森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

商店街と森林所有者

2005-11-30 16:54:05 | 政策・行政関係

昨日は、林業家に商品開発だ営業だというのは酷ではないか、と書いた。

そこで思いついたのが、商店街。それもシャッターばかり下りたような、さびれゆく商店街。こうした店舗の持ち主と森林所有者も似てはいないか?

商店街に店開いているんだから、商品や販売のプロだろ、と言いたいのだが、実はそうでないケースが多い。
代わりばえのない商品を高い値段で並べ、営業努力もしない結果、店が立ち行かなくなり、シャッター下ろしたままになる。そして、大型店舗が郊外にできたのが悪い、国は規制する法律を作れ、補助金よこせ、とのたまう。

反対である。買いたくなる品を並べないから、郊外の大型店舗に客は行くのだ。

それにしても、店がつぶれたのなら、その店舗を誰かに売るか貸せばよい。そうしたら意欲的な経営者が現れて流行らせる店にするかもしれない。そして商店街自体も活気づく。しかし、売らないのである。貸さないのである。

シャッター下ろしたまま維持する。一応駅前の一等地だから、資産になると思っている。食う分は、勤めに出るなり、どこぞにアパートや駐車場を経営して稼げる。店を眠らせておいてもよい。でも、商店街はさびれ、どんどん地盤沈下する。

ねっ、森林所有者と似ているでしょ。

 

 

 


米と木材

2005-11-29 14:59:02 | 政策・行政関係

ネットでお米サイトを開いた若者の話を聞いた。2年で220トンの米を動かし、流通量は1億8000万円になった。彼は25歳。いわゆるITベンチャーの旗手でもある。ただし、NPOだが。

彼は、「国は米の減反政策を廃止し、自由に売ってよい代わりにつぶれるのも自由という市場原理を農業にも導入する。つまり、お米の業界が行き着くのは、価格競争・販売競争の世界。それに生産者も巻き込まれ、大規模な農業法人になるか、自分で工夫を凝らして米を売っていかねばならない。しかし、高齢化した農家にインターネットを使って売りなさい、と言っても無理。だから私は、彼らの代わりに『お米の営業マン』になると決めた」と言った。

この言葉は、そのまま林業界にも通じると思った。むしろ一歩“進んで”いる。
林業・木材業界は、すでに自由競争になり、あっさり国内林業は破れ去った。大規模化さえ、あまりできなかった。お米業界の将来を先んじている。

そこで工夫を凝らして木材の商品開発や新しい販売方法を開拓しなくてはならない……と私は、よく話している。が、これまで山で森づくり一筋だった人々に、それを要求するのは酷ではないか。慣れない営業をやっても失敗するだけだ。
せめて素材生産業者や製材業者がやるべきだったが、彼らはむしろ山元をたたいて安く木材を買うか、一気に外材に転換する方向に行ってしまった。

今求められているのは、異業種からの「森と木材の営業マン」である。山元の意を酌んで、都会でうまく立ち回れる人材が必要だ。

そんなことを思いながら、次の講演用に「森林組合も、もっと営業をしよう」とハッパをかける原稿を書いている……。


紅葉は資源になる!

2005-11-28 00:14:24 | 森林資源

今年は、紅葉の始まるのが遅かった分、終わるのも延びているようである。
関西なら12月中旬まで楽しめそう。

というわけで、生駒の山も今が盛りの黄葉紅葉なのだが、この色づいた落ち葉を保存する技術が奈良で開発されている。ある種の過程を経ることで、紅葉した葉は100日以上色あせなかった。しかも柔らかくて強靱になり、加工しやすいという。それを利用した商品はまだ知らないが、アイデア次第で使い道は広がるはず。
奈良には柿の葉寿司という商品があるが、あれは緑の葉。季節によっては塩漬けしていると聞く。しかし、この技術を使えば、赤く色づいた葉で巻いた寿司が食べられる。

季節のものである紅葉を年中保存して、どんな意味があるんだ、と絡みたくなる気持ちもないではないが、あればやはり欲しい人はいるだろう。

たとえば、料理のつまもの
ファンシー・グッズにも使えそうだ。
インテリア用品も可能だろう。
アート作品の素材として売り出す手もある。
紅葉の名所で、お土産品として売り出しても悪くない。

黄葉紅葉にこだわらず、新緑の葉とかも使える。
造花造葉ではなく、本物だけど、色落ちしない加工をしてあることによって、葉の価値はずっと上がる。腐葉土だけが用途ではない。


焚火セラピー……

2005-11-27 00:37:29 | 仕事関係

久しぶりに焚火をしに、生駒山の“森遊び研究所”に行った。

実は、焚火と癒し、「焚火セラピー」について記事をかけないかと思いつき、まずは実験しようと思ったのだ。ついでに私自身も癒されて、今溜まっているさまざまな原稿や雑用について思索しようという魂胆。

幸い、これまでにないほど焚火日和。ずっと晴天が続いていて山の落ち葉は十分乾燥している。風向きもよい。木々は色づいている。
さっそく落ち葉と小枝を集めてマッチで点火すると、あっと言う間に燃え上がる。森の中に落ち葉が燃える匂いが広がった。私は、丸太のイスに座り、ほっとする。さあ、思索だ……。

が、そうはいかなかったのである。妙な騒音がするのだ。
それは森の隣の棚田から響く。エンジン音だ。どうやら刈り払い機を使用しているようだ。棚田の草刈りか、仕方ないな、そのうち終わるだろう……。

が、終わらない。延々続く。一度途切れても燃料を補給したのか、また始まる。それに1カ所だけではなさそうだ。隣の田以外からも響く。待っても待っても終わらない。

そもそも、この当たりは兼業農家である。勤めているから、野良仕事は週末になるのだ。みんなが休んでいる時こそ、彼らの働き時なのかもしれない。30分たち1時間たってもぶんぶんエンジン音に悩まされる。

これでは思索どころか、焚火を楽しむこともできない。セラピーなんて夢のまた夢。逆にイライラしてくる。

せっかく周りは紅葉で美しく、目の向け方によっては深山幽谷の気分に浸れる場所なのに、エンジンのカナキリ音が脳を打ち続けると、ストレスの塊になりそうだ。

焚火セラピーは、また別の機会にしよう。

 


ゴルフ場は自然がいっぱい

2005-11-26 01:50:32 | 仕事関係

拙HPに「ゴルフ場は自然がいっぱい」というコーナーがある。

書いてあるとおり、本来は出版するつもりで取材調査を続けた原稿を掲載している。出版できなかったからである。(ちゃんとゴーサイン出した版元があるのに…

ここへの反応がよい。不思議と大学生が多いのだが、研究の過程でゴルフ場について調べていて、ここに行き着くらしい。そして驚くわけだ。

全部読みたい、というメールが来た。しかし、私は出版を諦めたわけではないのである。サイトに全文載せると、出版の可能性は低くなる。全部無料で読めるものを本にしても買い手が期待できなくなる。

だから、興味を引くところだけアップしている。全部オープンにはできない。あしからず。
本当に出版しようと思う版元は現れないかね。

 


『木づかい新時代』

2005-11-25 12:17:42 | 出版後の反響

ここんとこ、森コロと同じ主題の本を紹介しているので、もう1冊。

木づかい新時代』(日本林業調査会)。
著者は、遠藤日雄・鹿児島大学教授。17日に書いた「森林総合研究所」のコメントでも少し名前が出ましたが、もともと森林総合研究所にいた方で、木材流通には詳しい。私も森コロ執筆時に何冊も参考文献にさせていただきました。

さすが専門家、というか研究者というような内容だが、基本的には一般人向き。ただし、あまり書店に並んでいる本ではない。ネットで検索してみた方が早いかも。
私が取り上げなかった(あえて外した)合板や集成材などの現場の話が豊富なので、勉強になった。また海外輸出は、宮崎の中国ではなく、地元・鹿児島県の韓国輸出を取り上げている。これを読むと、国産材の流通・加工も激変しており、いよいよ国産材も復権間近になったのかな、と思わせて元気が出るかも。

森コロと同じ主題を扱いつつ、情報はかぶっていませんので安心してお勧めできます(^o^)


『木造革命』と間違えないよう

2005-11-24 16:50:20 | 出版後の反響

先の記事で『木材革命』を紹介したが、ちょっと気になる点を追加。

『木造革命』ではありません!

よく似たタイトルの本があるのだ。この『木造革命』の方は、1年ほど前に出た本で、タイトルから森コロの執筆に役立つかな、と買いかけたのだが、中身を立ち読みして阿呆らしくなった。
まったく酷い代物である。サブタイトルに木の家づくりから木の街づくりへ、と入っており、木材を使うことが森を再生することだ、という論調は私と一緒なのだが、内容はデタラメすぎる。
コンクリート建築物が危ない、燃えない木材がある、とまともなデータも抑えず並べている。新聞記事を引き移しただけの項目もあれば、好き勝手に事実をねじ曲げた箇所もある。
この著者は、トンデモ本で有名な『買ってはいけない』も執筆している環境ゴロだが、『木材革命』と間違ってこちらを買うことはないように。

この本だけではない。合板や集成材に触るだけで病気になるといわんばかりのトンデモ本がゴロゴロしているので気をつけてほしい。


紀伊国屋書店本店

2005-11-23 20:03:45 | 出版後の反響

東京でわずかな空き時間に紀伊国屋書店を覗いた。

森林関係の書棚には、森コロが平積み。朝日新聞の書評も添えられていた。
ほっと安心。まだ消えていないぞ。

ところで、その周辺に類書が目立つ。
その一つが、写真にも写っている「木材革命」(農山漁村文化協会)なる本である。この著者は、村尾行一というところに注目。というのは、この村尾氏こそ、森コロの第1章冒頭に登場する木材の中国輸出の現場にいたからである。
同時に私にとって森林・林業を勉強する際に大きな影響を与えた人でもある。

焼き畑林業論や持続性林業の本当の意味、そして経済学までも目から鱗を落としてくれた恩人だ。

別にライバルの本を宣伝しようというわけではないが、この本の内容も森林から林業、そして木材業界の激変する現場を追いかけている。

ここで買うとその後の取材に持ち歩かなければならず、帰ってから買おうと思ったので、まだ手元にはないが、近く注文しよう。

 


福島の講演……帰宅しました。

2005-11-22 23:59:18 | 時事ネタ

20日の福島の講演を終え、福島観光をして(^o^)、東京でお仕事して、本日帰宅しました。ふぅ~。

講演では、久しぶりに緊張。だいたい人前に立っても平気なタチなのだが、今回は前列を小中学生が並んでいる。その前にあった「森林憲章」の標語授賞式があったためだが、これは困った!ととっさに感じる。

だって、私の話は子供向きじゃないからねえ。明らかに退屈そうにしている子供らの顔を見ると、余計焦る。前列だから無視しようにも目に入る。最初の頃多少冗談を交えたが、下手なのか、あるいは東北人は笑ってはいけないと思っているのか、全然受けないので止めて真面目に話す。
緊張のせいか早口になったのか、予定より少し早く終わってしまった。終わるときに時計見て、焦りました(^_^;。質疑で引き延ばしたが、こちらは森林組合などいかにも業界的な話になる。いよいよ退屈だっただろうな。

 

ところで。帰宅してメールチェックしたら、いかにもウイルスっぽいMail Delivery なるメールが3通来ていたので、削除しようと一覧をクリックしたらメールソフト自体が落ちた。何度やっても、ソフトが消されるのだ。この対策わかる人、いませんか。


講演の準備

2005-11-19 16:31:58 | 時事ネタ

福島の講演内容の最終チェックを行う。

資料と突き合わせて、まあこれくらいでいいかな、と思う。
どうせ、しゃべりだしたら用意した原稿のことなどわすれてしまうし

一番気をつかうのは時間。長すぎて最後をはしょるのもつまらないけど、短くて予定時間より早めに終わりそうになると冷や汗が出る。どのように引き延ばそうか思案する。急に話し方が遅くなったら、そうだと思ってください(^o^)。

ちなみに質疑応答もあります。もともと質疑応答は好きなのだけど、しゃべりすぎて時間がなくなったり、わざわざ時間を取ってあるのに誰もしなかったりすると寂しい。

不思議と福島は、今回が初めてである。通貨はともかく、ちゃんと歩いたことがない。それだけに楽しみにしています。


建築生態学

2005-11-18 17:55:10 | 幻の写真・図

コメントで「動的生態学」の話が出たのと、今度の福島の講演では、なぜか大仏殿の話をすることを思い出して、「建築生態学」なんて学問は起こせないかと思ってしまった。

なに、建築物を生態学的に捉えると…というだけのことなんだけど。
どちらも周辺環境との結びつきが強いし、物質(人・水・エネルギーなど含む)の出入りもあり、循環系を築いている。ついでに、最近は、木造建築物を「都市の森」と読んで、二酸化炭素のストック場と見なす発想が登場している。

そこで大仏殿なのだが、現在の大仏殿は建てられてほぼ300年たつ。天平の大仏殿が平家に焼き討ちされるのは、430年後。その間、立派に立ち続けているから凄い!と言えるのだけど、これは間違い。

なぜなら、大仏殿に限らず、この手の歴史的建造物は、常に手入れされているからだ。部材を取り替えることもあるし、リフォームしてしまうこともある。柱を増やすことだってする。
事実、天平の大仏殿は建てられて20年後には軒が下がってしまったので、つっかい棒を入れたという記録がある。江戸の大仏殿も、明治の大修理で鉄骨を入れたのは森コロに書いたとおりだが、昭和の大修理もあったし、そのほか日常的に修繕は行われている。さもなきゃ、1日で何万人もの人が出入りする建物は保てない。

つまり建築物も動的存在なのだと言えるだろう。住宅だって、メンテナンスをしないとすぐ住めなくなる。空き家すると痛む、というのもそういうことだ。
掃除したり、窓の開け閉めをすることで建物の健康を保っている面もあるのだから。

この理論、誰か色付けしてくれないかなぁ。

 


森林総合研究所

2005-11-17 22:35:28 | 政策・行政関係

すっぽかしていた原稿の催促をされた。だって、締め切りを2週間以上過ぎているんだもんね(^^ゞ

そのため、このところ自宅に缶詰状態で書いとります。頭狂いそうです。足が退化しそうです。

ただ催促の電話で雑談していると、森林総合研究所の話題が出た。一応特別行政法人だが、ようするに林野庁の一部である。かつての林業試験場だ。

今や森林総研で、林業をまともに研究している人などいないのだそうだ。手がけているのは草木とか昆虫とか微生物とか、里山、森林セラピーなどばかり。産業としての林業にはそっぽを向いている状態だと。

ようするに林業のことに関わると、ろくなことがない、研究者として成果を上げることがない。魅力がないわけだ。税金食いつぶしている国の関連機関がこうである。

一方で、私には民間で林業に心痛め動きだしている個人・企業が数多いことを感じている。そして魅力的な発案をいろいろ行っている。
このギャップはなんだろう。もしかしたら、国が興味を示さないことが林業復活の最大のポイントだったりして。オイオイ

 


永戸太郎顕彰

2005-11-16 15:00:39 | 時事ネタ

林野庁の林業機械化センターより電話。

来月、今夏亡くなった「チェンソーの神様」永戸太郎氏を顕彰する展示を行うという。その開幕式への招待である。残念ながら場所が群馬県の上、日程の前後に私はいろいろ忙しいので、ちょっと参加できる可能性は低い。

ただ展示には、私が彼の記事を書いた「ラピタ」という雑誌が展示されるそうである。思えば7年近く前の取材なのだが、こんなところに活かされるとは。

永戸氏の功績は、チェンソーの目立て理論を確立し、それを全国どころか海外まで普及したことである。今の林業でチェンソー抜きの作業なんて考えられないだけに、その影響は大きいだろう。
思えば、森林ボランティアやチェンソーアートなど、チェンソーは一般にも普及し始めている。林業関係者だけでなく、あの理論と実践技を後世に伝えてほしいものだ。

私も、チェンソーによる空中丸太切りの神業をもう一度見たいよお。


森コロの在庫

2005-11-15 15:27:47 | 出版後の反響

某所より、森コロの注文10冊を配送する。
ちょうど先日、福島にも送ったので、我が家の森コロの在庫はほとんど尽きた。
また注文しようかどうか、迷うな。

ところで発売後5カ月間の様子を見て思うのは、おそらく森コロの売れ筋は、ネット書店だということだ。
残念ながら書店に並んでいる時間は、大規模書店をのぞくと、かなり短かった。書評が雑誌や新聞に載り出した頃には店頭にないのである。

しかもこのプログなどを通して、読者は全国各地に広く薄くいる感触を得た。しかし近くに大規模書店があるケースはそんなにないだろう。となると、当てにできるのはネット書店となる。

そういえば過去の著書は、最近ネットを見ても品切れ気味。そろそろ版元にも在庫が尽きかけているのか。まあ、取次と書店と版元の間を浮遊している流通在庫はまだあると思うけど。
今のうちに買ってね。


風倒木の意義

2005-11-14 22:03:04 | 森林資源

今日は、チェンソー持って、生駒の山へ。

私の森に出た風倒木の処理を行う。コナラは、刻んでシイタケ原木にするつもりで積み上げた。カシは杭にできる。ついでというか、風倒木でない木もバサバサ伐る。倒れた瞬間、さっと光が差し込むのが快感。今日は曇りだけど(^^;)。伐った木の枝葉を落として、笹が繁ってしまったところに蒔く。これで少しは笹の生長を抑えてくれたらよいが。

久しぶりにチェンソーを振り回してストレス解消になった。
それとともに、台風などで倒れた木を観察すると、やはり枯れたものが多い。立ち枯れしていたマツとかが、周りの木を巻き込んで倒れるのだ。のしかかられた生きた木も折れている。

風倒木というと、人間からすると貴重な森林資源を失う元なので嫌われるが、自然の生態系では、風などで木が倒れることにどんな意味があるだろうか。
やはり立ち枯れしたか、しそうな弱い木を一掃する効果がある。そして地面に落ちた幹は腐り、枝葉も栄養になるに違いない。倒木更新という言葉があるが、落ち葉に埋もれて発芽できない種子も、倒木の上なら目を出せることもある。
また背の高い木が倒れたおかげで、光が林床に差し込むことによって、種の交代が起きる。埋没種子が芽吹くチャンスが与えられる。生物多様性を保てるだろう。

このように考えると、風倒木を一概に嫌わず自然の摂理として受け入れなくてはならない気になった。まったく倒木のない森は、異常なのだろう。倒れた木も森林資源である。

チェンソーの燃料が尽きたところで終了にして、車にもどり帰り支度。と、そこに携帯が鳴った。
これが新たな出来事の始まりなのだが…それは、また別の話。