私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

メッシュのブローチ と 和紙の干支展

2016-12-21 14:18:21 | ギャラリー散策
 12月21日(水) 冬至  天気:晴れ   室温:17.9℃

 きょうは 朝日谷のカフェ・エルミタージュへ ”メッシュのブローチと和紙の干支展” 見に
行きました。 今週は ネクタイキャッチャーの展示かと思っていましたが・・。 きょうは 風
もなく 暖かく 穏やかな一日でした。 踏切で 日を背にして立っていると 背中が暖かい・・・。
 カフェの前のモミジは 今年は 紅葉は ダメかと思っていましたが 今日 行くと きれいに
紅葉しています。 今頃になって・・・。

 カフェで 新聞を見ると 国宝級の曜変天目茶碗が 発見された という記事がありました。
12~13世紀 中国南宋でつくられたものが 徳島県で発見され 鑑定家の中島誠之助が
2500万円と 鑑定した・・・。 世界に 3つしかない曜変天目茶碗は いずれも 国宝。







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 国宝に指定されている 曜変天目茶碗3点は ネットで 調べると 下記のようなものです。

 新聞に載っていた なんでも鑑定団に 鑑定依頼された ”茶碗” は 下のものらしい。 テレビ大阪で 放送
されましたが BSジャパンで 放送移されるのは 半年後?  2500万円と 鑑定されたそうですが これは
ものすごく安い。 億の値段がついても おかしくないが・・。 これには 相続税などの訳があるようです。
  
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歴史捜査 もうひとつの真田丸

2016-12-20 16:41:21 | 歴史探索
 12月20日(火)   天気:雲地のち晴れ   室温:16.5℃

 大河ドラマ 「真田丸」 は 18日で 終わりましたが 最近 テレビで 真田信繁関連の番組が 続いて
います。 「片岡愛之助の歴史捜査」 で  ”もうひとつの真田丸” が 放送され 「歴史秘話ヒストリア」
で ”真田丸を掘る” が 放送され ニュースでは 信繁の死に際に関する文書が出てきたとか・・・。
 きょうは 12月15日 BS日テレの ”片岡愛之助の解明! 歴史捜査 大坂の陣 2時間スペシャル
新発見! もうひとつの真田丸 信繁の勝算 と 誤算” を アップします。
 9月の歴史教室の「大坂の陣」 や 12月の歴史教室の 「後藤又兵衛の生涯」 では 出てこなかっ
た 新しい情報が出てきます。

番組案内には
 大坂の陣に迫る。 少ない兵で 徳川家康を切腹寸前にまで 追い詰めた といわれる真田幸村こと
 真田信繁は どんな作戦を立てたのか。 難攻不落といわれた大坂城は 北に 淀川、西に 上町
 台地、東に 大湿地帯がある要害に位置し 信繁は 手薄だった南側を守るために 真田丸を造った。
 
 話は 奈良大学の教授・千田さんを中心に 進められます。 慶長19年10月 信繁が 大坂城に入り
ます。 大坂城には 牢人が集められ 大坂五人衆といわれる 真田信繁、明石全登(キリシタンで 
浮田秀家のもと家臣)、長曾我部盛親(土佐 長曾我部元親の四男)、後藤又兵衛(黒田官兵衛・長政
の元家臣)、毛利勝永(豊前小倉6万石 毛利勝信の子)らがいます。 兵力約10万人。

 秀吉が 大坂城を造ったとき 家康に 内堀、中堀、外堀があり 守りが堅固なので この城を攻め
るには 堀を全部埋めるしかないわ というのです。 これが あだとなる・・・。
 大坂城は 北に 淀川、西に 上町 台地、東に 大湿地帯がある要害に 位置し 弱点は 南側のみ。
大坂城に籠城して戦うには 南側の防御が 重要になります。 信繁は ここに 出城・真田丸を築きま
す。 位置は 家康が 陣をはった茶臼山と 大坂城の中間辺りです。

 大坂城の北にある大川(旧淀川) は 大阪湾に通じていて 武器や 食糧の補給路になっていました。
下の真田丸の模型は むかし真田丸があったとされる所にある 明星高校の有志が 作ったものです。

 冬の陣では 真田丸での活躍で 徳川軍に大被害を与えますが・・・。 信繁が 和睦は なりませぬ!
家康に騙される と言うのですが・・。 大河ドラマを見ていても 大蔵卿局(大野貞長の妻・茶々の乳母?)
が 出しゃばって 和睦を結び 堀を埋められ 大坂城は 丸裸に・・。 慶長19年12月19日 和睦。
 真田丸も 取り壊されてしまいます。  和睦後 夏の陣まで いろいろありますが・・・。
信繁が 徳川方へ寝返ったとのうわさも流され・・。 テレビでは 知謀とか 調略などの言葉が 出ていました。

 秀頼が 牢人たちに 褒賞を与えたため 浪人たちは それで 武器を買いあさり 徳川方に戦いの
口実を与えることになり 夏の陣へ突入。 堀は 埋められ 真田丸は 取り壊されたので 野戦で
戦うしかありません。 
 奈良街道を 南下する徳川軍と戦うには 狭い山の鞍部を通るところで 戦うのが 最善。 これが
道明寺の戦い。 戦いの前日 信繁、毛利、又兵衛の三人が 明日 早朝 ここで 落ち合って 戦お
うと 分かれますが 翌日は 濃い霧で 信繁と毛利勝永は 到着が遅れます。 又兵衛は 二人の
軍の到着を待たず 勝手に 一人で 徳川軍に突っ込んで 討死。 又兵衛は 何を考えたのでしょう。

 道明寺周辺は 古墳が 密集しています。 千田先生は 岡ミサンザイ古墳に 真田丸と同じような
陣が 築かれていたとおっしゃいます。 東から攻めてくる徳川軍は 狭い古墳の間を 抜けるしかな
いので それを 討つという作戦を 立てていましたが・・・。

 本格的な夏の陣になります。 徳川軍15万:豊臣軍5万。 信繁は 冬の陣で 家康が陣をはった
茶臼山に 陣をはります。 千田先生は この茶臼山が もうひとつの真田丸だった と言われます。
 西には 岡山(御勝山) があり ここにも 陣がおかれ 茶臼山と 岡山の間には ガケ(空堀)が 造
られていたようです。

 茶臼山に 信繁、岡山に 勝永、その中間に 大野が 布陣し 徳川軍を迎え撃つという作戦でしたが・・・。
戦いの途中 大野治長に 秀頼に出陣要請するため 大坂城へ向かわせる・・・。 大野は 千成瓢箪を持っ
て行ったため 大坂城では 真田(豊臣軍) が 敗れたと 勘違いし・・。 秀頼が出陣すると 現場の士気が
一気に上がるのですが・・。 こうなれば 信繁としては 家康の首だけを 狙うしかない・・。

 勝永が 小競り合いを起こし 徳川軍が 集まってきたとき その背後の敵陣のうすいところを狙って
一気に 家康の陣めがけて・・。 ところが 勝永は 本気で戦い始め 大混乱。 信繁は 家康めがけ
突進しますが あと一歩というところで・・・。

 信繁の死に際についても いろいろあるようで 池波正太郎の小説では ワシが 信繁じゃ 首をとって
手柄にするがよいと 首を差しだしたとか・・。 最近 出てきた書状では 槍と槍で 戦って 討死したとい
う話もあるようです。 大河ドラマでは いかにも 切腹するような そぶりを見せていますが 腹を切る場
面はありません。 はっきりと 切腹した場面を 描くことは できなかったのでしょう。 秀頼と 九州へ逃げ
たという話もあるし・・・。
 先日は 後藤又兵衛の死に際に関して 書かれた書状が 発見されましたが・・。  秀頼様から賜った
この脇差で 首を切って 秀頼のところへ持って行ってくれ・・。

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美の壺 機械式時計

2016-12-19 14:17:50 | 日記
 12月19日(月)   天気:晴れ   室温:16.9℃

 12月16日(金) 夜7:30放送の NHK BSプレミアム 美の壺は 歯車の愉悦 機械式時計”
でした。  ゼンマイ仕掛けのアナログな時計です。 緻密なメカの動きは まるで 工芸品。 作り
上げるは 人の手。 ミクロの手わざが 光ります。 ゼンマイと歯車で動く 機械式時計。 作るの
は 人の手、ミクロの超絶技巧、手作業で組み立てる 繊細なワザが 機械式時計を 生み出します。
あの山田五郎さんも 機械式時計のマニアで 親からもらった機械式時計に ぞっこん・・。
 草刈さん どうしたんですか・・。  ん おじさん(谷啓) に もらった腕時計の調子が 悪いので
時計を 新調しようかと思ってね。 おじさん 悲しみますよ・・。 思い出が詰まってるし・・。

番組案内には
 ゼンマイと歯車で 動く 「機械式時計」の魅力に迫る!  ▽100を超えるパーツが 緻密に配置さ
れた 腕時計は まさに 芸術品!  必見は、重さ0.0026グラムの極小パーツのゆがみを調整す
る 驚異の職人技!  ▽季節ごとに 時間の長さが 変わる江戸時代の時刻制度 「不定時法」。
 それに対応して作られた 和時計が 登場!  ▽祖父の形見、大切な人からのプレゼント、「掛け
時計」には さまざまな物語が・・・数少なくなった 掛け時計修理の現場に 密着。

 匠の技が詰まった機械式時計は まさに 小宇宙。 機械式時計の製作には 手間がかかります。
100を超えるパーツから できています。 動力源のゼンマイから 歯車、がんぎ車へ。 がんぎ車は
ゼンマイが 一気にほどけないよう ツメの振動が リズムを作るようになっています。
 パーツを一つずつ 点検・調整しながら 組立。 厚さを どこまで 薄くできるか・・。 厚さ1.98mm
のムーブメントもあります。

 和時計は 日本独特の機械式時計で 和時計には 夏・冬の昼と夜の長さの違いに 合わせた
ものもありました。 

 国立科学博物館にある 江戸時代の発明家・田中久重(1799-1881)が作った 万年時計は
1000点ものパーツを 一人で作り 文字盤が 回転して 時刻を表すようになっていて 夏・冬、昼・
夜の長さに 対応するようになっていました。 時間以外の週や 24節季も表示されます。 振り子
の重りを 外へ動かすことで 昼用、夜用に使い分けた和時計もあります。
 当時 不定時法が 採用されていて 今とは 違う時の流れで 過ごしていましたが 明治6年に
定時法に 変わりました。  人間にとって 自然な時間・・。

 スイス・バーゼルでは 機械式時計に 人気があります。 独立時計師・菊野晶宏さんは 2013年
日本人として スイス独立時計師アカデミーのメンバーに 選ばれました。 菊野さんは 開発に 4年
以上かけて 不定時法・和時計の腕時計を作りました。  パーツは 200以上。 全て 自分で作り
パーツを 調整しながら 組み立てる。

 王宮文化を今に伝える ルイ14世のヴェルサイユ宮殿には 80個以上の機械式時計があります。
技師・ドローさんは 1個1個 ネジを巻いて 回りますが 半日以上かかる。  中には 14世の愛した
からくり時計もあります。 ちょっと 時報を鳴らしてあげよう。 上から 天使が舞い降りて・・。
ルイ14世は 時間に正確で 8時 起床、11時 挨拶を受ける、14時 庭園散歩、18時 夜会・・・。
 300年以上たった今も 時計は 守られています。 これは 遅れているので 時間を合わせよう。 

 伊賀市の老舗時計店の三代目店主・澤田宗義さんのところには 古い掛け時計の修理が 持ち込まれ
ます。 店内には レトロな掛け時計が いっぱい。 澤田さんは パーツの入手が 困難となった 時計の修
理を 得意としています。 修理した時計のお礼の手紙が 全国から来ます。 家族の思いでが 詰まった
かけがえのない存在です。 生活に密着している 時計が 帰ってきた・・。 古い時計には 時の流れが
詰まっています。
 草刈さん どこ行っちゃたんだろう。 ただいま! どこ行ってたんですか。 ン たい焼きを買いにね。
おじさんがね 3時になると いつも おやつを買って来いと・・。  草刈さん やっぱり おじさんからもらっ
た時計を 使うんですか・・・。

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今年の燃費は 2016・・

2016-12-17 16:57:31 | ドライブ
 12月17日(土)   天気:晴れ   室温:19.2℃

 年末には まだ少しありますが どこへも行く予定はないので 車にガソリンを入れることもない
でしょう。 11月20日に ガソリンを入れて 今日までに 300kmあまり走り この1年間
の走行距離は 約4000kmになりました。 山歩きをしていたころは 兵庫県内や 京都、岡山
などを 走りまわったので 1年に 1万kmほど走っていました。
 この1年は 一度 広島へ墓参りに 帰った以外は 近距離ばかりで 西は 赤穂、北は 山崎、東は
加古川、加西 を走るだけです。
 私も アクセルと ブレーキを 間違える年齢に 近づきつつあるので 車も 出来るだけ 乗らないに
越したことはないのですが・・・。 

 11月に ガソリンを入れたときの状態で この1年を まとめると
  走行距離3743.3km / 給油量154.23Lで 燃料消費率は 24.27km/L
  ガソリン代は 計16903円でした。

 この車は エアコン(冷房) は 電動で作動するので 燃費には 大きくは 影響しませんが 冬場
の暖房は エンジンの熱を使うので 必要ないのに エンジンが 勝手に回り 燃費が低下します。
 信号待ちなどで 停車しているとき エンジンが勝手に回り 表示されている燃費が 見る見るうち
に 低下するのには 腹が立ちます。 エアコンを使うと バッテリーを使うので 充電のために エ
ンジンが回り・・・。  高速道を走るときも ほぼエンジンで走り 燃費はよくない・・。

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歓創居で 井上展也 絵画展

2016-12-16 13:45:27 | ギャラリー散策
 12月16日(金)   天気:晴れ    室温:15.2℃

 きょうは 青山北3の「歓創居」へ ”井上展也 絵画展” を見に行きました。  井上さんは
午後 来られるとかで お会いできませんでしたが 珍しく 名村仁さんがおられ 久しぶりに
お話しできました。 名村さんとは ヤマトヤシキや ギャラリー池川で お会いしたことがあり
ます。    前回 展示された 山口さんが ガラス面に 大きい壁画を描いておられましたが
消されています。 今回の井上さんの絵とは 合わない?
 井上さんの絵画展は 以前 ホテルシーショアや ギャラリー池川で 見たことがあります。
   ホテルシーショアは 2014.3.11、  ギャラリー池川は 2013.10.5


≪井上展也 プロフィール≫
 1954年 たつの市に生まれる              1977年 多摩美術大学 油画科 卒業
 1996年 第12回 現代日本絵画展(宇部)       1997年 第51回 二紀展同人優賞(東京)
 1998年 兵庫教育大学 大学院 芸術コース修了  1998年 第32回 現代美術選抜展(文化庁)
 1999年 姫路市芸術年度賞               2005・6年 パリ滞在(6月〜8月)
 2008年 二紀会会員推挙、  個展・グループ展多数、 現在 二紀会会員・日本美術家連盟会員



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