8月 8日(水) 天気:晴れ 室温:34.4℃
きのう 立秋で 涼しくなった?ので きょうは 上郡まで ドライブしてきましたが まだまだ 暑い!
以前入手した 先進のACT回廊 ”武士のこころ息づく 西播磨” のパンフレットの 「赤松の郷を巡
る道」 を訪れ 松雲寺、五社八幡神社、昆虫文化館、宝林寺円心館、宝雲寺、大避神社、大鳥圭
介生誕地、上郡郷土資料館をめぐり 最後に マップにある 資料館の近くの尾長谷五輪塔を見よ
う と思いましたが これには てこずりました。 三人の人に 聞きましたが・・・。 結局 五輪塔は ス
ルーパス。 皆さん 大変 懇切丁寧に 応対していただき 涙が出るほど うれしかったのですが 2
時間ほど 時間がかかり 昼食を食べる時間を逸してしまい ダイエット・・。
これで ”武士のこころ息づく 西播磨” の 12コースは 完了しました。
9:16 出発。 太子町を通り たつの市に入り 山陽道の下で 左折。 龍野新大橋を渡り 県道
5号線に乗ると 上郡まで一本道。 JRの踏切を越え 9:58 国道373号線に出て 北へ。
赤松で 松雲寺へ曲がる道が分からず 通り過ぎ 引き返し 10:11 松雲寺の前に駐車。 ここま
で 1時間ほどで 家から 34.8km。
松雲寺は もともと 赤松円心の居城として 名高い白旗山山麓に 赤松貞範(円心の次男)が
建立した栖雲寺を継承する 赤松氏とかかわりの深い名刹です。 この地を 赤松 と呼び その
名の示す通り 赤松氏の本拠地として 円心公館跡、五社八幡神社、白旗八幡神社跡、武祖
神社、宝林寺のような 史跡が 数多く 周辺に残されています。
山門は 立派なもので 2階建て構造で 2階は 鐘楼になっています。 本堂の向拝の
彫物も立派なもので 木鼻は 獅子と象、蟇股は 鶴です。 鶴に乗っている老人は?
このお寺では カヤ(榧)が 町文化財で 一番有名なようです。 榧は 常緑の低木で 4月頃
花が咲き 10月頃 結実するそうです。 樹齢は 約700年、樹高約25m、幹の直径約1.6m
の巨木で 西播磨でも最大級。 落雷の跡があるが その影響もなく 樹勢も良好。 この榧を
切れば いい柾目の碁盤ができそう・・・。
東に五社八幡神社があります。 ここも 赤松家ゆかりの神社ですが 五社とは? なにも
書いてないので 分かりません。 上郡・教育委員会に聞くと 五社とは 熊野、八幡、住吉、
神功皇后、天神 の五柱が祀ってあるのだそうです。
拝殿(絵馬殿?)は 横に広い構造で 中に 絵馬が たくさん奉納してあります。 中に 源
頼政の絵が・・。 このときは 何とも思いませんでしたが 後で 郷土資料館へ行くと ここに
も 源頼政の絵があります。 上郡と頼政は 何か関係があるのでしょうか? 関係ないそうで
すが・・。 本殿の彫刻(木鼻など)は 先ほどの松雲寺のものと 似ていますが・・・。
この近くにあるマンホールの蓋は 子供が描かれています。 調べると 円心くんと エイトちゃん。
円心くんは 当然 赤松円心ですが エイトちゃんは スプリング8から きている上郡のゆるキャラ。
近くに 昆虫文化館があるので ついでに寄りました。 予想通り お休み。 昆虫文化館は
昆虫の標本、美術工芸品、民芸品、玩具 など 歴史から民族にわたり 人間と昆虫に関連
する あらゆるグッズが 所蔵されているそうです。 土、日のみ開館。
近くに 赤松居館跡が あったらしいのですが マップに なかったので 見逃しました。
千種川を渡って 西へ行くと 宝林寺・円心館があります。 円心館も閉まっています。
電話すると 開けてもらえるようですが 入館料は 300円。 大して見るものは なさそう・・。
仕切りは ガラス格子で 中が見えます。 ガラス越しに 「赤松三尊」 と 「肖像画」 を盗り
ました。 三尊像は 県の文化財で 赤松円心、則佑(円心の三男)、別法和尚 と 覚安
尼(則佑の娘)の木座像で 南北朝時代(14世紀)の作とみられ 鎌倉彫刻の名残を・・・。
赤松則村(円心)は 赤松家四代当主で 鎌倉~南北朝時代の武将で 後醍醐天皇、次いで
足利尊氏の下で 鎌倉幕府打倒、室町幕府樹立に功績をあげ 播磨守護の職に任ぜられた。
三男・則佑は 円心の跡を継いで 北朝室町幕府に味方し 守護大名・赤松氏の基盤を固め
ました。 宝林寺は 則佑によって はじめ備前国、いまの和気町の建立されましたが 文和四
年 戦火を受け この地に 再建されました。 裏の山道を上がると 奥の院へ行ける?
則佑の孫・満祐が 京都で 六代将軍・足利義教を殺害。 これが 嘉吉の乱。 追われる身と
なり 龍野の城山城で 追って側の大軍に囲まれ 自害するのです。 赤松家滅亡の危機・・。
このとき 満祐の弟・義雅が 子・竹千代を連れて 室津の室山城に逃れ 追って側の赤松満政
に子供を託し 自刃。 赤松一族の満政は 子供を新宮のお寺に預け・・・。 竹千代は生長し
赤松時勝となり 滅びかけた赤松家を再興するのです。 時勝の子・政則は 応仁の乱で活躍・・。
国道へ戻り 南へ下り 金華橋を渡り 宝雲寺へ行きます。 道路脇に面白いものがあった
ので 寄りました。 これは 「苔縄筆塚」 でした。 先端は 大砲の弾か と思いましたが 筆 で
した。 正面から見ると 根元にヒトが しがみついて イヤらしい感じです・・。
筆塚は 使い古した筆を祀ったり 学問の師の徳を 門人たちが 恭って 建立された石造物
で 上郡町内に 珍しい筆塚が三基残っており この筆塚は 元治二年(1865)に建てられた。
奥の山側が 宝雲寺のようなので 車を筆塚の前に置いて 宝林寺へ行きました。
臨済宗相国寺派の金崋山・宝雲寺は 建武四年(1337) 建立。 宝雲寺は 赤松氏の中
心的な存在で 円心は この地を 仏教による精神的な拠点とすべく 高僧・雪村友梅を招き
宝雲昌国禅寺を建立し 赤松一族の菩提寺としました。 建立当時は 赤松氏の勢力も強
く 七堂伽藍を配する名刹 と讃えられました。
境内には 樹齢700年余りの 「ビャクシン杉」(県文化財) があり この樹は 禅宗と深くかか
わりを持つもので 円心公お手植と 伝えられています。 根周りは 14.3m、樹高33.5m。
地上4m付近で 5本の支幹に分かれ この間の幹は 空洞化しているが 樹勢は良好である。
円心堂に安置してあるのは 円心の武者姿像です。
宝雲寺を後にして 大鳥圭介の生家へ行きましょう。 県道451号線に出て 北へ向かいます。
途中に マップにある 大避(おおざけ)神社が あるので寄ります。 大避神社は コヤスノキの
叢林(県文化財)で有名。 神社境内の叢林は スジダイ、コジイ、アラカシ、カゴノキサナキなど
で 形成される照葉樹林が繁殖しています。 御神木も コヤスノキです。
特筆すべきは この低木層に 分布上珍稀な コヤスノキと チトセカズラが 生育していることで
ある。 コヤスノキは 5月に黄色の花を付け 秋に 球形の果実を付ける。 日本では 主に西
播地方に限られている。 チトセカズラは 常緑性のつる植物で 境内で旺盛に生育している。
拝殿、本殿は なかなか立派な建物で 絵馬もありました。
北へ行くと 幟が賑やかで 大鳥圭介の生家は すぐ分かりました。 公民館に駐車。 川向
が生家です。 聞いたこともありませんでしたが 7月1日の新聞に 「大鳥圭介 騒動記」 という
記事がありました。 圭介は 地元でも忘れられた存在だった?
圭介は 天保3年(1832) 現在の上郡町岩木丙の医者の長男として生まれた。 13歳のこ
ろから 岡山藩の学問所・閑谷学校へ県境を越えて通い 漢学を学んだ。
家業を継ぐため 赤穂で修行中 蘭学に目覚めた圭介は 緒方洪庵の大坂 「適塾」 へ。 さら
に黒船来航で大騒ぎの江戸へ出て 西洋の学問を究めていった。 慶応2年(1866)には 幕
府の旗本に。 開成所洋学教授、歩兵奉行と出世する。
大政奉還から 戊辰戦争という動乱に 幕府陸軍伝習隊を率いて 官軍と戦い 榎本武揚、土
方歳三らと 箱根・五稜郭に立てこもったが 敗れた・・・。 英仏蘭語に堪能で 蘭学者、教授、
奉行、軍人、官僚、教育家、外交官、政治家、文人・・・ひとり何役?
このような経歴を見ると 網干で生まれた河野鉄兜・東馬の兄弟と境遇が似ていますが 鉄兜
と圭介は 顔を合わせたことがあるのでしょうか? 鉄兜・東馬の兄弟は 長州藩と共に戦った
尊皇派ですが・・。 圭介は 幕府側・・。 慶介は 鉄兜より 10歳若い?
朽ちて崩れそうだった圭介の生家は きれいに 建て直されていました。 どこかに銅像がある・・。
上郡の街へ戻り 上郡橋を渡り 国道を横切ると 「郷土資料館」 があります。 12:35 到着。
2階が資料館で 無料。 展示してあるものは 遺跡の関係物が多く 私の許容範囲を越えてい
ますが 中に 「武将三十六歌撰図絵馬」があります。 八幡神社で見た絵馬とは 弓を持ってい
ないので 違う絵のようですが ここにも 源頼政の絵があります。 下に説明があり 「平家物語」
などのヌエ退治で名高い 源頼政ですが 上郡町内の西野山にも 頼政夫人菖蒲(あやめ)と 従者・
猪早太が 移り住み 頼政の菩提を弔ったという伝説が残され 今も 西野山の山中には 地元で
二人の墓と伝えられる 「菖蒲塚」 と 「早太塚」 と呼ばれる 古墳が残されている・・。
資料館を一通り見て 最後に マップにある 「尾長谷の五輪塔」 を見に行きます。 県道脇にあ
るようなので ちょっと ついでに 寄ろうと思っただけなのですが 約2時間かけても 見ることがで
きませんでした。 県道を北東へ行き 細い橋を渡り 尾長谷の集落へ・・。 誰かに尋ねたいので
すが 真昼間 人っ子一人いません。 諦めて帰ろうと 橋の手前まで 戻ると 人がいました。
五輪さん? 知らんなあー・・ これで終われば 私も諦めて帰るのですが・・。 散々悩んで ある
人を教えてくれました。 ”Tより 教えてあげてください” と メモを書いて・・・。
県道が S字にカーするところを 左に・・・・教えられた通り Yさん宅へ。 Yさんは 留守でした。
が 帰ろうとすると 帰ってこられ・・。 知らん! と言われれば 帰るのに・・。 一見 難しそうな人
でしたが メモのお陰か 少々悩んだ末 携帯を出し 誰かに 電話・・。 相手も知らないような?
公民館のところを曲がって・・・。 S先生のところへ行きました。 ACをつけ ビールを飲みな
がら 高校野球を観ておられたようです。 元?先生だけに 電話してもらったこともあり いろい
ろ資料を用意して頂き・・。 五輪塔? ご存知ないようです。 誰かに電話して・・。 結局 五輪
塔の場所は 分かりませんでした。 が 資料の 「かみごおり紀行」 の本の中に 尾長谷の五輪
塔に関する 記述が見つかりました。 別の資料から 写真も・・。
尾長谷の旧太子堂の西に 小型五輪塔と一石五輪塔で構成されている石塔群が・・・・真言密
教と弥陀念仏の習合した真言念仏の遺品です。 本の写真を撮らせて もらいました。
腹も減り 疲れて 時間を集計するのも忘れていました。 国道から 県道5号線に曲がる所で
郷土歴史館から 10.6km 14:28でした。 県道5号を走り 往路の道を そのまま帰りました。
本日の走行距離は 往路:松雲寺まで 34.8km、宝林寺まで 2.3km、宝雲寺まで 4.8km、
大避神社まで 3.6km、大鳥圭介生家まで 1.5km、郷土資料館まで 6.7km、県道5号まで
10.6km、復路:26.0kmで 計:90.3kmでした。
家に帰って 資料館で 盗ってきたパンフレットを見ると 「赤松氏のふるさとをいく」 があり
これに 武祖神社、大枝城跡、鍛冶宝篋印塔・地蔵板碑など 鍛冶石造物があります。
涼しくなったら もう一度 上郡へ行き 白旗城跡、苔縄城跡、生駒城跡、大枝城跡を歩いて
みるかな・・・。 南の西條山城跡は?
。。。。。。。。 。。。 。。。 。。。 。。。 。。。 。。。 。。。 。。。。。。。。
きのう 立秋で 涼しくなった?ので きょうは 上郡まで ドライブしてきましたが まだまだ 暑い!
以前入手した 先進のACT回廊 ”武士のこころ息づく 西播磨” のパンフレットの 「赤松の郷を巡
る道」 を訪れ 松雲寺、五社八幡神社、昆虫文化館、宝林寺円心館、宝雲寺、大避神社、大鳥圭
介生誕地、上郡郷土資料館をめぐり 最後に マップにある 資料館の近くの尾長谷五輪塔を見よ
う と思いましたが これには てこずりました。 三人の人に 聞きましたが・・・。 結局 五輪塔は ス
ルーパス。 皆さん 大変 懇切丁寧に 応対していただき 涙が出るほど うれしかったのですが 2
時間ほど 時間がかかり 昼食を食べる時間を逸してしまい ダイエット・・。
これで ”武士のこころ息づく 西播磨” の 12コースは 完了しました。
9:16 出発。 太子町を通り たつの市に入り 山陽道の下で 左折。 龍野新大橋を渡り 県道
5号線に乗ると 上郡まで一本道。 JRの踏切を越え 9:58 国道373号線に出て 北へ。
赤松で 松雲寺へ曲がる道が分からず 通り過ぎ 引き返し 10:11 松雲寺の前に駐車。 ここま
で 1時間ほどで 家から 34.8km。
松雲寺は もともと 赤松円心の居城として 名高い白旗山山麓に 赤松貞範(円心の次男)が
建立した栖雲寺を継承する 赤松氏とかかわりの深い名刹です。 この地を 赤松 と呼び その
名の示す通り 赤松氏の本拠地として 円心公館跡、五社八幡神社、白旗八幡神社跡、武祖
神社、宝林寺のような 史跡が 数多く 周辺に残されています。
山門は 立派なもので 2階建て構造で 2階は 鐘楼になっています。 本堂の向拝の
彫物も立派なもので 木鼻は 獅子と象、蟇股は 鶴です。 鶴に乗っている老人は?
このお寺では カヤ(榧)が 町文化財で 一番有名なようです。 榧は 常緑の低木で 4月頃
花が咲き 10月頃 結実するそうです。 樹齢は 約700年、樹高約25m、幹の直径約1.6m
の巨木で 西播磨でも最大級。 落雷の跡があるが その影響もなく 樹勢も良好。 この榧を
切れば いい柾目の碁盤ができそう・・・。
東に五社八幡神社があります。 ここも 赤松家ゆかりの神社ですが 五社とは? なにも
書いてないので 分かりません。 上郡・教育委員会に聞くと 五社とは 熊野、八幡、住吉、
神功皇后、天神 の五柱が祀ってあるのだそうです。
拝殿(絵馬殿?)は 横に広い構造で 中に 絵馬が たくさん奉納してあります。 中に 源
頼政の絵が・・。 このときは 何とも思いませんでしたが 後で 郷土資料館へ行くと ここに
も 源頼政の絵があります。 上郡と頼政は 何か関係があるのでしょうか? 関係ないそうで
すが・・。 本殿の彫刻(木鼻など)は 先ほどの松雲寺のものと 似ていますが・・・。
この近くにあるマンホールの蓋は 子供が描かれています。 調べると 円心くんと エイトちゃん。
円心くんは 当然 赤松円心ですが エイトちゃんは スプリング8から きている上郡のゆるキャラ。
近くに 昆虫文化館があるので ついでに寄りました。 予想通り お休み。 昆虫文化館は
昆虫の標本、美術工芸品、民芸品、玩具 など 歴史から民族にわたり 人間と昆虫に関連
する あらゆるグッズが 所蔵されているそうです。 土、日のみ開館。
近くに 赤松居館跡が あったらしいのですが マップに なかったので 見逃しました。
千種川を渡って 西へ行くと 宝林寺・円心館があります。 円心館も閉まっています。
電話すると 開けてもらえるようですが 入館料は 300円。 大して見るものは なさそう・・。
仕切りは ガラス格子で 中が見えます。 ガラス越しに 「赤松三尊」 と 「肖像画」 を盗り
ました。 三尊像は 県の文化財で 赤松円心、則佑(円心の三男)、別法和尚 と 覚安
尼(則佑の娘)の木座像で 南北朝時代(14世紀)の作とみられ 鎌倉彫刻の名残を・・・。
赤松則村(円心)は 赤松家四代当主で 鎌倉~南北朝時代の武将で 後醍醐天皇、次いで
足利尊氏の下で 鎌倉幕府打倒、室町幕府樹立に功績をあげ 播磨守護の職に任ぜられた。
三男・則佑は 円心の跡を継いで 北朝室町幕府に味方し 守護大名・赤松氏の基盤を固め
ました。 宝林寺は 則佑によって はじめ備前国、いまの和気町の建立されましたが 文和四
年 戦火を受け この地に 再建されました。 裏の山道を上がると 奥の院へ行ける?
則佑の孫・満祐が 京都で 六代将軍・足利義教を殺害。 これが 嘉吉の乱。 追われる身と
なり 龍野の城山城で 追って側の大軍に囲まれ 自害するのです。 赤松家滅亡の危機・・。
このとき 満祐の弟・義雅が 子・竹千代を連れて 室津の室山城に逃れ 追って側の赤松満政
に子供を託し 自刃。 赤松一族の満政は 子供を新宮のお寺に預け・・・。 竹千代は生長し
赤松時勝となり 滅びかけた赤松家を再興するのです。 時勝の子・政則は 応仁の乱で活躍・・。
国道へ戻り 南へ下り 金華橋を渡り 宝雲寺へ行きます。 道路脇に面白いものがあった
ので 寄りました。 これは 「苔縄筆塚」 でした。 先端は 大砲の弾か と思いましたが 筆 で
した。 正面から見ると 根元にヒトが しがみついて イヤらしい感じです・・。
筆塚は 使い古した筆を祀ったり 学問の師の徳を 門人たちが 恭って 建立された石造物
で 上郡町内に 珍しい筆塚が三基残っており この筆塚は 元治二年(1865)に建てられた。
奥の山側が 宝雲寺のようなので 車を筆塚の前に置いて 宝林寺へ行きました。
臨済宗相国寺派の金崋山・宝雲寺は 建武四年(1337) 建立。 宝雲寺は 赤松氏の中
心的な存在で 円心は この地を 仏教による精神的な拠点とすべく 高僧・雪村友梅を招き
宝雲昌国禅寺を建立し 赤松一族の菩提寺としました。 建立当時は 赤松氏の勢力も強
く 七堂伽藍を配する名刹 と讃えられました。
境内には 樹齢700年余りの 「ビャクシン杉」(県文化財) があり この樹は 禅宗と深くかか
わりを持つもので 円心公お手植と 伝えられています。 根周りは 14.3m、樹高33.5m。
地上4m付近で 5本の支幹に分かれ この間の幹は 空洞化しているが 樹勢は良好である。
円心堂に安置してあるのは 円心の武者姿像です。
宝雲寺を後にして 大鳥圭介の生家へ行きましょう。 県道451号線に出て 北へ向かいます。
途中に マップにある 大避(おおざけ)神社が あるので寄ります。 大避神社は コヤスノキの
叢林(県文化財)で有名。 神社境内の叢林は スジダイ、コジイ、アラカシ、カゴノキサナキなど
で 形成される照葉樹林が繁殖しています。 御神木も コヤスノキです。
特筆すべきは この低木層に 分布上珍稀な コヤスノキと チトセカズラが 生育していることで
ある。 コヤスノキは 5月に黄色の花を付け 秋に 球形の果実を付ける。 日本では 主に西
播地方に限られている。 チトセカズラは 常緑性のつる植物で 境内で旺盛に生育している。
拝殿、本殿は なかなか立派な建物で 絵馬もありました。
北へ行くと 幟が賑やかで 大鳥圭介の生家は すぐ分かりました。 公民館に駐車。 川向
が生家です。 聞いたこともありませんでしたが 7月1日の新聞に 「大鳥圭介 騒動記」 という
記事がありました。 圭介は 地元でも忘れられた存在だった?
圭介は 天保3年(1832) 現在の上郡町岩木丙の医者の長男として生まれた。 13歳のこ
ろから 岡山藩の学問所・閑谷学校へ県境を越えて通い 漢学を学んだ。
家業を継ぐため 赤穂で修行中 蘭学に目覚めた圭介は 緒方洪庵の大坂 「適塾」 へ。 さら
に黒船来航で大騒ぎの江戸へ出て 西洋の学問を究めていった。 慶応2年(1866)には 幕
府の旗本に。 開成所洋学教授、歩兵奉行と出世する。
大政奉還から 戊辰戦争という動乱に 幕府陸軍伝習隊を率いて 官軍と戦い 榎本武揚、土
方歳三らと 箱根・五稜郭に立てこもったが 敗れた・・・。 英仏蘭語に堪能で 蘭学者、教授、
奉行、軍人、官僚、教育家、外交官、政治家、文人・・・ひとり何役?
このような経歴を見ると 網干で生まれた河野鉄兜・東馬の兄弟と境遇が似ていますが 鉄兜
と圭介は 顔を合わせたことがあるのでしょうか? 鉄兜・東馬の兄弟は 長州藩と共に戦った
尊皇派ですが・・。 圭介は 幕府側・・。 慶介は 鉄兜より 10歳若い?
朽ちて崩れそうだった圭介の生家は きれいに 建て直されていました。 どこかに銅像がある・・。
上郡の街へ戻り 上郡橋を渡り 国道を横切ると 「郷土資料館」 があります。 12:35 到着。
2階が資料館で 無料。 展示してあるものは 遺跡の関係物が多く 私の許容範囲を越えてい
ますが 中に 「武将三十六歌撰図絵馬」があります。 八幡神社で見た絵馬とは 弓を持ってい
ないので 違う絵のようですが ここにも 源頼政の絵があります。 下に説明があり 「平家物語」
などのヌエ退治で名高い 源頼政ですが 上郡町内の西野山にも 頼政夫人菖蒲(あやめ)と 従者・
猪早太が 移り住み 頼政の菩提を弔ったという伝説が残され 今も 西野山の山中には 地元で
二人の墓と伝えられる 「菖蒲塚」 と 「早太塚」 と呼ばれる 古墳が残されている・・。
資料館を一通り見て 最後に マップにある 「尾長谷の五輪塔」 を見に行きます。 県道脇にあ
るようなので ちょっと ついでに 寄ろうと思っただけなのですが 約2時間かけても 見ることがで
きませんでした。 県道を北東へ行き 細い橋を渡り 尾長谷の集落へ・・。 誰かに尋ねたいので
すが 真昼間 人っ子一人いません。 諦めて帰ろうと 橋の手前まで 戻ると 人がいました。
五輪さん? 知らんなあー・・ これで終われば 私も諦めて帰るのですが・・。 散々悩んで ある
人を教えてくれました。 ”Tより 教えてあげてください” と メモを書いて・・・。
県道が S字にカーするところを 左に・・・・教えられた通り Yさん宅へ。 Yさんは 留守でした。
が 帰ろうとすると 帰ってこられ・・。 知らん! と言われれば 帰るのに・・。 一見 難しそうな人
でしたが メモのお陰か 少々悩んだ末 携帯を出し 誰かに 電話・・。 相手も知らないような?
公民館のところを曲がって・・・。 S先生のところへ行きました。 ACをつけ ビールを飲みな
がら 高校野球を観ておられたようです。 元?先生だけに 電話してもらったこともあり いろい
ろ資料を用意して頂き・・。 五輪塔? ご存知ないようです。 誰かに電話して・・。 結局 五輪
塔の場所は 分かりませんでした。 が 資料の 「かみごおり紀行」 の本の中に 尾長谷の五輪
塔に関する 記述が見つかりました。 別の資料から 写真も・・。
尾長谷の旧太子堂の西に 小型五輪塔と一石五輪塔で構成されている石塔群が・・・・真言密
教と弥陀念仏の習合した真言念仏の遺品です。 本の写真を撮らせて もらいました。
腹も減り 疲れて 時間を集計するのも忘れていました。 国道から 県道5号線に曲がる所で
郷土歴史館から 10.6km 14:28でした。 県道5号を走り 往路の道を そのまま帰りました。
本日の走行距離は 往路:松雲寺まで 34.8km、宝林寺まで 2.3km、宝雲寺まで 4.8km、
大避神社まで 3.6km、大鳥圭介生家まで 1.5km、郷土資料館まで 6.7km、県道5号まで
10.6km、復路:26.0kmで 計:90.3kmでした。
家に帰って 資料館で 盗ってきたパンフレットを見ると 「赤松氏のふるさとをいく」 があり
これに 武祖神社、大枝城跡、鍛冶宝篋印塔・地蔵板碑など 鍛冶石造物があります。
涼しくなったら もう一度 上郡へ行き 白旗城跡、苔縄城跡、生駒城跡、大枝城跡を歩いて
みるかな・・・。 南の西條山城跡は?
。。。。。。。。 。。。 。。。 。。。 。。。 。。。 。。。 。。。 。。。。。。。。
YS11さん 上郡に来られたんですね!暑かったでしょう。昆虫館の相坂さんは姫路在住なので、事前に電話しておく必要あり。昆虫に関連したものならなんでもありの所蔵品ですがユニークですよ。
お寺関係はよく知りません。五輪ノ塔なんて行ったこともないし(^_^;
>木鼻は 獅子と象、蟇股は 鶴です。
身延山に行ったとき同じように庇の裏の写真を撮り、いまブログ記事を作りながら、さてこれはどう表現すればいいのか?と思ってました。木鼻、というんですね。
使わせていただきます (^-^)
ところで新車、ヘレンケラーさんも真っ青ですね(^_^;
今後の参考にと車種についての過去の記事をさかのぼって探しましたけど、たどり着けなくて。
だってYS11さんのは記事が長いから(他人事じゃない私もです(^_^; )さかのぼるの大変なんですもん(^_-)-☆/~~~~
でも きょうは 少し涼しく 今 室温は 32.7℃です。
いつも ご高覧頂き 誠に ありがとうございます。
ヘレンケラーより ホームズに 興味はないのですか?
車は やまあそさんの新車 のような 高級車ではなく
トヨタの安物 アクア です。
公称燃費は 35.4kmで 世界一とか・・・。
2月だったか このページに書きました。
県道5号線を走ったので とうこさん宅に寄ろうかと 思ったのですが
イビキ?が聞こえたので お昼寝の邪魔をしては まずいと思って 遠慮しました。
PS:昆虫館は 期待していませんでした。
http://blog.goo.ne.jp/1945ys4092/e/95645668655435ef691809a292450330
ホームズね、1回目は見逃し、2回目のだったかな(高級娼婦が出る回)、録画してたので見ました。う~ん、面白かったけど、、、最終回で死んじゃったんですか?でも蘇る? 蘇ったら見てみます(^-^)/~~~
>高級娼婦が出る回は 面白かったですね。
娼婦が スパイ兼ね ぬすんだ情報で 自分の身を守る・・
ホームズの前に 全裸で現われ ワトソンが腰を抜かす・・・
彼女が持っていた携帯(スマートホン?)のパスワードを
探し ・・ 最後 「SHER」 とでましたが・・
何の意味か分からず・・・
英語に強い しみけんさんなら 直ぐ分かったでしょうが
一晩 考え シャーロックのSHERだった?