シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 初春のミモザの花
我が家の小さな庭の 東南の角のミモザにも
少しづつ 花がつき始めていますが
月曜日 ブラボーパパが 運んでくださった
大量の花達の中に
ミモザが ニコニコ微笑んでいました。
玄関の外に 飾りました。
通りかかりの 向かいのピアニスト奥様から
「わぁー ミモザ 綺麗」と 声を掛けて下さったり
お弟子さんの三神さんも
「ミモザ の黄色は 元気が出ますね」と
とやさんは ミモザ色のウールの靴下履いていて
「この靴下 ミモザ色ですね」とニコニコ
私は 内幸町ホールで 宮本裕子さんが
歌ってくれたバルバラのシャンソン ミモザの島
のメロディーとフランス語ポエム
が 脳の中で 流れて
少し 切なくなりました。
バルバラのシャンソンは どれも メロディーが
綺麗で 転調を重ねていくので
心理が高揚していくような 作風ですが
詩の内容は
いつも だいたい 死 が テーマです。
歌詞の中で 繰り返し私の脳の中を
駆け巡る 一節があり
もう 1000回も万回も くるくる 流れています。
Il`y a si peu de temps entre vivre et mourir
生 と 死の間 は ほんの束の間・・・・
みたいな セリフですが
確かにねぇ
あっという間に 人生は過ぎゆき
何時か 知らない
死 という世界へ行くわけですが
生と 死は 全ての人に平等に やってくるのですが
死は 何時来るか 誰もわからないし
お別れなのか 永遠の魂になるのか・・・も
何もわからない
生きている間 生を実感して噛みしめたいと
思えるようになるのは
ある程度 加齢して生活に時間の余裕が出てからですね。
我武者羅に働いたり 行動している時代は
そういった 生を味わう余裕はなくて
哲学する ゆとり も無いから。
人生は 苦があるから 楽を喜べたり
悲しみが深い時 ちょっとしたことで心が癒されたり
パラドックス的作用で 心の在り方も変化します。
ブリュッセルの空の様に どんよりした月曜日
ミモザの花の イエローに刺激され
恋のノスタルジーに浸りました。
バルバラのシャンソンの様に
全てを捨ててあなたと ミモザの島へ行きたいみたいに
思った 若かりし頃も あったのに
恋の情熱は
いまや シャンソンの歌詞のなかに 読んでいるだけ。
年をとりました。
今の私の 穏やかな 人間愛の世界
花と音楽と共に 哲学できる人生が
長い間の 憧れでした。
つまり
年をとることに 憧れていたわけです。
枯れてみたかったのです。
超情熱的でしたから。
穏やかになりたかった
平和な心で生きたかったから。
恋は 必ず苦しいもの。幸せな愛などない
というシャンソンもあるしねぇ。
ミモザの島は 私の家です。
私の恋人はフランス語ポエムの中。
シャンソンの中にいます。
そして 傷つかない心で
私は
幸福の船に 揺られています。
我が家の小さな庭の 東南の角のミモザにも
少しづつ 花がつき始めていますが
月曜日 ブラボーパパが 運んでくださった
大量の花達の中に
ミモザが ニコニコ微笑んでいました。
玄関の外に 飾りました。
通りかかりの 向かいのピアニスト奥様から
「わぁー ミモザ 綺麗」と 声を掛けて下さったり
お弟子さんの三神さんも
「ミモザ の黄色は 元気が出ますね」と
とやさんは ミモザ色のウールの靴下履いていて
「この靴下 ミモザ色ですね」とニコニコ
私は 内幸町ホールで 宮本裕子さんが
歌ってくれたバルバラのシャンソン ミモザの島
のメロディーとフランス語ポエム
が 脳の中で 流れて
少し 切なくなりました。
バルバラのシャンソンは どれも メロディーが
綺麗で 転調を重ねていくので
心理が高揚していくような 作風ですが
詩の内容は
いつも だいたい 死 が テーマです。
歌詞の中で 繰り返し私の脳の中を
駆け巡る 一節があり
もう 1000回も万回も くるくる 流れています。
Il`y a si peu de temps entre vivre et mourir
生 と 死の間 は ほんの束の間・・・・
みたいな セリフですが
確かにねぇ
あっという間に 人生は過ぎゆき
何時か 知らない
死 という世界へ行くわけですが
生と 死は 全ての人に平等に やってくるのですが
死は 何時来るか 誰もわからないし
お別れなのか 永遠の魂になるのか・・・も
何もわからない
生きている間 生を実感して噛みしめたいと
思えるようになるのは
ある程度 加齢して生活に時間の余裕が出てからですね。
我武者羅に働いたり 行動している時代は
そういった 生を味わう余裕はなくて
哲学する ゆとり も無いから。
人生は 苦があるから 楽を喜べたり
悲しみが深い時 ちょっとしたことで心が癒されたり
パラドックス的作用で 心の在り方も変化します。
ブリュッセルの空の様に どんよりした月曜日
ミモザの花の イエローに刺激され
恋のノスタルジーに浸りました。
バルバラのシャンソンの様に
全てを捨ててあなたと ミモザの島へ行きたいみたいに
思った 若かりし頃も あったのに
恋の情熱は
いまや シャンソンの歌詞のなかに 読んでいるだけ。
年をとりました。
今の私の 穏やかな 人間愛の世界
花と音楽と共に 哲学できる人生が
長い間の 憧れでした。
つまり
年をとることに 憧れていたわけです。
枯れてみたかったのです。
超情熱的でしたから。
穏やかになりたかった
平和な心で生きたかったから。
恋は 必ず苦しいもの。幸せな愛などない
というシャンソンもあるしねぇ。
ミモザの島は 私の家です。
私の恋人はフランス語ポエムの中。
シャンソンの中にいます。
そして 傷つかない心で
私は
幸福の船に 揺られています。