昨日は、朝は「三鷹の森ジブリ美術館」を訪れ、夜はテレビで「天空の城ラピュタ」を見る。
ジブリ美術館のことは表ブログに書いたけど、やはりあれだけではご不満の方もいるでしょう(写真も、美術館の壁だけだからね)。こちらにサービス写真を。
ジブリ美術館内は、撮影禁止。ちょっとカメラを構えたら、すぐ「監視員」が飛んできて注意する。私も、かるく天井にカメラを向けたら注意された(-_-)。
だが、屋上は事実上OKというか、野放し状態。みんなロボットの前で記念撮影に勤しんでいる。ここが一番の人気スポットかもしれない。
そして、同じ屋上にあるのが、こちら。
ラピュタ文字で何やら書かれてあるが、当然ながら誰も読めない(^^;)。ただ見学者の中には、「ラピュタ」を見ていない人もいるらしく、「何これ?」の連発であった。
美術館内では、アニメ製作の段取りや、ジブリの様子が展示されているが、そこで一生懸命彼女に説明する彼、というカップルをみかけた。女性の方は、あまりジブリ作品を見ていないらしい。
ちなみに説明ボードは、宮崎駿の文字らしい。そして、ところどころ「昔は…だったが、今は…で」と、昔の懐かしむ言葉がちらつく。製作現場も時代とともに変わるのよ。スタッフの思いや心意気も変わるのよ。
とはいえ、よく作り込んだ美術館である。
生駒を訪れたナカシマアヤさん。
実は、生駒は始めてではない。学生時代、生駒山上遊園地でアルバイトのため通ったことがあるそうだ。てっきり、チケットのもぎりとかだと思ったら……(爆笑)。本人は消したい過去と言っているが、その写真、あったら見たいなあ。
で、今回は生駒山の魅力を味わってもらうためにいろいろ案内したが、なかでもナカシマさんが笑い続けたのは、龍眼寺である。
信貴生駒スカイライン沿いにある、巨大・弘法大師像のあるお寺。なぜか鳥居もたくさんあって、神仏混交らしい。一見、伝統的なお寺に見えるが、なんか怪しい雰囲気が漂う。
さまざまな巨大仏像もあるが、やっぱり楽しいのは、おとぎ話シリーズだろうか。
桃太郎から始まって、さるかに合戦やら一寸法師やら。一休さんもいれば、花咲かじじいもいる。どれを見ても笑える……というか、終始笑っておりました。
「このお寺、観光ガイドに載っていないんですか」と聞かれたが、たしかに載せてもいいのではないかなあ。テーマパークだもの。
先日の宮崎には、伊丹空港から飛び立ち、宮崎空港に午前中に降り立つ予定であった。
予定の決まった1カ月前から予約を入れる。
午前10時5分発の全日空便である。私は、ちょっと早めに空港へ着いた。自動チェックイン機を使ったのは出発の50分前くらいだろうか。
が,チェックインはできたのに座席がとれないのである。意味がわからず、グランドホステスに聞く。
すると座席の調整中です、という。それも意味がわからないが、よくよく聞いていると、ようするにオーバーブッキングして、座席が足りないのだ。つまり、キャンセルを見越して多めに予約を取ったものの、夏のシーズンでキャンセル客が少なかったのだろう。
「午後の便もありますが……」とぬかすが、「誰に言ってるんだ。ありえねえ」と即刻返す。こちらは仕事であり、向こうで待っている人もいるのだ。だいたい定刻(通常は30分前にチェックイン)より早く来ている私を外そうとするとは何事か。
それでも待っていると、なんのことはない、私だけではなかった。ほかにも座席がとれない客が集まっているのだ。その場では4人だったが、ほかにもいる様子だ。
男一人の客がいた。彼は父の容体が悪くなったから駆けつけるのだそうだ。だいたい一人客は、仕事ややむを得ない事情を抱える者が多いはずだ。
キャンセル見込みが外れたとしても、これほどの人数が出るなんて言語道断だ。(多分、諦めた人もいれたら7,8人はいたと思う。)
「これは、問題にするぞ」
「どんな経営をしてるんだ」
構内放送で、宮崎便を振り替えたら一万円払うと言っている。。たった一万円かよ。10万20万円なら迷惑料にもなるが、ふざけんじゃねえ。
なんとかします、といいながら、もはや時刻はゲートを締め切ったと放送が入る。
「東京経由便もあるのですが」
「あほ。それで午前中に着くかい」
「臨時便飛ばせろ。ここにいる人だけ乗せろ」
「キャビンアテンダント下ろして、席を作れ」
「操縦士も下ろせ」
「じゃあオレが操縦するわ」
この場に及んで笑いを取りたがる関西人の悪い癖(^^;)。
母子らしき二人が「鹿児島便に振り替えてください」と申し出た。おそらく観光のようなので、鹿児島空港から宮崎の観光地へ回るのだろう。
とうとう、出発時刻になった。
「これは責任取ってもらうからな」
そうすごんだところ、「席の調整がつきました。皆様に乗ってもらえます」
なんだよ、それは。グランドホステスに案内されて、検査場も特別にスルーして乗り込む。
おそらく、最後まで空けていたVIP席でもあったんじゃないのか。事実、私の席は最前列だった。最初から使えよ。定刻を15分ほど遅れて機は飛び立った。
しかし、マニュアル通りの対応をするグランドホステスには失望だ。「はいお客様のいう通りです」と繰り返しつつ時間稼ぎをして諦めるのを待っている。
以前、札幌で悪天候時の事態に対応したグランドホステスを褒めたが、今回はまったく幻滅だ。
しかも、帰りの便でも、振り替えを求める放送をしていた。日常茶飯になっているようだ。
教訓。この手のオーバーブッキングでは、絶対譲っちゃダメ。
徹底的に正当な要求をすること。多少、声は荒らげてもよい( ̄^ ̄)。
そうして始めて、航空会社は痛い目に合い、オーバーブッキングをしなくなるのだ。
東京へ1泊2日で出かけた。今回の主要な目的は、某社の会議に出席するため。
そのため、行き帰りの新幹線チケットは、相手先が手配してくれることになっていた。おそらく経費管理のために、勝手にチケットを購入してはダメなのだろう。
そこで私は、2日目の午後に取材を入れて、それが終わってから帰れるような時間の便を調べて、6時37分発ののぞみに予約を入れてくれるよう頼んだ。
ほどなく、チケットが届く。
さて2日目。会議も取材も無事終えた。その足で品川駅に到着する。
とにかく暑い日であった。駅構内に入っても、全然冷房は聞いていない。考えれば、7月1日から東電管内は電力非常事態宣言をして、節電を義務づけられている。会議先、取材先でも、極めて冷房の効きは弱く、室内でも汗がじっとり滲んでいた。
かくなる上は、期待するのは車内だけである。幸い、行きの新幹線内はよく冷房が効いていた。これはJR東海は中部電力管内だからだろうか。
ジリジリとホームで待つ。チケットの席は12号車だったから、かなり端の方まで歩かされた。
ちゃんと駅弁とビールというサラリーマン出張的アイテムも購入する。駅構内で食べようと思ったのだが、適当な店がなかったのだ。
あと数分で6時37分だ。
ふと、妙なことに気づいた。私のチケットには、「のぞみ5号」となっているのに、ホームの掲示板は「のぞみ117号」になっている。しかし、時間は同じだ。どちらが間違っているのか。まあ、乗れて座れればいいや。
が、再び、チケットを見る。6時37分発。
掲示板は、18時37分発。
あっ、と気づいた。このチケット、朝の6時37分だぞ。間違って予約されたのだ。いくら私が6時と指定しても、午後の取材があるから、と伝えているだろうに。インターネット予約だったのだろうか。このチケットでは、乗れても自由席だけだ。指定席には別の誰かが予約しているだろう。
ホームは、人があふれている。なんたって出張サラリーマンがもっとも多い時間帯。東京発ではないし、指定席は埋まっていると見るべきだろう。これでは、確実に座れない。
駅弁とビール持って、のぞみの車内で立ち尽くすのか。
どうする? 予約し直しなぞできない。時間もない。
そこで、自由席に走った。1~3号車だ。端から端までに近い。満員のホームをかき分けかき分け、反対側までたどり着かねばならぬ。しかし、自由席だって、満員の可能性は強い。東京駅から乗る人で、大半が埋まっているだろうし、品川でも行列しているはず……。
絶望的になりつつ3号車まで来る。やはり列が長い。2号車へ。汗が滲む。
おお、奇跡的に2人しか並んでいなかった。これなら……。
そして気がついた。普通なら、もう列車が到着している時間だ。しかし、まだ来ない。アナウンスがあった。小田原付近で豪雨があり、そのため列車が軒並み10分ほど遅れているのだそうだ。東京駅折り返しの車両もそうなるらしい。
それだ! だから自由席の行列の大半は、一本前の遅れてきた列車に乗り込んだのだ。
結局、12分遅れで「のぞみ117号」は品川着。乗り込むと、わずかに空席がある。そこに滑り込む。3人目だから可能だったことである。幸い空調は十分に効いていた。今日1日で一番涼しいかもしれない。
よし。汗を拭って。弁当を広げて、ビールを開けて、靴は脱いで……これぞオヤジの出張サラリーマンそのものを悦楽を楽しめたのである。
東京にもどったので、これで打ち止めにしようと思っていたのだけど、要望が多いので「3」を。
いや、番外かな。
実は、今回の東北巡りでルートで悩んだ点がある。
最初は新幹線で入ろうと思ったのだけど、相次ぐ余震で止まっているのを見て、もし車内に半日閉じ込められたらスケジュールが危なくなると判断、飛行機で福島に飛ぶことにした。
日本の航空会社と言えば、JALとANA、それにせいぜいスカイマークくらいしか思いつかないが、実は知られざる会社が意外とたくさんある。
とくに地方空港を結ぶために、地域が立ち上げた航空会社が相当数あるのだ。
そして、アイベックスもその一つ。日本デジタル研究所が親会社でANAと提携しているが、ここが伊丹と福島空港を結んでいた。機体は、ボンバルディアであるのは、ちょっと心配だったが(故障が多いのよ)。
知らない航空会社に乗ってみたいというのは、決してヒコーキ・オタクという意味ではなく、通常の人間の趣向である。念のため。
そして、降り立った福島空港! この空港も珍しい(^^;)。
言わずもながの赤字経営で、お荷物説も根強いが、仙台空港が震災で壊滅し、いまも完全復旧していないとなると、なかなか貴重な東北への入り口となっている。
そして、おどろくなかれ、福島空港の各所には、ウルトラマン、ウルトラヒーローがいるのだ!
どういうつながりか、円谷プロの協力の元、ジオラマまで作ってある。
今回はゆっくり見学する暇はなかったのだが、ヒーロー・オタクなら感涙ものである。
ま、私はたいして関心ないけどね。
ということで、なかなかの隠し味のある観光スポットが目白押しなのだ。
最後に、福島県相馬市の道の駅で飲んだジュースの紙コップを。
これだって、貴重なデザインだよ。紙コップ・オタクなら(いるのか?)決して外せないコレクション・アイテムだ。
ま、私は、たいして興味なかったけどね。
ともあれ、福島をオタクの聖地として売り出すか?
東北巡礼を終えて、東京まで出た折りのこと。
夜には約束があったが、それまで3時間ほどの余裕があった。
さて、どうする?
思いついたのが、ガチガチに固まってしまった身体をほぐすこと。もとから肩こりは酷いが、今回は背中が張りついてしまったかのような感触だ。なんとかせねば……と、街を歩いてマッサージ系の店を探す。
そこで目に入ったのが、タイ式マッサージの店。
よし、と飛び込みで訪れた。
お店の中は、タイ国王の写真が飾られ、真面目な雰囲気。
少し待って通されて、タイのパジャマのような服に着替える。その後足を洗ってくれて、さっそくタイ人女性にマッサージを受けた。
タイ式マッサージは、ストレッチと指圧を兼ね備えたようで、固まっていた身体がバリバリッと音を立てるような感覚でほぐされていく。
と、そこに揺れを感じた。余震だ。震度2~3くらいはあるか。
「おお、揺れてるね」
そこから地震の話をした。私は、東北帰りであることを伏せて、あの当日どうだったか尋ねた。
「このビルも大きく揺れたよ。それで、働いているみんな、怖がって、タイに帰ってしまった」
おやおや。やはり。でも、この人もタイ人なんだけど。
「でも、ママさんが『死ぬときは、どこでも死ぬ!じたばたしない!』といったので、私だけ残ったの」
お? それでは……。
「私とママさんだけで、この店開いたよ。休みなしで頑張った」
うんうん。ちょっとしんみり。
「私言ったよ、『ママさん、地震の前に疲れて死んじゃうよ~』(笑)」
(^^;)(^^;)(^^;)
「そしたら、タイにみんなが帰って数日後に、立て続けにミャンマーとの国境付近で2度大地震あった。みんな、驚いて、日本に帰って来た(笑)」
かくして、いまも無事みなさんで営業続けているそうだ。
なんか、ほっこりした。マッサージも上手かったし、これから東京に行くたびに寄ろうかな。
残念でした。「ナビ異変3」ではなく「観光ネタ2」でした。
まずは写真を。
どうだ、この桜の大木を。
これこそ、福島の名所「三春の滝桜」である。三春町にある。
このしだれ桜は、樹高が12m、根回り11m、幹周り9.5m。十分巨木の行きに入る。そして枝は22m×18mの広がりがある。1922年に国の天然記念物に指定され、日本の5大桜の一つとされた。
私は、以前福島を訪ねた際、訪れている……でも、それは冬だった。
せっかく花のシーズンに福島を訪問したのだから、見ないとねえ。ちょうどオープン日だったらしく、大変な賑わい。毎春30万人は訪れるというが、今年はどうだろう。見たところ、客足は衰えていない。ただシャトルバスなどは運行中止になったらしい。
私は、Y女史とは違う、別の女性と訪れましたo(^-^)o おほほ。
といっても、車の中から眺めるだけだが。停車できる状況にない。やっぱり桜は賑わいがないとね。
ちなみに周辺には桜の大木が多い。なんでも、滝桜から枝わけした姉妹木が少なくないそうだ。車で走っているだけでも、アチコチに満開の桜の巨木か目に入る。
やっぱり東北は、観光だよね!
こんなタイトルつけたら、クレーム来そうだ(^^ゞ。
とはいえ、今回の東北行脚では、予想外のところを訪れて観光している。
実は、松島を訪れたら、意外なほど海岸線はきれいだった。芝生に松並木。海にも観光船が停泊しており、島々の眺めも日本3景の一つである威厳が備わっている。
そして、「復活!マリンピアは不滅です」の文字。折しも午前9時。開館の時間だ。
そりゃ、入らないといけないでしょう(^^;)。なんたって入場料も半額だよ。被災者は無料ということだったが、同行のY女史は支払ったよ。
中は明るい。ペンギンが泳ぐ水槽が目の前にあり、南米のピラルクや巨大アロワナを眺めたり、不思議なサカサクラゲ! を見たり。イルカもいた。すっかり観光気分。おもわず園内モノレールに乗りたくなったぜ。
すっかり松島の被害は、たいしたことなかったんだ。なぜだろう。海に島がたくさんあるからか……と思いかけた。
が、係員は話したら、まったく違っていた。津波は容赦なく襲い、マンボウは流され、もう一歩でペンギンの水槽もやられるところだったのだ。水槽を飛び出したビーバーは、外で元気だったとか。
松並木も水族館内も50㎝以上の泥が溜まっていたらしい。それを係員と50人のボランティアによって、1か月がかりで泥をかきだしたという。その力で、復活できたばかりだったのだ。まさに我々は、そこに立ち会えたわけである。
石巻に入った日は大雨。これは野宿できんわなあ、と思っていたら、走っている道の脇にビジネス旅館の看板が。しかも電話番号付き。
あわてて車を停めて、電話する。幸い2室空いていた。しかも格安。これで夜は保証されたので、それから市内中心部へ入る。各所で関所(警官が誘導)があったが、それを突破して、瓦礫と廃墟の立ち並ぶ海岸部一帯へ潜入した。そのうち現在位置がわからなくなってくる。周りはみんな廃墟なのだから。
さて、その帰り道。予約したホテル(旅館)に行かねばならない。
でも、心配ない。名前でも、電話番号でもカーナビに打ち込めば、案内してくれる。
ま、小型携帯式のカーナビは、かなり不思議な動作をしてくれて、昨夜の幻の街でも、「あと1キロ」の表示の後にいきなり「20キロ」に延ばす強者だが、それでも地図に目的地を示してくれるから、大丈夫だろう。
……と、ところが。誘導どおり、道を進んでいるうちに、だんだん路地に入り、壊れた住宅街の中で、「目的地周辺に着きました。これで音声案内を終了します」。
おい! 旅館は幹線道路沿いだぞ!
その後は、私の記憶と女の勘(笑)で、脱出を計る。結局、ガソリンスタンドで現在位置を確認して、無事予約した旅館にたどり着けたのだが……そこは、迷い込んだ住宅街から、直線距離にして数十メートルか外れたところのようだ。
なぜ、カーナビは、こんな狂い方をしていたのか。
旅館が引っ越していた。しかし、すでに古びているが。
単なるカーナビの故障、もしくはGPS機能のズレか。
いや壊れた街の地縛霊がついた(笑)。でも、ここにカッパはいないよな。だって、宮城県だもの。
ようやくわかった。これは震災の街だからおきたことだ。それが謎解きのヒントだ。
実は、日本列島は地震で数十メートル東西にズレたのである。だから、カーナビは、かつてあった旅館の場所を示したのだ。
この解答を得たことに満足して、私は安心して眠れた。
震災に遭った東北3県(岩手、宮城、福島)を巡ってきた。
行動は、主にY女史とともに行ったのが、これが珍道中?となった。
彼女は、福島在住だったから、被災者の一人であり、その点では現地を訪ねる際のハードルが非常に低くなったし、車を出してくれたので助かったのだが……。
話題は尽きないが、初日に起きた不思議な出来事。
まず陸前高田まで出て、夕闇迫る中で「奇跡の一本松」を見る。そのために津波で壊滅した市街を走り、ときに道なき土砂を乗り越えるようなルートで松の袂までたどり着いたのだが……その帰りである。
この日は同行者がいて、それぞれ車が別。そこで宿を探すことも兼ねて内陸部に走らせた。
なにしろ外灯さえ、ほとんどない。それでも一応ナビもあるから、一関をめざす。
山を超えて下って、を繰り返しているうちに、妙な町に出た。そこも外灯は少なく暗いのだが、一応商店街が続いている。結構、旧家の町並みだ。おや、ここにも旅館があるみたいだなあ、と話していたが、まったく人気がなく、なんとも寂しい雰囲気。まだ時間的には午後6時すぎだと思うのだが。
そのうち商店街を抜けてしまった。その時に、同行の車の行方がわからなくなってしまった。そこへ携帯電話がなり、向こうもこちらの車がわからなくなったと伝えられる。
そこで、地図を見て、落ち合う場所を決める。
そして我々も、Uターン。今度こそカーナビに活躍してもらわねば。
が、Uターンしたにもかかわらず、先の商店街に出くわさないのである……。行けども行けども、山の中を走る。商店街を通らずに後戻りできる道は地図に見かけない。そもそも分岐はあったっけ。
その後曲折はあったが、同行者とは合流。しかし、あの古びた町はどこに行ったのだ……。
我々は、タヌキかキツネに化かされた? いや岩手だからカッパでしょう! と決めつけたのであった。
大阪城公園の花見に参加。
この花見は、神戸のまろうど社という出版社?が主催しているのだが、今年で16回目。
このまろうど社の社主(というのかなあ)は私の古くからの友人なのだが、彼が阪神淡路大震災で被災した年に開いたのである。彼は、ジャンバーに無精髭という、いかにも「被災者!」という姿で参加(^^;)。彼は、大いに酔って乱れたのであった。
花見自体は、その前から友人仲間で時折開いていたが、この年がエポックとなった。翌年より彼が主催者となって、毎年花見を呼びかける。
毎年ゲストを迎えるが、今回は小劇団の3人。彼らにジャム・コントを演じてもらった。その場でお題を集めて,即興で演じるコントである。これは、面白かった。ただ、「桜の木の下に埋まっている死体」にストーリーは展開してしまった……。
本ブログでも、幾度か紹介したことがあったが、常に何かハプニングが起きている。今年の場合、それは、暗さだ。
いつもペットボトルのロウソク立てているが、なんか今年は暗い。
なんたって、周りに一つも酒席がない。つまり、花見をしていないのだ。我々だけの花見でいつもごった返していることを思えば異例である。
それにしても、これでは被災キャンプではないか。
なんだか、もの寂しいぞ。いよいよ、被災地気分。
まあ、私は、福島県産の日本酒を持参し、大いに東北支援を訴えたのだけど、この雰囲気は自分たちが被災者だ。
もう一つの想定外と言えば、その寒さである。底冷えする。とても花見の季節の気温ではない。私は、下に敷いたブルーシートを身体にまきつけていた。
ああ、いよいよ被災者気分……。
でも、所詮は一夜のことよ。
やっぱり桜も紹介しておこう。静かな城内でしんみり(そうでもないか、結構騒がしかった)花を見上げるのもよいものだ。
大阪の万博公園に出かけた。
万博と言っても、最近では通じないことが多いが、1970年に大阪で開かれた万国博覧会のこと。
そして万博公園とは、その跡地に作られた上記の「太陽の塔」のあるところだ。岡本太郎の作品は、今見ても、迫力満点、その斬新さは40年たっても衰えないな。
ちょうどEXPO70パビリオンというのが作られており、当時を回顧している。折しも岡本太郎の生誕100年記念として「太陽の塔 黄金の顔展」を開いていた。これは、覗かねばなりませぬ。
これである。今ある塔のは、2代目で、これこそが、万博当時の顔なのだ。
いやあ、会場は、あの万博の熱気が展示されていて、経験者としては感動だよ(^o^)。
各種パビリオンの紹介と、そのホステスのユニフォーム。お金がないらしく、ほとんどがパネル展示だけど、それでも懐かしいなあ。
とくにこれは……。
マニア垂涎の万博会場ジオラマ模型(⌒ー⌒)。
私は、万博を記憶している世代としてはもっとも若い方で、当時は小学生だったから自分で見て回ることもできなかったけど、時代は万博一色だったことは覚えている。学校でも、家でも、世間もみんな万博のことを語っていた。そして入場者数は、6400万人! 昨年、中国の上海万博に抜かれるまでは世界一だった。
その後の万博(つくば科学博、沖縄海洋博、大阪花博、愛知地球博……)は、入場者数はともかく、時代との一体感がないよなあ。ちょっと懐かしい。
ただ、今の日本は、不孝にも東北大震災で、あの当時に近い国民の一体感が生まれているような気がする。
大阪万博の開催期間は、3月14日から183日間。東北が183日目を迎える日には、世情も落ち着いているだろうか。
3月10日、東大寺の修二会、いわゆるお水取りを観覧してきた。
お水取りは、1日から14日まで毎夜ある。が、初日と大籠松明が出る12日、そして14日が人気で満員となる。とくに今年の12日は土曜日だから凄まじくなるだろう……。ともあれ、10日は穴場の日と睨んだ(^o^)。
それでも開始(午後7時)の2時間半前から現地入りして寒さに絶えて場所取り。徐々に人は増えてくる。この日は10の松明が走る。
お水取りは、大きな松明を二月堂の舞台に掲げる。
このように、舞台に運び上げると,大きく揺すって炎を大きく上げる。
そして舞台を走る。ここで火の粉をいかに散らして美しく見せるか。
そして、反対側まで来ると、最後の輝きを散らす。
松明の燃え方をうまく制御することが必要で、美しく見せると歓声が上がる。若い僧にとって見せ場だろう。これは宗教行事で、拍手をしてはいけません、と何度も言われていたが、思わず手をたたきたくなる(^o^)。そこをぐっと堪えて、手を合わせて合掌するのだが。
ちなみに、籠松明とはこんな形。
太く長い竹の先に杉葉でつくられている。
が、今年は珍事があった。こんなこと1260回目のお水取りでも何回あったか。
3番目だったか、威勢よく舞台が駆け上り掲げたのだが。
あまりに大きく揺すりすぎた?のか、
ボトッと、松明の先が落ちたのだ。火の玉が燃え上がり、二月堂階段の囲いに引火!
あわてて消火に飛びつくが、水を噴霧してもなかなか消えない。いや、必死。
でも、もっとも情けない思いをしているのは、この松明を抱えて走った僧だろうな。せっかくの見せ場が、最初に落としてオシマイ。舞台を走ることもできなかった。
いや。この珍事さえも見せ場だったかもしれない。だって、観客は喜んだもの(^o^)。
ともあれ、奈良時代から一度も途切れないこの行事は、今年も続いたのである。(写真は、お松明終了後。ただし宗教行事はこの後も続く。)