シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 音楽家の道
一昨日の夜
1984年ベルギー ヴィルボールドという街で
ベルギーのロータリークラブが
開催してくれた 私のリサイタルのテープを
聞きました。
29才の時。
ロータリーインターナショナル 財団の奨学生として
ベルギーに 留学した年の冬です。
フォーレ の歌曲 ゆりかご ネル 捨てられた花 フランス語
ワーグナーのヴィゼンドンクの五つの歌 ドイツ語
他 オペラ ヘンリーパーセルのアリア 英語
サンサーンスのオペラ サムソンとデリラ ビゼーのオペラ カルメン
はフランス語
グラナドス歌曲 30分トナディーリャス スペイン語
日本歌曲 平城山 他
一時間半 以上 歌っている 懐かしい リサイタルの 思い出が
蘇りました。
あの時
確か 九月 コンセルバトワールに 入学したばかりで
マダム アルノーという 強烈な先生のクラスで
習っていて
学校だけでなく
ホームレッスンにも 通い詰めていました。
欧州の歌手は 全ての言語で その作曲者の意図とスタイルを
的確に 表現するのが プロなのだから
全て もれなく リサイタルでは 力を発揮しなさい・・・と
数か月 特訓して リサイタルに
臨みました。
一応 既に 日本でも プロ歌手でしたから
それなりに きちんと 私は 歌っていたみたいです
が
今思えば 苦しくて 辛くて 怖くて 自信が無くて
自分を 世界で一番 下手だと思っていました。
伴奏ピアニストの レダエリさんが
やたらと リサイタルの仕事を 持ってきてくださり
留学後 直ぐから その後 ずーっと
あちらこちら 歌いまくっていたのに
自分が 東洋人で 小さい体だという コンプレックスから
どう 足掻いても 自分に自信というものが
持てなかったので
達成感など 皆無でした。
プロ歌手であることを 止めたくて 逃げたくて
なのに
諦めきれず
パリまで 声楽や 発声やら 習いに行き
リサイタルの度に 自分のテープを聞き また 辞めたくなっていました。
なのに
何故 私は 今シャンソン歌手として 歌っているのだろう・・・
何故 ずっと プロ歌手なのだろうか・・・
それに
ずうずうしいことに
最近は 自分の声と 自分の音楽性が
結構 嫌いではない・・・・
クラシックの声楽家の時の私は びくびく していて
自由な音楽的 センスを 楽しめなかったみたい。
そして
舞台が もっとも 私が私らしく 生きられる場所に
なってきて
怖いけれど
舞台に立つ度に
あー 舞台は 私の故郷 あー私の住家
みたいに 嬉しくて安らぐ。
明日の ロータリーのクリスマスディナーパーティー
ショータイムも
23日の舞台も なんと有難い ことだろう。
感謝の 二日間です。
音楽の道は 不思議な道だわ。
音楽に 苦しめられ 音楽で救われ 音楽に生かされている私。
運命なのだわねぇ。
一昨日の夜
1984年ベルギー ヴィルボールドという街で
ベルギーのロータリークラブが
開催してくれた 私のリサイタルのテープを
聞きました。
29才の時。
ロータリーインターナショナル 財団の奨学生として
ベルギーに 留学した年の冬です。
フォーレ の歌曲 ゆりかご ネル 捨てられた花 フランス語
ワーグナーのヴィゼンドンクの五つの歌 ドイツ語
他 オペラ ヘンリーパーセルのアリア 英語
サンサーンスのオペラ サムソンとデリラ ビゼーのオペラ カルメン
はフランス語
グラナドス歌曲 30分トナディーリャス スペイン語
日本歌曲 平城山 他
一時間半 以上 歌っている 懐かしい リサイタルの 思い出が
蘇りました。
あの時
確か 九月 コンセルバトワールに 入学したばかりで
マダム アルノーという 強烈な先生のクラスで
習っていて
学校だけでなく
ホームレッスンにも 通い詰めていました。
欧州の歌手は 全ての言語で その作曲者の意図とスタイルを
的確に 表現するのが プロなのだから
全て もれなく リサイタルでは 力を発揮しなさい・・・と
数か月 特訓して リサイタルに
臨みました。
一応 既に 日本でも プロ歌手でしたから
それなりに きちんと 私は 歌っていたみたいです
が
今思えば 苦しくて 辛くて 怖くて 自信が無くて
自分を 世界で一番 下手だと思っていました。
伴奏ピアニストの レダエリさんが
やたらと リサイタルの仕事を 持ってきてくださり
留学後 直ぐから その後 ずーっと
あちらこちら 歌いまくっていたのに
自分が 東洋人で 小さい体だという コンプレックスから
どう 足掻いても 自分に自信というものが
持てなかったので
達成感など 皆無でした。
プロ歌手であることを 止めたくて 逃げたくて
なのに
諦めきれず
パリまで 声楽や 発声やら 習いに行き
リサイタルの度に 自分のテープを聞き また 辞めたくなっていました。
なのに
何故 私は 今シャンソン歌手として 歌っているのだろう・・・
何故 ずっと プロ歌手なのだろうか・・・
それに
ずうずうしいことに
最近は 自分の声と 自分の音楽性が
結構 嫌いではない・・・・
クラシックの声楽家の時の私は びくびく していて
自由な音楽的 センスを 楽しめなかったみたい。
そして
舞台が もっとも 私が私らしく 生きられる場所に
なってきて
怖いけれど
舞台に立つ度に
あー 舞台は 私の故郷 あー私の住家
みたいに 嬉しくて安らぐ。
明日の ロータリーのクリスマスディナーパーティー
ショータイムも
23日の舞台も なんと有難い ことだろう。
感謝の 二日間です。
音楽の道は 不思議な道だわ。
音楽に 苦しめられ 音楽で救われ 音楽に生かされている私。
運命なのだわねぇ。