今日は京都の豊国廟、豊国神社、方広寺、新日吉神宮など
豊臣秀吉所縁の場所に参拝して参りました。
秀吉死後、通夜を営むこともなく朝廷より豊国大明神の神号を与えられ
阿弥陀ヶ峰に葬られたのが豊国廟といいます。
ここから西の方角に秀吉の氏寺の方広寺があり、
そこに大仏殿を建立。
そうです、昔は奈良の大仏を越える20メートルもの大仏があったのです。
地震や落雷で今は大仏がないのが惜しまれます。
そして方広寺の横には秀吉を神として祀った豊国神社があり、
更なる西方には死後浄土へ送り届けてくれる阿弥陀如来を本尊とする
本願寺があります。
これを陰陽道的にいうと太陽が東から昇り西へ向かうように、
死と再生を繰り返すさまを表わしています。
(東西直線による神格化の中で最東が神への再生なら、
最西は死への道という考えが陰陽道にあります。)
つまり豊国廟から本願寺までの一直線上の、
一番東にある豊国廟に自分の遺体を埋葬させたのは、
自分が神となるためだったという。
だが、豊国神社と豊国廟は家康の計略により徹底的に破壊され
幕府の手により封鎖され参拝することも許されなかったという。
そんな歴史があったんですね。
そしてその歴史の一端をこの目で見てきました。
場所は女子大の上にあるので女子大の前を通ると、
ミニスカートの女子大生にハァハァ…しつつ更に山の方へ。
拝観料50円を支払っていざ。
しかし目の前にとんでもない階段が。
めっちゃハードな階段です。
この階段半端ねー。
足にくる。
一体何段あるねん?
500段以上あるらしい。(^^;
ハァハァ…
汗かきまくり。
やっと着いたと思ったらまだ上に階段が。(泣)
まだあるんかよ~。
豊臣家の家紋です。
また重い足を引きづるように階段を登る。
マジできつい。
もう二度と豊国廟には来ねー!と思いつつやっとのことで到着。
本当に疲れました。
頂上には大きな廟墓があり、
こんな大きな石をどうやって運んだのか不思議です。
これは明治天皇の命令で再興されたそうですが、
その時、壷の中にはミイラが一体見つかり、
そのミイラが今も廟墓に眠っています。
もちろんその遺体は秀吉公のはずですが、
その様式は一般平民のように屈葬だっといいます。
貴人であれば遺体は横たえられた棺と副葬品があるのが普通で、
副葬品もなく破壊された棺の木片も出たことから
遺体はすり替えられた可能性があるそうです。
そうすれば誰が遺体をすり替えたのか?
こんなことが出来てかつ死後の秀吉ですら邪魔な存在と思っていたのは、
そう、家康しかいませんね。
何故家康なのか?
それは新日吉神宮の時に書きます。
さて今も廟墓に眠っているのは秀吉なのか?
それとも秀吉ではないのか?
本当に家康がすり替えたのか?
果たして真相やいかに?
やっぱり歴史はロマンを感じますね。
帰りの階段を下りる時は怖さを感じました。(^^;
豊臣秀吉所縁の場所に参拝して参りました。
秀吉死後、通夜を営むこともなく朝廷より豊国大明神の神号を与えられ
阿弥陀ヶ峰に葬られたのが豊国廟といいます。
ここから西の方角に秀吉の氏寺の方広寺があり、
そこに大仏殿を建立。
そうです、昔は奈良の大仏を越える20メートルもの大仏があったのです。
地震や落雷で今は大仏がないのが惜しまれます。
そして方広寺の横には秀吉を神として祀った豊国神社があり、
更なる西方には死後浄土へ送り届けてくれる阿弥陀如来を本尊とする
本願寺があります。
これを陰陽道的にいうと太陽が東から昇り西へ向かうように、
死と再生を繰り返すさまを表わしています。
(東西直線による神格化の中で最東が神への再生なら、
最西は死への道という考えが陰陽道にあります。)
つまり豊国廟から本願寺までの一直線上の、
一番東にある豊国廟に自分の遺体を埋葬させたのは、
自分が神となるためだったという。
だが、豊国神社と豊国廟は家康の計略により徹底的に破壊され
幕府の手により封鎖され参拝することも許されなかったという。
そんな歴史があったんですね。
そしてその歴史の一端をこの目で見てきました。
場所は女子大の上にあるので女子大の前を通ると、
ミニスカートの女子大生にハァハァ…しつつ更に山の方へ。
拝観料50円を支払っていざ。
しかし目の前にとんでもない階段が。
めっちゃハードな階段です。
この階段半端ねー。
足にくる。
一体何段あるねん?
500段以上あるらしい。(^^;
ハァハァ…
汗かきまくり。
やっと着いたと思ったらまだ上に階段が。(泣)
まだあるんかよ~。
豊臣家の家紋です。
また重い足を引きづるように階段を登る。
マジできつい。
もう二度と豊国廟には来ねー!と思いつつやっとのことで到着。
本当に疲れました。
頂上には大きな廟墓があり、
こんな大きな石をどうやって運んだのか不思議です。
これは明治天皇の命令で再興されたそうですが、
その時、壷の中にはミイラが一体見つかり、
そのミイラが今も廟墓に眠っています。
もちろんその遺体は秀吉公のはずですが、
その様式は一般平民のように屈葬だっといいます。
貴人であれば遺体は横たえられた棺と副葬品があるのが普通で、
副葬品もなく破壊された棺の木片も出たことから
遺体はすり替えられた可能性があるそうです。
そうすれば誰が遺体をすり替えたのか?
こんなことが出来てかつ死後の秀吉ですら邪魔な存在と思っていたのは、
そう、家康しかいませんね。
何故家康なのか?
それは新日吉神宮の時に書きます。
さて今も廟墓に眠っているのは秀吉なのか?
それとも秀吉ではないのか?
本当に家康がすり替えたのか?
果たして真相やいかに?
やっぱり歴史はロマンを感じますね。
帰りの階段を下りる時は怖さを感じました。(^^;
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