森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

遷都祭と朱雀門

2007-04-30 11:38:02 | 林業・林産業

29日は、遷都祭のアースディ・イベントに参加してきた。

奈良・平城宮跡地で開かれるイベントで、2010年の平城遷都1300年に向けて開かれている。世界遺産登録されてからだっけ。

ここに、吉野チェンソーアート倶楽部もデモンストレーションすることになったのである。招待されたのではなく、あくまで場所を提供されただけなので、これは経営的に意味があるのかという議論もあったのだけど、まあ、普及を図る現時点では、倶楽部とスクールの告知も必要だということで参加したのである。

幸い、素晴らしい晴天の下、上々の環境で行えた。場所は、会場の外れだったのだが、それなりのギャラリーは集まってくれた。こちらからは3人が出演。詳しいことは、出来杉計画を見てください(^o^)。

ちなみに写真は、福本雅文さん。森の名手・名人に選ばれた人である。分野は、大径木伐採。吉野でも数少ない、1mを越えるような大木を伐れる人だ。

実は、会場には朱雀門や大極殿など、平城宮の建築物の復元が進んでいる。いずれもヒノキの大木を大量に使った一大プロジェクトだ。そして福本さんが伐った木も使われているのである。

朱雀門には、葛城山で伐ったヒノキの大木が使われたとか。直径は80センチくらいで8m、しかも節なし。こんな木がまだ残されていたのかというような良材だ。
ところがびっくりしたのは、その値段。あえて明かさないが、所有者から買い取ったのは、ほとんど捨て値である。なぜなら傾斜45度の山のとんでもないところにあり、ほとんど伐採と搬出不可能と思われていたからだそうだ。
それを福本さんは伐採し、へりコプターで吊り上げたそうだが、乾燥後も2,6トンあり、限界に近かったそうだ。それが転売されて、朱雀門に行き着く頃には……。

どんな大木、銘木でも、伐り出せないと価値は生まない


今後5年間は…

2007-04-28 11:23:55 | 政策・行政関係

最近、森林組合関係でよく出る話題は、

今後、5年間は食える。仕事に困らない」である。

なぜなら、政府の「美しい森林づくり」構想で、5年間で330万ヘクタールの森林整備(ようするに間伐促進ですな)をすることが決まったからだ。言い換えると、5年間は仕事が作られるということだ。もう一回言い換えると、森林整備に補助金をつぎ込むということ。

森林組合がホッとしているのもわかる。が、これでよいのか?

せっかく危機感から進み始めた意識変化や改革への動きが、この政策で見事にしぼんだのが感じられる。森林組合の幹部はたいてい高齢だから、5年間は長い。当面、あくせくしないで済むとなれば、気が緩むだろう。しかし、5年後にもっとも影響を受けるその下の世代は…。

国も、国際公約の二酸化炭素削減になりふり構わないのだろうが、そのために改革の芽を摘むことになるのは残念だ。
仮に森林吸収分を達成しても3,8%だからなあ。ほかの分野も加えても、いったい何%の削減が実現するやら。6%削減というのは、1990年に比してだから、現状からは実質14%以上の削減を実行しないと公約破りになるわけで、ほとんど絶望的だ。

ところで、丹波の森林ビジネス塾の受講生の中には、これまで手にしたこともないビジネス書を読み始めた森林組合員もいるそうだ。早くも意識が変わり始めている。
期待しよう


今年の入試問題

2007-04-27 11:40:57 | 出版後の反響

日本著作権教育研究会から通知が届いた。

今年の宮崎産業経営大学の入試問題に、拙著『里山再生』の一文が使われたようだ。それを入試問題集に掲載するための許諾願いである。

今年は、宮崎の大学か。もちろん国語である。このところ、『里山再生』(洋泉社新書y)が問題に使われることが増えている気がする。ちょうど絶版?になって、手に入りにくくなったことが理由かな?

内容は、「緑のダム」について論じているところ。これは6月に出版予定の平凡社新書でも論じていて、永遠のテーマのようだなあ。

ちなみに某書にも、再版の話が持ち上がっている。こちらの方は、まだまだ未定なので、ここでは公表できないし、ちょっと難しいかなあと思っているが、有り難い話である。何でも、手に入れたいという熱心な読者がいたからだそうだ。

こうした話があると、著者としてはやる気が出る。


『割り箸はもったいない?』

2007-04-26 20:50:10 | 仕事関係

本日、筑摩書房から、新著の見本が届いた。

『割り箸はもったいない?』 ー食卓からみた森林問題
                        (ちくま新書 定価680円+税)

ついに完成、である。ただし、書店に並ぶのは連休明け、早くても5月に入ってからだろう。価格が比較的安いのは、少し薄いからかな、いや、最初から増刷を狙っているからである。(ということにしておこう)。

サブタイトルにあるように、これは単に割り箸の本ではなく、森林問題の本という位置づけがされている。帯文を載せると、

エコロジー幻想が生んだ誤解
日本の林業における割り箸の役割に光を当て、
森林問題の本質を現場から考える。」

思えば、昨年の今頃は、中国が割り箸輸出を停止する」というニュースが駆けめぐっていたのだった。それから1年後の出版、遅すぎたか、まだ間に合うか、それとも先駆けとなるか。


獣害列島

2007-04-25 00:33:56 | 森林モノローグ

日曜日は、統一地方選…で、騒がれていたが、実は私が、その晩テレビで見ていたのは、開票速報ではなく、NHK教育のETV特集「獣害列島」である。これは見応えあったねえ。

クマ、イノシシ、シカ、カモシカ、サルなどの獣害に悩まされる各地を立松和平がレポートしているのだが、私の心に引っかかったのは、宮城県のサル害。
そこで日本サル学の大家・伊沢紘生氏(元宮城教育大学教授)。

「獣が人に追われているなんて、ウソ。冬は食べ物がないから樹皮をかじっているというのも違う。彼らは、その時々の環境に合わせて何でも食べ、生きていくんだ

そのような意味のことを言っていた。伊沢氏は、野生サルの群にボスザルはいないことや、海岸まで下りて海草を食べるサルがいることを発見した第一人者である。我が意を得たり、だった。

私も、野生動物は人に追われて生息域を狭められているから人里に出てくるんだとか、食べ物がないから人里に出てくるという意見は、うさん臭く感じていた。山に食べ物があっても、人里の田畑を狙うし、樹皮も美味しい餌のはず。冬の山では生きていけないような見方は、彼らの生命力を馬鹿にしているような気がしていたからだ。

そのことを一番よく知っているのは、山里に住む人々ではないだろうか。登場した一人は、「いくら柵を作っても、ケモノの方は、今度はあそこを破ってやろうとか、2、3日はおとなしくしておいてやるかと相談しているんじゃないか」と笑っていた。

最大の原因は、人が獣とのつきあい方を忘れたことにあるのではないだろうか。獣を見たら追う。常に警戒を怠らない、という戦前まで続いた文化が途切れたことが、獣害を生み出したような気がする。


Amazonの検索

2007-04-24 15:46:41 | 出版後の反響

Amazonで、自分の名前を入れて検索してみた。

当然のことながら、拙著がそれなりに並ぶ。ところが、それとは別に「なか身! 検索」というコーナーがあり、書籍の中で私の名前を検索してくれる。

つまり、私の本や名前を掲載している本を見つけ出してくれるのだ。そこを開くと、戦記物とか、旅ものなどが登場した。どうやら参考文献に『チモール』とか「『里山再生』が並んでいるらしい。姓と名を別々に検索したりしている部分もあるが、最近はこんな機能もあるんだなあ。

私の本は、結構参考文献をたくさん並べている。今回出す2冊もそうだ。ずらずら2ページ以上、下手すると3ページにもなるだろう。なかには、何で? と思う本も混じっているが、ちゃんと参考にする部分があったのだよ。

これが「なか身! 検索」に引っかかるケースもあるのだろうか。


山越える…

2007-04-23 23:38:53 | 仕事関係

本日、遅れに遅れていた原稿書き上げて、送る。さらに初校や図版関係の整理も済ませる。これで、仕事の山を越えたはずだ……。

同時に2冊の出版計画を進めるなんて、とんでもないことだと痛感した。
これまで年に1冊しか出版しなかったのだが、世間には年間4、5冊出版している売れっ子作家がたくさんいる。

私も奮起して、少しは真面目に仕事をしようと思ったのだが、今回で懲りた。
私には無理だ。なんとか入稿したものの、頭の中がいっぱいいっぱいになる。やっぱり根が怠け者なんだなあ。

本日、『田舎で起業!』の増刷分が届く。初版とは、誤字などを修正する程度しか変わっていないが、こちらもホッとする。また割り箸本の契約書も届いた。

ちなみに割り箸本の発行日は、5月初旬だった。もう1冊の森林本は、6月。乞う、ご期待である。


無料マンガ誌

2007-04-22 13:28:32 | 時事ネタ

私の手元に、マンガ誌「コミック・ガンボ」がある。
と言っても、知っている人は首都圏以外では少ないだろう。というのも、この雑誌、東京で無料配布しているのだ。私は、この前の訪問時に、どこの地下鉄駅前だったか忘れたが受け取った。

無料と聞いて軽んじてはいけない。約220頁あり、吉田ひろゆき、江川達也ほか有名漫画家も連載している。一般の有料マンガ誌と遜色ない

なぜ無料なのかといえば、広告収入があるから。フリーペーパーと同じである。それにしても、雑誌まで完全無料で、街頭配布(人件費かかるだろうな)とは恐れ入る。

もともと雑誌は、通常でも6割7割が広告費で賄われているが、マンガに対して読者が支払う対価よりも、広告の方が価値があることを示している。いわば価値観の転換が起きていると言えるかもしれない。
マンガも、作品としての質よりも、広告を消費者に届けるツールとしての価値が求められているのだろうか。お金を出して買わせるには、作品の人気・質が重要だが、無料となると、質より配布力の方が重視されているような気がする。

そういえば、今日は統一地方選挙投票日。わが町でも市議会選挙がある。ちょっとスキャンダルで全国のニュースを賑わせてしまったが、そのため議員個人の資質よりもイメージ優先になりそうだ。これも能力よりイメージだ。

木材も、商品としての機能よりも、イメージの方が大切な時代が来るかもしれない。

ちなみに私は、「コミック・チャージ」に清原なつのが連載している筒井康隆の「家族八景」が読みたい…。


森林ビジネス塾開講!

2007-04-21 00:34:29 | ドーデモ体験談

時折、紹介してきた森林ビジネス塾。ついに兵庫県丹波市で開講した。

念のため説明しておくと、これは森林ビジネスを教える塾ではない。森林関係者にビジネスの基本を教える塾だ。結果として起こすのは森林に関したビジネスになるわけだが、森林に関して教えることはしない。だって受講生の方が林業の専門家だから。
また正確に言えば、勉強する場ではない。事業を興す場である。

第1回目の今回、私がガイダンスで言ったのは、「丹波森林興業」の設立である。そして塾は「新規事業部」。ここで新規事業を立ち上げることになっている。会社の経営状態は極めて悪く、ここで新規事業を成功させないと、会社は倒産してしまう。すなわち丹波の森林は再生できなくなる。

とりあえず森林を舞台にした事業テーマを4つに分け、それぞれに取り組むチームを編成した。参加者は森林組合の若手中心で、心配していた「いやいや参加」「しらけ参加」は見受けられず、みんな意欲的。
本当の講義は来月から各界の専門家(を招いて順次行う予定だが、まずは好スタートだったと思う。

目標は、11月の丹波地域木材フェア。これまでに、どんな事業が立ち上がるか楽しみにしよう。

私にとっては、吉野チェンソーアート倶楽部に続く、実業の世界第2弾である。書くだけ口先だけの虚業から踏み出した記念すべきお仕事。しっかり成功させて、その体験を記事にして、儲けよう(これって、虚業じゃん)という魂胆である。


クローズアップ現代が林業を…

2007-04-20 00:23:16 | ドーデモ体験談

昨夜(4月19日)のNHK「クローズアップ現代」では、日本の林業事情が取り上げられていた。森林復活?と題して、活況を呈しはじめた国産材の現場と、その問題点を紹介していた。

しょっぱなから「安い外材」を連発し、皆伐を悪とする論調だったのでうんざりしたが、全体としてはよくまとめていたのではないだろうか。途中で木材の値段が国産材と外材で逆転したことも説明していたし、コメンテーターの遠藤日雄・鹿児島大学教授が、注釈を入れて間違いを正していた。「スギは世界一安い木材」という発言には、ちょっと驚いたが。
また、乾燥していない国産材が、建築材としては欠陥材扱いされる様子も描いている。あれを見ていたら、私も国産材で家を建てたくなくなる。

それにしても、熊本の100haを越える大面積皆伐・再造林放棄の現場は、聞きしにまさる。単に広大な皆伐というだけでなく、フォワーダによるひどい作業道が山肌を破壊している。やっぱり、アレじゃいかんだろう。視聴者の中には、林道は自然破壊、林業が盛んになったら森林が荒れると思った人も少なくないのではなかろうか。

国は、間伐推進に血道を上げて、それで美しい森林づくりを唱えているが、禿山よりは無間伐林の方がマシ。再造林放棄問題にも力を入れてほしい。だいたい熊本は、松岡農水大臣の地元だぞ。

ところで、このプログでクローズアップ現代を紹介するのは、3度目である。案外、相性がいいのかも。


祭かビジネスか

2007-04-19 15:15:25 | 田舎・田舎暮らし

昨日は東京へ行っていた。

そこで聞いた話。ある田舎地域にある木工所がつくる商品を扱っている店が、注文を出した。結構多い量である。ビジネスとしては悪くない話だ。

ところが、契約に合意したはずの木工所のオヤジさんは、あっさり納期をすっぽかすのである。焦って問い合わせる。が、出ない。言づけを頼んでも反応がない。

後でわかったのだが、そのオヤジさん、地域で有名な○○祭に出かけていたのだ。

だって、仕事だろ。一度OKしたんだろ。祭に行きたければ、それより前に仕上げるよう努力するもんだろ。仮に遅れるとしたら何日間延ばしてくれ、と交渉するもんだろ。

そうしたビジネスの常識が通用しない。しかも、このオヤジさんだけではない。むしろ田舎では普遍的なケースである。

ここで、田舎のビジネス感覚を批判したくなるのは私も同じなのだが、そもそも田舎の人にとって、祭とビジネスのどちらが大切なのか、問いかけたくなった。

表立っていうかどうかはわからないが、やはり祭なんだろうな。所詮、仕事より生活である。熱心にやるとしたら、それは生活の一部としての仕事、生業の場合であって、世間的なビジネスは、二の次三の次なのではないか。

そう考えると、豊かな精神の元に生きているなあ、と羨ましくもある。が、やっぱりオレも直面したら怒るだろうな。すっぽかすのは、なあ。


借地林業の復活を

2007-04-17 01:30:51 | 林業・林産業

林野庁が公表した今年の木材需給見通しによると、木材自給率は、20,5%にアップする見込みだという。(前年は20,0%)

総需要量は微増(8740万立米)だが、国産材が2.6%増、輸入材が0.3%増と見込んでおり、自給率は0.5%程度持ち直すという計算だ。この数字を吉報と捉えるか微々たる数字と見るかは人によるだろうが、とりあえず国内林業には追い風が吹くと睨んでいるようである。 

ただ、これらの数字は、木材の量だ。金額ベースではどのくらいになるのだろうか。安いB材中心の需要だと、全体の伸び率は0,5%行かないかもしれない。

近頃考えるのだが、何も国産材は売れなくてもよいのではないかと(笑)。
こんなこと言うと怒られるが、必要なのはお金になることだ。山村にお金が落ちること であって、木材供給は町側の都合ではないか。出荷する木材の量を競う必要はないのかもしれない……。

問題は、どうやって利益を増やすかだ。銘木のような高級化はもう無理だろう。

実は、山村が窮乏した時代は、昔もある。多いのは江戸時代初期だ。なぜなら、この時代に天然林は過伐で資源が底を突いた。山村は食えなくなったのだ。そこで、山を売ってしまった。ただし、利用権は村民に残した。そして山仕事の費用も町の山主に出させた。これが借地林業の構造である。

これを現代ももう一度やる。森林をどんどん競売にかけて町の住人に売り飛ばしたらどうだろう。そして、自分の森だと思えば、山に通うかもしれない。そうしたら交流人口が増える。村では、山主様、と持ち上げて満足させる。そして管理費用を取る。
ただし、ここでも立木権は山村に残す。経営に口を出させない。森林所有のロマンだけを味わってもらう。森林証書を売って、木は売らない。木を売って利益を上げても、山主には、ほとんど還元しない(笑)。

山村には、不在地主の森林を管理する組合をつくる。実は、山主様の接待係である。気持ちよく山に滞在させて、管理費を出してもらうと送り返す。

借地林業の時代にもどすのだ(笑)。方法は、森林に関する課税(たとえば森林購入に関する税金を安くする。森林所有者には減税する……など。)を操作すれば、わりと簡単に誘導できるような気がするのだが。あるいは、山村が抱える借金を、山で支払う。(借金棒引きの代わりに山を渡す協定を結ぶ。)
案外、ロマンに金を出す人は少なくないはずだ。


なんだか、金塊を売って証書だけ渡すような詐欺商法ぽいが、これくらいいいじゃないか。


今日の出来事

2007-04-16 00:42:00 | 仕事関係

今日は、久しぶりにチェンソー持って山へ。
いくらか木や竹を伐って、ついでにタケノコ2本掘る。また少し傷んだ林内の階段などを補修。その後もうろうろして、今後、森をどのように手入れするか考える。ここを切り払って竹林を整理するとか、ちょっと隠れ家的な基地を作ろうかとか。遊歩道も作らないとな。それと、ゴミ掃除。ハイカーのバカタレが捨てていくゴミをなんとかしなければならない。本当は冬の間にするつもりだったのだけど、ほとんど動けなかったから、これから夏までが勝負だ。

その後は棚田の巡検。菜の花畑やらタンポポが咲き乱れる。一部にはレンゲもあった。こうした光景を目にして、放置棚田を景観的に活かす方法を考える。景観アドバイザーのような役割を設けて、放置田の持ち主に相談して、美しい景観づくりをできないか…。

それにしても、里山は桜の名残とともに、新緑一歩手前。葉が開きかけの薄茶と緑が混ざった色で覆われている。ああ、カメラを忘れたのが失敗だ。(写真は、携帯でタンポポ)

 

え? 仕事していないじゃないかって? 七転八倒して、ようやく思いついた原稿のアイデアはどうしたって? ……ああ、そんな話、昨日書いたな・・・。

いや、これも森林ジャーナリストとしての仕事なんですよ。森林と触れ合わないと森林について語ることはできないからね。(なんて便利な肩書なんだ!)

 


七転八倒

2007-04-15 11:02:19 | 仕事関係

昨日は、朝から少し校正をして、午後から町を散策。行きつけのカフェでうだうだ言ってから散歩に出て、気がつくと山の中に。なぜか道のないところをサンダルで歩いたり、谷を下ってイノシシのヌタ場に出くわしたりしつつ、結局は家に帰る。
夕食後は、うだうだテレビを見たり風呂に入ったり、パラパラ本をめくるが、ゆっくり読む気になれず、インターネットでネット・サーフィンするも落ち着かず、深夜にキッチン・ドリンカーとなる……。

何をしているかと言えば、書かねばならない原稿の書き出しを考えていたのだ。ああだこうだと悩みつつ、おお思いついた! と喜んだのも束の間、冷静に考えれば使い物にならず、また七転八倒。ならば、この話題はどうだ、いや、この手で行こうと考える度に、読者はつまらなそうな顔が浮かび、引っ込める。時間がない、と焦りつつも、これが最後のチャンスとうなる。

ようやく深夜の酔った頭で思いついた。原点に返ってアノ話題で行こう。なんだか出来が良さそうじゃないか。

……というわけで、見た目は何も仕事をせずブラブラしているように見えるけど、決して遊んでいたわけではないのです、多分…。

誰も認めてくれないから、ここで言い訳しておく。

 


割り箸供養

2007-04-14 01:40:36 | ドーデモ体験談

昨日は、久しぶりにのんびりして(仕事をさぼって)、庭で焚き火をした。

燃やすのは、庭に溜まったリター(落葉や落ち枝)のほか、溜めておいた使用済み割り箸である。それに蒲鉾板も加える。

いわば、割り箸供養みたいなもの。自宅で使用した割り箸を眺めてしみじみ?する。

庭は、はっきり言って荒れている。というか、雑草がそこそこ生えているのが好きなのだ。きれいに整備した庭は、落ち着かない。それに、いくら手入れしても、時間とともに変化する。この家に住んだ年に植えた木が、すでに高さ5mくらいに育っている。椎茸のほだ木も、ぼろぼろになって土に還る手前のものもある。

あんまり煙が出ると、住宅街だからまずいのだが、少し庭がすっきりした。ついでにチェンソーも少しいじっておく。この冬はほとんど使えなかったが、これから森の整備に使えるよう試運転。もっとも、住宅街でチェンソーをうならせると、これまたまずいので、せいぜい1分くらいで終わらせる。

さて、明日からまたお仕事、お仕事。