桜木町から東神奈川駅へ移動。
東神奈川駅界隈には幾つものお寺があり、
中には由緒あるお寺があるので寄ってみました。
所在地:横浜市神奈川区東神奈川1-4-3
宗派:真言宗智山派
御本尊:阿弥陀如来
創建:寛治元年(1087)
開山:勝覚法印
札所:玉川八十八ヶ所霊場、新四国八十八ヶ所霊場、東国八十八ヵ所霊場
【縁起】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/94/cab9002f38580d7e19260531543af58a.jpg)
金蔵院は神鏡山東曼陀羅寺と号し、寛治元年(1087)堀河天皇の命を受けた
勝覚法印によって開創された勅願寺です。
勝覚法印は総本山醍醐寺の第十四世となり、
後に三宝院を開創し初世となった高僧です。
かつて金蔵院が別当を兼ねていた熊野三社権現の旧記によると、
勝覚法印が紀伊国から熊野権現の神霊を分祀したとされる。
平安時代以降の神仏習合時代は神社の祭祀等は別当寺が行う事が伝統であり、
金蔵院の開創も熊野神社の創建と同時期とみられる。
伊豆に流されていた源頼朝が挙兵し、鎌倉に入り東国政権を樹立。
そのおり熊野神社に戦勝を祈願し、金蔵院の住職が秘法を厳修したとされる。
武田家滅亡後、北条氏直が甲斐へ5万の兵を送ったとの知らせに、
徳川家康は8千の兵を率いて出陣、源頼朝の故事に倣い、
金蔵院住職が秘法を修して戦勝を祈願。
結果、家康は甲斐・信濃を領することになり、金蔵院に御朱印寺領地十石を寄進。
家康は慶長15年(1610)に神奈川御殿が建てられるまで、
金蔵院を宿泊所とし、境内の紅梅を愛でて出立のおりには必ず、
一枝を手折って持ち帰ったといい、以来、住職が紅梅の一枝を携えて江戸城に上り、
歴代将軍に献上する慣わしとなっていました。
元禄の頃には寺社詣でが盛んになったが、
明治時代の神仏分離令、廃仏稀釈により衰退するが、
歴代住職と檀信徒により寺門が支えられ現在に至る。
【通用門】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/5c/536b590eae2d9159bab5412a28c491b2.jpg)
無料駐車場がありました。
【山門】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/d3/6072d75a0afb2851b0457210159c1c3d.jpg)
こちらは開かずの門という感じで、
格式の高さを感じるもんでしたね。
【本堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/7b/75d15fdeb84448bb63ad00d25fa37bb0.jpg)
なかなか立派な本堂です。
残念ながら入ることはおろか、
堂内を見る事も出来ませんでした。
境内は本堂と納骨堂と墓地といった感じで、
昔は凄かった系のお寺のようですね。
【客殿庭園】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/6d/cf1774458e40974ad74dd117dde3cfba.jpg)
【紅梅】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/08/5f6193e0ee5738f4d0082768e120eae7.jpg)
【御朱印】
東神奈川駅界隈には幾つものお寺があり、
中には由緒あるお寺があるので寄ってみました。
所在地:横浜市神奈川区東神奈川1-4-3
宗派:真言宗智山派
御本尊:阿弥陀如来
創建:寛治元年(1087)
開山:勝覚法印
札所:玉川八十八ヶ所霊場、新四国八十八ヶ所霊場、東国八十八ヵ所霊場
【縁起】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/94/cab9002f38580d7e19260531543af58a.jpg)
金蔵院は神鏡山東曼陀羅寺と号し、寛治元年(1087)堀河天皇の命を受けた
勝覚法印によって開創された勅願寺です。
勝覚法印は総本山醍醐寺の第十四世となり、
後に三宝院を開創し初世となった高僧です。
かつて金蔵院が別当を兼ねていた熊野三社権現の旧記によると、
勝覚法印が紀伊国から熊野権現の神霊を分祀したとされる。
平安時代以降の神仏習合時代は神社の祭祀等は別当寺が行う事が伝統であり、
金蔵院の開創も熊野神社の創建と同時期とみられる。
伊豆に流されていた源頼朝が挙兵し、鎌倉に入り東国政権を樹立。
そのおり熊野神社に戦勝を祈願し、金蔵院の住職が秘法を厳修したとされる。
武田家滅亡後、北条氏直が甲斐へ5万の兵を送ったとの知らせに、
徳川家康は8千の兵を率いて出陣、源頼朝の故事に倣い、
金蔵院住職が秘法を修して戦勝を祈願。
結果、家康は甲斐・信濃を領することになり、金蔵院に御朱印寺領地十石を寄進。
家康は慶長15年(1610)に神奈川御殿が建てられるまで、
金蔵院を宿泊所とし、境内の紅梅を愛でて出立のおりには必ず、
一枝を手折って持ち帰ったといい、以来、住職が紅梅の一枝を携えて江戸城に上り、
歴代将軍に献上する慣わしとなっていました。
元禄の頃には寺社詣でが盛んになったが、
明治時代の神仏分離令、廃仏稀釈により衰退するが、
歴代住職と檀信徒により寺門が支えられ現在に至る。
【通用門】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/5c/536b590eae2d9159bab5412a28c491b2.jpg)
無料駐車場がありました。
【山門】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/d3/6072d75a0afb2851b0457210159c1c3d.jpg)
こちらは開かずの門という感じで、
格式の高さを感じるもんでしたね。
【本堂】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/7b/75d15fdeb84448bb63ad00d25fa37bb0.jpg)
なかなか立派な本堂です。
残念ながら入ることはおろか、
堂内を見る事も出来ませんでした。
境内は本堂と納骨堂と墓地といった感じで、
昔は凄かった系のお寺のようですね。
【客殿庭園】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/6d/cf1774458e40974ad74dd117dde3cfba.jpg)
【紅梅】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/08/5f6193e0ee5738f4d0082768e120eae7.jpg)
【御朱印】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/52/837d3a7c0f8bcca07d139bf4dfbc1335.jpg)
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