私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

飾東町 八重畑の六地蔵

2013-12-20 16:03:37 | 歴史探索
 12月20日(金)  天気:曇り 後 晴れ   室温:13.2℃

 きょうは 17日の歴史教室で学んだ ”飾東町 八重畑村 無所の下” の現地調査に 行ってきました。
歴史教室には 出ませんでしたが 春日神社へ行き 六地蔵を見て 北の金池を見て 江戸時代の鉱山
八重畑鉱山跡を調べます。 帰りに 新小川橋の袂にある ”お通”(宮本武蔵に登場する?) の像を
見てきました。 ついでに 西中島にある 川のほとり美術館に寄って 「剪画展」 を見ましたが
これは 別のページにします。 

 9:28 出発。 姫路バイパスを走り 姫路Jctから 播但道に入ります。 きょうは 姫路
Jct手前で 工事中で 渋滞1km。 花田ICで降りて 右折して 次の交差点で 右折して 国道
372号線に入ります。
 国道を 東へ走り 飾東町八重畑が近づいたところで 国道沿いを 六地蔵を探しながら 走りますが
見当たりません。 先生に 国道沿いにあると 聞いていたのですが・・・。


 通り過ぎたので 先に 春日神社へ行くことに。 神社の手前で聞くと 二組の六地蔵は 公民館
の前にある・・・。  10:21 神社の前に 駐車。 ここまで 51.4km。 石鳥居を潜り
石階段を上がります。 春日神社と 歴史教室の話とは 関係ないのですが 余談として 神社に
佐藤たかお議員の石碑があり 玉垣に 鉱山に関係する名が 刻んである・・・。 玉垣は ものすごく
多く 見付けることは 出来ませんでした。





 岡本倶伎羅の歌碑があります。 倶伎羅は 明治10年 八重畑に生まれ 医者となって 正岡子規
の治療をしたこともある。 自分の病気療養のため 家島に転地するも 明治40年 30歳で 没。
生誕150年を記念し 碑を建立。


 公民館の前の 「六地蔵」 へ行きます。 川の畔の墓地にあります。 県道向きの六地蔵と 川の方
を向いた六地蔵は 位置は ずれているが 背中合わせです。 川を向いている方が 古そう。 なぜ
このような位置関係
に なったのでしょう。 なぜ 二組の六地蔵が あるのでしょう・・。 なぜ こんな開けたところに
お墓があるのでしょう・・。 八重畑川は 川岸は 整備され コンクリートで 固められています。


 仏教では 人が死ぬと 六つの道・六道で 生死を繰り返す。 これを 六道輪廻転生というそうです。
六道とは 天道、人道、修羅道、餓飢道、畜生道、地獄道です。 六道には それぞれ 観音様がおられ
救済してくれます。 たとえば 畜生道には 馬頭観音、地獄道には 聖観音。 また 六道には それぞれ
地蔵さんもおられます。 だから 人が死んで 骨になって お墓に入るので 墓地に 六地蔵がある・・・。
 北の金池に行きます。 大きなため池に 満々と 水を湛えています。 ここは 景色を見るだけで ほ
かに見るものはありません。 北にある墓地へ行けばよかった?


 近くの民家で 鉱山跡への道を聞き 鉱山跡へ行きます。 地図にある破線の道を 東へ登るようです。
鉱山跡は 地図の尾根の先端にある岩の印の辺りでしょうか。 途中まで 車で登り 車を捨てて 歩きます。
 竹林を通り 獣除けのネットを跨ぎ・・・。 土砂崩れ跡のような斜面が 鉱山跡でしょうか? 黒い鉱石の
ような岩石もありますが・・・。


 間歩が あるらしいので 探しましょう。 道のない雑木のヤブに 突入・・。 初級シダヤブを 蹴散らし
細い雑木を掴んで 登ります。 イバラのトゲに ご用心! 炭焼き跡のような 窪地はありましたが・・。
 なだらかな尾根に登りました。 東に168mピークが 雑木越しに見えています。 168Pから 西に延びる
尾根の先端、110m等高線の上辺りでしょうか。 間歩は 見つからないので すぐ 下山。 岩の上から
金池や 集落が 見渡せます。



 後になって 気付いたのですが 無所の下という小字名を 見なかった、県道から鉱山跡?が見えたのに
撮り忘れた、間歩が見つけられなかった・・・。  八重畑村を あとにし 国道へ出て 西へ戻ります。


 新小川橋の東詰に 「お通の像」 があります。 これも 歴史教室の 「八重畑村無所の下」 とは 関係ありませんが
  お通  橋本 堅太郎
 三年もの間 白鷺城の天守閣、開かずの間に 幽閉された宮本武蔵は
 暗黒の中で、反省と思索を身につける。
 また 一穂の燈火の下で 万巻の書物を読んだ。
 今、人生修業と兵法鍛錬の遍歴に出る宮本武蔵を追って 彼を恋慕する
 お通も 旅立とうとしている。
      - 吉川英治著 「宮本武蔵」 花田橋の章より -


 ここには 「市川の由来」 もあり 生野の青倉山に 流れを発する市川は 長さ75kmあり 県内では 加古川に
つぐ長さを誇る。 昔 この辺りに 市があり 飾磨の市と呼ばれ 市の名をとって 市川と呼ばれるようになった。
 ここまで 来たら ついでに 「川の畔美術館」 へ寄りましょう。
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