こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

「福島原発事故から5年 その真実と風化」

2016-07-23 20:48:37 | 震災・原発・自然エネルギー
年金者組合泉大津忠岡支部の定期大会に参加。
福島県郡山市から2人の幼い子ども達とともに大阪に自主避難して5年。原発賠償関西訴訟原告団代表の森松明希子さんのお話をお聞きしました。

そのタイトルが今日のブログの表題です。


帰ってから、会場でいただいた資料を読みました。

森松さんが、様々な機関誌に投稿されたり、インタビューに答えたりされたもの。

お聞きした話、言葉を思い起こしながら、ゆっくり読みました。



福島第1原発から60キロ。国が指定した「避難指示区域」の外から避難した「自主避難者」には何の保障もない。

2重生活の経済的負担だけでなく、「家族4人が一緒に暮らすこと」ができない悲しさ。辛さ。


福島での避難生活の中で、放射性物質が検出された水道水を飲み、その水を飲んだ後、娘に母乳を与えた。息子がのどが渇いたと言えば、その水を飲ませた。

「これが被ばく直面するというです」と、森松さんは言う。


当事者の言葉は重いです。


そして深く、私たちに問いかけます。

「最も大切にされなければならないものは何なのでしょう?」


唯一の被爆国である我が国が、福島第一原発の事故により、さらに被爆国となりました。原子爆弾も原子力発電所も「核」という点では同じなのです。

戦争を経て私たち日本人は「平和」を学んだはずです。この事故から、私たちはもうこれ以上誰一人として「ヒバクシャ」を出してはいけないということを学ばなければならないと思うのです。広島、長崎、そして福島がつながり、それらを教訓にする姿を示すことが次世代へのおとなの責務だと思うのです。

今、私たちおとなが試されている時だと思うのです。未来を担う子どもたちに恥ずかしくない社会的合意を形成し、人の命や健康を最も大切にできる、そのことがあたりまえに認められる社会に転換できるのかが問われているのだと思います。

(森松明希子さんの言葉より)




2011年3月11日。あれから何度も「知らなかった」ことによる罪を考え、「知ったこと」よる責任を考えた。今日も、そういう一日になった。
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