私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

温室植物園で さぎ草展2012 他

2012-08-13 12:05:54 | 日記
 8月13日(月)   天気:晴れのち曇り   室温:32.5℃

 手柄山・温室植物園へ 姫路市花「さぎ草展」(共催:自然と盆栽同好会) を 見に行き
ました。 さぎ草は 花が小さく 展示してあるものは バックもうるさく 花を撮るのは
なかなか難しい・・。 前回の 「食虫植物展」も まだ やっていました。



 サギソウは 本州以南の日当たりの良い湿地原野に 自生する日本原産のラン科植物です。
サギソウの花は その名が示すように 色、形が 「シラサギ」 の姿そのままで 造化の妙
と言うほかなく 古くから 山野草愛好家に 親しまれている 夏の代表的な山野草です。
 盛夏の頃 湿原に真っ白なしらさぎが 群れをなし飛んでいるように 咲いている姿は
大変美しく しばし 暑さを忘れさせてくれます。
 姫路市では 市のシンボルー白鷺城ーに 相応しい花として 昭和41年8月 このサギソウを
市花に 制定しました。 かっては 姫路市近郊の湿地にも サギソウの自生地が各地にあっ
たのですが 近年では 乱獲や開発などにより 絶滅が危ぶまれる植物の ひとつになってし
まいました。  姫路市では このかけがえのない 素晴らしい花の保存に努めるとともに
毎年展示会を開催し 多くの人に サギソウの魅力を 知っていただき ともに サギソウを 守り
育てていきたいと 考えております。                姫路温室植物園

 サラセニアは 8種類のものが知られており すべて アメリカ南部・東部と カナダ東南部に
のみ 自生しています。 葉が 袋のように変形して 中に小さい虫が入り込むと 出られなくな
ります。 これは 袋の内部に毛が下向きに生えており もがくと 下へ下へ落ち込んでしまう。
 落ちた虫は やがて 分解され タンパク質が 吸収され 栄養分となるわけです。

 ブラジル東部に自生する イビセラは とりもち式の捕虫方法で 虫を捕まえます。
この植物は ツノゴマ科の植物として 2本の角を持つ 変わった果実で 近年 食虫植物
に 加えられた。 全体に細かい腺毛が 密生していて 粘液を分泌します。


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ところで
 長かったロンドン・オリンピックが やっと 終わりました。 私は どの競技も どの選手も アテネ
には していないので なんの感動もありませんでしたが サッカー男子が 韓国に負けたのは 悔
しい というか 腹立たしかった・・。 彼らに 愛国心はないのか? この時期に 韓国大統領が 竹
島に 上陸したこともあり 是非とも 勝ってほしかった。 でも 女子バレーが 韓国に 1セットも落
とさず 打ち負かし リベンジしてくれて 銅メダルを取ったのは せめてもの慰めだった・・。
 球を扱う競技が好きで 柔道、レスリング、水泳、体操などは あまり 好きではないので・・・。
結果だけ見ると 女子バレー、卓球、バドミントン、サッカー、男子フェンシングは よくやった!!


 きょうの新聞の五輪ページに 男子やり投げ ディーン10位の記事があり その横に 女子20
㌔競歩 渕瀬11位 とあり これは 非常に 嬉しかった。 渕瀬真寿美選手(25) は 地元・網干
出身で 旭陽小学校の卒業生なのです。 陰ながら 応援していました。
 10日の新聞には お父さんの談話が載っており 小さいころから 走るのが 早かったそうですが
須磨学園高校2年のとき 突然 競歩に転向し・・・。 龍谷大学のとき? 渕瀬選手が 日本最高記
録を出して 日本代表になり 小学校で 激励会が行われ 私も参加しました。
 渕瀬選手は 小柄で 脚も細いので 競歩のような 脚を使う競技では 不利ですが 今回の記録
1時間28分41秒は 当時の記録を 1分くらい縮めているので よくやった と言えるでしょう。
今回の渕瀬の11位は 日本勢の過去最高とか・・。 マラソンに転向すると言っていたよーな・・。
 五輪は 終わりましたが まだ 高校野球をやってる・・・まだまだ 暑い夏が しばらく続きます。

≪追記≫
 8月21日の新聞に ”五輪競歩の渕瀬選手 姫路市長を表敬” の記事がありました。
 渕瀬選手も 地元 姫路へ帰ってきたようです。 もう少し 自分の 「歩型」 を改善して もっと
上を 目指すようです。 当面は 来年夏に行われる ロシアの世界陸上での躍進・・・。
 旭陽公民館だより9月号が配布され それによると 地元の坂上の旭陽集会所でも 熱い声援を
送り 観戦した住民から歓喜の渦が起こった とあります。
 8月30日の新聞には ロンドン五輪で活躍した選手に 「姫路市スポーツ功労賞」を贈るとあり
渕瀬選手にも 賞が贈られるそうです。 賞は 市が新たに定め 初めて送るのだそうです。
 
 ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・ ・
 きょう 夕方 名探偵ポアロ ”マギンティ夫人は死んだ” があったのですが ポアロは 登場人
物が多く 名前と顔を覚える前に 終わってしまうので・・。 内容が 私には ちょっと 難しい・・。
最後 死刑を宣告されていた捕らわれの人物が 釈放され ほのぼのとした雰囲気で 終わるの
ですが・・・。 再放送?
 8月14日は 「鳩のなかの猫」、8月15日は 「第三の女」、8月16日は 「死との約束」


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上郡へドライブ

2012-08-08 16:25:48 | ドライブ
 8月 8日(水)  天気:晴れ  室温:34.4℃

 きのう 立秋で 涼しくなった?ので きょうは 上郡まで ドライブしてきましたが まだまだ 暑い!
以前入手した 先進のACT回廊 ”武士のこころ息づく 西播磨” のパンフレットの 「赤松の郷を巡
る道」 を訪れ 松雲寺、五社八幡神社、昆虫文化館、宝林寺円心館、宝雲寺、大避神社、大鳥圭
介生誕地、上郡郷土資料館をめぐり 最後に マップにある 資料館の近くの尾長谷五輪塔を見よ
う と思いましたが これには てこずりました。 三人の人に 聞きましたが・・・。 結局 五輪塔は ス
ルーパス。 皆さん 大変 懇切丁寧に 応対していただき 涙が出るほど うれしかったのですが 2
時間ほど 時間がかかり 昼食を食べる時間を逸してしまい ダイエット・・。
 これで ”武士のこころ息づく 西播磨” の 12コースは 完了しました。

 9:16 出発。 太子町を通り たつの市に入り 山陽道の下で 左折。 龍野新大橋を渡り 県道
5号線に乗ると 上郡まで一本道。 JRの踏切を越え 9:58 国道373号線に出て 北へ。
赤松で 松雲寺へ曲がる道が分からず 通り過ぎ 引き返し 10:11 松雲寺の前に駐車。 ここま
で 1時間ほどで 家から 34.8km。


 松雲寺は もともと 赤松円心の居城として 名高い白旗山山麓に 赤松貞範(円心の次男)が
建立した栖雲寺を継承する 赤松氏とかかわりの深い名刹です。 この地を 赤松 と呼び その
名の示す通り 赤松氏の本拠地として 円心公館跡、五社八幡神社、白旗八幡神社跡、武祖
神社、宝林寺のような 史跡が 数多く 周辺に残されています。


 山門は 立派なもので 2階建て構造で 2階は 鐘楼になっています。 本堂の向拝の
彫物も立派なもので 木鼻は 獅子と象、蟇股は 鶴です。 鶴に乗っている老人は?


 このお寺では カヤ(榧)が 町文化財で 一番有名なようです。 榧は 常緑の低木で 4月頃
花が咲き 10月頃 結実するそうです。 樹齢は 約700年、樹高約25m、幹の直径約1.6m
の巨木で 西播磨でも最大級。 落雷の跡があるが その影響もなく 樹勢も良好。 この榧を
切れば いい柾目の碁盤ができそう・・・。


 東に五社八幡神社があります。 ここも 赤松家ゆかりの神社ですが 五社とは? なにも
書いてないので 分かりません。 上郡・教育委員会に聞くと 五社とは 熊野、八幡、住吉、
神功皇后、天神 の五柱が祀ってあるのだそうです。
 拝殿(絵馬殿?)は 横に広い構造で 中に 絵馬が たくさん奉納してあります。 中に 源
頼政の絵が・・。 このときは 何とも思いませんでしたが 後で 郷土資料館へ行くと ここに
も 源頼政の絵があります。 上郡と頼政は 何か関係があるのでしょうか? 関係ないそうで
すが・・。 本殿の彫刻(木鼻など)は 先ほどの松雲寺のものと 似ていますが・・・。


 この近くにあるマンホールの蓋は 子供が描かれています。 調べると 円心くんと エイトちゃん。
円心くんは 当然 赤松円心ですが エイトちゃんは スプリング8から きている上郡のゆるキャラ。


 近くに 昆虫文化館があるので ついでに寄りました。 予想通り お休み。 昆虫文化館は
昆虫の標本、美術工芸品、民芸品、玩具 など 歴史から民族にわたり 人間と昆虫に関連
する あらゆるグッズが 所蔵されているそうです。 土、日のみ開館。
 近くに 赤松居館跡が あったらしいのですが マップに なかったので 見逃しました。


 千種川を渡って 西へ行くと 宝林寺・円心館があります。 円心館も閉まっています。
電話すると 開けてもらえるようですが 入館料は 300円。 大して見るものは なさそう・・。
仕切りは ガラス格子で 中が見えます。 ガラス越しに 「赤松三尊」 と 「肖像画」 を盗り
ました。 三尊像は 県の文化財で 赤松円心、則佑(円心の三男)、別法和尚 と 覚安
尼(則佑の娘)の木座像で 南北朝時代(14世紀)の作とみられ 鎌倉彫刻の名残を・・・。


 赤松則村(円心)は 赤松家四代当主で 鎌倉~南北朝時代の武将で 後醍醐天皇、次いで
足利尊氏の下で 鎌倉幕府打倒、室町幕府樹立に功績をあげ 播磨守護の職に任ぜられた。
 三男・則佑は 円心の跡を継いで 北朝室町幕府に味方し 守護大名・赤松氏の基盤を固め
ました。 宝林寺は 則佑によって はじめ備前国、いまの和気町の建立されましたが 文和四
年 戦火を受け この地に 再建されました。 裏の山道を上がると 奥の院へ行ける?


 則佑の孫・満祐が 京都で 六代将軍・足利義教を殺害。 これが 嘉吉の乱。 追われる身と
なり 龍野の城山城で 追って側の大軍に囲まれ 自害するのです。 赤松家滅亡の危機・・。
このとき 満祐の弟・義雅が 子・竹千代を連れて 室津の室山城に逃れ 追って側の赤松満政
に子供を託し 自刃。 赤松一族の満政は 子供を新宮のお寺に預け・・・。 竹千代は生長し
赤松時勝となり 滅びかけた赤松家を再興するのです。 時勝の子・政則は 応仁の乱で活躍・・。


 国道へ戻り 南へ下り 金華橋を渡り 宝雲寺へ行きます。 道路脇に面白いものがあった
ので 寄りました。 これは 「苔縄筆塚」 でした。 先端は 大砲の弾か と思いましたが 筆 で
した。 正面から見ると 根元にヒトが しがみついて イヤらしい感じです・・。
 筆塚は 使い古した筆を祀ったり 学問の師の徳を 門人たちが 恭って 建立された石造物
で 上郡町内に 珍しい筆塚が三基残っており この筆塚は 元治二年(1865)に建てられた。


 奥の山側が 宝雲寺のようなので 車を筆塚の前に置いて 宝林寺へ行きました。
臨済宗相国寺派の金崋山・宝雲寺は 建武四年(1337) 建立。 宝雲寺は 赤松氏の中
心的な存在で 円心は この地を 仏教による精神的な拠点とすべく 高僧・雪村友梅を招き
宝雲昌国禅寺を建立し 赤松一族の菩提寺としました。 建立当時は 赤松氏の勢力も強
く 七堂伽藍を配する名刹 と讃えられました。


 境内には 樹齢700年余りの 「ビャクシン杉」(県文化財) があり この樹は 禅宗と深くかか
わりを持つもので 円心公お手植と 伝えられています。 根周りは 14.3m、樹高33.5m。
地上4m付近で 5本の支幹に分かれ この間の幹は 空洞化しているが 樹勢は良好である。
 円心堂に安置してあるのは 円心の武者姿像です。


 宝雲寺を後にして 大鳥圭介の生家へ行きましょう。 県道451号線に出て 北へ向かいます。
途中に マップにある 大避(おおざけ)神社が あるので寄ります。 大避神社は コヤスノキの
叢林(県文化財)で有名。 神社境内の叢林は スジダイ、コジイ、アラカシ、カゴノキサナキなど
で 形成される照葉樹林が繁殖しています。 御神木も コヤスノキです。


 特筆すべきは この低木層に 分布上珍稀な コヤスノキと チトセカズラが 生育していることで
ある。 コヤスノキは 5月に黄色の花を付け 秋に 球形の果実を付ける。 日本では 主に西
播地方に限られている。 チトセカズラは 常緑性のつる植物で 境内で旺盛に生育している。
 拝殿、本殿は なかなか立派な建物で 絵馬もありました。


 北へ行くと 幟が賑やかで 大鳥圭介の生家は すぐ分かりました。 公民館に駐車。 川向
が生家です。 聞いたこともありませんでしたが 7月1日の新聞に 「大鳥圭介 騒動記」 という
記事がありました。 圭介は 地元でも忘れられた存在だった? 
 圭介は 天保3年(1832) 現在の上郡町岩木丙の医者の長男として生まれた。 13歳のこ
ろから 岡山藩の学問所・閑谷学校へ県境を越えて通い 漢学を学んだ。
 家業を継ぐため 赤穂で修行中 蘭学に目覚めた圭介は 緒方洪庵の大坂 「適塾」 へ。 さら
に黒船来航で大騒ぎの江戸へ出て 西洋の学問を究めていった。 慶応2年(1866)には 幕
府の旗本に。 開成所洋学教授、歩兵奉行と出世する。 


 大政奉還から 戊辰戦争という動乱に 幕府陸軍伝習隊を率いて 官軍と戦い 榎本武揚、土
方歳三らと 箱根・五稜郭に立てこもったが 敗れた・・・。 英仏蘭語に堪能で 蘭学者、教授、
奉行、軍人、官僚、教育家、外交官、政治家、文人・・・ひとり何役?
 このような経歴を見ると 網干で生まれた河野鉄兜・東馬の兄弟と境遇が似ていますが 鉄兜
と圭介は 顔を合わせたことがあるのでしょうか? 鉄兜・東馬の兄弟は 長州藩と共に戦った
尊皇派ですが・・。 圭介は 幕府側・・。 慶介は 鉄兜より 10歳若い?
朽ちて崩れそうだった圭介の生家は きれいに 建て直されていました。 どこかに銅像がある・・。


 上郡の街へ戻り 上郡橋を渡り 国道を横切ると 「郷土資料館」 があります。 12:35 到着。
2階が資料館で 無料。 展示してあるものは 遺跡の関係物が多く 私の許容範囲を越えてい
ますが 中に 「武将三十六歌撰図絵馬」があります。 八幡神社で見た絵馬とは 弓を持ってい
ないので 違う絵のようですが ここにも 源頼政の絵があります。 下に説明があり 「平家物語」
などのヌエ退治で名高い 源頼政ですが 上郡町内の西野山にも 頼政夫人菖蒲(あやめ)と 従者・
猪早太が 移り住み 頼政の菩提を弔ったという伝説が残され 今も 西野山の山中には 地元で
二人の墓と伝えられる 「菖蒲塚」 と 「早太塚」 と呼ばれる 古墳が残されている・・。


 資料館を一通り見て 最後に マップにある 「尾長谷の五輪塔」 を見に行きます。 県道脇にあ
るようなので ちょっと ついでに 寄ろうと思っただけなのですが 約2時間かけても 見ることがで
きませんでした。 県道を北東へ行き 細い橋を渡り 尾長谷の集落へ・・。 誰かに尋ねたいので
すが 真昼間 人っ子一人いません。 諦めて帰ろうと 橋の手前まで 戻ると 人がいました。
 五輪さん? 知らんなあー・・ これで終われば 私も諦めて帰るのですが・・。 散々悩んで ある
人を教えてくれました。 ”Tより 教えてあげてください” と メモを書いて・・・。
 県道が S字にカーするところを 左に・・・・教えられた通り Yさん宅へ。 Yさんは 留守でした。
が 帰ろうとすると 帰ってこられ・・。 知らん! と言われれば 帰るのに・・。 一見 難しそうな人
でしたが メモのお陰か 少々悩んだ末 携帯を出し 誰かに 電話・・。 相手も知らないような? 


 公民館のところを曲がって・・・。 S先生のところへ行きました。 ACをつけ ビールを飲みな
がら 高校野球を観ておられたようです。 元?先生だけに 電話してもらったこともあり いろい
ろ資料を用意して頂き・・。 五輪塔? ご存知ないようです。 誰かに電話して・・。 結局 五輪
塔の場所は 分かりませんでした。 が 資料の 「かみごおり紀行」 の本の中に 尾長谷の五輪
塔に関する 記述が見つかりました。 別の資料から 写真も・・。
 尾長谷の旧太子堂の西に 小型五輪塔と一石五輪塔で構成されている石塔群が・・・・真言密
教と弥陀念仏の習合した真言念仏の遺品です。 本の写真を撮らせて もらいました。


 腹も減り 疲れて 時間を集計するのも忘れていました。 国道から 県道5号線に曲がる所で
郷土歴史館から 10.6km 14:28でした。 県道5号を走り 往路の道を そのまま帰りました。
 本日の走行距離は 往路:松雲寺まで 34.8km、宝林寺まで 2.3km、宝雲寺まで 4.8km、
大避神社まで 3.6km、大鳥圭介生家まで 1.5km、郷土資料館まで 6.7km、県道5号まで
10.6km、復路:26.0kmで 計:90.3kmでした。


 家に帰って 資料館で 盗ってきたパンフレットを見ると 「赤松氏のふるさとをいく」 があり
これに 武祖神社、大枝城跡、鍛冶宝篋印塔・地蔵板碑など 鍛冶石造物があります。
 涼しくなったら もう一度 上郡へ行き 白旗城跡、苔縄城跡、生駒城跡、大枝城跡を歩いて
みるかな・・・。 南の西條山城跡は?
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広島へ お墓参り

2012-08-05 13:00:46 | ドライブ
 8月 5日(日)  天気:晴れ  室温:35.1℃

 きのう 広島へドライブして お墓にお参りしてきました。 お盆が近くなってきたので 道路が混む
前に行っておかないと・・。 高速は 休日割引で 半額です。 ついでに ホームにいる母親に会っ
てきました。 墓は 山陽道・西条ICの北13kmの福富町にあります。

 7:23 出発。 国道2号線を西へ行き 7:46 龍野西ICから山陽道に入り 西へひた走ります。
山陽道は トンネルが多いのが難点です。 途中 PAで休憩し 9:54 西条ICを降ります。 山陽
道・龍野~西条間は 185km、2200円です。 国道375号線に降りて 北へ向かい 13.7km
10:12 お墓に着きました。 お墓は 国道の傍にあります。

 墓に名前が彫ってあるので 曾祖父(昭和12年死去)までは 先祖が分かるのですが・・。 祖
父(養子)は 原爆で 亡くなったので 会ったことはありませんが 私の名前は 祖父からもらった
ものなので 馴染みがあります。 墓は 幾つかあるので 江戸時代頃からあるのでしょう。
 分からないのは 祖父は コヨシと結婚して 私の父親が生まれたあと 後妻(オヨシ)をもらって
いるのですが オヨシの本家は すぐ近くにあるのに 私の本家(コヨシの実家)は どこにあるのか? 
 墓の回りを掃除して お花と線香をお供えし お参りを済ませます。 最近 近くに 道の駅ができ
たようなので 行ってみましょう。 墓から 1.6km 国道の西に 道の駅 湖畔の里福富がありま
す。 最近 福富ダムの周辺が整備され 公園のようになっています。 お昼なので 冷たいソーメ
ンと 思いましたが メニューにありません・・。 熱いうどんを食べ 道の駅を後にします。  

 12:28 西条ICから山陽道に入り 広島へ向かい 12:56 五日市ICを降ります。 山陽道
西条~五日市間は 39km、600円。 県道に降りて 右折して 県道290号線に入り 南へ。
 国道2号線(西広島バイパス) の傍に ”老人ホーム“ があります。 五日市ICから 8.4km、
13:11 老人ホームに着きました。  母は まあまあ 元気でした。 小1時間ほど話し 14:15
帰路につきます。 来た道を戻り 14:29 五日市ICから 山陽道に入ります。

 岡山県に戻り 道口PAで 休憩し 17:04 龍野西ICを降ります。 五日市~龍野西間は
223.4km、2550円。 国道2号線を走り 17:42 家に帰ってきました。
本日の走行距離は 往路:墓まで 210.7km ホームまで 63.1km 復路:244.km
で 計:517.8kmでした。
 6月から 新しい車に乗っていますが この車には 泣かされます。 低燃費が ウリなので ECO
モードで 走行していますが 全然パワーがない・・。 坂道になると 速度が ずるずる落ちるので
す。 悪いことに 速度計が デジタルなので 60キロで走っていても 58、55と 目に見え
て低下。 アナログ計なら 2、3キロ落ちても ほとんど 気にならないが 数値で表示されると・・・。
必死で アクセルを踏んでも 全然加速しないし・・・。 エンジン音が 大きくなるだけ・・。


 高速道で 遅い車を追い越そうと 追い越し車線出ても 加速しないので 後ろの車に追突され
そうになるし・・。 今までは 播但道で 登坂車線になるのを待って 追い越ししていたのですが
この車では 登坂車線を走らないと・・。 横を軽自動車が 追い越すと 腹が立つし イライラす
る。 精神衛生上良くない車です。 おまけに 燃費が良くないのです。
 6月に車が来て 篠山、養父市(奥米地)、福地渓谷へ行き 1回目は 653.2km/26.
38L=24.76km/Lでした。
 今回 山崎、小野市(浄土寺)、広島と走り 738.1km/32.54L=22.68km/L
でした。 この車は 燃費が良くないと まったく値打ちがないのです。 27、8kmは走らないと・・。
ただ 高速を走ると ほとんど エンジンを使うので 燃費が悪くなるのは 解かります。

 おまけに パネルに 平均燃費が表示されるのですが 実測燃費より 1km以上 良い燃費が表示
されるのです。 車のコンピュターは 何をもとに 計算しているのか・・・。 ただし 今は暑いの
で エアコンは 温度設定を高め(27℃)にして 常時 使っています。 充電量が少ないため エン
ジンを使い 燃費も悪くなるのでは・・・。
 この車は エンジン、モーターの使い分け、充電などの操作を コンピューターが 勝手にコント
ロールするので 運転者は なにもできない。 できるのは アクセルの踏み加減だけ。 下り坂で
シフトレバーを ”D”から ”N”に 落とそうか・・・。 どっちにしても 充電しないので。
 さらに いくら走っても バッテリーが充電されない・・。 高速走行中は エンジンを使うので
7、80%充電しているのに 次に 乗ると 必ず 20%程度に落ちている・・。
 車内音も大きく FM放送を聞くのに いままでは ボリューム6、7だったのに 12、13に
しないと聞こえにくい。 高速を走ると 風切り音や路面からの騒音があるので ボリュームは上げ
ますが・・。 この車は 燃費が良くない、パワーがない、車内音が大きい、充電しない の四重
苦の車です。  。。   。。。  。。   。。。   。。  。。。
 ところで 夜 BS3プレミアムで 放送された 『シャーロック2』 は 今回で 終わりでした。
前々回の中国の密輸組織・蛇頭?の話も 前回の 女性スパイの話も 面白かったが 今回は ”ラ
インバッハ・ヒーロー” 最後のゲーム でしたが 心理戦のような内容で 分かりにくかった・・・。
 最後 ビルの屋上で モリアーティと対決し モリアーティは 銃で 自殺、ホームズは 携帯で ワ
トソンに ”来るな!”と 電話し 屋上から 飛び降り 自殺・・。 ワトソンの目の前で・・・。
 最後の場面は ホームズの墓の前で ワトソンと 下宿の女主人ハドスン夫人が 墓に花を供える・・。
しかし 奥の木陰から  見守るホームズの横顔が・・・。 これは いつか 続きが放送されるこ
とを暗示している・・・・。 『シャーロック・ホームズの生還』?

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