私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

鬢櫛山(びんぐしやま)から 苫編山(とまみやま)

2021-04-23 14:08:38 | 山歩き
 4月23日(木)   天気:晴れ のち 曇り   室温:23.2℃

 今回の山歩きは 2003.4.6に登った 姫路市街の西にある 「荒川山塊」
と呼ばれる山並みです。 「荒川五山」と聞いたことがありますが 5つの山が
どの山なのか 分かりません。 標題は 鬢櫛山~苫編山ですが 2つの山を縦走
したわけではありません。 1回目は 南半分の苫編山を周回し、日を変えて 2
回目は 北の籾取山・鬢櫛山を往復しました。

 最初は 姫商から 157mピークへ登り、南へ回り 山崎山へ降りました。
 その後、「はりま歴史の山ハイキング」 という本が発行され、本では、北の高
岡駅から 鬢櫛山186mに登り、籾取山、157mP、苫編山を越えて、南端の
山崎山86m・配水池から 本徳寺に降りるというルートでした。
 11月9日に、今度は 姫商から登り、北半分の籾取山~鬢櫛山を往復しました。
これらをまとめて 紹介します。

 まず 2003年4月に 登った 姫商から 送電線鉄塔のある157mピークへ登り、
ピークから南へ回り、南端の山崎山、配水タンクまで縦走するルートです。 苫編山
には 三等三角点:苫編 がありますが、写真がありません。






 山崎山には、構居跡がありますが、このときは 見ていません。 後日、西山本徳寺
西の廟所から 山崎山へ登り、構居跡を訪れました。 その時のページは こちら

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 ここからは、2度目の11月9日の北ルートです。 姫商から 157mピークに登り、
北の籾取山200mから 鬢櫛山185mを往復する北半分のコースです。 鬢櫛山とは
変わった名前ですが 本に書かれているように 鬢櫛山は 「播磨国風土記」の十四丘
伝説の一つ、「匣丘くしげおか」と 比定される山です。 梳匣(くしげ)とは 化粧道
具箱のことだそうです。 籾取山には 四等三角点:籾取があります。
 







 

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たつの 大正ロマン館で 四人展

2021-04-21 14:47:13 | ギャラリー散策
 4月21日(水)     天気:晴れ    室温:22.8℃

 きょうは たつの市龍野町の醤油の郷 大正ロマン館へ ”写真・曼荼羅・ワイヤー
アート 四人展” を見に行きました。 3月27日から行われていたようですが 大
正ロマン館のHPには 載っていません。 どこかで 展示の資料を入手したので、展示
が分かりました。 ロマン館へ行くのなら 上の歴史資料館もと思いましたが、資料館
は 24日からの展示の準備中なのか きょうは 休み。

 この度、たつの市内外の四人による作品展を 開催することになりました。
おのおの異なる個性のメンバーは 全員 「たつのが大好き!」 。 たつの市内
外で 活動しており、国の重要伝統的建造物群保存地区に 指定された龍野の素晴
らしい「大正ロマン館」で 開催できることを 喜んでいます。


 ロマン館の展示は 高見修さんと 濱川由香さんの写真と、村井眞理さんの
曼荼羅と、井上恵子さんのワイヤーアートです。 高見さんは 写真コンテス
トで 市長賞などを 受賞され、現在 龍野美術協会 会長。 濱川さんは 姫路美
術協会、たつのカメラ部、APZ写真クラブ部 に所属されています。
 村井さんは 日本臨床美術協会会員、造形美術アトリエ「なないろの種」主
宰。 井上恵子さんは ワイヤーアートを通して 「とんぼを、みなさんのハー
トに飛ばそう」 の活動をしています。













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歴史教室 「名門本多家の系譜 と 本多忠政」

2021-04-20 14:15:07 | 歴史探索
 4月20日(火)   天気:晴れ   室温:19.9℃

 きょうは 公民館の歴史教室4月に 出席しました。 今月は 元城郭研究室長
中川秀昭先生の 「名門本多家の系譜と姫路藩主 本多忠政」 です。 来月も 中川
先生の 「むかしの姫路城」 が予定されています。

 ・・・・・・ 名門本多家の系譜と本多忠正 ・・・・・・

Ⅰ.名門本多家の系譜
 1.本多氏とは
  ・本姓:藤原氏(藤原氏北家兼通流)
  ・助秀:豊後国日田郡本多郷に住み、郷名をもって 本多氏を名乗る
  ・助定:足利尊氏に仕え、建武4年(1337)、尾張国横根・粟飯原の地頭職

  
 ◇数多くの分家(大名13家、旗本45家、ほかに 加賀前田家、越前松平家 家老など
  ・助時系:本多宗家(伊勢桑名・播磨姫路~三河岡崎藩主)、播磨山崎、陸奥泉藩主等
  ・正時系:近江膳所・伊勢神戸・三河西端藩主  ・定吉系:安房長尾藩主
  ・正吉系:信濃飯山藩主        [以上は 明治に至った大名家8家]
   ※定吉系に 徳川家康側近として活躍した本多正信・正純
   ※正時・信正系に、本多重次系の越前丸岡藩主(初代・本多成重・重次長男、幼名仙千代)がいる
 

 2.三河譜代・本多氏
  ※三河譜代:松平氏を主家として 代々従った家臣(酒井氏、石川氏、大久保氏など)
  ・本多助時が 三河国伊奈郷に住み 松平泰親(松平氏2代)に仕え、以降 代々松平氏(徳川氏
                       前身)の譜代家臣(三河譜代)として仕える
  
  ・松平清康:岡崎城を拠点に 三河を支配し、戦国大名に躍進。
  ・松平広忠:10歳で 父清康が殺害され、松平氏内紛で 岡崎を追われるが、・・・
  ・本多忠豊:忠高とともに、松平清康・広忠に仕える。 織田信秀と三河安祥城をめぐる戦いで・・
  ・本多忠高:天文18年(1549)、織田信広が守る安祥城攻防戦で 討死。

 3.徳川四天王ー本多忠勝の活躍
 ・本多忠勝(天文17(1548).2.8~慶長15(1610).10.18 63歳没)
  ・徳川四天王、徳川十六神将
  ・三河国額田郡(現・岡崎市)で 生まれる(本多忠高長男)
  ・幼い頃から 徳川家康に仕え、永禄3年(1560) 桶狭間の戦いに 13歳で初陣。
  ・家康の三河一向一揆・東河平定・遠州平定に従軍ー永禄9年 19歳で旗本先手役に抜擢。
  ・三方ヶ原の戦いの前哨戦、一言坂の戦いで 一戦を交えたときに 武田方から
    「家康に 過ぎたるものが 二つあり、唐の頭と本多平八」 『武田軍艦』
    ※本多忠勝の愛槍「蜻蛉切」(天下三槍)
  ・天正16年(1588):叙位・任官 従五位下中務大輔(なかつかさたいふ)
  ・天正18年(1590)小田原北条攻めと 家康の関東移封⇒忠勝に上総大多喜城10万石
  ・慶長5年(1600):関ケ原の戦いー井伊直政・本多忠勝・・・軍艦(東軍諸將の指揮)
  ・慶長6年(1601):伊勢桑名藩主10万石(桑名城修築、慶長町割り、東海道宿場整備)
  ・慶長15年(1610):桑名で没、63歳(家臣・中根忠実、榊原忠殉死)
     生涯50余の戦いに かすり傷ひとつうけなかったという
  ・正室:阿知氏女  2男(本多忠政・本多忠朝)、5女
   
Ⅱ.四天王の血を引く本多忠政

 1.本多忠政の生涯
  ・本多忠正(天正3(1575)~寛永8(1631).8.10 57歳没)
   ・天正3年(1575) 三河国生れ(本多忠勝長男)
   ・天正18年(1590):小田原北条攻めで 戦功(初陣・16歳)
         松平信康(徳川家康長男)の次女熊姫(ゆうひめ)と婚姻
   ・慶長3年(1598):叙位・任官 従五位 美濃守
   ・慶長5年(1600):関ケ原の戦い 秀忠に従い 信濃・上田城攻め
   ・慶長15(1610):本多忠勝の跡を継ぎ 伊勢桑名藩主に
   ・慶長19年(1614)~同20年(1615) 大坂冬の陣・夏の陣で 戦功
     大坂夏の陣で 弟・本多忠朝は 壮絶な討死。忠政次男・政朝が 大多喜城主に
   ・元和2年(1616):家康の命により、長男本多忠刻・千姫婚姻
   ・元和3年(1617):伊勢桑名10万石から 15万石に加増、播磨姫路に転封
               千姫化粧料として 本多忠刻に 10万石
   ・元和7年(1621):本多忠刻・千姫 長男幸千代 没、3歳
   ・寛永3年(1626):本多忠刻、姫路城で 没、31歳ー千姫、勝姫を伴い江戸へ。
   ・寛永5年(1628):勝姫(徳川秀忠養女)と 鳥取藩主 池田光政 婚姻
   ・寛永6年(1629):黒書院溜間出座命じられる・・・「溜間の制」の萌芽
   ・寛永8年(1631):大御所 徳川秀忠の見舞いに 急遽、姫路を発つ
   ・同    8.10 :江戸城西の丸下屋敷に着き、沐浴しようと湯殿に入り、没、57歳
               書写山円教寺 本多家廟所にほうむる
   
 2.なぜ本多忠政が姫路に転封になったのか
  ◇大坂の陣ののち 幕府体制の確立を目指し、幕府は 全国的な所領の再配置を進めた
   ・外様大名を畿外へ転出させ、譜代大名で 畿内(大坂周辺)を固める
   ・大坂の直轄領化(大坂城代配置)と 徳川大坂城築城開始(元和6年)
   ・譜代大名の播磨への進出-本多・小笠原氏の播磨入封<播磨は「西国の藩鎮」>
   ・元和3年(1617):本多忠政  伊勢桑名10万石→播磨姫路15万石
                 忠刻           忠刻・千姫化粧料10万石
   ・元和3年(1617):小笠原忠真 信濃松本8万石 →播磨明石10万石
   ・元和3年(1617):本多政朝  上総大多喜5万石→播磨龍野5万石
   ・元和3年(1617):戸田氏鉄  近江膳所3万石 →摂津尼崎5万石
3.本多忠政の姫路藩主としての主な治績
   ・西の丸造営、西の丸御殿(中書丸)・西の丸櫓群 築造
   ・船場本徳寺の創設(元和4年~東本願寺派の再興
   ・船場川を改修し 舟運を開く(飾磨樋門(大樋))
   
   ・高砂堀川の町割りと 高砂神社の遷座修築
   ・八家塩田の開拓(2町4反)
   ・寺社の保護と社殿などの修築ー書写山円教寺、播磨国総社、廣峯神社、加茂神社など

 4.本多忠政(本多忠刻)以降~
  ◇本多忠刻没後(寛永3年)の後
    本多忠刻遺領10万石ー本多政朝5万石 龍野藩主→姫路城部屋住・忠政次男
      の配分     ー本多忠義4万石 姫路城部屋住・忠政3男
              ー小笠原永次1万石 本多忠朝の後、龍野藩主に(6万石)

  ◇本多忠政没(寛永8年(1631))、次男・本多政朝が 姫路藩主に
   ・本多政朝(慶長5年~寛永15年 没、39歳
    ・慶長5年(1600):上総大多喜生まれ
    ・慶長17年(1612):叙位・任官 従五位下 甲斐守
    ・寛永8年(1631):本多忠政没により 家督継承、姫路藩主に、32歳
    ・寛永15年(1638):姫路城で没、39歳 本多家廟所(書写山)に葬る
     ※政朝は 学問を好み、詩歌・和歌・書・茶の湯などを嗜む風流大名

  ◇本多政朝没(寛永15年)の後、従弟の本多政勝が 姫路藩主に
   ・本多政勝(慶長19年(1614)~寛文11年(1671)没、58歳)
    ・慶長19年(1614):上総大喜多生まれ(本多忠朝長男)
    ・寛永8年(1631):政朝から 忠刻遺領5万石のうち 4万石拝領、姫路城部屋住
    ・寛永15年(1638):本多政朝没により 家督継承、姫路藩主に、25歳
    ・寛永16年(1639):松平忠明と入れ替わり 大和郡山藩主に 転封

  ◆本多忠朝と酒封じ祈願
   ・慶長20年(1615)5月7日、大坂夏の陣で 壮絶な討死を遂げた本多忠朝。
    死に臨んで深く酒弊を悔い、将来、酒のために身を誤るものを助けんと 誓って
    瞑目したと伝わる。
     爾来、酒封じの神として、酒に苦しむ当人や家族が 多数参拝。 酒弊の除滅に
     信を得ている。 杓文字は、参拝者による酒封じ祈願。
     
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弥十郎ヶ岳 やじゅうろうがたけ 715m

2021-04-19 11:07:41 | 山歩き
 4月19日(月)   天気:晴れ    室温:17.6℃

 今回の山歩きは 2003.3.21に登った 丹波篠山市の弥十郎ヶ岳715.0mで
す。 「ふるさと兵庫50山」 の28番の山です。 山歩きを始めたころ この本を参考
に 50山全山踏破を目指していました。 残念ながら 登ったときの写真はありますが、記
憶も記録もありません。 景色を撮った写真を見ても 山の名が さっぱりわかりません‥。

 「50山」の本には 人名が付いた山は、わが国では 意外に少なく、県内では これ一座
だけかと思われる。  「ひょうご森林浴50場遷」 の薬師ヶ原キャンプ場から 吹越峠へ。
 谷筋の岩場を登り、ロープの岩床を登り、洞穴を過ぎ、源流部へ入り、稜線へでると、一
投足で 山頂。 頂上では 篠山方面の展望が良い・・・多紀連山、丹波富士が姿を見せている・・。








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歓創居で 丸投三代吉 「春が来た」

2021-04-16 14:22:21 | ギャラリー散策
 4月16日(金)    天気:曇りのち晴れ   室温:21.5℃

 きょうは 青山北3のギャラリー喫茶 歓創居へ ”丸投三代吉 「春が来た」” を
見に行きました。 歓創居へ行くのは 今年初めてです。 前回の短冊展は 案内状
をいただきましたが、欠席しました。 5月1日からは ”丸投三代吉 「ゆかり展」
が 予定されていて、丸投三代吉さんと 交流の深かった 高野カヨさんと 池川みどり
さんと 吉田純一さんの作品展が 予定されています。  1カ月くらい前だったか
山陽百貨店で行われた ”丸投三代吉展” を 丸尾さんは ご存知でした。


 





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