私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

大津公民館で 特別講座 軍師官兵衛

2013-09-18 15:56:07 | 歴史探索
 9月18日(水)  天気:晴れ   室温:30.3 ℃

 きょうは 大津茂公民館で 特別講座(地域住民交流事業) ”軍師 官兵衛” の講演を聞きに行きました。
きのう 歴史教室で 情報を聞きました。 講師は 城郭・歴史研究家 菅原 美文 先生です。 3回シリーズ
の1回目は ”秀吉と官兵衛” です。 2回目は ”家康と官兵衛”、 3回目は ”如水という生き方”です。
講演の内容を書いた原稿は あるのですが 話は 原稿どうりには進まず まとめにくい講演でした。

※今回は 本能寺の変の後 中国大返しで 明智光秀を倒して 秀吉が天下を取るまででしたが 身の危険
を感じて 官兵衛は 引退することを 申し出るのですが 聞き入れてもらえません。 そこで 秀吉の妻おねさ
んに頼み 秀吉の了解を得るのです・・。 如水になった官兵衛が おねさんにした お礼とは?


 NHK大河ドラマは {軍師・官兵衛」 に決まりましたが ”軍師” で よかった。 ほかには 参謀という言葉も
ありますが 謀略もあるので 官兵衛には ”軍師” の方がいい。
 官兵衛・孝高(よしたか)は 父は職隆(もとたか)、祖父は重隆で 妻・光姫(てるひめ)は 志方城主・櫛橋伊定
の娘で 22歳のとき 結婚。 光姫は 体が大きく 蚤の夫婦と言われた。
 信長との謁見については 『黒田家譜』 と 『信長公記』 では 内容が 少し違う。 『黒田家譜』には 天正三年
信長に謁見したとあるが 『信長公記』 には 十月廿日 播州の赤松・小寺・別所、其の他国衆参洛候て御礼こ
れあり とある。
 『武功夜話』には 別の記述があり そもそも此度、御着城主小寺藤兵衛尉 信長公に 一身同心の濫觴は
蜂須賀彦右衛門、荒木摂津守(荒木国重)をして 御着城主小寺藤兵衛尉政職を説得 この両名の者、一和
別所孫右衛門を引き入れ 別所在城の三野庄別所小三郎(長治)を諭し候なり・・・。 このことから 荒木村重が
信長に反旗を翻したとき 官兵衛が 有岡城へ荒木氏の説得に行ったのも うなずける。 荒木さん 話が違うじゃ
ないですか・・・。  村重は 官兵衛に会わず 牢に閉じ込めた。
 また 謁見したとき 太刀を賜わる とされる名刀 「へし切長谷部」 は 『信長公記』 には 記述がないことから
備中福岡に 住んでいたころ 入手した長船の名刀ではないのか? 現在 福岡市博物館蔵(長谷部国重作・国宝)
 ・・・・・ 以下省略 ・・・・・

≪黒田官兵衛 年譜≫  齢   ------------------------
 天文十五 1546   1  11.29 姫路城主 小寺職隆の嫡男として 姫路城に生まれる。
 永禄  二 1559  14  11.28 母明石氏没す。
      四 1561 16  小寺政職の近習となり 御着城に出仕。(禄80石)
      五 1562  17  父職隆に従い 近在の土豪を討伐。 官兵衛の初陣  
      七 1564  19  2月6日 祖父重職没す。
      十 1567  22  家督を継ぎ 姫路城主となり 家老に命じられる。 光姫を娶る。
    十一 1568  23  嫡男の長政(幼名:松寿丸)が誕生。
     十二 1569 24  5月 赤松政秀と青山で戦い これを破る。
 天正  三 1575  30  7月 主君小寺政職を説き 織田氏に従属することを決め
                      使いとして 岐阜に赴く。 圧切を与えられる。
      四 1576 31  4月14日 毛利氏の先鋒浦宗勝の軍を 英賀で破る。
                     9月29日 嫡子松寿丸(後の長政)を 安土城に伴い 人質として差し出す。
      五 1577 32  10月23日 中国攻めのために下ってきた秀吉を姫路城に迎え
                 姫路城を提供する。
                 11月26日 佐用城(福原城)を攻める。 
                 11月29日 上月城を攻める。
      六 1578 33  2月 三木城の別所長治が 反旗を翻したため 三木城攻めにむかう。
                 5月 宇喜多直家を説き 織田方とする。 毛利氏の陸路を阻止。
                10月 摂津の有岡城に赴き 荒木村重の説得にあたるが 捕縛され
                       土牢に入れられる。
      七 1579 34  10月16日 有岡城落城。 官兵衛は栗山善助に救出される。
      八 1580 35  1月 三木城落城。 別所長治(23)、友之(21)、賀相は 自刃。
                 2月 小寺政職 出奔し 官兵衛は 小寺から黒田にもどる。
                 閏3月 信長の人質となっていた松寿丸がもどされる。
                 4月 国府山城を築き これに移る。
                 6月22日 秀吉に従い 因幡・伯耆の国界に出陣する。
                 9月1日 播磨国揖東郡において 1万石を与えられ 山崎・篠の丸城を居城とする。
 天正十五 1587   47   九州征討の論功行賞で 豊前12万石の国守となる。
      1588   48   中津城築城
      1589   49   家督を長政に譲り 「如水」と号す。
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 9月25日 6時からのニュースで 大河ドラマ ”軍師・官兵衛” の撮影が  姫路で始まった と言っています。
者写山・円教寺の常行堂?の前で 撮影しているようです。
 26日の新聞には 円教寺は 毛利攻めで 秀吉の軍が 本陣を構えた官兵衛ゆかりの地。 石田 三成役の田中 圭、
竹中半兵衛役の谷原 章介さんらが 撮影に臨んだ。 砥峰高原や竹田城跡でも 撮影があったようです。


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コメント
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