ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

「この人を見よ」

2015-05-27 10:21:35 | 説教
先々週の日曜日(5月17日)は連れ合いの入院日だったので礼拝に出ることができませんでした。
週報ボックスに「週報」に挿んだ「説教」要旨が入れられてました。 本当に嬉しい・・・・

説教のテキストは「ヨハネによる福音書」1章29節~34節 タイトルは「この人を見よ」でした。





亡くなられた渡辺栄さんにお会いしたことはありませんでしたが、
ここ数年お誕生日カードを作ってお送りしていました。
美竹教会の兄弟姉妹がまた亡くなられました。 
淋しく悲しいことですが、超高齢化の美竹教会ではこれからも兄弟姉妹が
神様の御許に召される事でしょう。

元美竹教会牧師の上田正光先生のご著書「日本の伝道を考える①」に
『日本基督教団に限って言えば、1995年から年々の受洗者総数よりも現住陪餐会員の中での
推定逝去者総数の方が上回ったきた。勿論、教勢がすべてではなく、それは中身のほんの
一つのしるしに過ぎない。しかしこのしるしは、神がこの教団に対して「審判」を下して
おられる、というしるしであるかもしれません。
「目を覚ませ。死にかけている残りの者たちを強めよ。わたしは、あなたの行いが、
わたしの神の前に完全なものとは認めない。だから、どのように受け、また聞いたか思い起して、
それを守り抜き、かつ悔い改めよ」(黙示録三・一~三)
しかし、キリスト教信仰における救いは常に裁きをなさる神からの救いです。 -中略ー
神が裁きを告げられることは、その向こうに恵みに満ちた救いをご用意くださることでも
ありますから、希望の唯一の出発点となるでしょう。』と書かれています。

私にできることは聖書を読み、礼拝に集い、自分の行いが少しでも神を証しするもので
ありますように、苦しむ人、重荷を負う人、空しい思いを抱いて生きている人が一人でも
多く教会の扉を押して訪れてくれますように、と祈ることです。
そして、教会の兄弟姉妹が神から与えられた夫々の賜物をもって神様の御用を
できますようにと祈るのみです。 
たとえその力は弱く小さくても私も教会に連なって働ける幸せを感謝します。
神様、裁きの御手をどうぞ恵みと憐みの御手に変え、あなたの栄光を現してください。
ペンテコステ礼拝には一人の兄弟が受洗されました。 感謝です!


公園の<オナガ>です、よく見るととても美しい羽の色です。

美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
コメント
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