♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■心が渇ききってしまうとき / 岩井基雄

2012年07月06日 | Weblog
2012/7/6放送

 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日もご一緒に旧約聖書の詩篇63篇の1節を味わいましょう。

 「神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます。水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです。」 旧約聖書 詩篇63篇1節

 この詩篇はイスラエルの二代目の王様のダビデが砂漠のように荒れ果てた荒野で歌ったものです。しかし彼がこの時感じていた渇きは、喉の渇きではなく、神様を求める心の渇き、魂の孤独でした。私たちの心も時々恐ろしいほどの孤独に襲われることがありますねえ。他の人からのどんな潤いのあることばや優しいまなざしも届かない程、身も心も疲れて渇き切った自分に気づき、立ちすくんでしまうことがあります。あなたはいかがでしょうか。

 義理の父親から憎まれ、命をねらわれて逃げ、身を守るために狂人の振りさえしたダビデもまた、この詩篇を詠んだとき、もうボロボロの状態でした。もう歩めない。もうこれ以上生きられない。すべてを終わりにしたい。私たちの人生にもそんな思いに囚われてしまうことがあります。しかし、そのようなぎりぎりの状態の中でもダビデは神様を求め祈りました。自分も他人も信頼できない追い込まれた状況で彼は神様を求め、心の渇きをうめきのような祈りの中で明らかにしているのです。

 たとえどのように絶望的に見えても神様の恵みや愛の届かない失望や痛みはありません。ダビデもこの祈りのあと、神様からの平安を受けてこう歌っています。「あなたの恵みは、いのちにもまさるゆえ、私のくちびるは、あなたを賛美します。それゆえ私は生きているかぎり、あなたをほめたたえ、あなたの御名により、両手を上げて祈ります。私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように、私のくちびるは喜びにあふれて賛美します。」 詩篇63篇3節から5節

 聖書が語るまことの神様にすべてをおまかせし心から信頼すること、そこにこそ本当の喜びと輝きの歩みの鍵があります。すべての主権者なる神様の前にあなたの心を静め信頼して祈ってみませんか。本当の平安と力ある歩みはそこから始まります。

  (PBA制作「世の光」2012.7.6放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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