森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

飛行船林業その後

2007-05-09 21:52:44 | 林業・林産業

移設したはずなのに、なぜか続くブログ(笑)。

5月3日に記した「飛行船林業」だが、島根県で取り組んでいた人からメールが来た。

それによるとNPO法人の名前が変わり、「NPO蔵前バイオマスエネルギー技術サポートネットワーク」となったそうだ。 このNPOは東京工業大学のOBが中心となって設立したのだという。

飛行船型クレーン・ロボットの実用化には3年が必要らしく、その代わりに提案しているのが「バルーン付き自走式集材機」。バルーンをつけることによって、ワイヤーをロープに変える など集材機の軽量化を図れるのだという。結構面白い。

風が吹いたらどうする、とか考えないでもよいが、気球で原木の自重を消すことができたら、指先一本で動かすことができたりするかも。

だれが日本の「森と木と田舎」を殺すのかも、よろしく。


飛行船林業

2007-05-03 17:52:26 | 林業・林産業

4月29日の平城遷都祭の際、上空を飛行船が飛んでいた。

眺めていると、風に煽られてかなり揺れている。乗っている人々は大変だろう。
それでも、ふんわり浮かんで上空を旋回しているのは気持ち良さそう。飛行機とは違った良さがある。

ところで、飛行船を林業に利用する話をご存じだろうか。欧米では実用化しているらしい。飛行船なら伐採現場の上で止まって、原木をゆっくり持ち上げられるだろう。搬出に使うと便利だというわけだ。ヘリコプターもホバリングするが、持ち上げられる重量に限界があるし、燃料代が高くつく。

残念ながら日本では、行われていない。以前、高知の有志グループが試みたが、採算が合わないことがわかって打ち切った。
ところが、今度は島根で研究されている。「新世代気球架線システム構想」である。具体的に研究しているのは東京の技術者(NPOマイスター・プロモーション・ネット)だが、島根県で試そうとしているのだ。すでに机上計算では可能と出ているらしい。

こちらは、正確には飛行船ではなく気球で、それも人が乗らない係留気球を使う案らしい。これで原木を持ち上げては無線操縦で集材地に運ぼうというものだ。
ただ、最初にセッティングするコストが馬鹿にならないため、たしか100ha程度の伐採地が集約されないと赤字になる計算だった。ヘリより安いが、集約した森林を用意するのが大変かもしれない。

でも、平城宮跡の青空は気持ちよさそうだよ。

 


遷都祭と朱雀門

2007-04-30 11:38:02 | 林業・林産業

29日は、遷都祭のアースディ・イベントに参加してきた。

奈良・平城宮跡地で開かれるイベントで、2010年の平城遷都1300年に向けて開かれている。世界遺産登録されてからだっけ。

ここに、吉野チェンソーアート倶楽部もデモンストレーションすることになったのである。招待されたのではなく、あくまで場所を提供されただけなので、これは経営的に意味があるのかという議論もあったのだけど、まあ、普及を図る現時点では、倶楽部とスクールの告知も必要だということで参加したのである。

幸い、素晴らしい晴天の下、上々の環境で行えた。場所は、会場の外れだったのだが、それなりのギャラリーは集まってくれた。こちらからは3人が出演。詳しいことは、出来杉計画を見てください(^o^)。

ちなみに写真は、福本雅文さん。森の名手・名人に選ばれた人である。分野は、大径木伐採。吉野でも数少ない、1mを越えるような大木を伐れる人だ。

実は、会場には朱雀門や大極殿など、平城宮の建築物の復元が進んでいる。いずれもヒノキの大木を大量に使った一大プロジェクトだ。そして福本さんが伐った木も使われているのである。

朱雀門には、葛城山で伐ったヒノキの大木が使われたとか。直径は80センチくらいで8m、しかも節なし。こんな木がまだ残されていたのかというような良材だ。
ところがびっくりしたのは、その値段。あえて明かさないが、所有者から買い取ったのは、ほとんど捨て値である。なぜなら傾斜45度の山のとんでもないところにあり、ほとんど伐採と搬出不可能と思われていたからだそうだ。
それを福本さんは伐採し、へりコプターで吊り上げたそうだが、乾燥後も2,6トンあり、限界に近かったそうだ。それが転売されて、朱雀門に行き着く頃には……。

どんな大木、銘木でも、伐り出せないと価値は生まない


借地林業の復活を

2007-04-17 01:30:51 | 林業・林産業

林野庁が公表した今年の木材需給見通しによると、木材自給率は、20,5%にアップする見込みだという。(前年は20,0%)

総需要量は微増(8740万立米)だが、国産材が2.6%増、輸入材が0.3%増と見込んでおり、自給率は0.5%程度持ち直すという計算だ。この数字を吉報と捉えるか微々たる数字と見るかは人によるだろうが、とりあえず国内林業には追い風が吹くと睨んでいるようである。 

ただ、これらの数字は、木材の量だ。金額ベースではどのくらいになるのだろうか。安いB材中心の需要だと、全体の伸び率は0,5%行かないかもしれない。

近頃考えるのだが、何も国産材は売れなくてもよいのではないかと(笑)。
こんなこと言うと怒られるが、必要なのはお金になることだ。山村にお金が落ちること であって、木材供給は町側の都合ではないか。出荷する木材の量を競う必要はないのかもしれない……。

問題は、どうやって利益を増やすかだ。銘木のような高級化はもう無理だろう。

実は、山村が窮乏した時代は、昔もある。多いのは江戸時代初期だ。なぜなら、この時代に天然林は過伐で資源が底を突いた。山村は食えなくなったのだ。そこで、山を売ってしまった。ただし、利用権は村民に残した。そして山仕事の費用も町の山主に出させた。これが借地林業の構造である。

これを現代ももう一度やる。森林をどんどん競売にかけて町の住人に売り飛ばしたらどうだろう。そして、自分の森だと思えば、山に通うかもしれない。そうしたら交流人口が増える。村では、山主様、と持ち上げて満足させる。そして管理費用を取る。
ただし、ここでも立木権は山村に残す。経営に口を出させない。森林所有のロマンだけを味わってもらう。森林証書を売って、木は売らない。木を売って利益を上げても、山主には、ほとんど還元しない(笑)。

山村には、不在地主の森林を管理する組合をつくる。実は、山主様の接待係である。気持ちよく山に滞在させて、管理費を出してもらうと送り返す。

借地林業の時代にもどすのだ(笑)。方法は、森林に関する課税(たとえば森林購入に関する税金を安くする。森林所有者には減税する……など。)を操作すれば、わりと簡単に誘導できるような気がするのだが。あるいは、山村が抱える借金を、山で支払う。(借金棒引きの代わりに山を渡す協定を結ぶ。)
案外、ロマンに金を出す人は少なくないはずだ。


なんだか、金塊を売って証書だけ渡すような詐欺商法ぽいが、これくらいいいじゃないか。


土倉庄三郎の誕生日

2007-04-11 11:57:05 | 林業・林産業

最近、改めて土倉庄三郎について調べ始めたが、視点を変えて明治時代の林業に目を向けている。

そこでわかってきたのは、明治時代というのは、日本にとって、まだ資本の蓄積ができていない時期だということだ。資本主義社会を形成するには不可欠な社会資本が十分になかったのだ。
その中で、当時の日本国では米とともに林業(木材)というのは最大の資本だったことに気づいた。つまり当時の政府は、林業こそ国の基幹産業として位置づけていたのだ。もしかしたら日本は、林業立国をめざす選択肢もあったのかもしれない。

明治時代の国内総生産高(GDP)に対する木材産出額がどれくらいだったか調べる方法はないだろうか。どこかに資料あると思うんだけどなあ。
また、この時代の木材価格も知りたい。それが現在の価値に比して、どれほどのものだったか。明治時代が、木材価格の高騰時期だったことは間違いなさそうなんだが……。

こうした資料探すの、苦手なんだよなあ。

おそらく、それが土倉庄三郎の財産形成にも影響があるはずだ。

と、まあ、そんなことを考えながら土倉関係の資料を引っくり返していると、なんと庄三郎の誕生日が、天保11年(1840)4月10日であることに気づいた。おおお、今日ではないか(現時点では昨日)。167年目である。

ちょっぴり感動した(笑)。


間伐論-地力の減退

2007-04-08 00:34:39 | 林業・林産業

間伐論から派生するが……。

農地から作物を収穫すると、やがて地力が減退するという。作物の形で、土の中の成分が持ち出されるからだ。具体的にはリンやカリや窒素、それにミネラルなどが失われる。そのままだと作物は育たなくなる。だから肥料をやる。

山林も同じではないか、という議論がある。伐採した木を外部に持ち出せば、土地が痩せる。やがて木が育たなくなる……というものだ。とはいえ、林地に施肥をすることは考えられない。だから林業地は、やがて滅ぶというのだ。

だから、伐採しても幹だけにして枝葉を林地に置いてきた方がよいとか、切り捨て間伐も土に還す効果があるという理論になる。

さて、本当のところはどうなんだろう。たしかにそんな議論は習った記憶はある。が、明確な証拠はないというのが結論だった。本当に土地が痩せたところはないのだ。

ただ現在の林業地のほとんどは、一、二度しか収穫していない(収穫を一度もしていないところも多い)から、わかりにくい。
唯一、400年以上循環を繰り返した吉野では、大正時代に収穫表を造り、「50年生の材積において現在の1等地は以前の2等地に相当し、現在の2等地は以前の70%減」という数字を出している。生長も、原生林伐採跡地より3~4年遅れているそうだ。

このままだと、林地は痩せて、やがて木は生えなくなるのか?

ところが、吉野の林業家は、「土は痩せた方が、生長が遅くなって年輪が詰まるからよい」というのだ 土壌の豊かなところに生えた木は材質が悪いらしい。

それに、堤利夫氏の研究によると、数十年もの永き期間があると、どうも収穫で失われた栄養分は補給される可能性もあるらしい。

たとえば、斜面ゆえ上から流れ落ちてくる土が長年の間に積もる。また鳥の糞、昆虫、鳥獣の死骸……など、馬鹿にならない量がある。サケのように川を遡る魚が持ち込む有機物もある。風で飛んでくる砂も。微々たる量に見えても、数十年も積もれば、こうした形で補給される有機物やミネラルで土は甦る。

農業でも、不耕起農法のように完全無施肥で収穫する農法もあるが、理屈は同じらしい。

山の不思議、樹木の時間の妙、といったところか。


間伐論-間伐が必要な森林

2007-04-07 00:54:12 | 林業・林産業

私が林業の勉強を始めたころ(大学ではない、吉野に通って実地で学んだ時のことだ)、林業の要諦は間伐にある、と教わった。

林業家は、その森をいかなる姿にしたいのか、その木からどんな木材を得たいのか、そしてお金をいつ得たいのか、すべて考えて伐る木を決める。そして、植えるよりも間伐こそが林業家の技術と見識が発揮される場なのだという。
また、徐伐のような切り捨て間伐は、山の「修理」と言うそうだ。

昨日は、間伐は必要あるのか、と問いかけたが、現実に山に行けば、鬱蒼と密生し、林床に何も生えず土壌流出が始まっている森もある。植林後何十年もたっているのに、ほとんど生長を止めたような線香林もある。
あるいは高級材を育てたいという意図もあるだろう。

そうしたところは、間伐が必要なのである。必要だった、と言うべき手遅れ林もあるが。

では、その区別をどうするか、ということだが、それは現場に素人の私にはわからない。ただ、そうした酷い状態になっているのは、植えた本数というよりも、そもそもその場所が、スギやヒノキと言った植栽木の生育にふさわしくなかったのではないか、と思う。本来生えないところに無理に植えたのだから、なんとか育つように世話しなければならない。その手段の一つが間伐だろう。

そう考えれば、間伐が必要な人工林がわかる。

一つは、高級材の生産地。
二つは、間伐材を収入に換える場合。
三つは、植栽木生長不良・土壌流出地。
四つは、景観を優先して、美林に仕立てる場合。

ほかにもあるかもしれないが、とりあえず、この条件に絞ればどうだろう。おそらく、間伐が必要なのは、全人工林の半分以下になるのではないか。
逆に考えれば、見た目だけで森が混んでいるからと間伐する必要はない。何がなんでも間伐、間伐と言って税金ばらまかなくて済む。

再び、記す。林業の要諦は間伐にあり。何のための間伐か、考えよ。


間伐論-昔の林業は無間伐だった

2007-04-06 00:11:23 | 林業・林産業

もうろうとした頭で「間伐論」の序説を書いたまま放っておくのもナンなので、また少し。

まず最初の疑問として、間伐は人工林にとって絶対必要か、という点がある。

ものの本には「間伐は江戸時代から行なわれており……」とたいてい書かれてあるが、その事例は必ず吉野である。逆に言えば、吉野以外は見当たらない。鳥取県の智頭では、「伐らずが肥え」という言葉で、間伐はせず、枝打ちで林内を空かせるようにしたと聞かされた。
ただ江戸時代に書かれた農業全書などには、間伐を勧める一節があったりする。おそらく間伐をしていなかったからだろう。

もちろん、吉野以外ではまったく間伐をしていなかったというつもりはない。間伐という技術そのものは各地にあったのだろう。しかし、「なすび伐り」という間伐法があるように、優性の木、つまり太くて高い木を抜き伐りする方法だ。言い換えると、収入に換えるつもりで間伐している。切り捨てて、残した木の保育に役立てる間伐を古来からやっていたという例を私は知らない。

だいたい、昔の人も暇じゃないので、収入にならない間伐をやりたがるとは思えないのだ。チェンソーもないから、伐採するのは大変な手間だ。それなのに切り捨てはしないだろう。

戦前の林業は、ほとんど無間伐だという報告書もある。

それでも、立派に森は育っていたのではないか。


間伐論(序説)

2007-04-04 01:04:10 | 林業・林産業

ここ数週間、非常に仕事がたて込んでいて、疲労困憊している。やるべきことと、できることのバランスが狂ってきた。いろいろ考えすぎて、頭がくすぶっている。肩がヒリヒリする。(と言いつつ、生駒山でランを見てきたのだけど……。)

で、こんなときにあえて取り組みたくなるのが、間伐論だ。今書いている原稿のせいでもあるのだけど、世の中の、間伐に関する意識・発想について疑問を感じるのだ。

人工林には、間伐が必要だ。なぜなら密植したから、空かさないと、残す木が育たないから。……ようするに残す木のために間伐するのであると。

本当かあ? それって、徐伐、もしくは保育間伐のことじゃないか。
保育間伐は、造林初期にわずかな量行なうものだよ。それなのに、林齢何十年の森林まで保育間伐し続けるなんておかしい。
だいたい保育のための間伐だから、金はかかるばかり。だから低コストにするため切り捨てにしようとか、巻き枯らしで十分とか、切り捨ての方が獣害防げるとか、切り捨てた木が腐って山に栄養分をもたらすとか、理屈こねるのではないか。

本当の間伐とは、収入間伐であるべきだ。これが私の持論。主伐までの大半の期間は、間伐材そのものを金に換えて収入を得るために伐るものだ。
それは人のためだけでなく、山のためにもなる。

切り捨てるくらいなら、間伐なんぞしない方がよい。その方が低コストだ

なぜ、そう考えるか、ここで論じるには疲労困憊しすぎているが、ようするに日本の林業史をひもといた結果、たどりついた結論だ。そして科学は、それを後押ししている。土倉翁、エライ!

もう、まともな文章書けそうにないから、止める。気が向いたら、また続けよう。


「安い外材」

2007-04-01 01:35:30 | 林業・林産業

「安い外材」。

日本の林業の不振を紹介する際に、常に原因として語られる言葉だ。いい加減にしてほしい、これは死語である、大きな間違いであり、林業不振を外部要因に転換する言い訳にすぎない……と、何度も訴えてきた。

が、治らない。
マスコミの林業問題に触れた記事には、必ずと言ってもいいほど、このフレーズが登場する。マスコミで林業に詳しい記者などほぼいないから、おそらく別のマスコミの言葉の孫引きか、取材先(森林組合など)で聞いたのだろう。それを検証することもなく使う。それを聞いた別のマスコミや林業関係者までが信じて、また使う。そうした連鎖が、この禍々しい言葉が消えずに使われるのだろう。

最近、某シンポジウムのパネラーに呼ばれた某森林組合連合会のお偉いさんまで使っていた。思わず、「外材は安くない。国産材の方が安い」と私は突っ込んだ。そして「それを一番知っているのは、森林組合ではないか」

なぜ「安い外材」というフレーズがこんなに出回るのか。林業界のお偉いさんが、現在の国産材の値段を知らないわけではあるまい。(だって、別のところでは国産材の値段が安いことを嘆くのだから。)

どうやら、「安い外材」というのは、林業を語る際の枕詞と化しているらしい。まさか、と思っているが、本当に「国産材の方が安い」ことを知らない森林組合のお偉いさんもいるようだ。そもそも、外材の値段を知らないのかもしれない。比べることをしないで、この言葉を使えば、林業不振を説明できると刷り込まれている。
しかも、外材のせいにすれば、国内林業界の責任を考えずに済む。悪いのは 外国だ、国はもっと援助しろ、と要求できる。思考停止である。

ただ、この震源はどこかにあるはずだ。誰かが言い出して、その情報が流布したと思われる。そこはどこか。

林野庁を疑ったが、さすがに現在では、「安い外材」と記した資料を発見することはできなかった。(もしかしたらあるかもしれない。誰か発見したら教えて。)
しかし以前は、そう書いた可能性がある。事実、20年ほど前までは、外材の方が安い時代があった。円高が生んだ一過性の価格ではあるが。その際のフレーズを今に至るまで引きずっているのではないか。

それとも建築業界かもしれない。高い外材を「安いから」と言って使えば、ユーザーは喜ぶから。国産材を使わない理由にできる。そこまで嫌われた?


縄文時代の育成林業

2007-03-30 01:15:56 | 林業・林産業

育成林業が最初に始まったのはいつか、ということを考えた。
天然林から木材を取り出す収奪型林業なら、有史前から行なわれていただろうが、ちゃんと植え育てた木を利用する林業である。

奈良県川上村は、文亀年間(1501~4年)にスギやヒノキの植林を始めたとある。これが日本最古の記録であり、おそらく世界でも有数の古さだろう。

もっとも古事記にも、スギの枝を地面に刺して育てる、いわば挿し木の逸話がある。林業とは言えないが、木を育てることは、意外と古くからやっていたのだろう。

が、このほど、もっと古くて、もっと確実な育成林業を発見した。

それは縄文時代だ。場所は、 青森県の三内丸山。

この遺跡は、4000年以上前に1500年も続いた集落跡だ。この周辺にはクリ林があったことが知られている。縄文人は、クリを食料にしていたのだろう。だが、クリの実を食べるだけではなかった。遺跡から出土した建物の痕跡から、使われた木材はクリであったことがわかっているのだ。ほとんどの建物がクリであり、さらに皿などの器にもクリ材は使われていた。そして炭もクリ材。
つまり、ここの縄文人は、クリの家に住み、クリの器でクリの木炭で焼いたクリの実を食べていたとされているのだ。

ここからが、肝心。クリのDNA分析によると、いずれも似通っていて選別して植え育てたことが推測できるのだ。集落周辺のクリ林は、おそらく縄文人が植えてつくった森林なのである。

もうわかるだろう。植え育てたクリの木を木材として利用しているのだから、あきらかに育成林業ではないか。これこそ、日本林業の出発点である!

……こんな趣旨の論文書けないかな。


ロシア材、どうなる?

2007-03-05 16:54:47 | 林業・林産業

ロシア材が、大変なことになっている。

ロシア政府は、針葉樹丸太の輸出税を大幅に上げると通告してきたのだ。
現在の税率は6,5%だが、今年7月からは20%、来年4月から25%、09年1月1日からは、なんと80%だという。つまり価格は、単純に考えれば1,8倍。日本は5000万立米近くを輸入しているが、そのほとんどは合板・製材用。これほど原料が高くなれば操業は不可能になる。

事実上、丸太輸出を不可能にする超高率輸出税である。本気か? と目を疑わざるを得ない。いや日本だけではない。中国やヨーロッパ、中東だって、ロシア材に頼るところは大きい。これはロシアの資源戦略なのだろうか。

どうやらロシア政府は、外貨収入を増やすために、丸太の輸出税率を段階的に引き上げ、ロシア国内での木材産業化を推進するために企んだらしい。

ロシアは木材をどうするつもりなのか。

 まっ、おそらく守られないと思うけど。 


原木市

2007-03-04 12:20:15 | 林業・林産業

龍神村で原木市を見学した。

かつて龍神の木材は、山を越えて吉野に出荷されていたそうだが、木材市場を設けて「龍神材」というブランドを作ったということだ。その意味では、ここにある市場が作った価値は高い。

さて、市の様子を見ていても、どのように競りを行っているか皆目わからない。競り人が丸太の山の上を歩きつつ、何か声を上げて、そにを取り囲む人が何らかの合図を送る。で、誰が競り落とせたのかもわからない(^-^)。

「いや、競っている本人もわからないことがありますよ」とは、案内してくれた林業家。
「これを落とそうと思って手を上げかけるのだけど、先の人がいて、ダメだと思っていたら、あとで伝票みたら自分が落としていたことがわかった」
ほんのわずかの手の動きで決まるのだが、それを誰に落とさせるか競り人の胸先三寸、なのだろうか。

価格は、やはり1立米当たりだから、丸太が数本セット。その中に一本だけ黒芯がある場合とか、逆に良材があるときの価格…など、なかなか複雑だ。それも瞬間で判断しなくてはならない。

さらに「競り上がるどころか、競り下りも当たり前のようにある」ともいう。それでも、最近は木材価格が多少上昇してきたらしい。前に大手集成材メーカーの買い付け人がやってきて、みんな警戒心あらわにしたそうだ。

なかなか心理ゲームのような面白さがある。


伐採体験

2007-03-03 23:54:36 | 林業・林産業

今日は、吉野にチェンソーアート練習場づくりに出かける。

そこで邪魔になる木を3本伐採することになった。伐り手は、福本雅文さん。彼は、林野庁指定の「森の名手名人」である。その名人芸は、大径木伐採。

今回伐るのは、もちろん大径木どころか細めの木だが(それでも、ざっと樹齢50年はあるか?)、伐り方の解説入りで技を披露してくれた。

いや、それが面白いのだ。ロープをかけて倒す方向に引っ張るとともに、受け口を作るのだが、その中心にチェンソーを置いて、年輪と垂直にバーを向ける。その方向が倒れる方向。(写真)この計測の仕方は、福本さんだけのものらしいが、一人でも行える技だという。
「あの木とあの木の間に倒します。枝がこちらにあるから、重心がこちらで、隣の木の梢をかするだろうから、こちらに傾く…だから10センチ右にずらす」

で、伐ると、見事に指定したとおりに倒れるのだ。寸分の狂いもなく。

今回は、まだ細い木だから、そんなに迫力はなかったけれど、伐採の理論を聞きながら技を見せられると結構感動もの。

以前から計画中の巨木伐採ツアーも、巨木の伐採だけでなく、参加者が教えてもらいながら伐採体験をするのはどうだろうか。絶対ウケると思う。

ちなみに福本さん、森の名手名人の話を高校生が聞く「森の聞き書き甲子園」対象者だが、女子高生の体験レポートが、上位4位以内に選ばれたそうだ。今度、東京の表彰式に出席するという。
その場でも伐採体験ツアーを宣伝してもらおう(^o^)。

※写真のバックが、建設中の雨天練習場。


村の豆腐屋

2007-02-27 01:23:36 | 林業・林産業

今年の「森林の仕事ガイダンス」も終わったことだし……林業職を求める人々のことに思いを馳せる。

龍神村で、豆腐屋を始めたIターン者を紹介してもらった。彼は、森林組合に緑の雇用で入ったらしい。だが、3年前に辞めた。

その理由は、賃金が下がったこと。そして、将来の展望がなかったこと。じり貧の中で、森林組合としてどう取り組むつもりかわからなかったそうだ。

ちなみに龍神村森林組合は、都会の人を公募して雇用する森林組合の嚆矢である。緑の雇用が始まる前から、述べ人数で30人以上もIターン者が入っていた。だが、今残っているのは数人だという。ほとんど辞めた。

そして辞めた多くは、村を去ったらしい。
だが、彼は豆腐屋を始めることにした。地元の人が自宅で作る堅い豆腐に憧れたことがきっかけだ。今では、地元でも作れる人はほとんどいないが、薪で豆を焚いて苦汁を使う伝統の味。もちろん市販していない。

火の加減がものすごく難しいという。薪も、スギ・ヒノキだけではダメで、カシ系の広葉樹材もいる。試行錯誤しつつ、とうとう作り方を身につけて、今では毎朝50丁つくり、配達している。店の名は「るあん」。タイ語だ。

山村の仕事は、山仕事だけではないし、与えられるものだけではないと思った。自分で仕事を作る覚悟で、山に生きよう。