森林ジャーナリストの裏ブログ

表ブログに書けない、書く必要もないドーデモ話をつらつらと。

夢の吊り橋

2006-10-31 15:16:07 | 田舎・田舎暮らし

大分県九重町に、「九重夢大吊り橋」が完成したニュースをやっていた。

全長390m、高さ173mの日本一の歩道吊り橋だそうだ。それまで日本一だった栃木県那須もみじ谷大吊り橋の全長320mを抜いたとか。

でも、どちらも渡った先に何もない、渡ることに意義のある観光吊り橋である。ようは展望台だ。

最後の村おこしネタは風景か、と思った。最後の箱モノかもしれない。まあ、妙な展示館やらお城やら公園などの村おこしに比べたら随分マシかもしれない。ハードではあるが、土地の破壊は最小限だし、維持管理にさほど金もいらないだろう。風景見せて喜ばせるのなら、手間暇も少ない。
かつて宮崎県綾町の照葉大吊り橋(全長250m)は、観光客が殺到して、何十億円と稼ぎだし十分元を取ったはずである。私が行った時は、閑散としていたけど。

吊り橋に夢を見ているのは、実は観光客ではなく、地元民である。

 

しかし、本来の吊り橋といえば、奈良県十津川村の谷瀬の吊り橋だろう。全長297m、高さ52m。かつては日本一だったというよりも、ここは生活道路であることが重要だ。今でこそ観光化しているが、空いている時は、地元の人がバイクで走っている。もちろん渡った向こうに集落がある。何より、あくまで道だから無料だ。観光橋のように金を取ったりしない。歴史とか生活の臭いがする。

吊り橋は集客装置にはなるが、風景だけから地域全体へと魅力を広げないと観光は長続きしない。九重町にはそんな工夫はされているかな。

 

ちなみに地元・生駒山系にも、大吊り橋がある。大阪府立公園内の星田園地だが、「星のブランコ」(写真)と名付けられた全長280m、高さ50mある堂々としたものだ。観光橋ではあるが、無料だし、遊歩道の一部である。
意外と知られていない穴場。


「がんこ」の割り箸

2006-10-30 12:36:52 | 木製品・建築

昨夜は、大分の山村からの来客を迎えて会食。

私も久しぶりに大阪・道頓堀のネオン街を歩いた。「食い倒れ人形」やら「カニ道楽」の看板、ナンパ橋こと戎橋、そして法善寺横丁。
そして入った店が、「がんこ」の炉端焼き店。がんこフードサービスは、大阪が本社の寿司など和食のチェーン店だ。ちょっぴり高級なたたずまいとコストパフォーマンスのよさ、従業員教育が行き届いていることなどでわりと気に入っているのだが、今回はもう一つ目的があった。

それはお箸チェック! だ。

さっそく並べられた割り箸は、吉野杉のらんちゅう。割り箸の中では最高級の部類である。ただし、本来のらんちゅうは両側が細くなっているが、これは片側だけの形状だった。正確な箸の種類はなんというのだろうか。
ちょっと目粗だったが、年輪も美しい。この手の箸を居酒屋で出すのは、結構コスト負担が大きいはずだ。

 

ただし、この吉野杉の割り箸は、中国製である。

そう、吉野杉の背板を中国に送り、向こうで加工して逆輸入しているのだ。

この手の大手チェーンでは、毎日何十万膳もの割り箸を使用する。それだけに国産を使いたくても供給力が問題となる。残念ながら、国内メーカーでは不安だ。そこで中国加工ということになるのだ。

こんな箸を手にしながら、林業談義に盛り上がったのである。


柿の木

2006-10-28 18:10:13 | 森林モノローグ

庭の柿の木に、実が一つもついていないことに気がついた。

 

毎年、かなりの数の実がある。もちろん渋柿だが、たまには渋抜きして食べたり、そうでなくても鳥の餌になっていた。昨年はあまりにも大量になり、それが熟して庭中に落ちて溶けた柿の実で覆われるほどだった。

にもかかわらず、今年ははゼロである。まったく実が実っていない。多少数が減ったというならわかるが、一つも青い実もない、というのはどういうことか。

 

なんだか、不気味。やはり今年の生駒山は不成りの年なのか。

まあ、柿の実目当てのクマが来なくて安心だが……(そんなバカな)。


田舎の足りない土産物

2006-10-27 21:33:37 | 田舎・田舎暮らし

なぜか「吉野川」の項のコメントが続くので、こちらに改めて。

 

田舎の問題点は、経済面が大きいのだが、そこで目指すのは観光立地。名所づくりに温泉施設、展示施設、遊興施設づくり、あの手この手を考える。

が、もっとも客が金を落とすのは、物販である。名所を見せても金はほとんど落ちない。せいぜい名所近くの自動販売機のジュース類くらいではないか。入場料や体験lイベント収入は意外と少ないというか、コストがかかるので純益は上がりにくい。

それらは集客装置にすぎなくて、本当は来た人に何か物を売ることが、もっとも経済効果を上げる。あるいは宿泊させ、食べさせ飲ませるという物販が大切である。そんな金を落とさせる仕掛けがほしい。

 

ところが、田舎には、ろくに買うものがない。いや、買うものを売っているところがない。何もドコデモ煎餅とかミンナオナジ饅頭、あるいは中国製グッズや山菜を仕入れて販売しろというわけではないが、何か販売してほしい。
せっかく来た客は、潜在的にそこの思い出に結びつくものを欲しがっている。山村なら端材の木工品、農村なら規格外農作物でいい。記念になるなら石ころでも工夫次第で土産になる。

そして、確実に買える店をどこかわかりやすく用意してほしい。何か土産物を買おうと思って、販売所が見つからないことは少なくない。

道の駅は、地域づくりの拠点に育った成功例が多いが、物販と食事で金を落としやすいからだと言えよう。


田舎は嫌いだ!……

2006-10-26 23:49:45 | 田舎・田舎暮らし

また「Dr.コトー診療所2006」に触れるが、第3話で、田舎嫌いの田舎暮らし人が登場していた。自分で望んで田舎に移り住んだのに、実は田舎が嫌いな人。

そこで、衝撃の田舎暮らしの真実シリーズ。(また、シリーズ化する……)

田舎は嫌いだ!……というIターン者は確実にいる。

 

今や田舎に憧れている人は増えたが、どうしても田舎社会に馴染めない人が少なからずいる。不便さとか、人間関係が嫌というより、田舎の文化が嫌いな人
もちろん、田舎は嫌いだから田舎には住まないというのなら何の問題もない。人間性に問題ありとは思うけど、他人の思想信条に文句を付けるわけにはいかない。

しかし、田舎に憧れて、田舎移住をしながら、実は田舎が嫌いだという人は案外少なくないように思う。いわばイメージとしての田舎は好きなのだけど、実際の田舎に接触してカルチャーショックを受け、拒絶反応を示したような感じか。

早く気づいて、さっさと都会に帰ればいいのだけど、そのまま住み続けると、悲劇だ。田舎を憎み続けつつ、田舎社会で生きなければならないのだから。そして、何か不都合がある度に、「だから田舎はダメなんだ」とのたまう。

でも、そんな人は、実は都会でもちゃんと暮らせないんだよ。本人は、気がついていないけどね。


新名刺、完成!

2006-10-25 13:56:47 | 時事ネタ

新しい名刺が、届いた。

 

う~ん、いいんじゃない? 自画自賛だが、イメージ一新だ。

右手に入っているグリーンの模様は、木立の樹冠のシルエットである。

最近は、パソコンの手づくり名刺が流行っているようだが、私は今回もデザイナーに頼み、印刷所に持ち込んだ。
2色刷ということもあり、また印刷所がアナログでフィルム版を外注しなくてはいけないこともあって、かなり高くついた。当初予算の3倍である。これでも、かなり安くしてくれたのだ…。

これからせっせと配ろう(^o^)。


手づくり楊枝

2006-10-24 12:09:16 | 木製品・建築

「森の“聞き書き”甲子園」の過去の名人名手を探っていたら、「楊枝製作」という項目があった。詳しいことは紹介されていないが、千葉県の人が名人に任命されている。

 

そうか、爪楊枝づくりも森の仕事か、と微笑んでしまった。それなら、手づくり割り箸職人がなぜ登場しないのか…。いや機械生産だっていいじゃないか。中国まで取材に行ったりして。(ちなみに、割り箸の発祥の地・奈良県下市では、割り箸のことを楊枝という。)

 

たしかに、爪楊枝も木工である。クロモジの木から作るものが最高級品だが、ウツギからも作られる。木を割って、削って作る逸品だ。(写真)
もっとも今はほとんどがシラカバだ。ロータリーレースで丸太を剥いで、型抜きする。生産の大半が中国である。

このつまようじの消費量から使用木材量を計算したらどれくらいになるだろうか。なにしろ割り箸と違って世界中で使われている。家が何千軒か建つのは間違いない。これって、非難の対象にはならないのかね。マイ爪楊枝運動は起きないのだろうか。

 


シンポジウム「日本林業再生の道」

2006-10-23 22:32:32 | 時事ネタ

ちょっと告知がてらに紹介。

シンポジウム「日本林業再生の道-新たな森林産業の構築へ向けて-」Part II が11月5日に京都で開催される。


昨年夏、京都で開催された第2弾である。たしかこのブログでも紹介したはずだが、非常に濃い中身に圧倒された集まりだ。どうやら評判がよかったため、再びの開催となったようだ。これは行かねばなりませんね。

------------プログラム----------------
日本林業再生の道(Part II)-現場の取組み-

●主催:森林・木材・環境アカデミー
●共催:京都府      
●後援:日本木材学会、日本森林学会、近畿・中国森林管理局、大阪府、兵庫
県、京都新聞社、KBS、NHK,毎日新聞社、朝日新聞社、読売新聞社

日時:2006年11月5日(日) 午後1:00-5:00
場所:京都キャンパスプラザ
 京都市下京区西洞院通塩小路下ル TEL 075-353-9111
  JR京都駅ビル駐車場西側・京都中央郵便局西側
入場無料 定員170名
   
第一部 新たな森林産業の構築へ向けて 講演(1:15-3:15)
・昨年のシンポジウムの概要 黒田慶子(森林総合研究所関西支所)
・生産の現場から「森林組合のよる地域森林の管理」 湯浅勲(京都府日吉町
森林組合)
・流通加工の現場から「合板用のスギ材活用の現状と展望」内藤和行(林ベニ
ヤ産業株式会社)
・住宅設計の現場から「ロハスな暮らしを作る国産材の内装」 藤田佐枝子
(有限責任中間法人もくの会)
・市民との連携「森林調査の必要性と矢作川森林調査から見えたもの」蔵治光
一郎(東京大学大学院農学生命科学研究科附属愛知演習林)

第二部 パネル討論会(3:30-5:00)
 


聞き書き甲子園

2006-10-22 11:37:02 | 政策・行政関係


「森の“聞き書き甲子園”」というのを知っているだろうか。


林野庁やら文部科学省やら国土緑化推進機構やらが行っている事業で、今年で5回目になる。ようするに森(というより山村)の生活に関わる仕事などの技術保持者を「森の名手・名人」として認定し、その技や成果を全国の高校生が聞き取るという行事である。
林野側からすれば、消えつつある技術の記録と伝承のため、聞き取り側には青少年の健全育成を目的とする。もともとはアメリカで行われていたフォックス・ファイヤー(狐火)という事業で、伝統の技を若者に聞き取らせることで教育効果と伝承の足掛かりにするものだ。

毎回100人ずつ認定されるから、これで500人の名手・名人が生まれ、それを500人の高校生が聞き取りをした(する)ことになる。すでに過去の成果は、本にもまとめられている。
たしかに聞き書きする側からすれば、ためになるだろうな、と思う。ちゃんと聞き取り技術の研修も行われ、取材経費も出るのだからオイシイかもしれない。取材経費に四苦八苦している身としては、私も参加したいくらいだ(^o^)。

まあ、実際のところ、山側(聞き取られる側)にあまりメリットはなく、町側(聞き取り側)が喜ぶだけのような面もある。森林ボランティアと同じだ。それでも名誉とやる気をもらえるのだろう。

 

さて、吉野まるごとプロジェクトのメンバーである福本雅文氏が、この名手に選ばれた。大径木の伐採技術保持者として。神奈川県から女子高校生が聞き取りに来るそうだ。

いつか、このブログに書き込んだ「超絶・吉野林業の技」研修ツアー計画も、彼あっての企画だ。寸分の狂いなく大径木を思った方向に倒す技、幹の隣に岩がある場合、それを飛び越えて倒す技……などを披露してもらう計画だが、そこに聞き書き甲子園も参入してきたことになる。こちらも「森の名手・名人」が講師ということでハクが付くかも。
またツアーだけでなく、ビデオ撮影などを考えているのだが(DVD化予定)、甲子園に便乗するか。

でも聞き書きする高校生、林業をわかっているのかな。しっかり勉強してから来てよ。さもないと我々がいじめるかもしれない( ̄ー ̄)。

 


読者の読解力

2006-10-21 13:10:59 | 仕事関係

『だれが日本の「森」を殺すのか』を読んだ編集者から仕事を受けた。

ありがたいことである。でも、気になることが……(その人が、このプログを読んでいたらどうしよう^^ゞ)

 

日本の森を守るためには、国産材をもっと使わなくてはならない。この点では一致している。が、そこで国産材が売れない理由として理解しているのが、

国産材は高い
国産材が高いのは、日本の山は急峻でコストがかかる
日本の山が荒れたのは機械化が進んだから?
人工林は45年で使える

ちょっ、ちょっと。いずれも森コロでは否定したことじゃないか。
国産材は高くないし、山が急峻な林業地は海外にも多い、もっと機械化しないとコストダウンできない、伐期は45年どころか60年、いや80年と延びている。

 

読者に確実に理解してもらえるよう執筆するのは難しい。そのため多少センセーショナルな書き方をしたり、ポイントを拡大して記すなどしてきたのだがなあ。

もっとセンセーショナルに書くか? 同じことを各章で繰り返して記すか?
そもそも1冊に情報を詰めすぎなので、内容を薄く、いやテーマを絞るか。

まだ工夫する余地は多そうである。

 


改名!

2006-10-20 10:12:28 | 時事ネタ

昨日は、深夜まで「吉野まるごとプロジェクト」の会議を行っていたが、終了間際、重大な決定が。

プロジェクトが主宰する吉野チェンソーアート倶楽部の改名

倶楽部と名付けたけど、実態は講習会を開くスクールじゃない? クラブというと会員制の愛好者集団と思われるし……と私が口走ったら、

あっ、そのとおりだ、改名しよう。とすごい勢いで決まった。で、

吉野チェンソーアートスクール

 

すでに倶楽部名で告知して広まっているとか、愛着があるなんてことには、全然頓着しない(^^;)。よいと思えばすぐ始め、ダメとわかったらすぐ撤退。我がグループは朝令暮改こそ信条である。今後、会長は校長と呼ばれる(^o^)。

ただ、帳簿などを倶楽部名で作っている関係から、形式的には「吉野まるごとプロジェクト」事業部門の「吉野チェンソーアート倶楽部」プロディースの「吉野チェンソーアートスクール」ということになった。三層構造だ。

 

実際、12月より連続講座によるスクールを開講する。3ヶ月に1度の講義4回と、その間に練習会を毎月開いていく。まだ正式な告知もしていないのに、早くも定員をオーバーしそうな勢い。

しかも11月9日には、NHK生放送も決まり(関西地区「もっと!もっと!関西」/奈良地区「ならナビ」2本連続。ただし私は出ないよ ^o^)、そこで告知したらどんな反応が起きるか怖い。

 


田舎暮らしは、危険だ!

2006-10-18 18:42:50 | 田舎・田舎暮らし

田舎暮らしは金だ、と断言したことで吹っ切ったのだけど、調子に乗って…

田舎暮らしは危険がいっぱいだ、と主張したい。

なんか、のどかな風景に忘れている人が多いのだけど、田舎って危険がいっぱい。は整備されていないし、毒蛇やら毒虫やらも多いし、雨が降れば川が氾濫山崩れ農林作業中の事故に、交通事故とたくさんある。酔っぱらい運転も、かなり多いし、悪路ゆえの事故も少なくない。 昨日はニュースにもなったけど、クマが町中まで出てきましたねえ。野生動物は、はっきり言って怖い。

 

ここで 私が取り上げたいのは、遭難だ。昨日-今日と神奈川県の大山で家族四人が遭難した事件があった。うち一人は86歳だが、実は山の大ベテラン。家族とともにハイキングコースみたいな山なのに行方不明になったのだ。

田舎でも、意外と地元の人が遭難しているんだよなあ。奥が深い山だけに、道に迷うと、マジ遭難する。 山菜取りとかキノコ狩りとか? いや地元の人でも、ハイキングで迷ったりする。

 

ところで私は山に入ると、道のないところを進みたがるという悪い癖がある。低山だと、見通しが効かないから、方向感覚が狂いがちである。
それでも生駒山なら、地図が頭の中に入っているので、どこをどう進もうがだいたいどこに出るか見当がついている。這ってでも山を降りる自信がある。携帯電話も、まあ通じる。と、こうした過信が怖いのだよ


山尾三省の言葉

2006-10-17 12:23:38 | 田舎・田舎暮らし

山尾三省という詩人を知っているだろうか。

幾年か前に亡くなったが、屋久島に移り住み、多くの詩とエッセイを残した。

 

私は、生前逢ったことがあるのだが、その席で同席した人が「屋久島の生活のよいところと悪いところは」という質問をした。
よいところは、美しい森、海、空、美味い水、魚、野菜、完全な暗闇と星空、そして人……次々と出てくる。
では、悪いところは?
「それは金がないことです」

その場は爆笑に包まれた。が、
「だって、そうでしょ? こんなに良いところなのに、人の数は年々減っているんですよ。みんな島を出て行くのは、金がないからです」

この言葉に、みんな我に返った。そう、田舎暮らしは金だ。

 

ちなみに私は田舎暮らしをしているわけではないが、やはり距離のハンデは受けているなあ。東京に住んでいないことで潜在的な仕事のチャンスロスもあるし。
先日も、メールで仕事の依頼が来たのだけど、その後電話で話して奈良在住だとわかると驚いていた。もし、最初からわかっていたら発注されたかどうか。

 


田舎暮らしは金!

2006-10-16 11:17:46 | 田舎・田舎暮らし

フジテレビで「Dr.コトー診療所2006」が始まった。昨日、娘と録画したビデオを見たのだが、もともと好きな番組ではある。

だが、腕も人情もスーパーマン的な医者が離島を救う図式では見たくない。過疎地の医療は、もっと深刻であり、一人の医者の努力の問題ではないからだ。

それでも、この番組が好きなのは、お金の問題を取り上げているから(^^;)。
今回も、医者をめざす男の子が、東京で一人学び、私立中学に合格した。が、そこで降りかかるのは高額の入学金と授業料であることを描いていた。また、当然東京での生活費もいる。漁船を売っただけでは間に合わない。
首都圏では、私立中学・高校に行かなければ、まっとうな大学に進学できないとされているようだが、まさに格差社会の始まりだろう。

 

勘違いしている人が多いが、田舎暮らしには金がかかる。食費だってそんなに安くならないし、安売りショップもない。とくにかかるは、医療と教育だ。

どちらも問題は距離だ。診療所さえ、歩いて行ける距離にあるところは限られている。学校も複式学級になれば、進学が心配だ。塾も遠い。

そう、田舎暮らしには金がかかる。

 

奈良県の東吉野村に移住したEさんは、NPOを設立した。車を運転できない高齢者のために安く車で送迎するビジネスを行うものだ。それを思いついた理由を、自分が老後も村に住み続けるためだという。

運転免許のあるなしに関わらず、高齢化すると山道の運転がきつくなる。かといって1日に数便のバスは当てにできない。しかし病院に通うのにタクシーを使うと、片道6000円くらいはかかる。これでは病院にかかることさえ躊躇する現実がある。

だから自分が元気なうちに、老後を過ごせるシステムを作る必要を感じたのだそうだ。ほんと、金だよ、金。