私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

鍛冶田遺跡 現地説明会

2016-09-11 15:40:55 | 歴史探索
 9月11日(日)   天気:快晴   室温:33.0℃

 きょう 午後1:30から 鍛冶田遺跡の現地説明会が 行われ 参加しました。   ところが
天気予報に反して カンカン照りで 暑いこと・・。 説明員の作業服にも 汗が にじんでいます。
 暑いのは 何とか我慢するも 強い日差しで 発掘された地面の眩しいこと・・・。 今回も 参加
者が多かったので 2班に分けて 説明が行われました。
 昨年の調査は 北側に 弥生・中世の遺跡と その上に 平安~鎌倉時代の遺跡が見つかっ
たようですが 今回 南側の発掘では 少し掘り下げた 縄文時代の地層から 水田の跡が 見つ
かったそうです。  ここでは 現地説明会で いただいた資料の一部を 紹介します。
 9月7日のNHKローカルニュースでの 遺跡の紹介は < こちら > を。 このページの中から
昨年10月16日の 現地説明会のページに 飛ぶことができます。

【 鍛冶田遺跡のあらまし 】
 鍛冶田遺跡は (主)太子御津線 社会資本整備総合交付金事業による 県道バイパス整備工事
に伴い 昨年度から 発掘調査を行っています。 今年度は 昨年度調査区に 隣接する 約2000
㎡について 発掘調査を行っています。
 遺跡は 揖保川水系の東に 広がる平野にあり その中でも 大規模な洪水によって 形成された
微高地(自然堤防) 上に 立地しています。 微高地の間には 現在では 埋没してしまった川の跡
(旧河道) が 何本も見つかっています。  調査の結果 鍛冶田遺跡に 住んだ人たちは 微高地
部分に 住居や墓を設け 川は ゴミ捨て場に 低地は 水田に利用していたことが 判明しました。

【 調査の結果 】
 2カ年にわたる調査の結果 鍛冶田遺跡からは 縄文時代・弥生時代・古墳時代と 平安~鎌倉
時代の遺構・遺物が 見つかりました。
・縄文時代の遺構と遺物
  今年度の調査では 新たに 縄文時代後期の溝一条が見つかりました。 縄文晩期から水田開発?
・弥生時代の遺構と遺物 ( 弥生時代は 前・中・後期に分けられる )
  弥生時代中期の竪穴住居跡1棟、方形(一辺7m)周溝墓1期、河道跡2条などが見つかりました。
・水田遺構
  調査区南側に広がる低湿地部では 畔によって 小区画の棚田状の12枚以上の水田が見つかった。
・古墳時代の遺構と遺物
  古墳時代前期~中期に属する竪穴住居跡が 2棟 見つかり いずれも方形で 一辺3~4mで 小型。
・平安時代~鎌倉時代の遺構と遺物
  平安時代以降 鍛冶田遺跡周辺は 福井荘と呼ばれる荘園になります。 領主は 京都の有力な貴族や寺社。


【 まとめ 】
 2カ年にわたる発掘調査によって 鍛冶田遺跡が 西播磨でも 屈指の規模を持つ 遺跡であることが
明らかになりました。 遺跡の詳細については 今後 出土遺物の整理作業を 待たねばなりませんが
弥生・古墳・平安~鎌倉 3時期のいずれをとっても 遺構密度が高く 遺物量が 極めて多いことから
各時期において 地域の中核的な存在の集落であったと 思われます。 また 縄文時代晩期から 集
落が 形成されていた可能性が 高く 調査区周辺には 縄文時代の集落が 広がっているものと 思わ
れます。   8日の新聞には
 ・方形周溝墓とみられる遺構(7~8㎡)が 南側で 確認された。
 ・南側から 魚のうろこの形で 3~5m幅の水田が 見つかった。 水田は 少し高い畔でわかる。
   西播磨で 弥生時代中期(縄文時代?)の水田跡が 見つかったのは 初めて。
 ・1カ所だけ 人間の足跡が見つかった。 長さ約24cmから 大人のものと思われる。
 ・これまで 弥生~鎌倉時代の 「複合遺跡」 とされてきた同遺跡が 縄文まで さかのぼることが
   分かった。


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コメント
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