私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

歴史教室 9月号

2012-09-11 14:18:49 | 日記
 9月11日(火)  天気:雨 後 曇り 後 晴れ?   室温:29.3℃

 8月は 「歴史教室」 が 休講だったので 2ヶ月ぶりの 「歴史教室」 へ行きました。 きょうの先
生は 元 旭陽小学校 校長の大西 文雄さん(姫路古文書研究会)で 「郷土史を学ぶ」ということで
”観音信仰 と 西国33ヵ所巡礼道” を勉強しました。 大西先生の講義は 資料(旭陽公民館歴史
講座)が 多い(10ページ)ので 書き写すのが 大変です。 一部、二部 省略しないと・・・。
 今回の講義に 合わせたかのように 私の手元に JR西日本発行のパンフレット ”仏像に出会う
旅 駅からはじまる 「西国三十三所めぐり」” が 2冊もあります。 西国33ヵ所めぐり など する
気は 全くないのに・・・。 このパンフレットから 写真を 拝借しました。


《 内 容 》
1.はじめに
  仏には 如来、菩薩、明王、天、将 などがあり
  如来は 悟りを開いたもので 釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来、大日如来、五智如来(阿閃、
  阿弥陀、宝生、不空成就如来) などがあり
  菩薩は 悟りを開くために修業しているもので 弥勒菩薩、日光・月光菩薩、文殊菩薩、虚空蔵菩
  薩、文殊菩薩、普賢菩薩、地蔵菩薩 などがあり
  明王は 悪法を遮る力を持つもので 不動明王、愛染明王、孔雀明王、金剛夜叉明王などがあり
  天、将は 天上に住む者で 人間より優れているが 迷いと生死を重ねる。 四天王(持国、増長、
  広目、多聞天)、帝釈天、大黒天、弁財天、12神将 などがあり
  その他 牛頭天王、祖師像(聖徳太子、伝教大師、弘法太子 など) があります。


2.観音信仰
  ①観世音とは・・・梵語で 観察することに 自在な者の意、世間の音声を観ずる。
  ②観世音菩薩・・・別名 闚音(きおん)菩薩
           七難を救う仏・・七難とは 水難、火難、羅刹難、王難、鬼難、枷鎖難、怨賊難
  ③観世音菩薩の変化
   ・観世音は 衆生の声を聞くため 変化自在であった。 基本形は 聖観音。 三十三身によって
       度脱せしむ。 33ヵ所の由来の一つ。 度脱とは 得度(仏門に入る)し 解脱させる。
   ・六観音は 六道( 天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道 )に 対応しており
          それぞれの道に堕ちた人を救済する。
     如意輪観音:一面六臂で 頭に宝冠を戴く。 手を右頬に当て 右膝を立て趺座する。
     不空羂索観音:羂索は 漁労の道具で 大悲の羂索により 一切の衆生を救済する。
     准胝観音:七倶胝仏母(あらゆる仏の母) 醍醐寺の本尊。 真言宗では 人道に対応。
     十一面観音:本顔以外に10の小面を頭上に持つ。 全方角に顔を向けた救済者。
     馬頭観音:馬の頭を付けた憤怒の相をした観世音菩薩。 三面八臂。 家畜を守る観音。
     千手観音:千臂観世音、多くの手を持ち 手のひらに目を持つ。
     聖観音:左手に未開敷き蓮華を持ち 右手は花弁を開く相をしている。一面二臂。
   ・三十三観音:円光、楊柳、竜頭、持経、遊戯、白衣、蓮臥、滝見、施薬、魚藍、徳王ー以下略ー
  ④観音信仰
    観世音(観自在)菩薩に対する信仰、大化の改新以前に 渡来人により 日本に伝わる。
    飛鳥、白鳳期には 日本でも 観音像が造られかける。 平安時代には 清水寺や長谷寺
    への参籠が流行する。 12世紀には 33ヵ所巡礼が始まる。


3.西国33ヵ所観音霊場
  ①西国33ヵ所観音霊場
   ・なぜ33ヵ所か・・・大慈大悲(楽を与えることを慈、苦しみを抜くことを悲)で 衆生を済度
   することを本願とし 衆生の求めに応じて さまざまに姿を変えるとされ 三十三身が最も
   有名。
  ②西国33ヵ所観音霊場の伝説
   徳道上人は 斉明天皇2年(656) 播磨国 揖保郡生まれ、俗姓を 矢田部米麻呂。
         天平5年(732)長谷寺を開基。 80歳のとき 法起菩薩と化した。
   養老2年(718)、徳道上人は 病のため 生死の境をさまよっていた際 夢の中で
   出会った閻魔大王から 世の中の悩み苦しむ人々を救うため 三十三の観音霊場をつくり
   広めるよう 宝印を賜ります。
   しかし当時の人々には なかなか信じてもらえず 徳道上人は 仕方なく 宝印を中山寺の
   石櫃に納めてしまいました。
   その約270年後 花山法皇が この宝印を掘り出し 観音霊場を巡拝して 西国観音霊場を
   復興したといわれています。 (2008年は 中興の花山院の一千年忌にあたる)
   平安時代の後半から 鎌倉・室町時代のはじめ頃までは 修行のために 巡礼する僧が中心
   でしたが 室町時代の半ばすぎからは 次第に 庶民の間にも 西国巡礼が広まり
   江戸時代には 大変 盛んになりました。


  ③史料に見る西国33ヵ所霊場
   鎌倉時代初期
   ・『寺門高僧記』の行尊伝に 「観音霊場三十三所巡礼記」、覚忠伝には 三十三霊場や
            番数、寺の構造、観音の種類、願主 などがある。
   ・『千載和歌集』には 覚忠が 三十三番 谷汲寺で詠んだ歌が載っている。
   ・寺門派が 修験のため巡拝・・・寺門派とは 天台宗の一派で 園城寺を総本山とする。
   ・巡礼札の最古のものは 応永19年(1412)
  ④西国33ヵ所観音霊場のご本尊とご詠歌
     ご本尊は 秘仏となってものが多く 秘仏でないのは 5ヵ寺のみ。
   ・西国33ヵ所観音霊場のご本尊
    第1番 天台宗    那智山青岸渡寺 如意輪観世音菩薩
    第2番 救世観音宗 紀三井山 金剛宝寺(紀三井寺) 十一面観世音菩薩
    第3番 救世観音宗 風猛山粉河寺 千手千眼観世音菩薩
    第4番 天台宗    槙尾山施福寺(槙尾寺) 千手千眼観世音菩薩
        ・・・・・・以下 割愛 ・・・・・
   ・西国33ヵ所観音霊場のご詠歌
        ・・・・・・以上 割愛 ・・・・・
    第25番 御嶽山 清水寺 あはれみや 普き門の 品々に なにをか波の ここに清水
    第26番 法華山一乗寺 春は花 夏は橘 秋は菊 いつも妙なる 法の華山
    第27番 書写山圓教寺 はるばると のぼれば書写の 山おろし 松のひびきも 御法なるらん
        ・・・・・・以下 割愛 ・・・・・


4.巡礼道
  ①巡礼:メッカ巡礼、パレスチナ巡礼など。 日本では 三塔巡礼、千ヵ寺参り、千社詣。
     播磨西国三十三ヵ所:江戸時代初期に始まった。 圓教寺、一乗寺、清水寺も含まれる。
     14番 朝来市の延応寺は 現在は 但馬ですが 江戸時代までは 播磨だった。
  ②巡礼衣装:管笠、笈摺(おいずる)、脚絆、甲掛け、草履鞋、輪袈裟
  ③巡礼札と千社札:千社詣での人が 持参して 社殿に貼り付ける札。
  ④巡礼歌(ご詠歌)
  ⑤巡礼の廻り方:順道・・1番から番号順に巡礼する道。
            :逆打ち道・・33番から逆に巡礼する道
            :略打ち・・33ヵ所全てを廻るのではなく 一部を廻る。
            :兵庫参り・・今の兵庫県のお寺を中心に 名所、旧跡や他の寺院を含めて廻る。
                   金比羅を含めて廻る。 江戸からの巡礼者に多い。
  ⑥巡礼の心得:お経を覚えることが第一。 鐘撞き堂の鐘は 行ったとき撞く。 帰りには撞かない。
           金剛杖は 洗って立てかけよ。 1本線香はしない。 裏門からは入らない。 etc.
  ⑦法華山一乗寺の巡礼者の墓:亡くなったときは その地で 処分。 一乗寺には 38の墓がある。
  ⑧江戸(関東)からの巡礼者の経路
      江戸時代末まで 下総、武蔵、山城、長門、肥前・・などから多くの巡礼者が来ていた。
      途中 中山道で 善光寺に寄り 東海道で 秋葉神社、熱田神社、伊勢神宮を経由して
      西国巡礼に入る。 行きは 東海道、帰りに 中山道のコースもあった。
   ≪ 追 記 ≫ わざわざ 善光寺にお参りするのには 訳があるようです。 善光寺は 仏教が
    伝来したしたころからある 古いお寺だそうで 蘇我氏と物部氏が争って 物部氏が 仏像を
    堀に投げ込んだ。 信州の人が通りかかったとき 仏像が現われ 信州に祀るように言って
    持ち帰り 家に祀ったのが 善光寺の始まりだそうで 善光寺は 仏教の宗派ができる以前
    からある寺なので どの宗派にも属さず 今は 浄土宗と天台宗が 交替で 住職を務める
    有り難いお寺なのだそうです。 善光寺は 33ヵ所の番外札所?


  ⑨巡礼案内書の発行
    ・元禄三年(1690) 『三十三所西国道しるべ』・・西宮や須磨を案内。
    ・延享五年(1748) 『西国三十三所巡礼縁起』・・中山寺、法華山、石の宝殿、曽根天満宮
    ・宝暦六年(1756) 『西国巡礼手引案内』
      ・・・・・以下省略・・・・
    多くの案内書が 「兵庫廻り」を記していて 順打ちでなく 観光気分? 途中で 金比羅さんに
    参る者もいた。 高砂から船で 丸亀へ 金比羅さんに参詣し 丸亀から岡山(室津)に帰り
    書写山に参詣し 姫路経由 石の宝殿へ 法華山一乗寺にもどる。 
  ⑩東国からの巡礼者の道中記・・21種類が判明している。 兵庫廻りが多い。
   ・西国巡礼道中記 宝暦八年(1680) 美濃の人 兵庫廻り
   ・西国道中記   天明九年(1786) 常陸   兵庫廻り 下村から金比羅
   ・伊勢参宮道中記 文政13年(1830) 会津  兵庫廻り 下村から金比羅
     ・・・・以下省略・・・・
  ⑪その他の巡礼道・・四国88ヵ所、新西国33ヵ所、坂東33ヵ所、秩父34ヵ所
  ⑫法華山一乗寺の巡礼絵馬・・明治31年(1898) 本堂外陣に掲げられている。
    左から 菅笠をかぶり 手に杖の若い男性、腰を下ろし 女性を話をしている老人(巡礼者
    ではない)、道端に腰を下ろし 手に杖を持った女性、 右端上部に 雲に乗った 観音が
    描かれている。

5.姫路市の巡礼道
   法華山一乗寺(26番)→豊国巡礼宿→小川天満宮→市川渡河→白国→巡礼橋→白国神社→
   平野→書写山圓教寺(27番)→置塩坂、鯰尾坂→宮置→前之庄→福崎町高岡→市川町甘地
   →天橋立・成相寺(28番)

6.終わりに


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