私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

THE歴史列伝 貝原益軒

2015-12-05 22:54:50 | 歴史探索
 12月 5日(土)  天気;晴れ   室温:19.3℃

 27日(金) 夜10時から BS-TBSで ”THE 歴史列伝 貝原益軒” が放送されました。
        ~そして 傑作が生まれた~  老いを楽しむ 「養生訓」

 去年のNHK 大河ドラマは 「軍師・官兵衛」 でしたが ドラマのもとになったのが 貝原益軒
が書いた 『黒田家譜』 だそうですが 貝原益軒が どういう人物なのか 知りませんでした。
 益軒は 歴史学者かと思いましたが 儒学者? 医者?  健康オタク?


TBSの番組案内には
 今回の歴史列伝は、江戸時代の大ベストセラー「養生訓」を書いた 儒学者・貝原益軒。
平均寿命40歳の時代に その二倍以上の85歳まで 生きた貝原益軒。 84歳の時 日本で
初めての本格的健康本として知られる 「養生訓 」 を世に出す。 そこには 養生(健康)を極め
るための秘訣から 長寿になるための術、さらに 人生論まで 書かれ 多くの人々に 読まれた。
江戸時代に 健康ブームを巻き起こした 「養生訓」 の誕生秘話と 知られざる貝原益軒の人生に迫る。

 番組は 3つの鍵に沿って進められえます。 1.超虚弱体質 2.夫婦合奏 3.老いを極める
益軒は 江戸時代前期 寛永7年(1630) 筑前・福岡藩で 生まれますが 幼少のころから 虚
弱体質。 頭は よく 算術の問題を解いたりした。 医者の父親は 長く生きるよう 手を尽くす。
自らも 医学を学び 睡眠、歩き方、食べ物などを研究し 自分の体で いろいろ試し 実証。
 何とか元服し 2代福岡藩主・黒田忠之のとき 藩に採用されるが 忠之とソリが合わず 1年
半で お役御免。 1655年 江戸へ行き 儒学などの学問を学ぶ。

 江戸での評判が 黒田屋敷にも伝わり 1656年 再び 福岡藩3代黒田光之に 召し抱えられ
17年かけて 『黒田家譜』 を 編纂。
 39歳のとき 22歳下の江崎初(17歳)と 結婚。 しかし 妻も 病弱。 妻のために いろいろと
薬を処方し 試行錯誤。 実証主義で 病気に立ち向かう。 優秀な漢方の使い手だった。

 子はできなかったが 夫婦で楽しく生きればいいと 琵琶の合奏。 今も その時の琵琶が残っている
そうです。 酒は 天の美禄なりと 健康酒を楽しむ。 30年の歳月が過ぎ 益軒69歳のとき 夫婦で
京都へ旅行。 一日30km、1年半かけて 1300kmを歩いた。

 当時は 40歳で隠居するのが普通でしたが 益軒は 71歳のとき 隠居し 執筆活動に入り
死ぬまでに 30冊以上の書物を書いた。

 中でも 有名な傑作が 『養生訓』 で 80歳から 4年をかけて書いた 健康と長生きのための
養生法が 書かれた哲学書。 老いは 楽しみ、養生することで 善死を迎えられる。
 「食事は 腹八分」、「長い睡眠を取らない」、「むやみに薬を使わない」、「体を動かす」、
「食事は あっさりしたものを好むが良い」 ・・・・
 益軒は 自分が実践して 見つけた健康法を 書き残した。


 完璧を望むな。 老後を楽しく。 人間三つの楽しみ。 色欲を戒めて 精気を養う。
自分に間違いがなく 善を楽しむ。 病気がなく 気持ちよく楽しむ。 長生きして 長く楽しむ。 

 貝原益軒は 正徳4年(1714) 85歳で 永眠しますが 健康法を実践し 死ぬまで 元気で
現役だった。    ・・・・・・ 貝原益軒! グッ ジョブ! ・・・・・・・ 

≪ 追 記 ≫
 12月4日の新聞に 「養生訓」 を カレンダーに 多可 杉原和紙研究所が 16年版 という記事
が 載っていて 多可町加美区鳥羽の多可 杉原和紙研究所が 手すき和紙の杉原紙で 2016
年版カレンダーを作った。 心と体の健康法を解説した 江戸時代の貝原益軒の書 「養生訓」 の
文章を 月ごとに 紹介。 16年度版は 申年にちなみ サルの絵を添えた。 11月分には 親子
で 大根をかじるサルの絵を入れた・・・・・とあります。  これも いいタイミングでした。

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