9月17日(火) 天気:晴れ 室温:27.2 ℃
きょうは 旭陽公民館で 歴史教室。 講師は 姫路古文書研究会の大西 文雄先生です。 きょうの題目は
「姫路城の城門と 城門通行」。 なぜか きょうは 記念品のポールペン・県民交流広場(旭陽)事業をいただき
ました。 また 受講生の仲間から あす 大津茂公民館で 「秀吉と官兵衛」 の講演がある との情報もいただ
きました。 行ってみます。 未完成のブログが 折り重なっていますので 超簡略にまとめたいと思います。
配布された資料は A4サイズで 8ページもあるので とても書ききれません・・・・。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
きょうの新聞の播磨版に ”三重櫓・桜門 威容くっきり” という見出しで 県立博物館で開かれている企画展
「ひょうごの昔と今」 で 明治時代初めまでに 撮られたとみられる 姫路城大手門付近の写真が 初公開されて
いる とあり 三重櫓の太鼓櫓、桜門の写真が載っていました。 桜門は 今の大手門が 建つ以前にあったとさ
れる門で 太鼓櫓は 時を知らせるための太鼓があった櫓で 石垣が 少し 前に出ています。 桜門は 陸軍の
駐屯が 始まった 明治7年(1874)以降に 壊された。 今の大手門は 後になって 建てられたものです。
夜10時からのテレビ ”京都1200年の旅” は 京都の門で これも面白かった。 蛤御門の変(禁門の変)で
幕末のころ 会津藩と長州藩が 戦いますが なぜ 蛤門というか? 普段は 禁門で 開かずの門であるが
戦いによって 焼けたとき 門が開いた・・。 蛤が焼けて口を開けるとかけてある・・・。 今でも 鉄砲の跡が残
っている。 確か 尊皇攘夷派の長州藩の鉄砲の弾が当たったため 長州藩は 天皇家からも敵とみなされ・・。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
。。。。。。。。姫路城の城門と城門通行。。。。。。。。。。
1.はじめに
2.築城
1)縄張り
2)作事
3)普請
3.城門
1)城門の役割・・・攻められた時の防御
2)城門の種類
①構造上の種類:高麗門、薬医門、櫓門、長屋門、冠木門、棟門、埋門、唐門、四足門
②用途による種類:不浄門、赤門、不明門(開かずの門)、太鼓門
③場所による種類:大手門(追手門)、搦手門、水の手門(船で出入り)
4.姫路城の城門
姫路城の縄張りには 内曲輪、中曲輪、外曲輪があり 内曲輪は 役所で 中曲輪には 武士が住み
外曲輪には 町民が住んでいた。
1)外曲輪の城門:5門(今は何も残っていない)・・・備前門、飾磨門、外京口門、北条門、竹之門
・姫路城の大手門は 秀吉の時代には 北東側にあったそうですが(西国街道が 北にあったので お城
も 北向きだった?) 関ヶ原の合戦の後 西国に 豊臣側の武将が多かったため その対策として 池田
輝政が 姫路城にきます。 輝政は 北の西国街道を 城の南の城内に移し 東に 外京口門、西に 備前
門、南に 飾磨門、北東に 竹ノ門を設け 通行を規制しました。
・外京口門は 京都へ通じ 備前門は 備前へ通じ 飾磨門は 飾磨港へ通じ 竹ノ門は 丹波から京へ
通じる重要な拠点でした。
2)中曲輪の城門:13門・・・石垣などが残っている
中之門、(くまたか)門、埋(うずみ)門、車門、中之橋門、清水門、野里門、久長門、内京口門、不明門、
惣社門、北勢隠門、南勢隠門
枡形門は 内門と外門いう二重の門によって守られています。 枡形とは 門と門の間に設けられt小さな四角い
広場のことで ここに侵入した敵は 逃げ場を失い 内門の櫓をはじめ 四方八方から攻撃を受ける究極の門です。
3)内曲輪の城門
桜門、桐外門、桐内門、菊之門、喜斎門、絵図門、黒門、菱之門、イの門、・・・ルの門、ヲの門
表門、裏門、棟門、勅使門、長屋門、北勢隠門、南勢隠門・・・・
5.城門の通行規定
1)榊原時代の諸門取締り定め
宝永3年(1706) 正月日付で 門ごとに「定め」として 4種類出されている。
①門の開閉時間
・殿様在城時
大扉 卯の刻(午前6時)に開き 酉の刻(午後6時)に閉じる。
潜り戸 酉の刻開き 戌の刻(午後8時)閉じる。
・・・・・・・・・・ 以下省略 ・・・・・・・・・・
2)酒井時代の諸門出入り取締り定め(姫路藩諸事集書)
一)惣社御門張紙扣 中之門、門、京口門、車門、惣社門、野里門、市之橋門、久長門、清水門
①門の開閉時間
御門明六ツ打候ハ 直ちに番所のの戸を開く。
御在城中は 明六時打候ハ 御門開、暮六時打候ハ 〆、くゝり戸明置五ツ時ニ至りくゝり共ニ〆
往来之者有之ハ 得と名前承可相通候。
・・・・・・・ 以下省略 ・・・・・・・・・
②門の出入り規定
女人・・訳なく決して御門内へ入れ申し間敷候
無拠なき用事の場合は 主人の印形のある切手にて通すべき事。
③門内での有事の対応
喧嘩・口論
刃傷沙汰
・・・・・・・ 以下省略 ・・・・・・・・・
10月17日 清水門を歩いていて あるグループにお会いし 下の地図 ”姫路城 全景” をいただきました。
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きょうは 旭陽公民館で 歴史教室。 講師は 姫路古文書研究会の大西 文雄先生です。 きょうの題目は
「姫路城の城門と 城門通行」。 なぜか きょうは 記念品のポールペン・県民交流広場(旭陽)事業をいただき
ました。 また 受講生の仲間から あす 大津茂公民館で 「秀吉と官兵衛」 の講演がある との情報もいただ
きました。 行ってみます。 未完成のブログが 折り重なっていますので 超簡略にまとめたいと思います。
配布された資料は A4サイズで 8ページもあるので とても書ききれません・・・・。
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きょうの新聞の播磨版に ”三重櫓・桜門 威容くっきり” という見出しで 県立博物館で開かれている企画展
「ひょうごの昔と今」 で 明治時代初めまでに 撮られたとみられる 姫路城大手門付近の写真が 初公開されて
いる とあり 三重櫓の太鼓櫓、桜門の写真が載っていました。 桜門は 今の大手門が 建つ以前にあったとさ
れる門で 太鼓櫓は 時を知らせるための太鼓があった櫓で 石垣が 少し 前に出ています。 桜門は 陸軍の
駐屯が 始まった 明治7年(1874)以降に 壊された。 今の大手門は 後になって 建てられたものです。
夜10時からのテレビ ”京都1200年の旅” は 京都の門で これも面白かった。 蛤御門の変(禁門の変)で
幕末のころ 会津藩と長州藩が 戦いますが なぜ 蛤門というか? 普段は 禁門で 開かずの門であるが
戦いによって 焼けたとき 門が開いた・・。 蛤が焼けて口を開けるとかけてある・・・。 今でも 鉄砲の跡が残
っている。 確か 尊皇攘夷派の長州藩の鉄砲の弾が当たったため 長州藩は 天皇家からも敵とみなされ・・。
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1.はじめに
2.築城
1)縄張り
2)作事
3)普請
3.城門
1)城門の役割・・・攻められた時の防御
2)城門の種類
①構造上の種類:高麗門、薬医門、櫓門、長屋門、冠木門、棟門、埋門、唐門、四足門
②用途による種類:不浄門、赤門、不明門(開かずの門)、太鼓門
③場所による種類:大手門(追手門)、搦手門、水の手門(船で出入り)
4.姫路城の城門
姫路城の縄張りには 内曲輪、中曲輪、外曲輪があり 内曲輪は 役所で 中曲輪には 武士が住み
外曲輪には 町民が住んでいた。
1)外曲輪の城門:5門(今は何も残っていない)・・・備前門、飾磨門、外京口門、北条門、竹之門
・姫路城の大手門は 秀吉の時代には 北東側にあったそうですが(西国街道が 北にあったので お城
も 北向きだった?) 関ヶ原の合戦の後 西国に 豊臣側の武将が多かったため その対策として 池田
輝政が 姫路城にきます。 輝政は 北の西国街道を 城の南の城内に移し 東に 外京口門、西に 備前
門、南に 飾磨門、北東に 竹ノ門を設け 通行を規制しました。
・外京口門は 京都へ通じ 備前門は 備前へ通じ 飾磨門は 飾磨港へ通じ 竹ノ門は 丹波から京へ
通じる重要な拠点でした。
2)中曲輪の城門:13門・・・石垣などが残っている
中之門、(くまたか)門、埋(うずみ)門、車門、中之橋門、清水門、野里門、久長門、内京口門、不明門、
惣社門、北勢隠門、南勢隠門
枡形門は 内門と外門いう二重の門によって守られています。 枡形とは 門と門の間に設けられt小さな四角い
広場のことで ここに侵入した敵は 逃げ場を失い 内門の櫓をはじめ 四方八方から攻撃を受ける究極の門です。
3)内曲輪の城門
桜門、桐外門、桐内門、菊之門、喜斎門、絵図門、黒門、菱之門、イの門、・・・ルの門、ヲの門
表門、裏門、棟門、勅使門、長屋門、北勢隠門、南勢隠門・・・・
5.城門の通行規定
1)榊原時代の諸門取締り定め
宝永3年(1706) 正月日付で 門ごとに「定め」として 4種類出されている。
①門の開閉時間
・殿様在城時
大扉 卯の刻(午前6時)に開き 酉の刻(午後6時)に閉じる。
潜り戸 酉の刻開き 戌の刻(午後8時)閉じる。
・・・・・・・・・・ 以下省略 ・・・・・・・・・・
2)酒井時代の諸門出入り取締り定め(姫路藩諸事集書)
一)惣社御門張紙扣 中之門、門、京口門、車門、惣社門、野里門、市之橋門、久長門、清水門
①門の開閉時間
御門明六ツ打候ハ 直ちに番所のの戸を開く。
御在城中は 明六時打候ハ 御門開、暮六時打候ハ 〆、くゝり戸明置五ツ時ニ至りくゝり共ニ〆
往来之者有之ハ 得と名前承可相通候。
・・・・・・・ 以下省略 ・・・・・・・・・
②門の出入り規定
女人・・訳なく決して御門内へ入れ申し間敷候
無拠なき用事の場合は 主人の印形のある切手にて通すべき事。
③門内での有事の対応
喧嘩・口論
刃傷沙汰
・・・・・・・ 以下省略 ・・・・・・・・・
10月17日 清水門を歩いていて あるグループにお会いし 下の地図 ”姫路城 全景” をいただきました。
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