ被災者気分……。

でも、所詮は一夜のことよ。

やっぱり桜も紹介しておこう。静かな城内でしんみり(そうでもないか、結構騒がしかった)花を見上げるのもよいものだ。