シャンソン歌手

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シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 初春のミモザの花

2016年02月22日 23時37分22秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 初春のミモザの花


我が家の小さな庭の 東南の角のミモザにも
少しづつ 花がつき始めていますが

月曜日 ブラボーパパが 運んでくださった
大量の花達の中に
ミモザが ニコニコ微笑んでいました。

玄関の外に 飾りました。
通りかかりの 向かいのピアニスト奥様から
「わぁー ミモザ 綺麗」と 声を掛けて下さったり
お弟子さんの三神さんも
「ミモザ の黄色は 元気が出ますね」と

とやさんは ミモザ色のウールの靴下履いていて
「この靴下 ミモザ色ですね」とニコニコ


私は 内幸町ホールで 宮本裕子さんが
歌ってくれたバルバラのシャンソン ミモザの島
のメロディーとフランス語ポエム
が 脳の中で 流れて
少し 切なくなりました。

バルバラのシャンソンは どれも メロディーが
綺麗で 転調を重ねていくので
心理が高揚していくような 作風ですが
詩の内容は
いつも だいたい 死 が テーマです。


歌詞の中で 繰り返し私の脳の中を
駆け巡る 一節があり
もう 1000回も万回も くるくる 流れています。

Il`y a si peu de temps entre vivre et mourir

生 と 死の間 は ほんの束の間・・・・
みたいな セリフですが

確かにねぇ
あっという間に 人生は過ぎゆき
何時か 知らない
死 という世界へ行くわけですが

生と 死は 全ての人に平等に やってくるのですが
死は 何時来るか 誰もわからないし
お別れなのか 永遠の魂になるのか・・・も
何もわからない

生きている間 生を実感して噛みしめたいと
思えるようになるのは
ある程度 加齢して生活に時間の余裕が出てからですね。

我武者羅に働いたり 行動している時代は
そういった 生を味わう余裕はなくて
哲学する ゆとり も無いから。

人生は 苦があるから 楽を喜べたり
悲しみが深い時 ちょっとしたことで心が癒されたり

パラドックス的作用で 心の在り方も変化します。

ブリュッセルの空の様に どんよりした月曜日
ミモザの花の イエローに刺激され
恋のノスタルジーに浸りました。

バルバラのシャンソンの様に
全てを捨ててあなたと ミモザの島へ行きたいみたいに
思った 若かりし頃も あったのに 

恋の情熱は
いまや シャンソンの歌詞のなかに 読んでいるだけ。

年をとりました。
今の私の 穏やかな 人間愛の世界
花と音楽と共に 哲学できる人生が
長い間の 憧れでした。
つまり
年をとることに 憧れていたわけです。

枯れてみたかったのです。
超情熱的でしたから。

穏やかになりたかった
平和な心で生きたかったから。

恋は 必ず苦しいもの。幸せな愛などない
というシャンソンもあるしねぇ。

ミモザの島は 私の家です。 
私の恋人はフランス語ポエムの中。
シャンソンの中にいます。

そして 傷つかない心で
私は
幸福の船に 揺られています。

シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 母の作品

2016年02月22日 01時10分40秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 母の作品


母は フランス刺繍の刺繍家で
コンクールで優勝したり 新聞や雑誌にも出ても
一度も それで 商売をしたことは無くて

多分 生粋の職人的芸術家だつたように思います。

一日中ずーっと刺繍したり 裁縫したり 編み物したり
日本画を書いたり
家庭的な 料理とか 友達づきあいとか 旅行とか
ぜんぜん 興味が無くて
ひたすら 家で部屋に籠り 作品作り・・

そして その 額縁に入れる刺繍作品が
山ほど 残っているのですが
それらを 額縁に入れて飾る程の壁スペースも
無いし
なんとなく デザイン的に 洋風の家には合わないので

苦肉の策で
刺繍部分を 切り抜いて 裏に糊付けして
レースのベストに 縫い込み 付けてみました。

たぶん この薔薇を刺繍するのには
一針一針 で 三か月くらい掛かるはずですが

私でしたら 技術が無いので 一年でも
十年でも出来ない 細かい刺繍です。

レースの布も チェックのシルクの布も 皆 母
の遺品です。

母の作品と共に 活用出来て 親孝行した気になっています。
ニタニタ 一人で二枚のベストをクリエイトして
幸せ顔の私を見て
母は 天国で 安心しているだろう・・・・と
勝手に 思い込んでいます。

親は 子が幸せ顔しているのが 一番安心です。
なので 親には どんな辛い時も 一度たりとも
相談したり 見せた事がありませんでした。

心配させたくないから いつも幸せ顔していましたら
幸せ顔が 板について 本物の幸せ者になれちゃいました。





シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 長坂玲子の時間

2016年02月22日 00時17分16秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 長坂玲子の時間

大きな舞台の上で 衣装をつけて つけまつげを付けて
化粧をして 歌い踊る 芸名LILI LEYの私を
画像で見たりすると
自分で
この人 私なの?

と ビックリしてしまいます。

何だか いつのまに
堂々と パーフォーマンスを
すいすい自由にする人になったものだねぇ

私って 消極的で 恥ずかしがり屋で 
一人で もくもくと稽古していたり 
部屋で 一人絵を描いて遊んだり 本読んだり
している内向的気質だったのに・・

舞台姿は とても 活発に見えるものねえ

普段の私は 普通の人で
自宅に居るだけで 平和な心で静かな安定した気持ちで
花達と戯れ
裁縫に 夢中な時を過ごし
ジャズピアノ稽古して遊び
バレエして 筋肉を喜ばせ

お一人様の癖に 妙に丁寧に料理して
食事を楽しみ

ちょっとした お一人天国に暮らし
お稽古にいらしてくれる お弟子さん達
音楽仲間達のお蔭で

我が家から 一歩も出かけなくても
色々な世界観を 見せて頂けています。

毎日が 幸せすぎる位で
神様 仏様 皆様 万物に感謝感謝
ニコニコ ニタニタ笑顔で暮らせています。

社会と接すれば 何だかの 嫌なことが圧し掛かるのは
世の常ですが

音楽の社会とて 同様で 純粋でもないので
音楽で 社会欲 経済欲を抱けば とんでもない 怖い社会です。

音楽を 心の糧と思い
純粋に 稽古や精進に励めたのは
私が 長年 音楽以外の
別の仕事も していたからで

音楽家だけで 日本の経済社会に
生きていたなら
きっと 魂を悪魔に 渡さなければならない事も
あったかもしれません。

生活の糧を得る手段が 別にあり
音楽家としての自分磨きや
自分のレッスンや稽古に自分の経済で
自分に投資できたのが
私の 運命だったように思います。

でも 二足の草鞋 三足 四足の草鞋は
若かったから 履けていたので
いまは もう・・・人生の秋・・・誰も居ない我が家

それはそれで ありがたい 波風嵐の無い 夕凪。

ただ
舞台の上に乗っかってから57年
四歳のピアノの発表会から 
相当に 舞台の上でのマナーやパフォーマンスは
成長したみたいで

ビデオで見る限りの私は 
この お一人様 蟄居五年間で
かなり 成長し
自分を自分で 矯正してきたので
すこしづつ 自分の好きな歌手に
近づいている気がいたします。

自分の体を 自分の脳の指令で
全て動かさなければならない楽器としての
我が肉体
我が腕 我が足 手指 足 口 唇
ウエスト 腰 

なにもかも司令塔の脳が 全てを
操作して舞台上の作品になれる私
なのですが
心とか 魂とか センスとか 自由度 品格は
内容物を研き続けないと
内面からの輝きは パフォーマンスという技術では
カバーできないものですから

まだまだ 人徳に
磨きを掛けなければなりません。