シャンソン歌手

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シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY フランス語シャンソン記憶力

2015年12月30日 03時49分25秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY フランス語シャンソン記憶力

音楽家の人生は ほとんど 記憶人生です。
記憶力だけが 頼り。

勿論ダンサー バレーリーナー
そうそう アイススケートだって
振り付けは 皆 記憶力ですが。

記憶と 表現力の組み合わせという意味では
パフォーマンスは 皆 
脳からの 指令で 肉体を 記憶のままに
動かすわけです。

数学の 九九とか 方程式も 漢字も歴史も記憶力
ですし
受験勉強も 記憶力を駆使します。

音楽は 瞬時の記憶力放出作業の連続ですから
一瞬の 待ったなし
考えて 歌ったり 弾いたりする余裕などは
音楽のリズムの中 テンポの中では 全くありませんが

運動神経 反射神経を駆使して
脳幹と 身体に記憶したモノを 瞬時に 放出・・・

九九や 歴史の年号や クイズ解答のように
感情無しで 記憶を放出するのではなく

人間としての
感情表現をするのですから
記憶力が優れていても
それだけでは 音楽家にはなれない。

でも 記憶は まず必須。

記憶するのには
刷り込み 繰り返しの連続で
とても 時間が掛かるので
時々 もう 記憶したくなーい
その時間 ぼけーっと していたいーーー

と 思うこともあります。

でも
来年の 私の 新曲を また記憶しないと 前へ進めないわ。

フランス語を 記憶するのには 
母音子音の数が 日本語に比べて
異常に多いので
唇に覚えさせないと 無理です。


早く記憶してくる お弟子さん達を観察していると
やはり 朗読回数 
声だしして練習回数が 多い人
時間をかけた方達で

能力とは 関係ないわねぇ。

年齢とは 関係あるのか・・・まだ 分かりません。
でも
還暦まで 記憶し続ける人生を過ごしてみると

まだ 十代の頃 二十代の頃と比べて
記憶力は 衰えてはいないので

記憶も 習慣なのかもしれませんね。

受験が 終われば記憶などしない人生になる
のに
音楽家で居るので ずーっと受験が続いているみたいです。
でも
合格とか 不合格とか 無いので ありがたい 記憶作業毎日と
思わないと・・・・
フランス語を 流麗に唇と舌を動かして歌えると
何だか 幸せになれるし

来年も 幸せ求めて 記憶 記憶・・・




シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY シャンソン仲間の女子会

2015年12月30日 03時03分05秒 | Weblog
シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY シャンソン仲間の女子会

コミュニケーション能力は 基本的に女史が優れていると
それは
脳梁が 男子のそれより 20パーセント位太くて
右脳と 左脳の 情報供給が 多いからだと
最近の脳科学情報に 書いてありましたけれど

世間に 例外は多々あり
欧州では お喋りな男性は 多いし
表現力は 女性が優れていると言っても
音楽家など 芸術分野で 優れた 男性の表現者
も 多いしねぇ。

でも 
我ら シャンソン仲間の 女子会は楽しいですよ。
本日は 今年最後の 夜お稽古ラストは 大和田さん。

福江さんが 終了後に
大和田さんの レッスン前に
私と三人で ピーチク パーチク

途中 ピーちゃんパパママが
郷里 千葉県 館山にお墓参りにいらした帰りに
名物の タマゴの巻き寿司を
届けて下さり

皆で パクパク ピーチク シャンソン女子会は最高に
笑えます。 

三人共に 今年は シャンソンワールドでの
達成感と充実感が あり
幸せな 年末です。

来週 この おふた方と お会いするときは新年に
なっているわけですが
「今年も 楽しかったわねぇ。また来年も 楽しみましょう
ありがとう」
と お送りするとき

私は 先生という気持ちより
シャンソンワールドの
仲間達との 絆を楽しみ 
音楽の喜びを共有している 幸せ者だなー

と感じています。

勿論 とても真剣に全身全霊で 
お教えしているので

生徒さんの中には 涙を流した
方々も いるらしい・・・

理由は 先生の教えが 直ぐできなくて
不甲斐ない・・・という事らしいのですが。

私は 長い音楽生活で ピアノの先生の お稽古の最中に
泣いたことが 一回あります。
人生で たった一回ですが
19才の 藝大浪人生の時です。

バッハの インベンション三声の 暗譜の時
全ての声部を それぞれ
覚えて 弾かなくてはならないのに

両手一緒だと弾けても それぞれの声部を
弾きこなせなくて

先生が 楽譜を ピアノから 二メートル位
遠い場所に 置いて

解らなくなったら そこまで 歩いて行き
楽譜を 見て

グランドピアノの席に着いて 弾く・・・

という ことになり
幾度 その楽譜を見に通っても いっこうに
弾けない・・・

とうとう 哀しくなって 自分の無能さに
呆れ返って 惨めになって 涙が止まらなくなりました。

ピアノの先生は 厳しい人が多いですから
躾けという意味では
ピアノの先生に 小さいころから習っていたのは
音楽家としても 人間としても
良かったと思いますが

練習しないと怒られる・・・という

びくびく感性は いまだ 私の本能に 残っています。

今は 誰も 怒ってくれる人はいないので
ちょっと 甘えた人生を過ごしています。

でも 歌は 全身が解放されていないと
良い声も出ないし 表現も ちまちま してくるので
声楽の先生達は おおらかな方が 比較的多いものの

私の恩師たちの稽古で 泣いているお弟子さん達も
数多居ましたし
藝大の先生達は 辛辣で 傷つくような
人格否定位の 批判をする厳しい方も多くて

自分の無能さばかりを 知れる母校 藝大でした。

まずは自分が無能であるという事を
自分で 理解していないと
先生たちの教えを 素直には 受け入れられなくて
反抗したりする 生徒もいて 
せっかくの 道を とっとと 断念する人もいたり・・・

長い 音楽の道では それなりに
人生の試練や 至福が あるもので
プロとして活動し続ける音楽家は ほんの一握りです。

なので
私は 先生としては 
お弟子さんに対して 長く続けて行ける
ちょっとの試練と 沢山の至福が 得られるように・・・

と 肝に念じています。

音楽は 愛し続ければ 必ず 微笑んでくれる。
耐えて 学べば 必ず 音楽の神様が 微笑んでくれるから。