版元よりファックス。
南日本新聞10月23日の紙面に書評が載る。たしか、この新聞は鹿児島発で、奄美諸島などもエリアにしていたと記憶する。
ちょっと意外だったのは、評者が「ウッドマイルズが面白い」「国産材を使うきっかけになればと思う」と記していることだ。
森コロの中では、認証制度などに触れた第3部が一番読みにくいのではないかと想像していたのだが、ウッドマイルズという発想に興味を示す人がわりとたくさんいるのだなあ。
版元よりファックス。
南日本新聞10月23日の紙面に書評が載る。たしか、この新聞は鹿児島発で、奄美諸島などもエリアにしていたと記憶する。
ちょっと意外だったのは、評者が「ウッドマイルズが面白い」「国産材を使うきっかけになればと思う」と記していることだ。
森コロの中では、認証制度などに触れた第3部が一番読みにくいのではないかと想像していたのだが、ウッドマイルズという発想に興味を示す人がわりとたくさんいるのだなあ。
キンカンの木にミカン、ネーブル、ポンカンの実がなる。父の作品である。
写真ではわかりにくいかと思うが、本当のこと。父がキンカンにほかの柑橘類を接ぎ木して育てたら、それぞれの実が実った。
「次はレモンをしようか」なんて言っている。
ま、植物にはいろいろな可能性があるということで。
蒔絵職人に会ってきた。
蒔絵とは、漆と金粉銀粉などによる日本独特の芸術である。
その凄さは筆舌に尽くしがたいが、実は木材商品の最終形態であるとも感じた。
つまり、まず木地師が、木材から“繰りもの”と言われるろくろ挽きの器類を生産する。
それが水や腐食に強くするために漆塗りの技法が開発される。もちろん漆は樹液であり、森林資源の一つである。それがつくる皮膜こそ、天然素材最強の耐久性を保証する。
ところが、漆に何らかの顔料を混ぜることによって、絵を描く技法が生まれた。また漆を盛り上げることで立体感もかもしだした。かくして蒔絵が生まれた。
蒔絵を磨くために使われるのが、研ぎ炭。アブラギリやホウ、ツバキなどの炭で表面を磨くことでその美しさは現れる。
本物の蒔絵は、どんな素材の上に描いたにしろ数十万~数百万円の価格がつく。これほどの付加価値はほかにないのではないか。
素材の価格も凄い。金粉がグラム当たり万の価格がつくのは想像できるが、研ぎ炭たって1キロ2万円もする世界最高値の炭であ.る。筆もクマネズミの毛を集めた特殊なものでなければならない。
そのいずれもが消えゆく技法でもある。
な~んか難しいタイトルだが、実は突然我が家に届いた封筒。
そこに入っていたのが
「バイオマスエネルギー地域システム化実験事業」に関する提案書
なのだ。さらに「粉炭燃焼器に関する開発研究」なる報告書も入っている。
なに、コレ???
手紙も付いていた。どうやら以前のフォーラムで一度だけあった某大学教授からである。そして上記の研究をNEDO(新エネルギー開発機構…だったかな)の提案応募したのだという。そこには委員会を設けなくてはいけないが、時間がなかったので私の名を加えておいた……ということらしい。
なに、コレ???
ようするに私は、知らぬうちにバイオマス事業の委員会委員になったわけか。
ところで内容だが、なかなか難しいのだが、山側産業システム(木材産出)と街側流通システム(バイオマスエネルギーと木質エコハウス普及)を組み合わせた都市間連携システムを創出をめざすとか。
とくに「焼き板」と「剪定枝」「粉炭」の市場とネットワークづくり、一方で粉炭燃焼器とスターリングエンジンをの稼働実験(技術調査)を行うらしい。
ここでもスターリングエンジンが登場した。こちらはデンマーク製。論文付きだが、よくわからない(笑)。
よくわからないけど、おもしろそう。
街を歩いていると、各所で植木屋が庭の手入れをしている。ちょうど剪定の季節なのだろう。
実は、我が家でも庭木を伐り始めた。小さな庭に、たくさん木を植えすぎたので結構暗くなっていたのだ。夏の間はそれも涼しくてよいのだが、そろそろ日射しが恋しくなる。そこで日が入るように延びた枝をバサバサと落としている。
問題は、クヌギである。これは山で拾ったドングリを庭にまき、そこからでた芽を育てたものだ。もう5年や6年はたつが、すでに庭のどの木よりも高くなってしまった。そこで夏前に伐ろうかと思ったのだが、よく見ると枝にドングリがついていた。
それならドングリを収穫してからと思って残してある。だから年末には伐ろう。そしてシイタケの原木にする予定だ。そして切り株から萌芽を育てて再生する。
雑木林の更新を自分の庭で確認してみるのも悪くない。
問題は、剪定枝だ。結構膨大になる。狭い庭には置くところがないので、往生する。ここでは街路樹の管理の大変さを少し体感できる(*_*)。
そこで少しずつたき火にしてしまおうと思う。市街地だから、あまり炎や煙は上げられないけれど、目立たないように、ね。
「日本で最も美しい村」連合が結成された。
なんや、それ? と思うだろう。私もそう思う。
ようするに美しい景観を守ることで地域活性化を図ろうという運動というか、戦略である。現在は7つの町村が、設立に参加しているが、今後希望地域を募集し、来年1月にはNPO法人の認証を取得する予定だという。
今回呼びかけたのは北海道の美瑛町で、ほか北海道赤井川村、山形県大蔵村、徳島県上勝町、熊本県南小国町、岐阜県白川村、長野県大鹿村。すでに地域づくりで有名なところが多い。面白いのは、この7町村は、いずれも町村合併を拒否したところだということだ。
http://utsukushii-mura.jp/
「美しい景観」といっても、いわゆる自然の景勝地ではない。棚田や農村歌舞伎、合掌造り、山麓の草原などの風景と文化を育む地域だそうだ。同連合への参加条件は、人口1万人以下、人口密度が1平方キロ当たり50人以下、地域資源(景観、環境、文化)が2つ以上ある、そして保護策を持っていること……など。
いわば、文化と風景の認証制度?みたいなものか。
これはフランスの「美しい村」運動に範をとっており、彼の地では、厳しい基準をクリアして加盟したところは旅行ガイドブックなどにも掲載されるから、観光客も増えるそうだ。すでに「世界で最も美しい村連合」も設立されて国際的な組織も誕生している。
結構なことである。ただ、参加町村は、どこまで本気なのだろうか。風景を資源とすることは大切な発想だが、非常に維持管理・拡大が大変である。これまで森林交付税構想とか、田園都市、森林都市構想など、いくつもあったが、いずれも雲散霧消した。
外国のシステムを持ち込むだけでは、根付かない。連合に参加したらOKということでもない。お上が踊っても住民がついてこない例は山ほどある。その点は、森林認証制度や木材認証制度と似ている。
覚悟して取り組んでくれよ。
森林を資源として見る中で、ほとんど諦められているのが木材の自給自足。
今や日本の木材自給率は18%である。近年、コンマ以下のレベルで回復しているのだが、それは国産材で合板や集成材を製造され始めたから。今後回復しても2割、3割が限度のように感じられる。
考えてみれば、江戸時代までをのぞいて、日本が木材を自給できた時代があるのか疑わしい。明治に入ると、すぐ木材輸入が始まり、また蝦夷地の開発も始めた。それでも自給率は8割7割6割とじりじり下がっていった。戦争中でさえ、樺太や満州、台湾などの植民地から木材供給が期待できた。
しかし、木材の総量としては持続的に自給できる可能性はあるのだ。
東京大学の白石則彦教授の試算によると、1000万ヘクタール以上ある日本の人工林をすべて木材生産林として、70年で回復するように伐採量を計算すると、70分の1ということで約15万ヘクタールを伐れる。ヘクタール当たり平均蓄積を500立米とすると、主伐だけで約7500万立米の木材が生産される。間伐材も入れて、有効木材生産量を1・3倍と見積もれば9750万立米。1・5倍なら1億1250万立米。
この数字は軽く日本の木材需要(9000万立米前後)を上回っている。
生産林面積の見積もりを多少下げたり伐期を変えても、たいして影響はない。現実的には木材の種類が限られた用途もあるし、パルプ需要もあるから1割2割は輸入しなければならないだろうが、計算上は十分日本は木材を自給できるのだ。いや、輸出に回しても問題ない。
う~ん、すごい。
宮崎の国産材の中国輸出を手がけている会社の社長から電話があった。
雑談したところで、一つ質問する。
「今夏、住友商事が北海道の木材を中国輸出した件は関係あるのですか」
そう、住友商事が、北海道のエゾマツ・トドマツを中心とする北海道産丸太4000m3を中国に輸出したのである。荷揚げ地は上海近郊。大手商社による国産材丸太の中国輸出は初めてだけに気になっていた。
答は、否。関係ないそうである。この会社が狙っているのは、北海道のカラマツ材を梱包用材として輸出することだったが、今回のは昨年の台風18号の風倒木を建築・土木資材として輸出したものらしい。その意味では、1回きりの試みだが、純然たるビジネスベースでこんな動きがあったことは注目したい。
日本では被害木として補助金で処分するしかない木が、中国に運べば商品となる。この点は木材の価値が消費目的によって価値を持つのである。
大仏殿を訪れた。やはり大仏様は大きいなあ、と観光客のような感想を持った
実は写真を撮りに行ったのである。大仏、ではなく、大仏殿。とくに柱だ。
次に行う講演で使うためだ。世界最大の木造建築といいつつ、その柱は寄木であること、そして天井には鉄骨が入っていることを示そうというわけ。明治の大修理の際に、痛んだ梁を取り替える巨木がなくて鉄骨を使ったのだ。この点は森コロの前書きにも書いた話である。
実は東大寺の裏手には、春日山原始林がある。その名のとおり原始林で世界遺産にも指定されている。都市に隣接して原始林があることは、世界的にも珍しい。一方で吉野林業の人工林もあるわけだし、生駒山という典型的な里山もある。
これらをセットにして講演の材料にしようというわけ。奈良の素材ばかりで日本の森を論じるという壮大?手抜き?な計画である。
ついでにシカの写真も撮った。奈良といえば、大仏とシカ。これもセットである。奈良観光も売り込んでこようかな。
ところで、シカの写真を撮るときに気がついたのだが、大仏殿前にはマツの巨木が並木を作っている。これを伐って大仏殿の梁にできないかな、と考えてしまった。
「時事評論」が届いた。
発行所は外交知識普及会という難しい団体だが、薄い小冊子である。官僚向きの話題提供を目的とする媒体といったところだろうか。
ここには自著自賛というコーナーがあって、著者自ら自著を褒めたたえるという、なんともいやらしい記事が載っている。で、今回が『だれが「日本の森」を殺すのか』(笑)。
もちろん私が書いたのである。実は9月号に載るはずだったのが、先般の都合でずれたのだが、改めて読むと恥ずかしい。
基本的に読者は森林問題に素人だから、どこまで突っ込むか考える。
まず日本の森が荒れていることは知っているだろうか。
荒れている原因が、木を伐りすぎたのではなく、伐られないことにあることを知っているだろうか。
そして伐らない理由は、国産材が使われないことだということを知っているのか。
そこまで突っ込んだ上に、森コロの世界がある。それをどう表現するか。
「現代の“木づかい”を追うことで、日本社会の一断面を描けないか。そして、日本の森を救う道筋を探ってみよう─そんな思いを込めて書いた」
先に「森林で働く」(大成浩一著・ぺりかん社)を紹介したが、ここで森林を舞台にした仕事について考えたい。
山仕事と言えば、森林組合がまず頭に浮かぶが、ここに勤める人は、本当に森林のプロだろうか。実は森林組合の仕事は必ずしも山仕事ではない。むしろ多くは事務仕事。とくに補助金の申請窓口なんぞを収入源としている。作業班を持たない組合も多い。
すでに山に仕事がなくなってきているのだ。いや、仕事はある。山が荒れている、と言われるとおり森林管理(育林)の仕事はそれこそ山ほどある。が、発注するお金がない。だから仕事が発生しない。林業に就いている人の中には、一年のうち何カ月かを失業保険で過ごすケースもある。
だから、せっかく山村に移住したのに、仕事がなくて町にもどる人も出ている。
しかし、あまり嘆くばかりはどうか、と思う。今ある下刈り、枝打ち、間伐……などは、もっと機械化して、将来的にはロボットがやってくれるようになればいいな、と思っている。残念ながら私の学生時代、つまり20ン年前から研究されているのに、あまり実用レベルに達していないようだ。しかしハーベスタなどの重機が登場し、乗り物から降りずに山仕事をする時代に入りつつある。
山で働くということを肉体労働と同義語にすることはない。むしろ頭脳労働にできないか。森林利用計画の立案やガイド、インストラクター的な仕事もあるだろう。また森林資源の商品化、そして営業。さらに異業種とマッチングするコーディネート的な仕事もあるはずだ。
そこまでできて、本当の山の、森のプロと呼べるような気がする。
中断していた森林資源シリーズだが、パソコンもほぼ復旧したことだし、また続けようかなと思ったところで思いついたのが、フィトンチッド。主に樹木から発散している揮発性物質だ。
正確には「殺菌素」という意味があって、ロシアで樹木が敵対する虫や菌類を寄せつけないように出す物質として示されたのだが、日本ではむしろ人間の体によいものというイメージが定着したよう。いわゆる森林浴で、心身を穏やかにして癒しを与える物質と思われている。
ま、それはいい。だが、それを資源と言えるか。
実は資源にする動きが急だ。森林浴に新たな価値をつけた森林療法が認められつつあり、フィトンチッドもその一要素だからである。
国主導で、森林の中を歩いたり活動することで、心身を健全化する森林療法(セラピー)の基地を全国に作ることになったのだ。候補地として30いくつかが選ばれている。
実は10月15日、16日に長野県飯山市で第1回森林セラピー基地候補全国サミットが開催された。ここで森林セラピーは、地域起こしの素材として扱われ、まさに資源化したといえるだろう。そのうちフィトンチッド入りの風船とか缶詰が売り出されるかもしれないなあ(笑)。
公明新聞社から、10月17日付の公明新聞に『だれが「日本の森」を殺すのか』の書評を載せた旨、連絡があった。
そして版元より、さっそく記事がファックス。書き手は塩野米松さん。アウトドア系の聞き書きを得意とするライターで木に関する著作も多い人だが、この名前とともに、森コロを評するのにぴったりかもしれない(笑)。
内容も濃い、というか、森コロのことより能弁に林業について語っている。おそらく拙著のベースとなる日本の森の危機は、塩野氏自身が見聞きして詳しいのだろう。だから森コロを紹介する部分で取り上げているのは、未来の可能性である。
「手の掛けられぬ山は悪魔だ。木は使うことで、資源を保ち、尽きぬように育成できたのである。林業の再生に日本の未来はかかっている」
ようやくパソコンが全面復旧した。といっても、データを失ったりソフトが新しいパソコンと適合しなかったりするので、まだまだ大変だが…。
この5日間の間に書きたい話題がいくつもあったのだが、まとめて一つだけ。
14日に奈良で開かれた森林学会の特別講演会のことである。演者は、青山茂帝塚山短大名誉教授。演題は「大和の歴史文化を育てた山と森」。
なにやら歴史的な木造建造物の話が出てきそうではないか。そして森林と奈良の都の関係を語りそうではないか。それは森コロと重なる部分もあると思って勇躍聞きに行ったわけである。(もっとも気分はパソコン復旧で落ち込んでいたのだが。)
ところが話は、「なぜ大和をヤマトと読むのか」から始まって、日本書紀の記述などが主で、いくら待っても木造建築物にならない。森林学会なのに、歴史の話ばかりでは参加者も困るだろうなあ、と感じてしまった(^_^;
それでもスサノオの髭がスギになり、胸毛がヒノキ、尻毛がコウヤマキ、眉毛がクスノキになったことから平城宮の建物の9割がヒノキであることなども触れる。コウヤマキの棺桶が朝鮮半島の王墓で見つかったことを取り上げる。
このあたりのことは森コロにも書いた点なので、突っ込みたいことはいろいろあった。質問の時間に誰も手を挙げないので、よほどコウヤマキについても棺桶だけじゃないし、その木質と成長について述べてやろうかと思ったが、やはりパソコン後遺症が…(^_^;)
今度は私を講師に招きなさい\(^o^)/
パソコン、完全にクラッシュしました…。
泣きそうになったここ数日でした。いかなるリカバリ─も受け付けず、パックアップデ─タさえ取り出せず、とうとうパソコンを買い換え。今は、新しいパソコンでアクセスしていますが、白紙からセットしている状態。まだ環境は完全に復旧していませんが、とりあえずネットに接続できるようにはなりました。文字変換がまだおかしいので、打ちにくいのだけど…。
ともかく、少しずつ復活しますので、今しばらくお待ちください。