私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

五峰山 ごぶさん 258m

2011-06-21 15:47:42 | 山歩き
 6月21日(火)  天気:曇り 後 晴れ   室温:30.2℃ 暑い  地図:西脇

 きょうは 久しぶりに 天気が良かったので 近場の低山・五峰山 を歩いてきました。 二等三角点:光明寺
です。 先日のNHK『新兵庫史を歩く』 「北播磨の御仏たち」の光明寺も訪れたいし やまあそさんの1月15
日の五峰山レポの役行者像も見たいし・・。 「はりまハイキング」では ”播磨の高野山” と紹介されていま
す。 もちろん 帰りに 闘龍灘へ寄りました。 歴史の一端に触れながら歩き 汗をかきました。
 五峰山は 宿尾、明星が辻、経の尾、大岩、弥木揚 の五つの峰から成るそうですが 五つの峰はどれ?
光明寺を 開いた法道仙人は 雲の上から見て ハスの花に 見えたそですが・・・。


 9:02 出発。 平日なので ゆっくりです。 姫路バパスを走り 9:27 花田ICから 播但道に入り 9:37
福崎ICで 中国道に廻ります。 中国道を 20.8km走り 9:50 滝野社ICを降ります。 播但道は 400
円、中国道は 450円でした。 料金所を抜けると 正面に五峰山が 見えます。 五峰山を見ながら 真っ直ぐ
山へ向かい 山道を登ると 終点が 光明寺の駐車場です。 10:01 駐車。 家から61km。 南の播磨
中央公園から光明寺の東麓にかけて 新しい道路がありますが 地理院の地図には 描かれていません。



 駐車場から かすかに見える雄岡山を眺め トイレの横の案内図を見て 参道を上がります。 案内
図によると 参道を真っ直ぐ進むと 一番奥が 本堂です。 途中 大慈院から 「カワラケ投げ」に廻り
参道へ戻り 本堂へ行くことにしました。 セメント舗装の急坂で 滑らないよう 箒目が付けてあります。
手水舎で 手をすすぎ 地蔵堂で 手を合わせ 先へ進みます。 ここからは 原生林に覆われた急坂で
一息一足が 六根清浄、背負うた業が 消えていきます。



 参道には 霊場巡りの石仏が 並んでいたので 上で 29番松尾寺の馬頭観音を探したのですが
やっと 探し当てた 29番は 松尾寺ではなく 四国88カ所霊場巡りだったようです・・。



 地蔵堂の上が 塔頭多聞院で 庫裡本尊は 薬師如来。 ここに 毘沙門堂があり 毘沙門天と
脇士に 善賦師童子と吉祥天を安置。 多聞天=毘沙門天 の関係でしょうか?
その上が 塔頭遍照院で 本尊不動明王と如来坐像が安置されているそうです。
向かい側に 塔頭大慈院があり 本尊は 阿弥陀如来。 内部には御影堂、二重塔があります。




 左に ぼけ封じ観音像があり ボケが進まないよう 丁寧に お参りしますが この観音さまが 妙に
なまめかしく お祈りに集中できません。 大慈院を出て 「カワラケ投げ」に向かいます。 参道を離
れ 山道です。 「カワラケ投げ」は なくなったのか 道標は 「みはらし台」となっています。 「カワラケ
投げ」 とは 厄除けなどの願をかけ 高い場所から 素焼きや日干し土器の酒杯や皿を投げる遊び
で 京都の神護寺が発祥の地?
 みはらし台は 2ヵ所あります。 木製のベランダ風のみはらし台から 南側が大展望で 雄岡山や
淡路島を望むことができます。 右には 五峰山、鉄塔2も見えます。



 みはらし台から 山道を歩いて 参道へ戻ると 塔頭花蔵院。 本尊・不動明王が安置されている。
きれいなお庭で 左隅には きれいな苔があります。 きれいな白壁に沿って進むと 仁王門。
額には 五峰山と書かれています。 残念ながら 京の大仏師・松久宗琳により修復された像高八尺
の仁王さんには 赤い格子があり はっきり 見ることが できません。
 仁王門を潜ると 右にあるのが 文殊堂。 このお堂は 天和二年に再建。 等身大の文殊菩薩出
家坐像が 安置されている。 この寺の諸堂の中で 最古のもの。 正面の唐破風の向拝は 新たに
増設されたもの。
この前のテレビにあった 「蟇かえる股」 や 「木鼻」 を いろいろ撮りましたが 残念ながら・・・。



 鎮守社の奥が 常行堂(阿弥陀堂)で 元禄十四年から宝栄年間にかけて 再建されたもの。 きょう
は 五円玉を多く持って来たので 各所で お賽銭を入れ お祈りします。 常行堂の 左の石段を上が
ると 本堂前の広場に出ますが まず 右の梵鐘堂へ上がり 鐘を 一回撞きました。 お堂は 寛保二
年(1742)に建立。 鐘の外面の菩薩像は 東大寺の正面の六角燈籠の妙音菩薩を写した美術梵鐘
で 昭和33年に再鋳されました。 法音は 大きく山に響き 余韻は 長くして 空に消えます。


 本堂の右には 大きな宝篋印塔があります。 高さ6m、台石は 2m四方で 元禄二年の再築。
先端の宝珠から四隅の笠に鎖があります。 こんな立派な宝篋印塔を見るのは 初めてです。
やっと 本堂に着きました。 この本堂(金堂)は 大正十四年 故武田五一博士の設計により 鎌倉
時代の建築様式をもって 再建されたものだそうで 屋根は 入母屋・銅板葺きの造りで 九間四面(
270㎡)の広さをもつ。 正面には 四本の向拝柱があります。 内陣の宮殿には 法道仙人の作と
伝えられる 本尊・千手十一面観世音菩薩が 奉安されているとか・・。
 本堂のある辺りが この辺りの最高峰・宿尾の峰だそうです。


 本堂の裏に 「光明寺合戦本陣跡」 の石碑があり 一段高いところが 本陣跡。
光明寺合戦は 貞和四年(1348) 吉野焼討ちで 南朝を制圧した北朝方では 足利尊氏、直義
兄弟の争いが表面化した いわゆる ”観応の擾乱” である。 中国筋平定のため 書写山に寄った
尊氏を討つべく 石塔頼房は 五千騎余りで 光明寺に陣を構え 八幡(京都)の直義に援軍を求めた。
それを知った尊氏は 援軍の来る前に打ち破ろうと 一万騎を率い 光明寺を囲んだ。
 観応二年(1351)二月四日のことである。 尊氏は 引尾山、高(こうの)師道は 鳴尾山、赤松則
佑は 八幡山に 陣を敷いた。 仁王堂や東坂で 激戦が展開されたが いずれも 寄手(攻めて側)が
敗れた。 両軍の対峙は 10日におよんだが 城方の後詰(後方に待機している軍勢)が 迫ったの
で 寄手は 摂津まで軍勢を引いた。 後 尊氏と直義は 和睦し 帰京したが・・・・。
  
   古戦場 五峰の山寺 緑映え 諸行無常と 鐘の音ひびく   三郎



 本陣跡から 尾根を西へ進む道が ありそうでしたが 地図を持っていないので 案内図にあった道
を辿ることにして 常行堂の横へ戻り 道標のある所から 山道を進みます。 案内図にある通り 全
山 見事な照葉樹林におおわれ 県森林浴場に指定されたハイキングコースです。 赤い火の用心の
札が ありましたが 巡視路? 谷へ降りると 鉄塔2へ行けるのでしょうか?
 見覚えのある分岐に出ました。 古い国有林の朽ちた標柱があり 新しい「←扇山登山口」の道標も
あります。 左へ進みます。


 擬木階段を登り 尾根に出ると 道標のある分岐。 左:扇山登山口 右:みはらし台 とあります。
直ぐ上が みはらし台のようなので とりあえず 右へ登ってみました。 少し登ると 開けた所に 出
て 三角点がありました。 前は ヤブの中に 三角点が 埋もれていましたが・・。 ベンチもあります。
みはらし台といえ 見晴らしは ありません。 さっきの道標の 扇山は ここでは ないようです。



 二等三角点:光明寺を撮って 分岐へ戻り 左の扇山へ進みます。 ササが茂った細い道を進む
と すぐに鉄塔に出ました。 雑木に囲まれ 景色は見えませんが ここは 十字路になっています。
南へ降りてみました。


 黒いプラ階段の急下りを 2、30m降りると 伐採地に出て 送電線の延びる先に 鉄塔があり
南の景色は パノラマで 下に 池が二つ見えます。 見える景色は 箱庭のよう・・。
鉄塔へ戻り 今度は 東へ降りました。 雑木林を降りると なぜか 鎖の手摺が・・。 遊歩道?
なだらかに歩いていると 左上に 何かありそう・・。 上に上がると 岩が数個転がり その一つに
役行者の像がありました。 やまあそさんの写真が 大きかったので もっと大きいものかと 思いま
したが 小さいものです。 顔が長く やや寝とぼけた表情に見えます。


 少し下へ降りると 岩の露出する岩場に出ます。 東に 山並が 見わたせますが 二等三角点の
三草山は見えているのでしょうか? 見えているとすれば 右奥の平らな山でしょうか? 景色を
眺め 引き返します。 鉄塔2へ戻り 北へ降りてみようか? きょうは 冒険する日ではないし・・。
 道標に 「扇山登山口」 はありましたが 歩いたルートに 「扇山」 は ありませんでした・・・。
登山口辺りを 扇山 というのでしょうか?


 来た道を戻り 参道を 滑らないよう慎重に 下ります。 駐車場手前まで戻ると 役行者の表示が
あり 参道から ちょっと 入ったところにも 役行者像がありました。 わざわざ 岩場まで脚を伸ばす
こともなかった? 本日の行程は 2時間10分 でした。


 12:22 駐車場に戻り 帰路につきます。 そうそう 「闘龍灘」 に寄らないと。 県道に降りて
左折して 北へ進みます。 今日もまた 早とちりして 一つ手前の信号で曲がり 滝見橋に出て・・。
一つ北の信号・滝で 曲がると 闘龍灘の駐車場があります。 闘龍灘は 雨の多い時期なので
水量が 多いかと思いましたが 意外と 水量は少なく 迫力に欠けます。



 右岸側の幅10mほどが 落差1mの滝になっています。 この前の 「新兵庫史を歩く」 では 参
加者が 闘龍灘が 一番良かったと言っていましたが・・・。 もう アユ釣りは 解禁になったのでし
ょうか?
闘龍橋に寄ると 橋の欄干で アユが 飛び跳ねています。 マンホールの蓋も アユッキーです。



 13:15 帰路につきます。 東へ進み 国道175号線に出て 右折して南へ進み 13:21 滝野社
ICから 中国道に入り 途中 加西SAでラーメンを食べ 13:53 福崎ICで 播但道に入り 14:03
花田ICを抜け 姫路バイパスを走り 14:43 家に 帰ってきました。
本日の走行距離は 往路:61.0km 闘龍灘Pまで:3.6km 復路:62.0kmで 計:126.6km
でした。  きょうは ほんとに 暑い一日でした。 家に帰っても 室温は 30.2℃でした。



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