ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「契約」とは

2015-05-07 22:59:49 | 今日の聖句
今日の聖句は 「ヘブライ人への手紙」 9章15節~22節 です。
こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された
罪の贖いとして、キリストが死んでくださったので、召された者たちが、既に約束されている永遠の
財産を受け継ぐためにほかなりません。遺言の場合には、遺言者が死んだという証明が必要です。
遺言は人が死んで初めて有効になるのであって、遺言者が生きている間は効力がありません。
だから、最初の契約もまた、血が流されずに成立したのではありません。
というのは、モーセが律法に従ってすべての掟を民全体に告げたとき、水や緋色の羊毛やヒソプと
共に若い雄牛と雄山羊の血を捕って、契約の書自体と民全体とに振りかけ、「これは、神が
あなたがたに対して定められた契約の血である」と言ったからです。
また彼は、幕屋と礼拝のために用いるあらゆる器具にも同様に血を振りかけました。こうして、ほとんど
すべてのものが、律法に従って血で清められており、血を流すことなしには罪の赦しはありえないのです。


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聖書において重要な契約とは、神とイスラエルの民との関係についてである。
それは、神の側から一方的に与えられた恩恵の場合と、相手にも義務を要求する場合がある。
前者の例としては「ノアの契約」やアブラハムとの契約がある。
後者の例としては、「シナイ契約」があげられる。この時、民の側は「わたしたちは主が語られたことを
すべて行い、守ります」と約束している。
イスラエルをエジプトの奴隷の家から導き出したヤハウェがイスラエルの神となり、イスラエルが
ヤハウェの民となるという契約であるが、イスラエルは十戒をはじめとして神に依って与えられた戒めを守ることが
義務付けられたのである。またダビデの家が永遠に続くという「ダビデ契約」も戒めを守ることが条件となっていた。
イスラエルは神に与えられた戒めを守ることに全く失敗し、神から「あなたたちはわたしの民ではない」と宣告された。
しかし、神は契約を全く破棄するのではなく「新しい契約」を用意された。
この「新しい契約」は霊的であることにおいて、普遍的であることにおいて、また、罪の赦しをもたらすもので
あることにおいて独自なものであった。それは「古い契約」のなしえないものを実現するものであった。
そして、それが文字通り実現したのが、イエス・キリストにおいてであることを、新約の記者たちは明確に理解した。
洗礼は「主イエス・キリストが制定された新しい契約の礼典」であるから、罪人が悔い改めて洗礼をうけるならば、
その人は「新しい契約の民」として神の契約の中に入れていただくことができる。
特にイエスは自分の血を「わたしの契約の血」と言っている。それゆえ、十字架におけるイエスの犠牲は
新しい契約を結ぶ上で最も重要な意味を持つのである。
パウロは「新しい契約」を「キリスト」または「福音」と同義に解し、自分を「新しい契約に仕える」者と称している。
「旧約聖書」に対する「新約聖書」もここに由来する。  (以上は「聖書事典」からの抜書きです。)

今日の聖句から、今日は「契約」ついてお勉強いたしました。


今年は迫力イマイチですが、公園の池の畔の山藤が咲きました。

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