善福寺から徒歩一分の場所にあるのが、
あの真田信繁(幸村)所縁の寺院である心眼寺。
昨年は大河ドラマの影響で参拝客が多いと思い、
静かになる時に参拝することにしていました。
それでもやはり人気武将である幸村(←あえて)ですから、
私が参拝した時も暦女や普段お寺に参拝しないであろう
単独の男も結構いましたね。
ただ、幸村の像も無ければ雰囲気も感じられないので、
彼等はきっと満足感は得られなかったでしょうね。
所在地:大阪府大阪市天王寺区餌差町2-22
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:元和8年(1622)
開山:白牟和尚
札所:大阪新四十八願所阿弥陀巡礼
【真田丸顕彰碑】
カトリック・ミッションスクール大阪明星学園のテニスコートと、
心眼寺の間の道路沿いにありました。
真田丸は古地図等による最新研究により、
大阪明星学園の中にあったことが最有力となっています。
今の大坂城を知ってると、
太閤時代の大坂城がとんでもない広さだったのが分かります。
【山門】
墓地側に無料駐車場が5台分ほどありました。
【石碑】
桂早之助・渡邊吉太郎って誰だろう?と思って調べてみたら、
あの坂本龍馬と中岡慎太郎を暗殺した実行犯とか。
【桂早之助】
京都見廻組小隊長。
京都の近江屋で坂本龍馬と中岡慎太郎を斬った男として知られる。
慶応4年(1868)に勃発した鳥羽伏見の戦いに幕府軍として参戦。
新政府軍との戦闘の末、下鳥羽で左股に銃撃を受けて討死。
遺体は大坂まで運ばれ真田信繁(幸村)が築いた
真田丸の跡地と言われる場所に建立された心眼寺に埋葬。
戒名は「徳元院大誉忠愛義貫居士」。
【渡邊吉太郎】
京都見廻組小隊長。
桂早之助、高橋安次郎と共に乗り込み坂本龍馬、
中岡慎太郎両名を殺害したとされる。
鳥羽伏見の戦いにて戦死、心眼寺に埋葬された。
【仁王像】
【寺紋】
門に浮彫されていました。
真田家家紋の六文銭と同じです。
【本堂】
ここは檀家寺なんで、本堂に入ることは出来ませんでした。
【御本尊】
画像はネットで拾ったものですが、
是非とも御尊顔を拝して満足感を得たかったなぁ。
【地蔵堂】
まんなおしって何かと思ったら、
大阪弁で間が悪いことを「まんがわるい」と言いますが、
間が悪い時に祈願すると不運を直して幸運に変えるところから、
まんなおしって言われているようです。
法然上人が祀られていました。
【真田信繁之墓】
墓というより石標のような感じでした。
信繁を感じられるのはこれと寺紋のみでしたね。
【稲荷社】
【御朱印】
書置きでした。
昨年までは真田幸村と書かれて御朱印もありました。
あの真田信繁(幸村)所縁の寺院である心眼寺。
昨年は大河ドラマの影響で参拝客が多いと思い、
静かになる時に参拝することにしていました。
それでもやはり人気武将である幸村(←あえて)ですから、
私が参拝した時も暦女や普段お寺に参拝しないであろう
単独の男も結構いましたね。
ただ、幸村の像も無ければ雰囲気も感じられないので、
彼等はきっと満足感は得られなかったでしょうね。
所在地:大阪府大阪市天王寺区餌差町2-22
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:元和8年(1622)
開山:白牟和尚
札所:大阪新四十八願所阿弥陀巡礼
【真田丸顕彰碑】
カトリック・ミッションスクール大阪明星学園のテニスコートと、
心眼寺の間の道路沿いにありました。
真田丸は古地図等による最新研究により、
大阪明星学園の中にあったことが最有力となっています。
今の大坂城を知ってると、
太閤時代の大坂城がとんでもない広さだったのが分かります。
【山門】
墓地側に無料駐車場が5台分ほどありました。
【石碑】
桂早之助・渡邊吉太郎って誰だろう?と思って調べてみたら、
あの坂本龍馬と中岡慎太郎を暗殺した実行犯とか。
【桂早之助】
京都見廻組小隊長。
京都の近江屋で坂本龍馬と中岡慎太郎を斬った男として知られる。
慶応4年(1868)に勃発した鳥羽伏見の戦いに幕府軍として参戦。
新政府軍との戦闘の末、下鳥羽で左股に銃撃を受けて討死。
遺体は大坂まで運ばれ真田信繁(幸村)が築いた
真田丸の跡地と言われる場所に建立された心眼寺に埋葬。
戒名は「徳元院大誉忠愛義貫居士」。
【渡邊吉太郎】
京都見廻組小隊長。
桂早之助、高橋安次郎と共に乗り込み坂本龍馬、
中岡慎太郎両名を殺害したとされる。
鳥羽伏見の戦いにて戦死、心眼寺に埋葬された。
【仁王像】
【寺紋】
門に浮彫されていました。
真田家家紋の六文銭と同じです。
【本堂】
ここは檀家寺なんで、本堂に入ることは出来ませんでした。
【御本尊】
画像はネットで拾ったものですが、
是非とも御尊顔を拝して満足感を得たかったなぁ。
【地蔵堂】
まんなおしって何かと思ったら、
大阪弁で間が悪いことを「まんがわるい」と言いますが、
間が悪い時に祈願すると不運を直して幸運に変えるところから、
まんなおしって言われているようです。
法然上人が祀られていました。
【真田信繁之墓】
墓というより石標のような感じでした。
信繁を感じられるのはこれと寺紋のみでしたね。
【稲荷社】
【御朱印】
書置きでした。
昨年までは真田幸村と書かれて御朱印もありました。
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