私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

感状山城跡 かんじょうさん 305m

2012-11-20 14:53:25 | 山歩き

 11月20日(火)  天気:晴れ・雲あり  室温:17.9℃  地図:二木(ふたつぎ)

 きょうは 相生の感状山城跡に 登ってきました。 10月30日の歴史博物館の「特別展 赤松円心・
則祐」 つながりです。 感状山は、赤松則祐が 足利尊氏から 感状をもらったことから その名が付いた
のです。 感状山の山は さん、ざん、せん とも 呼ばれるようです。
 何ヵ月か前 新聞に 県立歴史博物館の学芸員が 県内の近世城郭を紹介するサイトを作ったという記
事がありました。 30年かけて 撮った写真を配して 姫路城、竹田城など、15ヵ所を紹介し 一番の
おすすめは 相生の感状山城 とあり 気になっていました。
 感状山は 三度目。 一回目は 2002.8. 「はりまハイキング」 を参考に 南の八柱神社から 尾
根を歩きました。
 久し振りに 山に登りましたが きょうは 暑かったのか 汗が タラタラ・・・。
登り初めは 息が上がりましたが なんとか 膝を痛めることなく 階段を 上がることができました。

 9:21 出発。 太子町を抜け たつの市に入り 龍野新大橋を渡り 県道5号線で 相生に向かいま
す。 二木峠を越え 相生市に入り 真広の信号で 右折して その先で 左へ進むと 羅漢の里に出ます。


 矢野町瓜生では 刈り入れの終わった田圃 あちこちに かかしを展示しています。
この前の鹿ヶ壺山荘の周辺にも ありましたが こちらの方が 数では 勝るようです。


 羅漢の里に着き 車を停めましたが もう少し先に 停められそうです。 400m先の橋を
渡った右の駐車場に 停め直しました。 10:05 駐車。 ここまで 20.4km。
県道5号線を走って 峠の坂を登り 20km走る間に 燃費が 0.5km落ちました・・。
 羅漢の里では ”もみじまつり” をしているので もっと 紅葉が きれいかと 思いましたが
紅葉は いまいちです。 特に 見るものもなさそう・・。


 感状山城跡650mの標識を見て 薄暗い杉林を 羅漢の石仏へ進みます。 100mほど 進むと
右に 擬木階段があり ここが 登山口。 ここに 感状山城跡の説明板があります。
 感状山城跡は 瓜生(うりゅう)城とも呼ばれ 鎌倉時代に 瓜生左衛門尉によって 創築された。
その後 南北朝、室町期に 赤松一門の居城となった。
 建武三年(1336) 天皇に逆らって 都を追われ 九州に落ちていった足利尊氏。 後醍醐天皇
の追撃の命を受けた 新田義貞が 播磨に進攻し 則祐が 感状山城に 立てこもり 防戦。


 このとき 市川沿いに 書写山を中心に 第一防衛陣、揖保川沿いに 城山城を中心に 第二防
衛陣、千種川沿いに 白旗城を中心に 第三防衛陣を築き 新田軍6万に対し 徹底抗戦した・・。
 この間に 尊氏は 九州を制圧し 体勢を立て直し 海と陸の二手に分かれ迫り 最後には
湊川の戦で 勝利する・・。
 長い擬木の階段が ジグザグに続きます。 ゆっくり 一段一段 上がるしかない・・。


 先に登った女性に追いつきました。 先に行ってくれと言われましたが 後ろから写真を撮る
のでと 先に行ってもらいました。 擬木階段が終わると 岩が出てきて 崩れかけた石段。
石垣もあるので この辺りから城跡でしょうか?
 感状山城跡の城郭構成は 連郭式、階郭式の縄張りで 典型的な戦国山城の地取となって
おり 山頂部を中心に 総石垣造りで 建物跡と思われる礎石群が 盛時のまま残っているそう
です。 崩れかけた石垣も たくさんありますが 石は どこから運んだのでしょう?


 感状山城は 南北に延びる尾根に 細長く点在するようです。 「←大手門」 の道標の
あるところが 尾根出合で 右から 八柱神社からの尾根道が 合流します。
 左に曲がり 尾根道を進みます。 階段道も終わり なだらかな道になります。 


 少し登ると 「物見岩」。 ここは尾根の先端のような所で 岩が露出しています。 木が茂り
見晴らしが 遮られていますが 南に 矢野川の流れがが見え 播磨灘は かすんでいますが
最奥には 西島が形良く見えます。 ここに 見張り小屋でもあったのでしょうか?


 さらに進むと 左に平坦地があり 「出曲輪」 の表示があります。 ここは 倉庫跡?
南西方向が開け 周りの景色が見渡せます。 尾根を右に上がります。  道標に
「大手門→」 とありますが 大手門が どこにあったのか 分かりませんでした。
大手門があったということは 門の周囲には 塀もあったのでしょうか?


 ここから 右への登りは やや 急で 岩の露出する滑りそうな道です。
上に上がると ここは 絶好の展望台。 東から南が見渡せます。
南西方向の鉄塔のある山が 宝台山でしょうか?


 この辺りの平坦地が Ⅲ曲輪? 石垣があり 崩れた石や 岩が散乱しています。
残っている石垣は 2m程度の高さで まだ 石積み技術の発達していない 戦国時代に
積まれた石垣は やや粗い積み方です。 石垣だけ見るのなら 平福の利神城や 和田山
の竹田城の方が いいでしょう。


 標識は Ⅲ曲輪とか Ⅱ曲輪とか 南曲輪とか ありますが 境界ははっきりしません。
尾根の長い平坦路には 「南Ⅱ曲輪」 とあります。
 平坦路の一段上が 山頂の感状山城跡でした。 11:15 305mの頂上へ登りました。
ここは 広い平坦地で 本丸跡?  ここは 国の史跡です。
 城跡の標柱には 301mとありますが 地理院の地図にある標高点305mの方が
正しいでしょう。 三角点はありませんが 傍に 相生市の感状山 基準点があります。


 ここも 城山城と同じように 東が開け 展望良好。 本にある 東に 大倉山、アンテナの
的場山、直ぐ下の権現山の岩壁は 確認していません・・・。 地面に転がる石は 建物の
礎石でしょうか? なにも無いので 写真を撮って 北へ降ります。


 北に 三濃山が見えるかと思いましたが 左に紅白の鉄塔があるので 手前の山のようです。
テープを見ながら 左へ降りると 「北曲輪群」 の標識がありますが 雑木が茂り 平坦地や
石垣は 確認できません。 尾根に沿って 南へ戻ると 尾根の西斜面に 「腰曲輪群」 の標識
がありますが 雑木のヤブ。 地図には 等高線の広がりがありますが・・・。


 斜面の細い道を戻ると 出曲輪に戻ります。 えっ 井戸跡は? 気付かず・・。 出曲輪
から 登った道を降りました。 後方、北に見える紅葉の山の 後方の緑の山が 三濃山?


 擬木の階段を慎重に降ります。 階段は 降りるときの方が 膝にくる・・。 なんとか
登山口に降りて 右へ行きます。 折角なので 瓜生羅漢の石仏へ行きましょう。 


 羅漢渓が もう少し 紅葉していると いいのですが・・・。 イチョウは 黄色くなって 葉が
落ち 黄色の絨毯。 羅漢渓には 句碑もあるようで 芦田秘窓と 岡田指月 があった?
 橋を渡って 流れの左の石段を上がり 大岩の間を抜けると 羅漢石仏があります。


 大きな岩に窟が彫られ 岩窟は 幅7.7m、高さ約5m、奥行約4mで 釈迦如来を中心に
普賢菩薩、文殊菩薩と 16羅漢が並んでいます。 暗いので 細部は よく見えません・・。
 伝説では 石仏は 朝鮮の僧・恵便・恵聡一行が 隠れ住み 後世の人々に 仏縁を結ぼう
として 造ったと言われています。 真言宗の山伏の作で 戦国武将を弔うための 供養仏
とも 言われ 室町時代のものと 推定される・・。


 羅漢の里に戻ると 茅葺屋根の隼光鍛刀場があり 裏では 水車が回っています。
鍛刀場には 鉄を溶かす炉があるようですが 今でも 小刀を造っているのでしょうか?
12:15 車に戻りました。
羅漢の里の紅葉やサザンカを見て 12:27 帰路につきます。


 県道44号線に出て 北へ行くと 矢野町上や 中野辺りから 感状山の姿を見ることが
できます。 真広の交差点に戻り 左折して 県道5号線を戻ります。 途中で お昼を済
ませ 13:55 家に帰ってきました。
本日の走行距離は 往路:20.4km 復路(含寄道):23.0kmで 計:43.4kmでした。


 県立歴史博物館の 「城郭研究情報」 のページにある 15城は 姫路城、竹田城、感状山城、利神城、利神城、
明石城、洲本城、三日月陣屋、龍野城、置塩城、赤穂城、出石城、黒井城、篠山城、有岡城、尼崎城 です。
 行ってないのは 有岡城と尼崎城です。
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コメント
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