今日の聖句は「ヨブ記」10章1節~8節です。
私の魂は生きることをいとう。
嘆きに身をゆだね、悩み嘆いて語ろう。
神にこう言おう。
「わたしに罪があると言わないでください。
なぜわたしと争われるのかを教えてください。
手ずから造られたこのわたしを虐げ退けて
あなたに背く者のたくらみには光を当てられる。
それでいいのでしょうか。
あなたも肉の目を持ち 人間と同じ見方をなさるのですか。
人間同様に一生を送り 男の一生に似た歳月を送られるのですか。
なぜわたしをとがめ立てし 過ちを追及なさるのですか。
わたしが背く者ではないと知りながら
あなたの手から わたしを救いうる者はないと知りながら。
御手をもってわたしを形づくってくださったのに
あなたはわたしを取り巻くすべてのものをも わたしをも、呑み込んでしまわれる。
有名な「ヨブ記」を読んでいます。
「神の前に正しい人ヨブは、その一族、全財産をあなたが守っておられるからあなたを敬うのだ」
と言うサタンに対して、神は命を奪わないことを条件にサタンがヨブに手を下すことを許可します。
ヨブは莫大な家畜、全財産、息子や娘を失い、体中が皮膚病で覆われて苦しみます。
ヨブは神にその仕打ちの不当を訴えます。
三人の友人が神の絶対性を説き、神の前に赦しを乞うようにヨブに勧めますが、ヨブは
神への呼びかけを止めません。神への恨み辛み(と私には思えるのですが)を縷々訴え続けます。
人生には苦しみは付き物、理不尽はあって当たり前だと私は思っています。
(何よりの苦しみは死を目指して生きていくことです。)
ヨブの場合はヨブに苦難を与えることを神がサタンに許した結果、ヨブの苦しみがはじまったのですが、
そもそも人間社会の苦しみや不条理は、果たして神と関わりがあるのでしょうか。
先日読んだ伊藤虎丸さんの「証し」では、病が癒えても癒えなくても自分は不幸ではない。
死によっても絶ち切られることのない希望、墓の向こう側まで続いている希望、死にも病気にも
壊されることのない真の幸福を見ることができたという歓喜について話されています。
バビロン捕囚の出来事は人間が神との契約を守らず神との信頼関係が破られた結果、と預言者は言いました。
信仰薄く、知識も少なく整理されていない私の頭ではよく分からない事なのですが、
旧約の神、ヨブの神は新約でイエスの語られる神と違って感じられることがあります。
公園の森では<チョウジソウ>が咲いています。
美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
私事ですが、私の連れ合いは手術で癌が取りきれず抗癌剤による治療が始まりました。
カテーテルを付けたポートというものを患部に埋め込み、外から針を通して抗癌剤を直接
患部に葉注入する、肝動脈動注という施術らしいです。
二週間から三週間の単位で注入、休止を繰り返し、治療は一年間くらい続けるようです。
何かとせわしなく「ゆうゆうの教会便り」も休みがちになることと思います。 m(_ _)m
クリスチャンでない夫ですが、その心が平安でありますようにと神様に祈るばかりです。
伊藤虎丸さんの信仰が夫にあったら・・・・・
私の魂は生きることをいとう。
嘆きに身をゆだね、悩み嘆いて語ろう。
神にこう言おう。
「わたしに罪があると言わないでください。
なぜわたしと争われるのかを教えてください。
手ずから造られたこのわたしを虐げ退けて
あなたに背く者のたくらみには光を当てられる。
それでいいのでしょうか。
あなたも肉の目を持ち 人間と同じ見方をなさるのですか。
人間同様に一生を送り 男の一生に似た歳月を送られるのですか。
なぜわたしをとがめ立てし 過ちを追及なさるのですか。
わたしが背く者ではないと知りながら
あなたの手から わたしを救いうる者はないと知りながら。
御手をもってわたしを形づくってくださったのに
あなたはわたしを取り巻くすべてのものをも わたしをも、呑み込んでしまわれる。
有名な「ヨブ記」を読んでいます。
「神の前に正しい人ヨブは、その一族、全財産をあなたが守っておられるからあなたを敬うのだ」
と言うサタンに対して、神は命を奪わないことを条件にサタンがヨブに手を下すことを許可します。
ヨブは莫大な家畜、全財産、息子や娘を失い、体中が皮膚病で覆われて苦しみます。
ヨブは神にその仕打ちの不当を訴えます。
三人の友人が神の絶対性を説き、神の前に赦しを乞うようにヨブに勧めますが、ヨブは
神への呼びかけを止めません。神への恨み辛み(と私には思えるのですが)を縷々訴え続けます。
人生には苦しみは付き物、理不尽はあって当たり前だと私は思っています。
(何よりの苦しみは死を目指して生きていくことです。)
ヨブの場合はヨブに苦難を与えることを神がサタンに許した結果、ヨブの苦しみがはじまったのですが、
そもそも人間社会の苦しみや不条理は、果たして神と関わりがあるのでしょうか。
先日読んだ伊藤虎丸さんの「証し」では、病が癒えても癒えなくても自分は不幸ではない。
死によっても絶ち切られることのない希望、墓の向こう側まで続いている希望、死にも病気にも
壊されることのない真の幸福を見ることができたという歓喜について話されています。
バビロン捕囚の出来事は人間が神との契約を守らず神との信頼関係が破られた結果、と預言者は言いました。
信仰薄く、知識も少なく整理されていない私の頭ではよく分からない事なのですが、
旧約の神、ヨブの神は新約でイエスの語られる神と違って感じられることがあります。
公園の森では<チョウジソウ>が咲いています。
美竹教会のホームページです、クリックしてお訪ねください。
私事ですが、私の連れ合いは手術で癌が取りきれず抗癌剤による治療が始まりました。
カテーテルを付けたポートというものを患部に埋め込み、外から針を通して抗癌剤を直接
患部に葉注入する、肝動脈動注という施術らしいです。
二週間から三週間の単位で注入、休止を繰り返し、治療は一年間くらい続けるようです。
何かとせわしなく「ゆうゆうの教会便り」も休みがちになることと思います。 m(_ _)m
クリスチャンでない夫ですが、その心が平安でありますようにと神様に祈るばかりです。
伊藤虎丸さんの信仰が夫にあったら・・・・・