ゆうゆうの教会便り

私の教会のこと、教会生活をボチボチと・・・・

支配者への従順

2012-11-16 12:57:06 | 今日の聖句
前の晩、眠るのが遅くなって聖書を読まずに寝てしまい、昨日はブログアップをさぼりました。 m(_ _)m

今日の聖句は「ローマの信徒への手紙」13章からです。

13章1節
人は皆、上に立つ権威に従うべきです。 神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。

ここを読んだ時の感想は「へぇ? そうなの~?」というものでした。
今の権力者は政治家を筆頭に、決して”神に由来した”とも”神によって立てられた”とも思えず”権威に従うべき”とは思えないからです。


さて、旧約聖書を読むと「油を注がれて・・・・」という記述がよく出てきます。
旧約時代の権威者は祭司や預言者も王も皆「油注ぎ」を受けてその地位につきました。

「油を注ぐ」ということは神の霊によって任命され、その職務につく者となることの象徴的な意味があるようです。

ユダの初代の王様サウルや、その後のダビデ王は預言者サムエルによって、次の王ソロモンは祭司ツァドクと
預言者ナタンによってと油を注がれたと書かれています。
「油注がれた者」(メシア)は王を象徴するようになり、バビロン捕囚で王国滅亡後は、理想的な王の出現を期待して
メシア(救世主)が待望されるようになりました。

新約聖書においては、十字架にかけられ、復活したイエスが真のメシア(キリスト)だと(使徒ペテロによって)告白されて
イエスをメシアとする初代教会の信仰が始まりました。

パウロが13章1節で支配者への従順を説いた、その支配者とは「メシア的・自己犠牲的な王」を思い描いていたのだと思います。

自国の民を忘れ徒に党利党略(私利私欲も混じった?)に走ることの多い現代の政治家とは違うのですね~ (^^;)




    <アカハラ> スズメ目ツグミ科ツグミ属に分類される鳥で、
           古くは、茶耶/鳥(チャジナイ)と呼ばれていました。



パウロはローマ皇帝によって紀元後60年ころ処刑された、と言われています。
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クリスチャンとしての生き方

2012-11-14 09:29:08 | 今日の聖句
昨晩は「ローマの信徒への手紙」第12章を読みました。

中見だしは『キリストにおける新しい生活』と『キリスト教的生活の規範』の二つなのですが、キリスト教の神様を信じるクリスチャンは
こうあるべきだなぁ・・・・と心を打つ聖句ばかりで、12章全部をここに載せて、読んでいただきたいと思ってしまいました。

とりあえず↓の聖句を載せますね。

2節
あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、
何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。


12節
希望を持って喜び、苦難を耐え忍び、たゆまず祈りなさい。

15節
喜ぶ人とともに喜び、泣く人とともに泣きなさい。

17節
だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。

18節
できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。

私もこの世の価値観や尺度に寄らず、常に神様のほうを向いて聖書の言葉を規範として生活したいと思います。
いつも神様が自分を見ていてくださる、ということはただ頼れて安らかだ、といだけでななく、自分の生活を
厳しく律しなくてはならないことでもある、と少し(^^;)気を引き締めました。

18節の「できれば、せめてあなたがたはすべての人と平和に暮らしなさい」という聖句には考え込んでしまいました。
パウロがせめてあなたがたはと言わなくてはならないほどに、人間がが平和に暮らすということは難しいことなのでしょう。




    <アカウソ(♂)>
     大群で押し寄せては桜花の新芽を食べてしまうので、桜の名所では害鳥扱いのようです。



日本基督教団<美竹教会>のホームページです、よろしかったらクリックしてお訪ねください。
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ねたみ

2012-11-13 12:50:59 | 今日の聖句
昨晩は「ローマの信徒への手紙」第11章を読みました。 その中から今日の聖句は

17節~18節
しかし、ある枝が折り取られ、野生のオリーブであるあなたが、その代わりに接木され、
根から豊かな養分を受けるようになったからと言って、折り取られた枝に対して誇ってはなりません。
誇ったところであなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。

(接木は異邦人、根はイスラエル人を指しています)

25節~26節
一部のイスラエル人がかたくなになったのは異邦人全体が救いに達するまでであり、
こうして全イスラエルが救われるということです。


パウロは自分の使命は異邦人を救いの道に導くことと定めていましたが、イエスを十字架に付けた
イスラエルの民を忘れたり、ないがしろにはしませんでした。
神に選ばれ、神と契約を結んだ民は必ず救われなくてはならない、と固く思っていました。

今、ギリシャ、ローマの人々をはじめアジア諸州の異邦人が悔い改め、救われているのは、
「彼らにねたみを起こさせるためだったのです。(11章11節)」と言っています。

イスラエルの人々が異邦人が救われるのを見てねたみ、自分たちも!と神様の御許に集まる
ということのようです。 
人間らしい面白い意見だなぁ、と私は思いました。(^-^)





    <ジョウビタキ(♀)> 愛称<おジョウさん>
     夏はモンゴル、中国西部からウスリー、サハリンなどで繁殖し、
     冬になると日本にもやってきます。
     都市公園でもこれから三月まで見られる愛らしい小鳥です。




美竹教会のホームページです、どうぞ覗いてみてください。
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万人の救い

2012-11-12 13:18:39 | 今日の聖句
今日の聖句は「ローマの信徒への手紙」 第10章12節~13節です。

ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を
豊かにお恵みになるからです。
「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。


パウロは自分の使命は異邦人(当時のイスラエルの民・ユダヤ人以外の外国人)に神への信仰、
イエスが救世主であることを伝道することと信じていました。

パウロについて************

パウロは当時ローマの属州であったキリキアの首都で生まれ、ローマ市民権を持った人でした。
若くしてファリサイ派(律法を順守するために一般の人から自分を分離し、正しい宗教的日常生活に
励む人々)の一員となり、ユダヤ教の律法に熱心な生き方をしていました。
シリア地方においてキリスト教会を迫害し、これを撲滅する活動に従事していました。

しかし、ダマスコ周辺で復活のキリストの幻視(復活のキリストとの出会いの体験)を体験し
(ユダヤ教から)キリスト教に回心しました。
これまでの自力救済を目指す律法主義的な生き方からの解放で、パウロが以前とは別の神に
仕えるようになったことではありません。
回心と同時に自分は異邦人に福音を伝える使徒とされたという自覚を得ました。(召命体験)**********新共同訳「聖書事典」より





   熟した柿の実を啄む<メジロ>
   メジロの嘴は弱いので、ヒヨドリが強い嘴で実をつついて開けた穴から
   柔かい実をつつきます。




実は昨日の日曜日、とても嬉しいことがありました。
礼拝に新しい方が4人もみえたのです。
昨日は「子供のお楽しみ会」ということで、礼拝後バーベキューとミニ運動会が開催されたのですが
なんと! 新しく見えた若者!も参加してくれました。
残念ながら私は家庭の事情で後ろ髪をひかれる思いでしたが、電車に乗って家に戻りました。 (T__T)


私の通っている美竹教会のホームページです、ご覧ください。
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キュリエ・エレイソン(主よ憐みたまえ)

2012-11-11 21:44:36 | 説教
今日の聖句は昨日の続き 「ローマの信徒への手紙第9章」からです。

11節~12節
自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。

18節
このように、神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者を頑なにされるのです。

19節
ところで、あなたは言うでしょう。「ではなぜ、神はなおも人を責められるのだろうか。
だれが神の御心に逆らうことができようか」
人よ、神に口答えするとは、あなたは何者か。
造られた物が作った者に、「どうしてわたしをこのように造ったのか」と言えるでしょうか。


今日の聖句は長くて飛び飛びになりましたが、実は9章を読んで、私もパウロが指摘した感慨、神様がそうなさって
いるのなら、何故、なお私たちが責められるのか、という疑問を持ったのです。

ところで、今日11日の礼拝説教はテキストは「マタイによる福音書15章21節~28節」テーマは「神の憐れみ」でした。
病気の娘を癒してもらったカナンの女性の話です。

*******************
説教の中では「神の自由な憐れみ」ということで、神と人間の関係において主権は神にある、神の憐れみの行為は
全く神から出るもので、神が決められるものである、神を人間に仕える召使いとしてはいけない、
例えばご利益宗教においては、これこれのことを叶えてください、そのために私はこれこれをあなたに差し上げます、
と神を人間の召使いにしている、ということが話されました。

そして、神の自由な憐みということで「ローマの信徒への手紙」9章11節の聖句が引用されました。
(昨晩読んだ私はすぐにピンときました!  (^-^)

カナンの女性は神様の主権をしっかりと受入れ納得しながらも、なお神の憐れみを乞い願ったのです。
この女性の篤い信仰、神を信じ切って、神の憐れみを信じてひれ伏して願った信仰をイエスは喜ばれ、その娘の病を癒しました。
私たち一人一人が信じきることが神にとっての喜びです、キュリエ・エレイソン「主よ憐みたまえ」と祈り続けましょう!
********************

私が疑問を持った「ローマの信徒への手紙」第9章もそのように理解するようですね。





   <ソウシチョウ(相思鳥)>
    姿も鳴き声も綺麗な外来種の鳥です。
    篭脱けやペット業者による遺棄(放鳥)によって野生化し増えています



今日の説教では「神の沈黙」「神の救いの計画」についても話されました。
美竹教会のホームページに説教全文が掲載されています、よろしかったら是非お読みください。
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神の愛

2012-11-10 12:57:42 | 今日の聖句
昨晩は「ローマの信徒への手紙」第8章を読みました。
今日の聖句は、8章38節~39節、中見だし「神の愛」からです。

私は確信しています。 死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、
高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって
示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。


聖書は難しくて一字一句を理解しようと私がいくら勉強したとしても決して理解はできませんが、私は
イエス様やパウロの言葉を信じて、神の愛を信じて、教会につながって、生きてゆきたいと思っています。

苦しい毎日や苦しい思いも神様が私を愛して、私の脇にいらして見ていてくださる、と思うだけで
生きる望みや希望が(少しだけ、の時もありますが(^^;) 湧いてきます。




  <カケス>
   今年の都市公園は冬鳥がそこそこ入るのですが、逗留せず
   早いものは二、三日で、長くてもせいぜい一週間で抜けてしまいます。
   もう少し寒さが定着したら冬鳥も滞在してくれるでしょうか。



私が通っている教会、美竹教会のホームページです。
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律法と信仰

2012-11-09 12:32:22 | 今日の聖句
今日の聖句  ローマの信徒への手紙7章7節~8節

律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。
たとえば、律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。
ところが罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。
律法がなければ罪は死んでいるのです。


昨晩読んだ「ローマの信徒への手紙」第7章、中見出し「内在する罪の問題」の中の聖句です。
実は7章も難しくてほとんど理解できませんでしたが、一応、この箇所を載せます。

********************
以下は私が今の能力で考えた解釈です。

律法とは神とイスラエルの民との間に交わされた契約(掟)です。
時が進み、イエスの時代になると律法学者やファリサイ派の人々は、律法を守っていれば善き人で
律法を守らない人が罪人であると考え、自分たちは善き人だと傲慢になり、信仰薄くなっていました。

イエスは「わたしが来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」と言われて、
律法を守れないがために「罪人」として排除された人々を神の国に招こうとしました。
そして掟のなかでの第1番は「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」であり
第2は「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」であると言われました。

パウロはそれを受けて、律法を守る人が救われるのではなく(律法を守ることも大切だが)ただ神を信じる
その信仰によってのみ人は義人(善き人)とされ、神の国に招かれる、と説いているのだと思います。
********************

私の教会、美竹教会のホームページです。



  <アオゲラ(♀)>

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新カテゴリー追加しました

2012-11-08 13:06:22 | 今日の聖句
ゆうゆうの教会便りを覗いてくださる方が増えません。(T__T)

ブログは毎日継続することが大切なようですが、説教や教会のことをまとめてブログを毎日
更新するというのは私には大変な労力です。 そこで考えました

聖書は心打たれる聖句の宝庫です、これに頼らない手はありません。

私は毎日新約聖書1章、旧約聖書3章、詩篇を1篇を読んでいますから、
読んだ個所から聖句を少し書き続ける・・・・・
それに、趣味で撮っている野鳥を中心とした写真を付ける・・・・これなら毎日続けられそうです。

「今日の聖句」というカテゴリーを追加しました。

そして、昨夜は「ローマの信徒への手紙」第6章を読んだのですが、どの聖句にしましょうか?  
うーん、難しい!
心に響く聖句は読み取れず、難しくて唸りながら読みました。(笑)

それでも今日は一応 6章5節から ↓の聖句を書きましょう。

『もし、わたしたちがキリストと一体になってその死の姿にあやかるならば、
その復活の姿にもあやかれるでしょう』


ローマ人への手紙はパウロがローマの信徒たちに宛てた手紙で、彼の手紙の中でも
最も重要なこの手紙はパウロの思想の集大成ともいうべき内容を持っているそうです。
だからでしょうか、難しくて読みこなせず、理解できず大弱り。

上田先生、礼拝のお説教「マタイによる福音書」が終わったら「ローマの信徒への手紙」をお願いします。 (^^;)



  <スズメ>


さて、明日(7章)にはどんな聖句に出会えるでしょう。
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歴代誌上 ビックリ仰天!

2012-11-01 21:53:13 | 聖書
毎日少しずつ読み進めている旧約聖書、いよいよ歴代誌上になったのですが、なんとこれが驚き!でした。

第1章から9章まで、イスラエル(?)各部族の子孫の系図が延々と書かれているのです。
・馴染みのないカタカナの名前を丁寧に読むか?
・名前を飛ばして間に書かれている記述だけをとりあえず読むか?
・それとも9章までは読まないで10章「サウルの死」から読み始めるか?  一週間くらい考えてしまいました。

1章から9章までの中見出しを書き出してみますね。

1章  アダムからアブラハムまでの系図
     アブラハムの子孫
2章  イスラエルの子ら    ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イサカル、ゼブルン、ダン、ヨセフ、ベニヤミン、ナフタリ、ガド、アシェル
                   (これは確かイスラエルの12部族の名前だったような・・・・?)
     ユダの子孫
     カレブの子孫
     エラフメエルの子孫
     カレブのほかの子孫
3章  ダビデの子孫
4章  ユダの子孫 ――もう一つのリスト
5章  ルベンの子孫
     ガドの子孫
     ヨルダン川東のマナセの子孫
     レビの子孫 ――大祭司の系譜
6章  レビの一族
    (詠唱者)
    (レビ族の居住地)
7章  イサカルの子孫
     ベニヤミンの子孫
     ナフタリの子孫
     マナセの子孫
     エフライムの子孫
     アシェルの子孫
8章  ベニヤミンの子孫 ――もう一つのリスト
9章  捕囚期の後、エルサレムに住んだ者                ( )のついた中見出しは記述が多い部分です。


ようやく10章になって「サウルの死」11章「ダビデ王の登場」となり、普通の記述が始まります、ヤレヤレ!
で、結局、真面目な私は1章から名前も含めて一応読むことにして、今4章まで読みました。 頑張りまっす!

第1章 アダム、セト、エノシュ、ケナン、マハラルエル、イエレド、エノク、メトシェラ・・・・・何ダラかんダラと名前が続きます・・・・・(^^;)



<ツミ(♂)> 漢字で<雀鷹>と書きます。
       日本で一番小さな猛禽です。 
       これは(♂)の成鳥で目の虹彩は黄色、胸は赤くて綺麗な個体です。
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