2年前の3月21日に亡くなった母の3回忌で、関空から日帰りで東京へ。
母が、いつか来る「別れの日」のために、いつからか残していた「お別れの言葉」は、出会った全ての人たちへの感謝に続けて、「この世の中に、大きな災害が起きないように、ましてや戦争などに2度と会うことのないよう、祈ります」と結ばれていました。
そして、その横に、小さな赤い文字でおきてしまいました。2011年3月11日と書き添えられていました。
その3月11日。6年目の3月11日に、兄たち、叔父、叔母、・・・集まって、母を偲ぶ一日を過ごしました。
一日、心の中で、母とたくさんのことを話しながら過ごしました。
特割切符で予約していた帰りの飛行機には充分時間があって、羽田での待ち時間は、週明けからの予算員会関連と議会運営委員会の視察資料を読みながら過ごしました。
帰って開いた新聞に、「南スーダンから自衛隊撤退」「森友学園申請取り下げ」の文字。
また、母に問いかけています・・・。
母が、いつか来る「別れの日」のために、いつからか残していた「お別れの言葉」は、出会った全ての人たちへの感謝に続けて、「この世の中に、大きな災害が起きないように、ましてや戦争などに2度と会うことのないよう、祈ります」と結ばれていました。
そして、その横に、小さな赤い文字でおきてしまいました。2011年3月11日と書き添えられていました。
その3月11日。6年目の3月11日に、兄たち、叔父、叔母、・・・集まって、母を偲ぶ一日を過ごしました。
一日、心の中で、母とたくさんのことを話しながら過ごしました。
特割切符で予約していた帰りの飛行機には充分時間があって、羽田での待ち時間は、週明けからの予算員会関連と議会運営委員会の視察資料を読みながら過ごしました。
帰って開いた新聞に、「南スーダンから自衛隊撤退」「森友学園申請取り下げ」の文字。
また、母に問いかけています・・・。