ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「聖書の学び Ⅳ」 聖書の描くイエス像

2015-05-12 14:46:54 | 「聖書を学ぶ会」
  今回も「ヨハネによる福音書」からの学びでした。
  今日の話は聖書学的に見たヨハネ伝ということだそうです。

  どんな人々がヨハネ伝を読んでいたか。
  ヨハネの教会(紀元1Cから2C初)が大切に読んでいたはず。

  紀元30年頃はキリスト教は「ユダヤ教ナザレ派」と呼ばれていて、
  ユダヤ教から追い出される、ということはなかった。
  紀元90年代、キリスト今日はユダヤ教と分離していて、
  ローマ帝国から認められていたユダヤ教から破門宣告を受けていた。

  9章22節は生まれつき目の見えなかった青年が見えるようになった話だが、
  紀元90年代にイエスをメシアだ、と告白するのは切実な深刻な問題であったはず。
  青年の両親は「追い出される」ことを恐れて自分たちの意見は言えず、
  判断を息子に任せた。

  ヨハネの教会の人々の中には「ニコデモ」や「アリマタヤのヨセフ」のような
  人々もいたので、イエスはメシアと確信した青年の告白は90年代の
  「ヨハネの教会」の人々に勇気を与えたのではないか。

  イエスの陣営とこの世の陣営、ヨハネの教会とユダヤ教シナゴーグが
  二層となって記されている。
  聖書は、21世紀の私たちがこれらの話を読み参与していく、という読み方が
  求められる書物だが、ヨハネ伝はそれをやっている。
  今読む、その手がかりが与えられている。
  (ヨハネ伝が書かれた?)当時の教会は日常的に二重構造の中で闘っていた。

  紀元70年にローマ軍がエルサレムを滅ぼした際、教典をもってお棺に隠れ、
  ラビたちは死んだふりをして命長らえた。
  そしてヤムニヤ会議においてキリスト教(ユダヤ教ナザレ派)は追放された。
   |呪われよ、ナザレ派!|
  そのさ中にあってヨハネの教会の人々は活動し、ヨハネ伝は読まれていた。


  
  嘴の黄色い<スズメの子> 野鳥の雛が次々と孵っています。

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「母の日」

2015-05-10 21:31:37 | 説教
今日5月10日の説教 テキストは「ヨハネによる福音書」19章25節~27節
タイトルは「母の日」でした。
イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが
立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、
御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。
あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。






 今日は教会学校の分級当番だったので、説教をライブで聴くことはできませんでした。
 教会学校の生徒さんは礼拝堂で子供向けの説教を大人の教会員と一緒に聞きます。
 その後、左近牧師が成人向けの説教をなさるのですが、その間が子供たちの分級の
 時間となります。 聖書物語の紙芝居をみたり、塗り絵をしたり、ペーパークラフトを
 楽しんだりします。
 私はもっぱら体育会系のプログラムで、この時とばかり子供たちと遊びます、というか、
 遊んでもらいます。 (^-^)


  
  <シジュウカラ>
  子育て中でしょうか、羽がボサボサして少々お疲れのように見えます。


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膝の手術をしてリハビリを頑張って、ようやく礼拝に集えるようになった姉妹がまた骨折で入院されました。
なんということでしょう・・・・・・・言葉がありません。 一日も早くお元気になられますように! 
神様、どうか癒しと慰めの御手を差し伸べてください!
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「契約」とは

2015-05-07 22:59:49 | 今日の聖句
今日の聖句は 「ヘブライ人への手紙」 9章15節~22節 です。
こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された
罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の
財産を受け継ぐためにほかなりません。遺言の場合には、遺言者が死んだという証明が必要です。
遺言は人が死んで初めて有効になるのであって、遺言者が生きている間は効力がありません。
だから、最初の契約もまた、血が流されずに成立したのではありません。
というのは、モーセが律法に従ってすべての掟を民全体に告げたとき、水や緋色の羊毛やヒソプと
共に若い雄牛と雄山羊の血を捕って、契約の書自体と民全体とに振りかけ、「これは、神が
あなたがたに対して定められた契約の血である」と言ったからです。
また彼は、幕屋と礼拝のために用いるあらゆる器具にも同様に血を振りかけました。こうして、ほとんど
すべてのものが、律法に従って血で清められており、血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです。


**************************************************************
聖書において重要な契約とは、神とイスラエルの民との関係についてである。
それは、神の側から一方的に与えられた恩恵の場合と、相手にも義務を要求する場合がある。
前者の例としては「ノアの契約」やアブラハムとの契約がある。
後者の例としては、「シナイ契約」があげられる。この時、民の側は「わたしたちは主が語られたことを
すべて行い、守ります」と約束している。
イスラエルをエジプトの奴隷の家から導き出したヤハウェがイスラエルの神となり、イスラエルが
ヤハウェの民となるという契約であるが、イスラエルは十戒をはじめとして神に依って与えられた戒めを守ることが
義務付けられたのである。またダビデの家が永遠に続くという「ダビデ契約」も戒めを守ることが条件となっていた。
イスラエルは神に与えられた戒めを守ることに全く失敗し、神から「あなたたちはわたしの民ではない」と宣告された。
しかし、神は契約を全く破棄するのではなく「新しい契約」を用意された。
この「新しい契約」は霊的であることにおいて、普遍的であることにおいて、また、罪の赦しをもたらすもので
あることにおいて独自なものであった。それは「古い契約」のなしえないものを実現するものであった。
そして、それが文字通り実現したのが、イエス・キリストにおいてであることを、新約の記者たちは明確に理解した。
洗礼は「主イエス・キリストが制定された新しい契約の礼典」であるから、罪人が悔い改めて洗礼をうけるならば、
その人は「新しい契約の民」として神の契約の中に入れていただくことができる。
特にイエスは自分の血を「わたしの契約の血」と言っている。それゆえ、十字架におけるイエスの犠牲は
新しい契約を結ぶ上で最も重要な意味を持つのである。
パウロは「新しい契約」を「キリスト」または「福音」と同義に解し、自分を「新しい契約に仕える」者と称している。
「旧約聖書」に対する「新約聖書」もここに由来する。  (以上は「聖書事典」からの抜書きです。)

今日の聖句から、今日は「契約」ついてお勉強いたしました。


今年は迫力イマイチですが、公園の池の畔の山藤が咲きました。

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讃美歌21 507番「主に従うことは」

2015-05-05 20:46:43 | 讃美歌
一昨日の礼拝で歌いました。
“主に従うことはなんと嬉しいこと・・・・・・”
(私事ですが)苦しい日々、淋しい境遇、空しい思い・・・・主に依り頼んで
ようやく平安を保っている自分のことを思って、胸が詰まって声が出せず
歌詞を追うのが精一杯、殆ど歌えませんでした。
主に従うことはなんと嬉しいこと、なんという幸せ、なんと心強い・・・・ (T__T)

讃美歌21 507番 「主に従うことは」
"In his steps I follow” by Grant C. Tullar 1869-1950

1 主に従うことは
  なんとうれしいこと。
  心の空 晴れて
  光は照るよ。

  (くりかえし)
  主のあとに続き
  共に進もう。
  主のあとに続き
  歌って進もう。

2 主に従うことは
  なんというしあわせ。
  悪い思い きえて
  心は澄むよ。

3 主に従うことは
  なんと心づよい。
  おそれのかげきえて
  力は増すよ。

作詞者のGrant Colfax Tullar(1869-1950)はアメリカ大統領のUlysses S. Grantと
同副大統領Schuyler Colfaxの名に因んで命名されました。
父は南北戦争の戦いで負傷し働くことができず、2歳で母を失ったとき、家族は
バラバラになり、成人するまで住所が定まりませんでした。
子どもの頃は羊毛工場で働いたり、靴屋の店員としてはたらいていたため、教育はおろか
宗教上の学びもできませんでした。
しかし、彼は19歳のときコネティカット州ウォーターベリー(Waterbury)の伝道集会で
キリストに出会い、ニュージャージー州のハケッツタウン・アカデミー(Hackettstown Academy)に
学びました。 メソジスト教会の牧師として任命を受け、デラウェア州ドーバー(Dover)で
しばらくの間牧会を持った後、伝道者になりました。
1893年彼とアイザック・メレディス(Isaac Meredith)はニューヨークでTullar-Meredith音楽出版社を設立しました。


ここをクリックすると讃美歌21 507番を聴くことができます。


<バン>の雛です。
もう少し経つと親鳥や雛とは似ても似つかぬ貴公子のような幼鳥になります。

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「主に従いゆく」

2015-05-03 21:42:03 | 説教
今日の礼拝説教 テキストは「ヨハネによる福音書」21章15節~19節
タイトルは「主に従いゆく」でした。






左近先生の説教をお聴きすると、聖書ってそんな風に読むんだ、聖書ってこんなにも
豊かな書物だったのか、と湧き上がるイメージに圧倒される思いがいたします。
イエスを三度裏切って、深くて暗い絶望の淵に沈みこんでいたペトロ。
その彼に言い方を変えて三度問いかけるイエスによって、再び救われ、自分も羊を
飼う人に変えられたペトロ。
聖書の証言を通して、私たちもまた赦され救われ、羊の世話をする人として遣わされて
いることがわかります。
クリスチャンは失敗しない人ではない、過ちを犯さない者ではない、
主の道を踏みちがえてもまたそこに戻ってくるのだ、と解き明かされました。
お隣に座っていらした女性は途中から泣いていらっしゃいました。
一人でも多くの方に左近牧師の説教を是非ライブで聴いていただきたいと思いました。



まだ親鳥から口移しで餌をもらうシーンも見られましたが、
全部で六羽の公園の<バン>雛はずいぶんと大きくなりました。


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ネヘミヤ、エズラの時代

2015-05-01 14:10:09 | 聖書
イスラエルの民の捕囚からの帰還とエルサレム(第二)神殿の再建、エルサレム周辺の住民との関係、
ペルシャ王との関係を出来事を追いかけて、自分の頭の整理にためにメモしました。 

ペルシア王キュロスの第一年、バビロンの王ネブカドネツァルによって捕囚の民となっていた
イスラエル人に帰還許可の勅令が降った。 その時のユダの首長はシェシュバツァル。
2章68節~3章3節
エルサレムの主の神殿につくと、家長の幾人かは、神殿をその場所に再建するために随意の献げ物をささげた。
彼らはそれぞれ力に応じて工事の会計に金六万一千ドラクメ、銀五千マネ、祭服百着を差し出した。
祭司、レビ人、民の一部、詠唱者、門衛、神殿の使用人はそれぞれ自分たちの町に住んだ。
イスラエルの人は皆それぞれ、自分たちの町に住んだ。
第七の月になって、イスラエルの人々は自分たちの町にいたが、民はエルサレムに集まって
一人の人のようになった。祭司たち、すなわちヨツァダクの子イエシュアとその兄弟たちは、
シュアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちと共に立ち上がり、イスラエルの神の祭壇を築き、
神の人モーセの律法に書き記されているとおり、焼き尽くす献げ物をその上にささげようとした。
彼らはその地の住民に恐れを抱きながら、その昔の土台の上に祭壇を築き、その上に焼き尽くす献げ物、
朝と夕の焼き尽くす献げ物を主にささげた。


エルサレムの神殿に帰った翌年の第二の月、シュアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュア、
他の兄弟たち、祭司とレビ人、および囚われの力エルサレムに帰って来たすべての人と共に仕事にかかり、神殿の基礎を据える。
12節~13節
昔の神殿を見たことのある多くの年取った祭司、レビ人、家長たちは、この神殿の基礎が据えられるのを見て
大声を上げて泣き、また多くの者が喜びの叫び声をあげた。


ユダとベニヤミンの敵(アッシリア王がイスラエル人を捕らえて自国に連れてゆく代わりとして別の民を住まわせた、その人々?)
が「建築を手伝わせてください」と申し出てきたが、ゼルバベルとイエシュア、他の家長たちは断った。 
そこでその地の住民はペルシア王キュロスの存命中からダレイオスの治世まで、建築計画を挫折させようと妨害活動をした。
行政官レフムと書記官シムシャイはユーフラテス西方の臣下一同の報告ということで、アルタクセルクセス王(一世?)
告訴状を送る。アルタクセルクセス王の書記官シムシャイおよびその仲間はエルサレムのユダの人々のもとに急いで行き、
強引に武力で工事を中止させた。 ここで神殿再建事業は一時中断します。
預言者ハガイとイドの子ゼカリヤが、ユダとエルサレムにいる人々に向かって保護者であるイスラエルの神の名によって
預言したので、シュアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュアは神殿建築を再開した。
ユーフラテス西方の長官タテナイとシェタル・ボゼナイおよびその仲間であるユーフラテス西方の巡察官たちはダレイオス王に
キュロス王がユダの長官シェシュバツァルに神殿再建を許可した命令があるかどうかお調べくださいと手紙を出した。
ダレイオスによってバビロンの記録保管所を調べると、キュロス王による神殿再建許可の巻物が見つかり、ダレイオスは改めて、
エルサレムの神殿を再建するよう命令した。 預言者ハガイとイドの子ゼカリヤの預言に促されて再建は順調に進み、
ダレイオス王の治世第六年のアダルの月の二十三日に完成した。

このことがあって後、ペルシアの王アルタクセルクセス(二世?)の治世にエズラがバビロンからエルサレムに上って来た。
エズラはモーセの律法に詳しい書記官(ペルシアの)で、彼の祖先は祭司長アロンにまでさかのぼる。
エズラは主の律法を研究して実行し、イスラエルに掟と法を教えることに専念した。
エズラはペルシア政府から公式の委任を受け「天にいます神の律法」を公布するための全権を与えられた。
民衆はこれをユダヤ人共同体の憲章として受諾し、ここに教団としてのユダヤ教が成立した。
エズラは外国人との結婚を厳しく禁じ、サマリア人とはますます敵対的になった。
これは新約の時代までそうであった。

シェシュバツァルによる神殿再建の口火、ゼルバベルの指導のもとでの第二神殿の感性、ネヘミヤによるユダヤ教としての独立
エズラによる捕囚後の共同体の礼拝的秩序づけが終わった。 
エズラ以後、律法(トーラー)は正典とされ聖なる書物はますます大きな意味を持つようになった。

ネヘミヤの活動については次の「ネヘミヤ記」を読むことにいたします。



新緑の公園には<ムクドリ>が群れでいます。
いつもは撮らない超普通種のムクドリを新緑背景にカシャッと一枚。

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