先日、京都環境建築研究会というところに顔を出した。
よくわからない(^^;)のだが、ようするに国産材を使った家づくりを研究・実践していく場らしい。
そこで、当日発表をした一人が、京都の某材木店の経営者。実物を持ち込んでの説明だったが、今や無節の板より節ありのものの方がよく売れる、という話だった。見せられたのは幅三〇センチばかりの板。ほんのりピンク色に染まり見事に無節だったが、その面を見せるより裏側の3つ4つ大きな節がある面の方が喜ばれるという。節がある方が自然だとユーザーは感じて、デザイン的にもよいと思うのだ。
この傾向は、『だれが日本の「森」を殺すのか』でも紹介したが、いよいよ世間にも広がってきたようだ。これまで苦労して無節にしてきた林業家にとっては、なんてこった! という気分だろう。
ただし、裏がある。節がある方がよいと言っても、その節は生き節でないといけない。死に節では商品にならない。節は圧倒的に死に節が多い。
そして、よく売れると言っても、価格は無節材の数分の1。たとえば節材が4枚売れないと無節材1枚の利益に追いつかないとすると、じっと無節材が売れるのを待つのとどちらがよいか思案のしどころだ。
それにしても、無節がよいという観念が広がったのは、実は最近である。江戸末期には珍重されたようだが、それが世間に広がることはなかった。庶民まで無節の方がよいと思い込み出すのは、戦後である。勃興した住宅メーカーの戦略だったという事実を考えると、一つのトレンドが移り変わったというだけのことかもしれない。