娘の部屋片づけネタ第二弾。
大量のお茶犬グッズが出てきた。今はあまり流行っていないのかもしれないが、伊藤園のお茶キャラクターである。娘は、それに夢中になって集めていた。
それを整理すると、大きなぬいぐるみから極小のフィギア?まで、ストラップやらシールやら、その数はおそらく数百にもなる。なかには凝ったものも多い。箪笥型とか、お茶瓶型なのは、それそれ開くと中にお茶犬ワールドが広がっている(^^;)。仲間もいて、紅茶犬とかハーブ茶犬とか。
処分したいところだが、娘は残したいというので、下宿に持って行ってやった。
でも、アチコチに分散しているお茶犬を集めているうちに、可愛く思えてきたので、一番大きなぬいぐるみは、手元に残すことにしたよ(笑)。
娘が家を出て(家出じゃなくてて、下宿したのだ)、部屋に残された娘の道具類を片づけている。なるべく圧縮して、小さくまとめてしまいたい。
で、いろいろひっくり返してダンボール箱に詰めていると、小さな頃からの様々なオモチャや収集品が出てくる。勝手に捨ててはイカンが、私がドーデモいいものと判断したら捨てる(^^;)。
そんな中に、見つかった小さなメモ書き。表に「うそつき」と書かれていた。
当然、開く。勝手に読む。小学生の頃、それも低学年の頃のもののようだ。
そこにはお父さんの性格はうそつきだ、と書かれていた。う~む。これは無視できない。
そこにあるのは、テレビのハリー・ポッターの映画を見ると言ったのに、先に風呂に入って、上がってからも見なかったことがつづられていた(;_;)。
しかも最後に、口をきいてやらない、とあった。
テレビ見ないだけで、うそつき扱いかよ。いいじゃないか。別に娘が見るのを邪魔したわけではないと思うんだけどなあ(記憶にない)。
何が原因で、娘に嫌われるかわからないもんだ。
ま、私は娘に対しては昔からウソばかりついてきた(マジメに質問に応えない)ので、だんだん慣れっこになったみたいだけどね。今は、うそつきとは言わない。アホおやじという(⌒ー⌒)。
先日、娘と京都で会った。渡すものがあったからである。
娘は、バスで京都駅に着いたと電話があり、私は烏丸口の駅前で待っていた。バスターミナルは目の前だが、地下街をくぐらないと駅前に出られない。数分のはずだ。
が、いくら待っても現れない。ようやく、また電話があったと思ったら今いる場所がわからなくなっておる。なぜ地下街から京都駅の八条口まで行かねばならんのだ。あまりの方向音痴にあきれたのだが、こちらから向かって、ようやく合流。その方向音痴ぶりを怒る。
その後、晩飯をおごってやるつもりで、回転寿司に入る。
全皿同額と聞いて、食べる食べる。私が6皿なのに、12皿も食いやがった。
負けた、と思ったね。。。。
娘の進路がようやく決まった。
紆余曲折を経て(^^;)、京都の大学への進学が決まった。距離的には通えなくもないが、私は通学・通勤時間が長いと人生の無駄遣いと感じるので、大学近くに下宿をさせることにした。本人の希望でもある。
だから、今週から引っ越しの準備やら実際の手続きが大変。私も車で荷物を運んでやることにした。
おそらく1回では、終了しないだろう。それに季節季節で運ぶものも出てきそうだ。
そこで、どれくらいの頻度で帰省するかという話になったのだが、毎週というわけには行くまい。
「年に数回くらい?」と私が聞く。
不満そうだ。だから、「じゃあ、月に1度は許してやる」
「2週間に1回は帰っておいで、と言えないの!」
「そりゃ多すぎるだろう」
家を出たのに、簡単に実家に帰りたがるなよ。
「せっかく、2週間に1度と言えば、イヤと言おうと思っていたのに」
「ふん。父親をなめるな」
私は、自由を謳歌したいのだよ\(^o^)/。
卒業間際の娘は、午前中に受験用の講座と呼ぶ授業を受けて、帰ってくる。
それが早い。11時過ぎには生駒駅にもどってくる。そして電話してくる。
こちらは午前中こそ集中して仕事をしている最中である。
駅に着いたことを報告するのは、夜遅かったときのルールだから、昼間からせんでよろしい。だが、向こうはここぞとばかりに話しだす。別にたいした内容ではない。学校のこと、帰る途中のこと……私の仕事を邪魔するつもりなのだ。
うるさいから、当分帰って来ないでいい。駅前で遊んでこいとか、ゆっくり歩け、家の周り3回まわってから入れと言っているが、ひたすら話し続ける。
そして家に帰ると、腹減ったと、欠食児童のように昼飯を催促する。
だが、それもあと1日2日だ。受験が終わる……。ほっ。
あれ? 受験が終わると卒業式で、卒業すると、ずっと家にいるのか。うるさい……。
先日、娘が属していた学童保育の40周年記念の餅つき大会に呼ばれた。娘は行かないで、私だけの参加である(^^;)。
学童保育と私は、実は結構深いつながりがある。娘の在籍中に私は役員をやって、長く運営の矢面に立っていたからである。そして、卒業後も保護者間の結びつきが残っていて、毎夏、祭に出展しているのもそのためだ。今回も、今の役員と話したが、様変わりした事情とともに、昔を懐かしんでしまう。「昔は~~だった」と言い出したら、アブナイわ。
しかし、参加OBの多くは我々の年代。当時は、生駒市とやり合うなど武勇の誉れ高い?時代だったから団結力は強いのだ。だから、今回の餅つきも、実は保護者OBが仕切っているところがあった……。
しかし、娘が卒業して6年。当時一緒に遊んだ友人もみんな高校生から大学生、社会人になっている。私は、学童に相当通ったから、彼らにも顔が売れていて、今も覚えてくれている。が、私は彼らがわからないのだ。顔の覚えはわずかにあっても名前は出てこない。
なかには、金髪の娘もいるし。小学生の彼女らしか知らないのに、今やイマドキのギャルだからなあ。みんな化けてしまった(~_~;)。
が、うちの娘は変わらないことで有名だった。みんな「昔のまま」と口を揃える。たしかに親の私が見ても、小学生の時と顔は変わらんよ。髪形もたいして変化ないわ。
ところで、少し前、娘と話していたときに「学校でどんなイメージで見られているか」という話題になった。
なんでも娘は、癒し系でテンネンなのだそうだ。本人は「そうかなあ」と納得していなかったが、まあ、テンネンというか、思考回路がちょっとトンでいることは認める(-_-)。
で、「マスコット」と言われたそうだ。なんか、言葉の使い方を間違っていない? 可愛いキャラクター的な意味で使ってる。何のマスコットだというのだ。
が、オマケがついた。「毒のあるマスコット」なんだと。
たしかによく「あの男子、使えねえ~」と毒づいているからなあ。
昨日、にわか雨と強風が吹き荒れた。
娘から傘を持っていないから迎えに来てくれ、と電話。天気予報で雨と言っていたのに、持って行かないお前が悪い、と小言いうが、仕方ない、高校まで車を走らせる。
が、車に乗り込んでくるなり、娘は感謝の言葉よりも、学校であったことをしゃべりだした。
ようするに、生徒会のメンバーはろくに動かないし、そこに教師が介入してくるし……といった愚痴だ。あと少しで生徒会も卒業するはずなのに、山ほど仕事を抱えて、右往左往している。そして周りが思うように動かない、横やり入れてくることにいらだち、「もう学校楽しくなくなった」とまでいう。
そこで私は言った。「周りのみんなは、自分の理想どおりの人物で、理想通り動くと思っていたのか。誰もが賛成して手伝ってくれると思っていたのか」。
それはあり得ない。むしろ、周りのみんなは常に自分とは思いが違い、(自分には)役立たずであることを前提に世の中動くのだ。イヤなら投げ出せ。ほかのメンバーに任せて、口を出すな。それもしたくなければ腹くくれ。
……頭に描いていたのは、今回の震災と原発に関する世間の動きだ。
世間は、政府、とくに菅内閣を批判の的にしている。
たしかに出来がいいとは思わない。いや、原発に関する対応は後手に後手。さらに隠したり隠されたり、右往左往上下左右。怒鳴ったり泣いたりしているらしいから、かなり情けない。
が、「阪神大震災の時、政府はしっかりしていたのに」という論調が出てきたのには驚いた。当時の政府関係者から、「村山首相(当時)は、すごかった、現場を鼓舞して、見事なチームワークで乗り切った」などという証言?が次々とマスコミに登場する。
アホいうな。私は、当時大阪に住んでいて、阪神大震災の現場とその報道に密に向き合っていた。そりゃ酷かった。村山首相、そして自社さ内閣は、まったく迂路迷走、出鱈目、右顧左眄……被災者から「政府は何もしないことが現場を助ける」とさえ言われていたのである。あげくに総理は「初めてのことなので」と国会答弁?までした。
それに比べて、今回の震災は、出足はすごくまともだった。自衛隊出動や被災地情報の確保、そして民間組織の救助体制の構築も、私にはなかなかの出来に見えた。がむしゃらなボランティアの押しかけもなかった。避難所づくりも物資輸送も、巨大地震の中では頑張ったと思う。ネットも十分に活用された。
そして、首相もすぐに現地視察した。村山首相なんて、現地を訪れたのは何週間後だったっけ。遅い! と批判されたのだ。それなのに菅首相が早々に現地視察したことが、今度は批判の対象だ。
結局、菅首相が情けなくなるのは、福島原発の暴走が明らかになってからだ。地震と津波に対しては、16年前の経験を活かしてソコソコうまく対応をしていたのに、原発ではそうはいかなかった。未経験の原発事故に出会って迷走を始めたのだ。
もちろん、リーダーたるもの「初めてのことなので」なんていう言い訳をしてはいけない。それなのに、村山はよくて菅はダメだ? アホか。どちらもリーダーとしては欠陥品だ。内閣など担当する人材の出来も、両者とも無能だ。私は、当時、村山を戦後最低の首相と呼んでいた。まあ、その後「最低」は、次々と更新されるのだが。
だが、危機管理とは、理想的な人材が揃っていることを前提に立てるものではない。無能で、逆に足を引っ張りかねない人物が要所をしめていることを前提に行わねばならないのだ。これは危機管理の基本である。
危急の際には、リーダーや担当者がどんなアホで嫌われていようと、彼らの失敗を周囲がカバーすることを心がけねばならない。同時に自力での復興に努力する覚悟もいる。それはアメリカは9・11の際に、ブッシュ大統領を野党も国民も支持したのと同じだ。(それでイラク戦争まで突っ走ったのだが……。)
残念ながら、日本国にそんな動きはない。常に足を引っ張り合い、気に食わなければ引きずり下ろし、かといって自身が個々に課題をこなそうという気概もなく、次に誰をリーダーに担ぎ上げるか考えるだけ。リーダー依存症か。そんな発想が、独裁者を求めることにつながる。もっとも期待に沿わなければ、また引きずり下ろすのだろう。
その行動原理は、「好き嫌い」だけ。嫌いな奴のすることは、すべて反対して、足を引っ張ることが仕事と思っている。目先の感情ばかりで大局を見ない。
今必要なのは、周りがうまく動いてくれないことを嘆くのではなく、自分が最善を尽くすことだ。
……そんな話をすると、娘は「自分たちがルールに乗っ取り担いだ首相を、すくに下ろすのはおかしい。担いだ責任があるだろ」と言う。そのとおり。首相は、野党も含めて国会で手続きを踏んで選んだのだ。それなのに、危急の際に野党はおろか民主党内でも足の引っ張り合いかよ。
娘も、腹をくくったようである。
ま、愚痴くらい聞いてやるけどね。
東北関東大震災が発生して数日後、奈良県でも義援金集めの動きがあるという。
そのニュースを読んで、娘との会話。
「お前の高校でも、義援金集めたりしないのか」
というのは、娘は生徒会役員だから。本来なら、こうした運動の音頭を取る立場だ。
「今、学校に行けないからなあ」
たしかにその時、高校は入学試験のため在校生は立入禁止なのである。次に行くのは18日だという。この日は終業式だから、その時に打ち合わせても、翌日から春休みに入り、活動はしにくくなる。
「学校行かなくても、電話やメールがあるじゃないか」
この時は、これで終わった。
ところが翌日、「義援金集め、やることにした」という。
メールで生徒会長を焚きつけて、教師にも連絡とって、前日に急遽役員を集めることになったという。おお、やるじゃないか。
聞けば、18日は新入生の説明会で、合格者とその保護者も来るという。それは狙い目だ。保護者に訴えれば、金は集まるだろう。
というわけで、本日18日。正門前で呼びかけたら、12万円あまりになったという。
続いて生駒駅前でもやるという。
よし! 今日は無条件で(珍しく)褒めてやろう。
娘が、「11という数字がよくない」と言い出した。
何のことかと思えば、「東北大震災が起きたのが3月11日」
ほかに?
「アメリカの同時多発テロは、9月11日」
な、なるほど。しかし、10年も間が空いているぞ。単なる偶然だろ。しかもたった二つの事例ではね。ほかにあるのか。
そう問い詰めると、「う~ん」と考え込んだあげく、
「1月11日はポッキーの日」
??? ポッキーの日? いや、知らなかった。だが高校生はみんな知っているという。
1・11と並んだ姿が、グリコのポッキーを表すのだそうだ。
し、しかし、ポッキーは不吉なのかぁ。
先月に遡るが、2月14日はバレンタインデー。
日本ではもともと(なかなか告白しにくい)女性が、この日だけは男性に告白する(チョコレートで?)という意味合いがあったはずなのだが、その後義理チョコが増えすぎてしまい、いまや友チョコの時代。
娘によると、男性にチョコを渡すなんて女子、ほとんどいないそうだ。多いのは女の友達同士の交換なのである。それどころか男子から女子へも渡すらしい。で、娘もたくさんもらってきた。
ただし、重要なのは、娘はチョコレートが嫌いなことだ(~_~;)。もらいものだからと無理して食べたりしていたが、「モー無理!」となると、私にも回ってきた。
そこで今年はチョコは食べられないことを吹聴したらしい。ちなみにアンコも苦手で、カスタードクリーム系もダメ。まあ、女子系の甘いものは全滅なのである。おかげで友人も苦労しているようだ(⌒ー⌒)。
そこで娘は、今年は自分もクッキーを焼いて配ることにした。ホワイトデー返しが大変だから先んじようという魂胆?
ただ、たくさんつくったので、後輩の男子にもばらまいたらしい。かなり意外感をもたれたとか。
さて、昨日は3月14日、ホワイトデーということになっている。ばらまいた分の回収日(笑)。後輩男子も困りつつ、なんだか巨大袋入りスナック菓子をくれたそうだ。
男は、やはり質より量に走る。少なくてもいいから高級菓子という発想はないんだなあ。
おかげで私にも回ってくる(笑)。
あ、私? 私もバレンタインデーはそこそこもらったよ。う~ん、返しますよ、はい。何か。
昨日は、誕生日。
実は忙しい日で締め切りがいくつもあったのだが、なんとか午前中に3本こなす。
思いがけず、多くのお祝いメールをいただいた。なかにはニフティや宅ふぁいる便からも……(~_~;)。
感謝。……て、あまり喜ぶ年でもないのだが。
自分で自分にもプレゼント。まず谷山浩子の歌。それから、散髪行って、頭をすっきり。さらにマッサージ(笑)。奮発して90分コースだぞ。そして、なぜか桃の缶詰(笑)。
その晩の飲み会では、プレゼントもいただいた。高級ワイン。一味唐辛子。が、何が嬉しいって、一番喜んだのは綾瀬はるかのカレンダーであった\(^o^)/。
2011年となった。
元旦。初詣は地元の宝山寺である。我が家から山に入り、まだ雪の残る道を登って参道へとたどり着く。今日は車の行列も少なく、もう人波は引いたのかと思いきや、山門の前では入場制限やってた。
それでもなんとか入り、行列に並んで本殿と拝殿に賽銭もはずんで、さあ御神籤を。
「凶」であった……。。。「明らかなる月にも雲がかかり、晴れやらぬていなり」
ムカついて山を下りる。
2日目。買い物で車を走らせると、ちょうどその方向に生駒大社があることに気づく。生駒大社も例年詣でているので、ちょっと寄った。巫女さんの神楽舞を見られて、ちょっぴりご機嫌で御神籤。
「小吉」であった。「へんかし続ける浮世の中にも、変わらぬお社変わらぬ祈りの心がある」
多少は元旦のゲン直しになるか。
3日目。京都に出かけたのだが、やはり初詣(^o^)。城南宮を訪れる。3度目である。
程よい人出の中を参り、ここでも少し巫女舞を見る。さあ、御神籤だ(笑)。
「大吉」。おおお。「世の信頼厚くして生涯重んぜられるる兆なり」
見よ。この尻上がりの運勢を。
このことを家に帰って娘に報告すると、「これで1年の運を使い果たしたな」。こらこら。
娘が、ティーパックのダージリン・ティを飲んでいる。
一杯飲んだ後、同じティーパックで2杯目を入れていた。そんな紅茶、色だけで味も香りもせんぞ、と思っていたら、
「ワカメの匂いがする!」
そんなアホな。というと、嗅いでみろという。
ホントだ! ワカメの香りがする。あきらかにワカメの匂い。なんと出がらしのダージリン・ティはワカメスープとそっくりなのだ。
これは大発見?
娘に、恋愛ゲームについて解説を受けた。
恋愛をゲーム? いやいや、ケータイで流行っているゲームのことである。最近は、テレビCMでもやっているが、漫画チックなイラスト満点のシチュエーションで展開するドラマのこと。進行を選択する方式だから、一種のロールプレインゲームだろう。だいたい女子向きが大半だそうだ。
ところが、想像していた学園ラブコメとはちょっと違う世界が広がっているらしい。いや、そうした正統派のシチュエーション(野球部の先輩に恋をして……とか、幼なじみと彼氏の三角関係になり……など)もあるにはあるらしいが、どんどん“進化”している。
たとえば、いきなりタイムスリップして、幕末に飛び、坂本龍馬と出会う。そこで龍馬のほか、中岡慎太郎や岡田以臓……などの登場人物がいて、このうち誰と恋をしますか、という選択をする。選んだ人と、その後の物語が始まるわけである。
歴史ものは、戦国時代にタイムスリップして、戦国武将を選んで恋に落ちるバージョンもあるらしい。
いやいや、もっと凄いのは、鬼と恋をする! という凄いストーリーもあるそうだ。同級生が妖しの一族で、彼に鬼を退治する手伝いを依頼されるが、その鬼に愛情を感じてしまう……という???なドラマがあるのだそうだ。
ほかにも殺人がらみの「戦慄ミステリー」もあるというし、もはやラブコメを越えた、なんでもあり恋愛である。
……もう、ついていけない。
一応、その場面を表示して見せてもらったが、よくわからん。
しかし、イマドキの女子は、こんなドラマを楽しんでいるのだなあ。娘もだけど。